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大地と人

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「どの地域に一番住んでみたいと思いましたか?」

取材で全国を巡っていると、たまにそんなことを聞かれます。

いつもうまく答えられないのですが、思い浮かぶのは魅力的だなぁと思った人たちのいるところ。

自然が豊かだったり、食べものが美味しかったり、もちろんそういうことも気になるけど、地域の一番の魅力ってそこで暮らす人たちのことだと思うからです。

鹿児島県伊佐市でも、いいなぁと思う人たちに出会いました。

伊佐市では、地域おこし協力隊として活動し、ゆくゆくは定住をしてくれるような人を募集しています。

活動内容はとても自由度があります。移住・定住サポートやツーリズム開発、子育て支援の研究など、様々なテーマから選ぶことができるほかに、活動内容を自ら企画提案したり、気になった人のもとで働いたりすることも可能です。


「地元の人にはほとんど知られていないけど、全国や海外に有名な人が伊佐にはいるんですよ」

最初にそう連絡をくれたのは、伊佐市役所の河野さん。

鹿児島空港からバスに乗って約1時間。バス停を降りると、河野さんが待っていてくれた。

この日は11月中旬。冬の伊佐市は思っていたよりもずっと肌寒い。

河野さんがいうには、冬は県内最低気温を、夏は最高気温を記録するほど寒暖差があって、京都の盆地気候に似ているのだとか。

そのおかげもあって美味しい作物が育ち、伊佐市は県内でも屈指の米どころだ。

さらに、世界有数の高品質な金がとれる菱刈金山があるのだが、それで街が隆盛を誇っていたのはもう昔の話。

全国の中山間地域と同様に、伊佐市は少子高齢化によって人口が年々減少している。

「ずっと今のままだと街がなくなるんじゃないかって。協力隊を募集することにしたのは、このままじゃいけないっていう思いがあったからなんですね」

河野さん自身も伊佐市の出身。

役所で働くほとんどの人は地元出身者だから、なかなか新しい発想は生まれないし、故郷の良さを再発見しようにも難しい。

「高速道路はないし、駅もないし、遊ぶところもない。伊佐には何もないって地元の人たちは思ってるんです。でも、美味しいものはたくさんあるし、楽しい暮らし方だってできる。ただ気づいていないだけというか。伊佐の良さを外からの目線で評価して活動に活かして、一緒に伊佐を元気にしてくれるような人に来ていただきたいです」

伊佐市ではこれまで移住者の情報を集めていなかった。

そこで新たに移住・定住の担当になった河野さんが調べてみると、意外にも魅力的な人たちが何人もいた。

この方たちは研修やお手伝いさんを受け入れたりしているから、今回募集する隊員はそのもとで活動してくれても構わないという。

「地域にいきなり密着してくれと言われても、来る方はたぶんつらいと思うので。最初はどんな人たちが伊佐にいるのか一緒に調べてもらって、その後は自分の興味関心に合った活動をしてもらえたらいいなと思ってます」


伊佐市にはどんな人がいるのだろう。

河野さんに連れられて最初に訪ねたのは『大口食養村』。1980年に東京から移り住んできた川上寛継さん・祐喜子さん夫妻が経営している。

お昼ご飯を用意して迎えていただいた。

玄米にうめ酢を加えた巻き寿司、植物たんぱくのカツ、かぼちゃのスープなど、お昼のメニューはどれも砂糖や動物性のものは一切使われていない、いわばマクロビオティックの料理。

川上さんはこの食生活を何十年と続けてきたという。

「日本食っていうのは昔からご飯と味噌汁とお漬物と煮しめっていう、ほとんど肉食をしない食生活だったんです。それがとくに昭和の高度経済成長からいろんなものが食べられるようになり、1日何カロリーとらなければいけないっていう栄養学も入ってきた」

「つまり日本の伝統的な食生活がもうなくなってきてしまっているんですけど、このマクロビオティックは日本の伝統的な食生活に近いんですよ」

食生活をよくするには食材からと、川上さんは自ら畑で野菜も育てている。

農薬をかけず、動物のフンが入った肥料などは使わない自然農法だ。

三年番茶というマクロビには欠かせないお茶も、川上さんが栽培・製造している。

飲むと、とても香り高くまろやかで、抵抗なく身体にすっと入ってくる感覚がある。

「私のお茶はマクロビ提唱者である桜沢先生直伝の三年番茶のつくり方をしています。普通、お茶といえば春から夏にかけて新芽を摘むけど、私は3年間伸ばしっぱなしにしたお茶を冬に枝ごと刈って、薪で煎るんですね」

川上さんの茶畑は一般的なものと比べてかなり自由に伸びていて、高さは背丈ほどある。

お茶の新芽は、冬の間に人の身体に溜まった毒を出す作用があるが、同時に身体を冷やしてしまうという。川上さんが冬にとるお茶は成熟しているから、甘みがあって渋みがまったくなく、身体を温めてくれる。

宵越しのお茶は飲んではいけないといわれるが、川上さんのお茶なら大丈夫なのだそうだ。

マクロビをやっている人なら『川上さんの三年番茶』という商品を一度は見たことがあるかもしれない。

「東京にいたときはマクロビ食品を扱う会社にいました。そこで販売していた三年番茶をつくる方が辞めてしまったものですから、このお茶を復活させたいということでその方のいる佐賀に通って、最初はお茶をつくる人を探したんですよ」

「けど、なかなかいなくて、たまたま伊佐で知り合った方に、それだったらあなたがつくればいいじゃないかって言われてね。伊佐はお茶の産地としてもいいから、すぐに移ってきなさいと。それで私がこっちでお茶をつくることになったんですね」

