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長崎県波佐見町。この地で400年にわたってつくられてきた波佐見焼は、大きく5つの工程に分かれています。原料をつくる「陶土屋」、器の型をつくる「型屋」、原料を型に流し込み成形する「生地屋」、色を調整する「釉薬屋」、焼いて仕上げる「窯焼き」。
そうして出来上がった器を流通させるのが「商人」。有限会社マルヒロも、波佐見町に40ほど存在する商人の会社のひとつです。
ただ、マルヒロの役割は流通にとどまりません。
たとえば、オリジナル商品を企画開発する場合。生地屋さんなら、成形の方法が何種類もあったり、つくる形によって得意不得意があったり。職人さんごとにそれぞれの色があるといいます。
そこでマルヒロでは、固定の生産ルートを設けず、毎回異なる組み合わせの職人さんにお願いするんだそう。
なぜかと言えば、つくりたいものに応じて、求められる技術も材料も、その都度異なるから。
全体のバランスや関係性を見ながら、ものづくりを進める。それはまるで、まち全体が会社のような、分業ならではのダイナミックな仕事だと感じました。
今回は、マルヒロのデザイナーと直営店のスタッフを募集します。
羽田空港から長崎空港までは1時間50分。
ロビーに出ると、マルヒロのブランドマネージャーである馬場匡平さんが迎えてくれた。
「今日のシャツはすごかね!って、知り合いに会うたびに言われるんです(笑)」
赤い柄シャツとひげ姿。インパクトにおされながらも話しはじめると、とてもフランクでやわらかな雰囲気の方だった。
「波佐見は400年焼き物ばっかりつくってきたまちです。条件がよかったんですよ」
陶磁器の原料となる陶石がとれること。山あいの地形が登り窯に適していたことなど。
いくつかの要因が重なり、江戸時代の初期から日用雑器を大量生産してきた。
「波佐見焼」として売り出しはじめたのはここ数年のこと。かつては長いこと有田焼の下請けという位置付けにあったそう。
「10年ぐらい前かな。食品の産地偽装がよく取り上げられたじゃないですか。焼き物も産地をちゃんと出そうっていうことで、波佐見焼として売るようになりました。たぶん、そのころから少しずつ世間に知られていったんだと思います」
ここ最近は知名度も上がってきて、観光に訪れる人の数も増えてきたという。
ただ、匡平さんは「おしゃれ」や「モダン」といったイメージとは異なる言葉で波佐見焼を語る。
「ずっと日用雑器をつくってきたので、技の伝統はないんですよ。職人のおっちゃんたちもみんな商売人気質というか、必ずどっかしら手を抜くんです。飲んだら道で寝ちゃうし、納期を守るって、8割方うそですから(笑)」
「でも、そういう部分がある種、微妙で曖昧なダサさとかっこよさを生んでいると思います。どんくさい、ずるさのある波佐見焼がぼくは大好きで。それって機械にはつくれないものですよね」
なんだか、人間味を感じる。それに、これほどフランクに紹介できる匡平さんと職人さんたちの間にも、きっといい関係が築かれているんだろうな。
そんな話をしているうちに、車は波佐見町のカフェレストラン「monne legui mooks(モンネ・ルギ・ムック)」に到着。
このお店では、マルヒロの食器が使われている。
カウンター席に腰かけると、カラフルなマグカップが目に留まった。
「あれは2009年につくった『HASAMI』というブランドのマグカップシリーズですね」
それまでのマルヒロは、買い付けた器を販売する一般的な商人の仕事をしていた。オリジナル商品の企画開発を手がけるようになったのは、匡平さんが関わるようになってからだという。
福岡の専門学校を出て大阪で1年働いたあと、2年間のアルバイト生活をしていた匡平さん。焼き物のことはほとんど知らないまま、23歳で家業のマルヒロに加わる。
「戻ってきて、職人のおっちゃんたちにまず言われたのは、焼き物のつくり方を知っている商人がいない、と。今から言うところ全部行ってこいって言われて回ったら、父ちゃんの同級生の型屋さんとか、じいちゃんの友だちの生地屋さんとか。みんなどこかでつながってたんです」
わからないことは知り合いの職人さんに聞きながら、波佐見焼のイロハを学んでいった。
「何も知らんから、素直に聞くでしょ。知っとるというのが足かせになると思うんです」
何度もサンプルをつくっては直す。「おっちゃんたちと一緒に試行錯誤するのが楽しい」と匡平さん。
「全体的にニュアンスなんですよ。『もうちょっと濃ゆうしようか?薄うしようか?』とか、『ザバッとかけて。ここはキュッとさせて』って。そんな会話も多いですね」
かなり感覚的というか、はっきり言い表しづらいことで溢れている仕事のよう。
明確に線引きできないと、苦労することも多くないですか?
