求人 NEW

島のパン屋さん
ときわベーカリーの
想いをつなぐ

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

光を観る、と書いて観光。

その光というのは、話題の写真映えするスポットや風光明媚な景観のなかだけに宿るのではない、と思います。

たとえば、地域の人に愛されてきたパン屋さんに。あるいは、当たり前に紡がれてきた手仕事のなかに。そういった何気ない日常に見出すことのできる光って、実はたくさんあるんじゃないか。

日本海に浮かぶ隠岐諸島・海士町を訪ねて、そんなことを思いました。

今回募集するのは、島で唯一のパン屋さんを継承する人。希望や適性に応じて、パン工房に併設された土産物屋さんの運営やマルシェの企画、観光ガイドなど幅広く地域の「観光」に関わることもできます。

いきなりすべてを背負わなくても大丈夫。いつか“まちのパン屋さん”を出したいと思っていた人にはぴったりの環境かもしれません。

 

東京から海士町までは、およそ半日がかりの移動になる。

鳥取・米子空港に降り立ち、電車に15分揺られて境港駅へ。そこから3時間ほどの船旅を経て、海士町の菱浦港に到着するころには夕方になっていた。

この日は宿で旅の疲れを癒し、翌朝から島を案内してもらうことに。

一夜明けて車で迎えに来てくれたのは、株式会社隠岐桜風舎の千葉梢さん。今回募集する人は、隠岐桜風舎の一員として千葉さんと一緒に働くことになる。

まずは隠岐桜風舎という会社の成り立ちについて、教えてもらう。

「隠岐桜風舎は、海士町の観光計画のなかから生まれた会社で。特に歴史や文化を中心とした島の魅力をつなぎ、お客さまに提供していく取り組みをしています」

たとえば、1221年の承久の乱に敗れ、海士へと配流された後鳥羽上皇。60歳で亡くなるまでをこの島で過ごし、島では後鳥羽上皇に関する伝説も多く語り継がれている。それだけ、島民にとっては馴染み深い歴史上の人物だそう。

そんな後鳥羽上皇を祭神としている隠岐神社のガイドや、関連資料を展示している後鳥羽院資料館の運営などは、隠岐桜風舎の大事な仕事のひとつ。

ほかにも、海士町の食材を使って旬の食事を提供する日本料理店「離島キッチン海士」や、島内でつくられたお土産や手仕事の商品を集めたお店「つなかけ」など、歩いていける範囲内で複数の場所を運営している。

いろいろな取り組みをしているようだけれど、何か共通点はあるのだろうか。

「海士町は自然の豊かな島ですけど、説明のいらない圧倒的な景観って、隠岐4島で比べると実は少ないんです。その代わり、人が語ることや人の技が入ることによって、出会う景色に感動を生みだすことができると感じていて。これは海士観光の特徴になるかなと思います」

後鳥羽上皇の詠んだ和歌から、800年前の島の文化や暮らしに想いをはせたり。

島の食材を使った料理を通じて、旬や四季を感じたり。

そうした体験は、ガイドや料理人という存在がいてこそ深まるもの。実際、千葉さんに島を案内してもらうと、通り過ぎてしまいそうな景色のなかにいろいろな発見があって楽しい。

今回募集する人が中心となって関わることになるのは、島で唯一のパン屋の事業継承。

「観光」という文脈で考えると、ちょっと意外な感じもします。

「わたしたちの仕事って、歴史とか人の手仕事とか、この島で紡がれてきた文化を何かしらの形にして収益化するものだと思っているので。その意味では、後鳥羽上皇の歴史を語り継ぐことと、島のパン屋を守っていくことは同じだと思っています」

しかもパンには、今までの取り組みとは少し異なる可能性を感じているという。

「パンって、島の人が日常的に買うものですよね。でも、神社は特別な日や旅の行き先として訪れる場所。今まで、この周辺に来るのは観光客の方が多かったけれど、本当は島民の方にも来てほしい。日常と観光の垣根を超える、そのきっかけが、パンかなと」

工房はお土産と手仕事のお店「つなかけ」に併設されている。

パンがあることで、島の人たちが普段足を運ばない後鳥羽院資料館や隠岐神社を訪ねるきっかけになったり、そこで島民と観光客の交流が生まれたりするかもしれない。

駐車場のスペースも広々としているので、定期的にマルシェを開くのもいい。

パンづくりを軸に据えながら、そうしたイベントや観光コンテンツ同士を連動させた企画を考え、形にしていくこともできそうだ。

 

ちなみに、そもそもパン屋を継承することになったのはなぜなんですか。

「そのパン屋さん、『ときわベーカリー』の山中さんご夫婦がだいぶご高齢になってらして。もともと観光協会の会員さんだった縁もあり、わたしたちが引き継ぎましょうという話になったんです」

工房を覗くと、山中さんご夫婦と隠岐桜風舎スタッフの伊藤さんがせっせとパンづくりに励んでいるところだった。

ぴったりと息のあった動きで、次々にパンができあがっていく。まさに阿吽の呼吸という感じ。

生地の状態はどんどん変化していってしまうので、時間との戦いでもある。

その様子を惚れ惚れしながら眺めていたら、山中さんが「食べてみる?」と声をかけてくれた。

はい、いただきます!

