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大地と人に育まれて
根のあるものづくり

移住がブームになった昨今。都会に住む人が地方に憧れる理由は何でしょう。

自然がいい。食べものが美味しい。

それもそうだけれど、僕自身が「この地域に住んでみたい」と感じるのは、“人”がいいなと思ったときなのかもしれません。

「優しい」「温かい」ということの裏に、力強さを感じる。まるで1本の木のように、芽吹いた地で根を広げて生きているような人がいる場所。

そこには、今の社会が失いつつある大切なものがあるような気がします。

鹿児島県伊佐市でも、泥くさくもたくましく、根を広げながら生きている人たちに出会いました。

今回はここで、工芸作家としてものづくりをしながら生きていきたいという人を募集します。地域おこし協力隊として伊佐市に暮らしながら、最大3年間活動ができます。

 

鹿児島県の北部にある自然豊かな伊佐市。鹿児島空港から車で1時間ほどの場所にある。

11月半ばに訪れると、田んぼはすっかり刈られた後で、あたりには少しひんやりとした風が吹いていた。

京都に似た盆地気候で、県内の最低最高気温を記録するほど。その寒暖差のおかげで美味しい作物が育ち、鹿児島でも有数の米どころとして知られている。

そんな伊佐市に、魅力的な人たちが集まっている。

たとえば昨年の募集でお会いしたダンスグループC.I.co.のお二人

東日本大震災をきっかけに東京から移り住み、『コンタクト・インプロヴィゼーション』というダンスに取り組んでいる。パートナーとの身体の接触を通じて展開するパフォーマンスの研究、普及、国際交流や国際フェスティバルの実施など、国内外で幅広く活動している。

ほかにも版画家や音楽家など、様々な作家やアーティストが伊佐市で暮らしながら活動しているという。

今回はそのうちのひとり、陶芸家の川野恭和(かわのみちかず)さんを訪ねた。

もともと志布志市の出身。今は伊佐市の中でも山野という地域に住み、住まいの隣に窯を構えている。

川野さんは国展での鑑査や日本民藝館展の審査員を務めていたことでもその名を知られ、鹿児島の焼物を支えてきた人でもある。

そんな活動とは裏腹に、川野さんは腰が低くて会話が大好きな方。喋りだすと止まらず、いろいろな話が聞けて楽しい。

「僕は最初から焼物をやろうって気持ちがあったわけではなくて、普通の大学に通っていたんです。ただ団塊の世代で、自分の生き方を模索する世代でもあった気がするんですよね」

「それで大学を1年間休学して、歩いて日本一周するんですけど、いろいろな町で木工や焼物、鍛冶屋等の職人と出会うんですね。そのとき、一生懸命作業する職人の眼は、活き活きと見えました。職人っていうのは、物資的には、どちらかといえば豊かではないです。でも僕は精神的に豊かなのかもしれないと思えました」

精神的に?

「ええ。お金とは縁がないかもしれないけど、ものをつくって生きるのもいいかなと思ったわけです」

その後、川野さんは陶芸の道を進んでいく。

中でも“民藝”の世界で活躍してきた。

「民衆的工芸のことを民藝といって、富裕の人が使うような美術工芸品だけでなく、民衆が使う生活道具の中にも美は宿るっていう考え方なんですね」

全国を旅して出会った職人たちはまさにそういうものをつくっていた。無名の彼らのように、川野さんは自身を作家ではなく職人であり続けようとしてきたという。

「鹿児島には平佐焼っていう磁器があるんです。僕はそれに近づきたいと思って、磁器をやりはじめました」

そう言いながら、川野さんが3種類の土瓶を見せてくれた。

左は川野さんがつくったもので、真ん中が平佐焼、そして右が黒薩摩焼。

薩摩焼は1598年、文禄・慶長の役後、朝鮮半島から連れてこられた陶工がはじめた焼物で、白薩摩と黒薩摩がある陶器。それから磁器である有田焼の技術を導入して、1776年からつくられはじめたのが平佐焼。

どちらも鹿児島に古くからある、民衆に愛され続けてきた焼物。

平佐焼を目指した川野さんの磁器も、そのふたつのように無駄のない形で、どこか自然な風合いをまとっている。

ただ、民藝とは手工芸でありながら、いわば作家性をなくしたもの。

独自性を打ち出す作品や安価な大量生産品がある中でどのように売っていくのか、難しくはないのだろうか。

「そうなんですよね。たしかに今もお金とは縁がない(笑)でも僕は民藝の世界を知って、助かっているんです」

助かっている?