ただ、はじめは人との縁もお金もほとんどなく、大変なことばかりだったそう。親切な大家さんに出会うことができ、借りた古民家を直しながら、三年番茶をつくり続けてきた。

畑は昔から自然農法にこだわっている。お茶を煎る機械は、緑茶を乾燥させる機械を独自に改造したもので、川上さんは溶接もお手のものだという。作業場や倉庫の建物は自らの手で建てた。

川上さんの立ち姿は、まるで植物が地面深くに根を張っているように、凛として力強い。

ここでやっていることは仕事というより、川上さんの生き方なのだと思う。

6年ほど前に埼玉から伊佐市に移住してきた春日さんは、こう話していた。

「三年番茶もそうですけど、川上さんの考え方とかライフスタイルを目の当たりにして、これは途切らせちゃ絶対ダメだなって」

「川上さんの関係でお会いする人たちも、お金とか地位に縛られていない人たちで。利己的にならなくてもちゃんと生きていけるんだっていう。そういうのをまざまざと見させてもらっているような気がします」

春日さんが伊佐市に来たきっかけは東日本大震災。これからの人生を考えていたとき、伊佐市で有機農業にチャレンジしていた友人の手伝いに来てみると、思った以上に畑仕事は楽しかった。

それから川上さんに出会い、大口食養村で働くようになって約2年が過ぎた。

お子さんのいない川上さんは、春日さんを後継者として期待しているという。

奥さんの祐喜子さんは、もし協力隊の人がここで働きたいというのなら、ぜひお手伝いに来てほしいと話していた。任期終了後も、そのまま働き続けることができるかもしれない。

「これから若い人が田舎に来て、農業や芸術をやろうにも最初はなかなか収入が安定しなくて苦労するんですよね。私たちがこっちに移住してきたときも、本当にそうで。だから、若い人をできるだけ応援して頑張ってもらいたいって気持ちが大きいです」


大口食養村を後にして、今度は国際的に活躍しているダンサーのふたりのもとへ。

「ウシ」と名付けられた猫を抱いているのが勝部ちこさんで、その隣が鹿島聖子さん。

5年ほど前に東京から伊佐市に移り住み、さきほどの川上さんたちとも知り合いなのだという。

ふたりはダンスグループ『C.I.co.』として、身体の接触を基点として動きを展開するダンス『コンタクト・インプロヴィゼーション』の研究、普及、国際交流や国際フェスティバルなど、国内外で幅広く活動している。

よかったらどうぞと、家におじゃまして台湾風のぜんざいをいただきながら話を伺うことに。

つい1週間ほど前に、台湾で開催されたフェスティバルに出演してきたそうだ。

外へ出て仕事をするというスタイルは、東京にいたころとそんなに変わっていないという。

「ここに移住したきっかけは、東日本大震災。それより前から、東京は大きすぎると思っていたんですね」と勝部さん。

大きすぎる?

「自分たちのやりたいことに関してまったく無関係なものが膨大にあるというか。私たちの活動は体を中心に考えているので、それなら環境のいいところに行きたいと田舎で探していました。震災が起きて、東京にいることに怖さもあったし、そしたら偶然、伊佐はアーティスト歓迎の街だよって情報が飛び込んできて、じゃあ引っ越そうと」

そうして伊佐市に来てみたものの、とくにアーティストに手厚いわけでもなく、どうやら噂に過ぎなかったよう。

それでも出て行こうとは思わなかったのは、移住に対していい意味で大きな期待はしていなかったから。

「最初は自分たちの生活拠点を整えるのに必死でしたからね。それに伊佐はすごく住み心地が良かったんですよ」

「東京にいたときはとにかく旅に出るのが大好きで、海外へ行っても帰ってきたくない気持ちでした。でも今は、こっちにもうすぐ帰れる!みたいな。自分にとっての居場所というか、とても好きなんです」

離れや納屋、それに大きな土地や裏山までついた物件を破格で借りることができた。

大家さんははじめて人に物件を貸したらしく、張り切ってとても親切にしてくれているそうだ。引越し当日も囲炉裏で焼肉をして迎えてくれたという。

畑では大口食養村の川上さんのように自然農法でいろんな野菜やハーブを、裏山では椎茸を育てている。家で養蜂の道具を見つけて、ハチミツづくりもはじめた。

鹿島さんは東京にいたころから畑のある生活を思い描いていたそう。

「こっちにきて収入はガターンと落ちてますけど、生活はすごくリッチになっていて。朝から晩まで働いて、高い家賃を払って、時間もなくてっていう東京の暮らしに比べたら、ものすごい豊かな感じがします」

ふたりは、アートマネージメントやワークショップを伊佐市で一緒にやってくれる人を探している。

使われていない大きな納屋を改装して、芸術・文化の活動ができる開かれたコミュニティスペースにすることも考えているそうだ。

「ダンスに限らず、そこで音楽ライブとかヨガの教室をやったり、いろんなことができるスペースにしたいとずっと思ってて。そこを拠点に、集まった人や協力隊の人とNPOをつくって運営していけたりしたら面白いかもしれないですね」

「市内だけじゃなくて、いろんなところから人が来てくれたらいいな。その可能性がありそうだから、ここにずっと住んでいるっていうのもあるんです」

陶芸家や音楽家、カフェを開いている人など、伊佐市にはまだまだ面白い人たちがいるみたい。

会って一緒に何ができるか話してみたい!と思ったなら、役所の河野さんに連絡してみてください。喜んでいろんな人を紹介してくれますよ。

(2017/11/20取材 森田曜光)

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