クロワッサンのような生地のなかに、ハムとバターを入れたシンプルなパン。焼きたてほかほかの安心する味。

今は港の「キンニャモニャセンター」内の商店にだけ出荷しているそう。でも、この焼きたてのおいしさを味わえないなんて、もったいない。

「つなかけ」に焼きたてパンの販売コーナーをつくれたらよさそうですね。

「そうだね。新しい人が来て、体制が整ったらそういうこともできると思います」

以前も直売はしていなかったものの、部活終わりの中学生がこっそり工房まで買いにきていたそう。

「土曜日のお昼なんかに食べ盛りの子が来てね。一回に4、5個買っていって。それこそ今でも、都会に出た方が『ときわベーカリーのパンに助けられて大きくなった』って、ちょこちょこ寄ってくれるんだよ」

島の人たちにとっても、欠かせない存在なんだろうな。

作業が落ち着いたタイミングで、もう少し話を聞かせてもらうことに。

 

ときわベーカリーは、山中さんのお父さんがはじめた和菓子屋が母体。当初山中さんは、東京の専門学校で学んできた洋菓子を島でもつくろうと考えていたそう。

「もの珍しさで売れるかなと思ったら、全然売れない。当時は都会と田舎に、今以上の感覚の隔たりがあったんです」

そこで3年ほど米子で修行を積み、パンづくりを修得。島に帰って売り出してみたところ、すんなり受け入れられたという。

それが48年前のこと。半世紀近く、パンをつくり続けてきたことになる。

現在もパンと並行して、後鳥羽上皇への献上品を模してつくられたという海士町銘菓「白浪」や「キンニャモニャまんじゅう」などの和菓子もつくっている。

「今の時期は、白浪なんか1日300本ほどつくっていて。木の型で形をつくるところから包装まで、全部手作業でね。お茶を点てる先生に好評で、ときどき電話での注文も入ってきますよ」

「白浪は今のまま残してほしい。だけどパンのほうは…。これでなきゃいけん、っていうものはないですね。100%うちのパンを引き継いでほしいなんて、これっぽっちも思ってない」

そうなんですか。

でも、とくに島の方たちは“ときわベーカリーのパン”に思い入れを持ってらっしゃるような気もします。

「田舎は限られた人数の商売だから、いくらおいしいものをつくっても飽きがきてしまう。少しずつ、少しずつ変えていかないと、結局長続きしないんじゃないかと思ってるんです」

塩パンが流行ったときにはメニューに取り入れてみたり、具材の組み合わせをちょっとずつ変えたりと、飽きさせない味を目指して工夫を重ねてきた山中さん。

いきなり180度方向性を変えるのも違う気がするけれど、新しく入る人も、別の工房で学んできたことや流行もうまく取り入れながら、これからのときわベーカリーをつくっていってほしい。

「新しい人がここへ来られて、島中のいろんなところを歩いて。海士町にはどういうパンが適しているかなっていうことを自分で考えながら、次の商品をつくればいいんじゃないかな。楽しみながらやってもらうことが大切だからね」

海士町が好きで住みたいという人なら、自然と町民にもおいしいものを提供してあげようという気持ちが生まれると思う。山中さんは、そんなふうにも話してくれた。

パンづくりが未経験という人でも、大丈夫ですかね?

「可能じゃないかなと思ったりはするね。本気でやってみようって気持ちがあれば、1〜2年である程度の形にはなるんじゃないかな」

工房の設備としては、いろんな種類のパンを焼ける環境が整っているとのこと。生地の冷凍保管から焼き上げ前の段階まで自動で制御してくれる機械も揃っているので、朝4時前に工房に来て生地をこねて…というような働き方にはならないという。

とはいえ、多少はパンづくりの経験がある人のほうが、教える側の山中さんご夫婦の負担を考えても望ましい。たとえば趣味でパンをつくっている人とか、パン工房で働いていて、いつか自分の店を出したいと思っている人にはいいチャンスかもしれない。

 

そんな山中さんご夫婦の働き方に惹かれてパンづくりを手伝っているのが、隠岐桜風舎スタッフの伊藤茜さん。

パンをつくるのは、ここがはじめてだったという。

「自分のなかに基準がないうちは、教えてもらったことが本当に理解できているのか、常に不安で。わたしは要領がよくないので、最初はとくに苦労しました」

山中さんご夫婦の動きを見ていると、無駄がないですもんね。ある種の緊張感があります。

「そうなんですよね。作業のすべてが呼吸している感じというか、支え合いの重なりがすごい」

「ついていくのは大変だけど、わたしはその空気感に惹かれたんです。それに、休憩時間のちょっとした会話も楽しいし、関わってまもないころから一緒にご飯を食べさせてもらったりして。本当によくしていただいています」

隠岐桜風舎のスタッフとして、「離島キッチン海士」や「つなかけ」の運営にも携わっている伊藤さん。今後、島のパンや土産菓子づくりに一緒に取り組んでくれる人を求めて、今回の募集に至っている。

伊藤さんはどんな人に来てほしいですか。

「山中さんはこだわらないって言っていましたけど、個人的にはおふたりが培ってきたものも残していきたくて。そこを大事にしていってくれる人に来てほしいですね」

隣で聞いていた山中さんは、「そんなに難しく考えないでもいいよ」と笑っている。なんだかちょっとうれしそうだ。

島の日常に溶け込んだパンという存在。何百年もかけてつくられた歴史や自然に比べると、その魅力に気づきにくいのかもしれません。

でも、この島の人たちに話を聞けば、誰もがうれしそうにときわベーカリーの味や思い出を語ってくれます。それほど親しまれ、愛されてきたんだろうなということが、みなさんの笑顔からうかがえる。

それは、つくり手である山中さんご夫婦の人柄がにじみ出ていたんだろうな。

メニューやレシピだけではなく、想いや人柄も含めて、次の世代にときわベーカリーをつないでいってくれる人に来てほしいなと思います。

(2019/8/7 取材 中川晃輔)

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