「作陶する上で陥りやすいのは、買うほうの眼鏡をかけてつくろうとしたり、受けをねらってほかとは変わったつくりをしてみたり。人の評価を気にするあまり、信念のない作業をしてしまいがちです。でもそれは糸の切れた凧みたいな感じで、どこへ飛んでいくかわからないわけです。木でいえば枝葉末節の仕事で、大切な幹や根っこがないんですよね」

「民藝の基本的なことは、おごるな・てらうな・素直であれ・健康であれという考えで、僕の場合はそれを拠りどころにしている。なかなか難しいですが、自分には立ち帰る場があるというのは重要なことで、僕が民藝を勧める理由なんですよ」

ものづくりをする上で何を軸にするのか。それは若いつくり手が悩むことかもしれない。

もし民藝の世界に足を踏み入れるのなら、川野さんから学ぶことができると思う。

工芸全般の話を共有できるし、川野さんは陶芸をしている人ならノウハウを教えたり、知り合いのお店や卸先などを紹介することもできるという。

「伊佐というところは、焼物、木工、ガラス、染織、竹やツタなどの編組品をつくるには、適地だと思います。工芸は、健全で豊かな自然なくしては生み出されない部分も多いですから」

どんな人に来てほしいか、川野さんに聞いてみると、「自分はこれで生活していくんだっていう信念のある人でしょうか」という答えが返ってきた。

「僕はただ若い人よりも先にやっているというだけで、若くても美しいものをつくれるような、優秀な人はいっぱいいます。同じつくる立場なので、そういう人と一緒に同じ目線で話をしたいですね」

 

川野さんようにものづくり一筋で生きていくのもいいだろうし、自然豊かなこの地で様々なことを組み合わせながら暮らすこともできると思う。

たとえば、平出水という地域に住む小野鉄真さんのように。彼はこれから“半農半陶”の生活をはじめようとしている。

小野さんは薩摩川内市の出身。10年ほど京都で陶芸の仕事に携わったのち、伊佐市に夫婦で移り住んだ。

きっかけは、昨年の募集記事に登場した大口食養村の川上さんからのお誘い。

もともと小野さんのご両親と知り合いで、小野さんも小さいころは夏休みに泊まりに行ったりしてお世話になっていたそう。そんな川上さんから三年番茶を一緒につくらないかという話が舞い込んだ。

三年番茶とは、背丈ほど成長したお茶を冬に枝ごと刈り、薪で煎ってつくる商品。春から夏にかけて新芽を摘む一般的なお茶とは違って、体を温めてくれる。マクロビをやっている人なら『川上さんの三年番茶』という商品を見たことがあるかもしれない。

「京都に住んでいたとき、半農半陶をされている作家さんの著書を目にする機会があって。その作家さんのような生き方ができたらいいのになと思っていました」

「ただ、なかなか実現する機会がなくて、そんなときに川上さんからお話をいただいたんです」

小野さんは、大口食養村で三年番茶と鉄火味噌の製造に携わった後、鉄火味噌部門を任されることになった。

牛蒡と人参、蓮根、生姜を細かく刻み、そこに味噌を加えて鉄釜で4時間炒りあげてつくる鉄火味噌は、ご飯の上にかけると何杯でも食べられてしまう。

今はより多くのお客さんが楽しんでもらえるようにと、『根菜味噌そぼろ』というオリジナルの商品をつくり、ふるさと納税の返礼品としても取り扱われはじめている。

「これまでは鉄火味噌にべったりでしたけど、今年に入ってからようやく余裕ができてきました。それで陶芸をまたはじめようと思っているんですよ」

どんなものをつくるのか、自分でもまだ分かっていないという。

お茶をつくったり、鉄火味噌を炒ったり、畑をしたり。自然の中にいた6年間が陶芸にどう影響するのか、まったく分からないけど楽しみでもある。

「この先、半農半陶の生活にこだわるつもりはなくて。昔の百姓のように、自分にできることを少しずつ増やしていきたいと思っています」

どうしてそう考えるようになったのですか?

「まわりの人たちがそうやって生きているんですよ。ここで暮らすうちに自分もそう思うようになってきました」

すると、小野さんの隣で聞いていた奥さんの陽子さんが口を開く。

「わたしも、大学にいたときはこんな道があるなんて知らなかったです。でもここではそれが当たり前なんです」

以前は鉄真さんと同じ京都の学校に通い、陶芸の仕事をしていた。

「気付いたらここにいた感じだけど、でも私の恩師もいいじゃないかと言ってくれていて。鉄火味噌、美味かったぞって」

千葉出身の陽子さん。伊佐で暮らすうちに面白いことがたくさん見つかったという。

たとえばつい先日、6年越しの夢が叶い、知り合いのおばあさんに味噌づくりを教えてもらった。

「大豆を茹でるんじゃなくて蒸すんですよ。それもおばあさんの旦那さんがつくった蒸籠を使って。ほかの道具もいつのものか分からないくらい、古くて素敵なものばかりで。私のよりいい麹の花が咲いてるわね〜って言ってもらいました(笑)」

「日々、いろいろな発見があって、どれもすごく新鮮。ここで暮らしていて楽しいです」

伊佐へ移住するとき、都会の喧騒から離れて、子どもをのびのびとした自然の中で育てたいという考えもあったそう。

小野さん一家が移住したことで、全校生徒数10名の小学校の生徒が増え、地元の人は大喜びで、みんなよくしてくれている。

「家は、いいなと思ったところがたまたま空いて。近くの保育園は、給食やおやつなど食にこだわっていて、食材は自然食品を使用したり、調理はできるだけ手づくりにしていたり。本当にご縁ですね。人と人の縁で繋がったというか」

その話を受けて、鉄真さんがこう話していた。

「伊佐はそうやって自然といろんな人が集まるから面白いんでしょうね。出会いがあって、その中でいろんなものを生み出せたらいいのかな」

地域で暮らし、まわりの人たちと関係を築きながら、根を張って生きていく。

そうした中で生まれるものには、自然と力強さが宿る気がします。

(2018/11/12 取材 森田曜光)

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