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1800年の歴史と
移り変わる時代の流れ
その境で神社を見立てる

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

大昔からそこにある海や山、あるいは人がつないできた伝統文化や建造物など。

そういったものと向き合うなかで、自分の小ささに気づき、不思議と心が落ち着いていく。

そんな時間を持つことは、人が生きていくうえでとても大切な気がします。

山口県と福岡県を分かつ関門海峡。流れの速い海を目の前に、静かに佇む和布刈(めかり)神社が今回の舞台です。

1800年の歴史ある神社を、よりよい形で未来へとつなぐ神主見習いと巫女さんを募集します。

 

福岡空港から門司港駅へ、電車でおよそ1時間。そこからバスかタクシーに乗って北上すると、関門橋がぐんぐん近づいてくる。

対岸の山口県までもっとも近いところで670m。参道の先は、そのまま海へと続いている。

門をくぐって中に入ると、神主の高瀬和信さんが迎えてくれた。

言葉を選びながら丁寧に語る姿が印象的な方。

「和布刈神社の創建は西暦200年、弥生時代と言われておりまして。1800年の由緒を持つ神社です」

1800年。とても古いですね。

「西暦600〜800年ごろに建てられた神社は多いんですよ。お寺も6世紀ごろに日本に入ってきた外来の宗教。和布刈神社はさらに古い歴史があります」

仲哀天皇の妃である神功皇后が、三韓征伐での勝利を神様に感謝し建てたといわれる和布刈神社。

その創建の逸話を再現した『和布刈神事』は、なんと1800年間途絶えることなく続いているという。

「旧暦の正月の午前2時半ごろに、神職たちで海に入りわかめを刈るんです。和布刈の名も、わかめを刈るというところに由来しています」

なぜわかめなんでしょう?

「古来からわかめは、万物に先駆けて繁茂する縁起のいいものとされてきました。また、神功皇后は潮の満ち引きを司る2つの珠を持って戦いに勝利したと言われていて、わかめをその珠に見立てる意味もあります」

2月の頭ごろ、1年でもっとも水が引き、岩肌が見えてひざ下ほどの浅さになる真夜中に執り行う。

「ぼくが松明であたりを照らし、宮司である父がわかめを刈る。単純な仕草を淡々と、30〜40分続けます。水はとても冷たいです。でも、その間は不思議と寒さを感じないんですよね。時間もすごく長いようで、短いようで」

「身につけるものも、松明のつくり方も、弥生時代から何一つ変わりません。1800年の歴史に比べればほんの一部ですけど、脈々と続くお祭りに自分が携わっていることのうれしさと責任を感じます」

代々和布刈神社の神職を務める高瀬家の次男として生まれた和信さん。

高校2年の夏までは、神社を継ぐことなどまったく考えていなかったという。

「当時のぼくは和布刈神社がどんな神様を祀っているのかも知らず、かといってほかにやりたいこともないような状態でした。期待や注目は、いつも兄に向けられていたので」

進路は大学に行ってから決めようと思い、父に言われるがまま受験。実はそこが、神職の大学だった。

「東京の明治神宮と三重の伊勢神宮の近くにそれぞれ学校があるんですが、父は三重の学校のことしか教えてくれなくて。東京に行けば遊んでしまうと見越していたんでしょうね(笑)。数キロ先まで見えるような、田園風景が広がる土地で学ぶことになりました」

こうして一から神社について学ぶことになった和信さん。在学中の研修期間には伊勢神宮や太宰府天満宮など大きな神社だけでなく、地方の小さな神社にも訪れ、さまざまな神社の現状を体感した。

そのなかで次第に危機感を抱くようになる。

「神社がどう収益を上げているかというと、正月の三が日がほとんどです。あとは日々の祈願が臨時収入になるくらい。参拝者数やお守りの需要も減ってきています」

また、全国200社からの募集に対して、神職の大学の卒業生は毎年80名ほど。名の知れた神社ならまだしも、地方の小さな神社を世襲以外で継ぐ人は少ない。

「にもかかわらず、じゃあどうする?と未来のことを見据えて動いている神主さんは本当に少ないんです。昔から続くものを守っていくことはもちろん大事ですけど、このままでは誰も神社を継がなくなってしまうと思いました」

早く、この状況をなんとかしなければ。そう考えた和信さんは、卒業と同時に和布刈神社に帰ることに決めた。

今から11年前のこと。

まずとりかかったのは、年間通して収益を得られる体制づくりだった。

「たとえば、大切にしてきたものをゴミとして捨てるのは忍びない。神社で供養してお焚き上げをしましょうということで、人形供養をまずはじめて」

「4年前からは海洋散骨もはじめました。今後ご高齢の方がますます増え、お墓のこと、お参りのことがより切実な問題になってきます。近年は『自分が亡くなったら自然に還りたい』という方からのご相談も増えていますね」

和信さんの入社時から比べると、収入は8倍に増加し、年間13万人だった参拝者数は22万人まで増えたそう。

さらに、ホームページやパンフレットなどの媒体を改良。Instagramに掲載している写真からは、祭事の緊張感や日常の静かな雰囲気が伝わってくる。

デザインや撮影の経験はなく、すべて独学だという。

「日が昇る前の朝5時ごろ、というイメージで写真は撮影しています。神社の荘厳さや自然との共存をもっとも感じられるのがその時間帯なんですよね」

関門橋がかかり、大小700隻の船が行き交い、対岸に下関のまちが広がる。

1800年前と比べれば、和布刈神社を取り巻く環境は大きく変化した。

「関門海峡の流れの速さは、時代の変化の速さを彷彿とさせます。一方この神社の御神体は1800年前から存在するもの。その意味でここは古代と現代の境目であり、俗世から離れられる場所だと思っています」

