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前掛け is ongoing

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次々と新しいモノやサービスが生まれる時代。

その陰で、こぼれゆくものを未来につないでいく仕事は、重要な意味を持つと思います。

脈々と続いてきた歴史に新しい価値をもたらし、いまも生かしている人たちがいます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 東京・武蔵小金井で、日本伝統の仕事着「前掛け」を専門に製造・販売している 有限会社エニシング。

前回の募集から2年。次のステージに進みつつあるいま、新しい機織り職人を探しています。



東京から新幹線でおよそ1時間半。愛知県・豊橋駅に着いた。

豊橋は、戦後復興が進むなかで紡績業が発達し、とくに前掛けの産地として栄えたまち。

西口から20分ほど歩いたところにエニシングの機織り工場はあった。

工場のオーナー・芳賀正人さんは、お父さまが創業した機屋を受け継いで、前掛けの生地となる帆布をつくってきた。

前掛けは、体を動かして働く人の一般的な仕事着として昔は広く使われていたもの。
 前掛け けれど、時代が変わりゆくなかで需要はなくなっていった。

職人も高齢となり、だんだん衰退していくのを感じていた芳賀さんは、将来性を見出せずにいたという。

そんなときに出会ったのが、東京で前掛け専門店を営むエニシングの代表・西村さんだった。

「もう12年前かな。ふつうだったら電話で問い合わせて取引も済ますところを、彼は東京からわざわざやってきたんです」

当時のことを振り返りながら、芳賀さんが話してくれた。

芳賀さん 西村さんの真剣な姿勢には好印象を抱いた。けれど、取引する量は少なかったから、ビジネスとしてはそれほど関心がなかったそう。

見方が変わったのはその4年後。

なんとニューヨークで前掛けの展示会をすることになった。というのも実は、西村さんは海外へも営業に行っていたのだ。

「前掛けが海外で売れると本気で考えているの?と思いつつ、ニューヨークなんて行ったことがなかったから。職人仲間と一緒に西村くんについていくことにしたの」

ただついていくつもりが、現地ではパネルディスカッションもしたそう。

「こういうかたちで前掛けが外国へ出るなんちゅうことは想像もしていなかったんだよね。面白いなと思いました」

スクリーンショット 2017-06-11 19.56.18 そこから、西村さんという人間に強い興味をもつようになる。

それまで千枚〜1万枚という単位の注文で競争していくことが基本だった芳賀さんに対して、西村さんは、個人客や百貨店に向けた需要を開拓するというまったく違う売り方を戦略的に行っていた。

新聞やテレビで話題づくりを仕掛けたり、海外にも展開したり、発信の仕方も工夫することで販売量も右上がりに。だんだんと、若い人たちの層に新しい市場ができていった。

それでも、芳賀さんは年齢もあって、引退する考えを西村さんに伝えたという。

「そのとき彼は、日本の文化だから残したほうがいいと言いました。ただ、私は言ったんです。設備はあっても動かす人と技術がなければただの鉄くず。動かしてはじめて生きていくんだと」

話を受けた西村さんから、今度は、自分たちが引き継いで人を送り込むから職人を育ててほしいとお願いされたそう。

そうして4年前に1人、2年前の日本仕事百貨の募集で2人の職人が生まれた。

「あとを継いでもらえれば、私も廃業するよりいいじゃない?うれしいなぁと思ってね」



一方で西村さんは、どうして前掛けづくりをしたいと思ったのだろう。

今度はエニシングの代表・西村和弘さんに話を伺う。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA もともとは、大手製菓会社に勤め食とビジネスについて学び、その後、日本のよさを表現して海外に伝えようと会社を立ち上げた。

はじめたのは漢字をプリントしたTシャツの販売。つづいて前掛けも取り揃えてみた。

「そのとき、前掛けって面白いなと思ったんです」

そう思う理由の一つは、室町時代からあるといわれる日本独特の伝統的なものであること。

もう一つは、お客さんが発信したい情報をのせることができて、さらに着ることで人目に触れて広がっていくという使われ方をしてきたこと。

昔の人たちの知恵が詰まったものとして、何百年と形に残っている。

たしかに興味深いけれど、それだけで、先が見えない分野に挑戦しようと思えるだろうか。何かもっと理由がありそう。

「そうですね。もともと自分が起業したからには、他人がどうということじゃなくて、自分たちの努力で切りひらいていけるような仕事や環境づくりをしたいという想いがあるんです」

それは、ただ目新しいものをつくるということとは違うそう。

「前掛けをつくりはじめた当初は、問屋さんから生地を買っていました。1年が経ったころ、友人から豊橋で『ガラ紡』という伝統的な糸を使って前掛けを織る職人さんがいると聞いて、芳賀さんのもとを訪ねたんです」

そのとき、もともと買っていた生地が芳賀さんのつくるものだったことを知る。

同時に、産地の現状も目の当たりにした。

「芳賀さんや豊橋のみなさんも、そう遠くないうちに辞めようと考えていて。でも、歴史を汲みながら新しい時代に入っていけば、オンリーワンの仕事ができるんじゃないかなという感覚があったんですよね」

