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福祉はアート?
北海道の社会福祉法人が
東大に学食をつくる

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「福祉というよりもアートに近いというか」

これは社会福祉法人ゆうゆうの大原さんの言葉です。

もしこの言葉だけを切り取られて聞いたら「まあ、でも、それはちょっと言い過ぎなんじゃないの?」と思います。

でもすべてを聴き終えた今、すっと入ってきます。



社会福祉法人ゆうゆうは、北海道の地から、障がい者支援、農業、農園レストランやコーヒースタンドの運営、地域福祉支援、介護支援事業など、福祉を中心として様々な事業をしています。

そんなゆうゆうが東京大学の構内に学食をつくることになりました。

障がい者のみなさんが育てた野菜やお米を使ったメニューを提供します。場所は東大正門の横にある工学部11号館。こちらを建築家の隈研吾さんがリノベーションしているそうです。

これだけではよくわからないと思うのですが、食に関わりたい方、人を大切にする職場で働きたい方はぜひ続きを読んでください。

 

新千歳空港から電車に乗って札幌駅へ。そこから学園都市線に乗り換えて当別町へ向かう。石狩川を越えると田園風景が広がった。

車内に学生らしき姿が多いのは、この先に北海道医療大学駅があるから。1つ手前の石狩当別駅で降りると、ゆうゆうの山下さんが迎えに来てくれた。

「もう来週には雪が降りそうです。豪雪地帯なんですよ」

社会福祉法人ゆうゆうは駅から車で5分ほど。

1階は障がい児支援を行なっているスペース。2階が事務所になっていて、木の壁に囲まれた温かい雰囲気。

まずは代表理事の大原さんに話を聞くことに。

なぜこの仕事をはじめたのでしょう。

「7ヶ月のダウン症の子のお母さんと出会ったのが大きかったです」

大原さんは大学受験に失敗してしまったそうで、一浪していたこともあり「仕方なく」当別町にある北海道医療大学に入学することになった。

入学して3年間は平穏な日々。

「大学4年のときに、ダウン症の子のお母さんが来て、いきなり『抱っこしてよ』って言うんです。そしたら『医療大学があるから、この子のために当別町へ引っ越しして来たのに、何もない。絶望していて、期待も希望もない。怒られるかもしれないけど、この子より長生きしたい』って話して」

お母さんが子どものお腹をペロリとめくると、大きな傷跡が見えた。

「どう思う?」と聞かれた。気がついたら涙が溢れていた。

「瞬間的に『お母さんには共感できません』って話したんですよ。そして『正直、わからない』とも。ただ、もし母親に自分のほうが長生きしたいって言われたら本当に落ち込みます。だから子どもの味方でいたい、と話したんです」

「味わったことのない感情でしたね。腹が立っているのか、悲しいのか、わからなくて。ただ、この子のためにお母さんと一緒に何かをしなくてはいけない、という衝動にかられました」

 

その後、学生時代にボランティアセンターを立ち上げ、ゆうゆうも設立することに。

特徴的なことは、福祉が中心にありながら、実に様々な領域へ進出していること。

農園レストランやコーヒースタンド、それに農業なども。今回の東京大学の学食だって、どういうきっかけだったのだろう。

そんな疑問を投げかけると、大原さんはまたゆっくりと話してくれた。

「夕張が財政破綻したときに飛び込んだんですよ。つながりもなかったんですけど。ただ、障がい者の方などにしわ寄せがあるだろうと思って」

そこで出会ったのは40、50代の精神障がいの方たちと、その親たち。

この子たちは私たちが死んだらどうにもならないから居場所をつくって欲しい、ということだった。

「それで住民説明会を開いたんですよ。そこで彼らが働くということは税金を使うことになる、夕張市にもこれくらいの負担が生じます、と言った瞬間。もうなんかね、石が飛んでくるんじゃないかってくらい、罵声を浴びたんですよ。もう罵声、怒号の雨嵐です」

「俺らだって、大変なのに、どうして税金で支えるんだ。その前にゴミの有料化を無償にしろって」

経済的に余裕のある人や引っ越しできる人たちは、夕張から離れていってしまった。志のある人も残っていたけど、多くを占めていたのはお金がないとか、障がいがあるとか、介護状態にあるなど、出ていくこともできない人たち。

「でも怒られた人たちの話を聞いたら、その通りだなと思ったんです。みんな困っているから」

「そんな中、一方的に自己利益を追求することは難しい。つまり、福祉だけをやって、福祉の必要性を一方的に訴えていくんじゃなくて、相手の困っていることもポジティブに変換しないと、本当に融合していくことはできないと思ったんです」

当時、夕張で困っていたことは、孤独死が起こっていることだった。見守りや助け合いをする余裕がなかった。

「お弁当を障がい者の方がつくって高齢者に運ぶ、というビジネスを考えたんです。それで1人暮らしの高齢者にお声がけをしていくことを1年くらいしたら、この事業に対する街の関わり方が変わってきて」

「それに担い手になった彼らも心と体が回復していく。街の人たちに『ありがとう』と言われたり、必要とされている実感を味わえると変わるんです」

 

一方的に意見を主張するのではなく、相手を理解して融合していく。

このあり方はゆうゆうという組織の中にも根付いているのかもしれない。そんなことを駅まで迎えに来てくれた山下さんの話からも感じた。

山下さんも大原さんと同じ、北海道医療大学出身。

「大原と同じ大学なんですけど、私は不本意とかじゃないんですよ」

4年生のときに関わったのが24時間テレビのチャリティイベント。

「そのときに初めて、福祉らしいことをしたな、と思ったんです。ゆうゆうの人だけじゃなく、役場や地域の人たちとやってきたことが本当に楽しくて。怒られたりもしたんですけど」