今、神社に求められる役割は何か。

1800年の歴史にあぐらをかくことなく、自然環境やまちなみも含めて神社を「見立てて」いく必要がある。

そんな「見立て」をひとつの形に結晶させたのが、神社の隣にある「母屋」だ。

先代の宮司である和信さんの祖父が住んでいた家を改装し、カフェ&ギャラリースペースとして2年前にオープン。全国各地から集めた器や装飾品がゆったりと並べられている。

「神社で使われていた箱や太鼓を乗せる台を什器にしたり、祭りの足場を分解して小上がりをつくったり。倉庫で眠っていたものがここで新たに脚光を浴びる。これもひとつの『見立て』ですよね」

「作家さんの言葉から神主として勉強させられることもあって。たとえばある作家さんは、『器は呼吸をしているように置くんだよ』とおっしゃいました」

器が呼吸する。

「ただ陳列するんじゃなく、もともとそこにあったように。陶器だってさかのぼればもとは土ですから。必ずどこかで自然につながるんですよ」

自然とのつながりを見出すことが、神社のひとつの役割なのでしょうか。

「そうですね。自然に対してもそうですし、自分の心とも向き合える場所だと思います。お願いごとのようにポジティブなこともあれば、悩みなどネガティブなこともある。満ちるときも引くときも、その方を導ける神社でありたい」

カフェ&ギャラリーである母屋と神社は、一見かけ離れているようにも見える。

けれども、根っこで両者はつながっている。日常を離れて自然とのつながりを感じる場所。そして、自分自身と向き合える場所。

いきなり神社に親しんでもらうことは難しくとも、母屋の存在がここに足を運ぶきっかけになるかもしれない。

「和布刈神社の目指すところを言葉で伝えるのは難しいのですが、母屋の空間には大事にしたいことが詰まっています。この空間や雰囲気が好きな人であれば、きっと同じ理想に向かっていけるのではないかと思います」

今回募集する人は、希望次第で母屋の運営に携わることもできるそう。作家さんの個展を企画したり、わかめなど和布刈神社に由縁のある食材を使ったメニューを開発したり、いろんな可能性があると思う。

「元気な人よりは静かに説得力をもって語れる人。一人で個展や美術館に行くような人に来てほしいというイメージがあります。日本の伝統文化に興味があったり、触れてきたりした人がいいかもしれませんね」

大学か短大を卒業した人ならば、専門の大学に通わずとも1ヶ月の講習会を受けることで神職の資格を取得できるという。

だから神主見習いも巫女さんも、特別なスキルや経験は必要ない。

「日々の業務としては、授与所での参拝者の方へのご対応ですね。お守りをお渡ししたり、御朱印を書いたり。通りや拝殿の清掃、海洋散骨や人形供養の受け付け、乾燥わかめやアメなど縁起物の梱包も行います」

「さらに神主として経験を積んだら、年間行事の運営や祈願などにも関わっていただきます。和布刈神事のほかにも、春や秋には豊作の祈願や感謝を表すお祭りがありますし、正月の準備は10月ごろからはじまります」

年間通した全容が把握できるまで、基本的に3〜5年はかかるとのこと。

まずは見習いとして日々の業務に携わりながら資格の取得を目指し、将来的に祈願や祭事への関わりを深めていくことになりそうだ。

暮らしの面で北九州・門司はどんなまちですか。

「日々の雑踏に追われないおだやかなまちなので、暮らしやすいと思いますよ。港がありますし、県外の方は食べものがおいしいと言ってくれますよね。とくにご年配の方は、移住先にこの門司を選んでくる方が多いです」

「買いものや娯楽を求めるなら、下関や小倉、福岡市内まで出ていかないとあまりないですね。病院はありますけど、そのほかの公共施設はそれほど充実していないので、子育て世代には少し不便かもしれません」

ちなみに、神主さんが禁止されていることって何かあるんでしょうか。

「一般的な常識の範囲内であればとくにないですよ。ただ、自然や神様に対して奉職している身ですので、常に神社人としての心構えは忘れないようにしています。それは一緒に働く人も同じですね」

門や入り口の前では必ず頭を下げたり、バックヤードを常に整理整頓したり。

表から見えない部分にその人が滲み出るからこそ、厳しく気を配るという。

じっくりと話を聞いていたら、気づいたときには日がかなり傾いていた。

その光を浴びながら、最後に語った和信さんの言葉が印象に残っている。

「ここに帰ってきて、神社の現状を最初の3年間で把握したとき、自分の未来に対してすごく危機感を覚えて。毎日が不安だったんですよね」

「だからこそ、少しでもよい形で伝えていける役目になれればと思うんです。危機感が自分の使命感に変わったというか。1800年のうちで自分が関われるのはほんの一部ですけど、短くても、すごく濃い時間にしたいなと思います」

1800年積み重ねた歴史とめまぐるしく移り変わる現代。

その境目に立って神社を見立て、未来へとバトンをつなぐ仕事です。

(2018/9/18 取材 中川晃輔)

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