薄手生地が主流のなか、西村さんはより高品質なものを打ち出そうと、40年前につくられていた一号前掛けを復活させることを決めた。

一号前掛けの特徴は、太い糸で織られているので生地に厚みがあること。一方で、身体になじみやすい柔らかさを兼ね備えていること。

スクリーンショット 2017-06-11 19.56.03 芳賀さんが長年培ってきた技術があってこそなせる仕事だ。

「僕がやりたいのは、ちゃんと理由があってずっと脈々と続いてきたものに、新しい何かを吹き込んでいくような仕事。どっちが欠けてもダメなんです」

「歴史を勉強したうえで、これからの時代に合ったものとは何か?とグローバルな視点で考える。歴史の流れに僕らの新しい考えを組み合わせていけると、本当に意味のあるもの、人々に喜んでもらえるものができるんじゃないかなと思います」


その考えは、工場の中からも感じられる。

「ガシャガシャガシャ」「カッタンカッタン」と音を立ててよく働く機械たち。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 10台稼働している機械のすべてが、1台のモーターによって動いている。モーターの動力をベルトで伝えて多数の織機を動かすという仕組みだから、電力がほとんどかからない。

使っている織機は「シャトル式力織機」という50年以上も前のもの。

ボタンを押せば全自動する機械と違って、人が微調整をするからこそ、柔らかな風合いに仕上がるそう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 機を織ることで、いまも大切に機械を生かしている。

西村さんは、その意味を人々に考えてもらう機会もつくっている。

今年1月に市民の方に向けて工場見学を行ったところ、定員枠20名が3日で埋まるほどの人気だった。海外からも、工場見学を望む声が多い。

工場見学 今後1〜2年以内に豊橋市内への工場移転を予定していて、そこではより日常的に工場を見学できるようにしていきたいと話してくれた。



次に話を伺ったのは影山幸範さん。日本仕事百貨の記事を読んで、職人となった方です。

「この仕事は、職人が古い機械を動かして、しっかりモノを残すことではじめて文化が発生する。そういう難しさと面白さが兼ね備わった仕事だと思います」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 手を使って作業するのが好きだという影山さん。

今後どう機械を残していくかを大切に考え、機械のメンテナンスも積極的に行っているそう。

仕事ではどんなところを意識しているのだろう。

「織りながら、どういう仕組みでどうやって動いているかっていうのを少しでも頭で考えながらやることが大事ですね」

何か調子がおかしいと感じたら、どこに原因があるかを探していく。

「たとえば、きれいに生地が織れないといっても、千切り(ちぎり)という経糸を巻き取る部分の回り方がおかしいときもあれば、織り機の重しの具合によって糸にテンションがかかりすぎてシャトルが経糸に挟まってしまい、うまく織れないこともあります」

いろんなバランスのなかでどこが悪いか判断できる目を養っていくことは難しいという。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA それに、微妙な調整加減によって、動きが良くなることもある一方で悪くなることもある。

答えがないから、仕組みを辿りながら自分の頭で考えて解決策を見つけていくしかない。

「非効率的ですけど、この機械だから織り上げられるものがある。消費者の方にしっかりいい生地を届けたいというのがモチベーションですね」



前回の記事を機に職人となったもう一人、前川圭子さんにも話を伺いました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「もともと民芸品や文楽など、日本の文化が好きでした。それから、かばん職人だった祖父の姿を小さいころから見ていて。ひたすら黙々と打ち込むものがあるという生き方がかっこいいなと、ずっと憧れがありました」

自分が職人になってみて、どんなことを感じているのだろう。

「機械の不具合はいつ何が起こるかもわからない。自分が対応できることの幅をどうしたら広げていけるだろうかと、焦ることもあります」

ときには50年以上前の織機の資料を見て、仕組みがわからない部分を読み込む日もあるという。勉強熱心なのが伝わってくる。

「芳賀さんの隣で、一緒に生地を触りながらいろいろなことを教わって。最初に来たときより『これがいい』という感覚がちょっとずつ掴めてきている実感はあります。だからもっとがんばろう!という気持ちです」

織りの仕事をしつつ、芳賀さんとは“課外授業”として一緒に草木染めの実験をしてみたりもするそう。

みなさんからは、ともに楽しみながら頑張る同志のような関係性を感じる。

どんな人と働きたいか聞いてみると、影山さんが答えてくれた。

「Face to Faceで、本音で話し合える仲になってくれる人がいいかなと思います」

代表の西村さんも反応します。

「それがいちばん大事。そういう関係を築ける人と長く一緒に働きたいですね」



最後に、印象的だった西村さんの言葉を紹介します。

「過去の歴史ってお金で買うことはできません。芳賀さんがお父さまの代からずっと続けてきてくださった仕事があり、そしてたまたま私たちとご縁があった。だからこそ、いま僕らがやりたいことに向かっていける。それってほかにない仕事だよなと思います」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「あの機械を動かす美しさって、何にも変えられない。そういうかけがえのない仕事を残していくことこそ、僕らにとっていちばん大事なんじゃないかと思うんです。だから、一生懸命やらせてもらっていろんな意味で恩返しがしたい。そういうピュアな思いです」

(2017/08/01 後藤響子)