「いやあ、あまり深く考えてはいないですね。でも、一緒に働く人はぼくの無茶振りが大変かもしれないです(笑)」
今回募集するのは、デザイナーと直営店スタッフ。
職人さんとのやりとりからわかるように、いずれの職種も匡平さんと感覚的なニュアンスを共有し、プロダクトや店舗といった形に落とし込むことが求められる。
具体的にはどんな仕事があるのか。
匡平さんと二人三脚で歩んできたデザイナーの新里さんにも話を聞く。
新里さんの仕事は多岐にわたる。
「商品の企画段階から匡平くんと一緒に考えて、イラストやロゴの作成、撮影もしますし、コンセプト決めやライティング、プレスに関わる仕事もしています。細かいことだと、見積書や請求書の作成もやりますね」
佐賀県有田町の美術高校に在学中、陶器市でアルバイトをしていたという新里さん。焼き物にあまり興味はなかったものの、バイト先の会社からオファーを受けて就職したそう。
「その会社では、昔の有田焼の伝統柄を復刻して転写する作業をやっていました。伝統様式の勉強はさせてもらえたけれど、自由なことができなくて」
その後、波佐見焼の窯元に転職。現場の作業を一通り経験し、縁あってマルヒロにやってきた。
「伝統的な様式と現場の作業、全体を見てこれたからこそ、今デザインがしやすいのかなと思います」
たしかに、マルヒロのデザインは幅広い。「HASAMI」「ものはら」「the place」「BAR BAR」という4つのブランドを展開。それぞれにテーマやモチーフも異なる。
最近では、国内最大のハンドメイドマーケット「minnne」やイラストレーターの竹内俊太郎さんとコラボしたそば猪口をつくったり、波佐見以外の産地と一緒にものづくりをはじめたりと、その幅はさらに広がりつつある。9月には都内で単独の個展も開催予定だそう。
「2年前までは、年間で200近い新商品を出していました。それだとつくるスピードも、廃盤にするスピードも速すぎて、いろんなことが消費的になってしまって。最近は“売らなきゃいけない”っていうところから少し離れて、好きなものをつくるほうにシフトしている感じですね」
今回入る人は、どんな人がいいんだろう。
「わたしとはちょっと違うテイストのデザインができる人だといいですね。たとえば、バンクシーのようなストリート系とか、デジタル系の表現ができる人」
とくに、8月にリニューアルしたばかりの「BAR BAR」は自由で枠にとらわれないアイデアを実現していくブランド。新しく入る人の色が出しやすいかもしれない。
その一方で、今のマルヒロのテイストを理解できることも必要だ。書類の作成や商品撮影、ライティングなど業務も多岐にわたるので、個性とともに柔軟性も求められる。
はじめは新里さんのアシスタントのような立ち位置で、マルヒロのものづくりを知るところからスタートすることになると思う。
「感覚さえ共有できれば、あとはどんどん任せたいです。ゆくゆくはその人の確立したゾーンでやってもらいたいので」
デザイナー同様に、直営店運営のほとんどを任されているのが川渕さん。みんなからは親しみを込めて「ちーぼー」と呼ばれている。
接客をはじめ、店内のディスプレイや流す音楽も川渕さんが決めているそう。
「接客は基本的にしないですね(笑)。自分がお客さんの立場だったら、あまりグイグイこられるのは苦手なので」
お店の佇まいも、まるで美術館の展示のよう。足元に敷かれているのは、廃棄される予定だった器たち。安く買い取ってモルタルを詰めたものを積み上げ、舞台のような独特の空間をつくっている。
「ちーぼーは、よく店内のディスプレイを変えてくれるんです」と匡平さん。
「そうすると同じ商品でも見え方が変わってくるから面白い。でもそれは、すべて戦略的に考えてるわけじゃないんです。音楽だって、ちーぼーの好きなやつをかけてるだけ。それでいいと思うんですよね」
川渕さんは、得意のイラストで商品パッケージを手がけることもある。
店舗のスタッフでも、デザインやブランディングにゆるりと関わっていくことはできそうだ。
「いい会社だと思いますよ。まずやってみたら?とか、絵描いてみなよとかさ、俺だったらそんなに言わねえもん」
そう話すのは、monne legui mooksのオーナーである岡田さん。
マルヒロで試作品ができると、匡平さんはまず岡田さんに使ってもらうんだそう。
「使ってみて、高さはこのぐらいのほうが好きだとか、こう持てたほうがいいんじゃないの?って。聞かれるから答えてるだけなんですけどね」
そのフィードバックは商品企画に活かされるし、mooksでもマルヒロの食器を扱っているから、こうしたやりとりは仕事の一環とも言える。けれども、おふたりの関係性には、“提携”や“お得意さま”という表現は似合わない。
「この人って、職人さんにアイデアをどん!と出して、これできないですか?って進め方はしないんです。知り合いのおじちゃんたちが何気なくやってることを『かっこいいね』っていうところからはじまる」
「普通は“付加価値”にするところも、言わないんですよ。というか、たぶんそこに興味がない。あるのは人間関係だけだから、今風のものづくりやブランディングとは、構え方からして違うんです」
たった1日の取材だけれど、匡平さんのまわりに人が集まる理由が少しわかった気がする。
それは、相手を肩書きやスキルで見ないからだと思う。常に人ありき。今回の募集も、とくに経験は問わないそうだ。
と同時に、その眼差しはモノやまちに対しても向けられている。
効率を考えたら機械には勝てない。けれども、このまちの、この距離感でしかつくれないモノがある。匡平さんはそう信じているのだと感じた。
興味がわいたら、9月に東京で開かれる個展や波佐見町を訪ねてください。
マルヒロの空気感は、肌で感じるのが一番だと思います。
(2017/9/1 中川晃輔)