そのあと就職活動がうまくいかず、卒業後はしばらくゆうゆうで働くことになった。半年経って、就職したかったところに募集があったこともあり転職。

「そこでは3年半働いて、いろいろなことがあって。自分の仕事の至らなさもあって、福祉はもうごめんなさい、という感じだったんです」

「札幌に戻って、どこかで働こうかと思っていたら、また大原さんからお声がけしてもらって。正直もう福祉はいいや、と思っていたのですが、これまでやっていた障がいのある方に直接関わる仕事とは違うタイプの仕事をやってみないかということで、出戻って。そしたらダブルトールカフェが立ち上がることになって」

北海道医療大学の10階にあるラウンジスペース。

学生たちが自習などに励んでいて、コーヒーのいい香りが広がっている。

ダブルトールコーヒーは渋谷を中心に原宿・浜松町・仙台に展開する本格シアトルコーヒー店。北海道の一号店であるのと同時に、障がいのある方が働く一号店でもある。

「5年前ですかね。ここで働き始めたんです。そしたら先輩とお互いに意固地になってしまうようなことがあったんです」

何があったんですか?

「大学って、夏休みになると学生がいなくなっちゃうので、とても暇なんですよ。それが怖くなっちゃったことがあって。仕事もないし、誰もこないし」

「でも先生たちはいるから、私たちが先生のところに行ってコーヒーを販売しようということになったんです。先生たちとも触れ合えるし、仕事もできるし、意気揚々とした感じだったんですよね」

それを先輩に報告したら「え…?勝手にやったらダメじゃない?」となった。

「小さなことなんですけどね。私も『何でそんな言い方するんですかー!』ってなって」

でもこのままじゃダメだと思って、とことん意見をぶつけ合って、しっかり会話をすることに。結果としてお互いに理解もでき、いい関係をつくることができた。

 

農業を担当している関原さんも、優しく会話のできる方だと思う。

もともと帯広で農業に従事していた経験もある。

障がいを持っている利用者さんたちとの農業は、想像していたものとはまったく違ったそう。

「自分は生産性も利用者のことも考えながらやっています。帯広時代は、知らないラジオ番組はないくらい、ひたすらトラクターに乗ってましたね(笑)。でも今は、なんていうんですかね。自分の社会人生活20年以上ある中で、すごく良いんですよ」

障がいを持っている利用者さんたちは、作業していると大きな声を出してよく笑う。時間のかかる作業も丁寧にしてくれる。

「普通なら1週間かかる作業も、ゆうゆうの農業では1ヶ月かかることもあって。でもできたじゃない、というのが感じられるんですよね」

「あと農業って仕事の細分化がやりやすいんです。力持ちの利用者だったら運搬をお願いして。くるくるまわって走っている人がいたら、かぼちゃの追肥」

かぼちゃの追肥?



「持てる人は1.5リットルのペットボトルを持ってもらって、持てない人は500ml。中に肥料を入れるんです。穴を開けて、走りまわったら追肥できる。たくさん蒔いちゃう人は穴を小さくして。遠くまで蒔けたら素晴らしい!あそこまで俺は行けない!って話してね」

ゆうゆうの仕事は、実に様々であり、1つ1つに意味がある。

その中で、なぜ東大の学食なのだろう?

すると大原さん。

「東大生って、福祉とか障がい者とかマイノリティと真逆なんですよ。なかなか出会う機会がない。そんな東大でも、一部のゼミで障がいのある方を呼んで話を聞く機会があるんですよね」

そのゼミに、ALSという体を動かせない病気の方がゲストで呼ばれたときのこと。

体が動かないから、まぶたでしか意思を伝えられない。

すると東大生から「体が自由になるボタンがあったら押しますか?僕は東大に入って、無力感がある。何をしたらいいかわかりません」という質問。

「その方はまぶたで時間をかけて『僕はボタンを押さない』と。『体が動かないことよりも、心が動かないことのほうが不幸だと思う』という話をして」

「そんな話を聞いて、福祉施設に就職したり、休学して誰かのお世話をしたりする学生が生まれるんです。ゼミという形態だけでなく、普通に学食に来てもらって、それをつくっている人たちのことを自然に知ることができたらと思ったんです」

 

学食では、北海道で育てたお米や野菜のスープ、惣菜を提供する。

僕もよく知っている飲食のプロなども、仕入れや調理などの運営面を支えてくれます。取材でも話を伺って、きちんとフォローすると聞きました。受け身で働くだけじゃなく、現場が主導していくことにも期待しているそうです。

当別町を訪れる機会もつくりたいそうだし、もしかしたら障がい者にも働いてもらうこともあるかもしれません。

社会や隣人と関わりながら、お互いを結びつけ、新しい発見を提供していく。

まさにアートだと思いました。

立ち上げだから大変なこともたくさんあると思います。それでも気になる方は、まず会って会話してほしいです。



(2019/10/29 取材 ナカムラケンタ)

11月27日に東京・清澄白河のリトルトーキョーにてしごとバー「あたりまえ、を更新しナイト」を開催します。大原さんをはじめ、プロジェクトメンバーが大集結。日本仕事百貨のナカムラケンタも参加します。当日はゆうゆうが育てた無農薬のかぼちゃ料理を食べながら話しましょう。

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