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大陸最前線の観光ガイド

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日本全国、どの地域にも魅力やおもしろさはあるのだけど、ひときわ目を引く地域というのも、やっぱりある。

今回はじめて対馬を訪ねてみて、その特殊な環境ゆえの生態系や文化、積み重ねられてきた歴史に、強く惹きつけられました。

加えて、プロの観光ガイドに案内してもらったことも大きかったと思う。案内役は、ビーコンつしま代表の佐藤さん。今回、そんな佐藤さんと一緒に働くスタッフを募集します。

経験は問いません。まずは佐藤さんのガイドのもと、一緒に旅をするようなつもりで読んでみてください。

 

対馬には空港がある。福岡と長崎へ毎日数便飛んでいるので、アクセスは決してわるくない。

今回は長崎空港から対馬へ。はじめてのプロペラ機で向かう。

フライト時間はわずか35分。想像より揺れも少なく、あっという間に到着した。

空港で佐藤さんと合流し、島内でもっとも人口の多い厳原(いづはら)地区へ。まずは対馬バーガーで腹ごしらえ。

ハンバーガーにはひじきを練り込んだパテと炒めたイカが挟んであり、レモネードには蜂蜜が入っていておいしい。いずれも島の特産だ。

大陸とのはざまに位置する対馬。今より100m以上も海水面の低かった氷河期には、さまざまな動物が渡来し、フンなどによって植生も拡大。独自の進化を遂げた固有種も多い。生き物に詳しい人にとっては聖地のような土地なのだとか。

資料のある観光案内所に移動して、佐藤さんがいろいろと解説してくれた。

「対馬の固有種のツシマヤマネコは、人の生活区域と自然が残る山林のあいだの里山を好むのですが、最近は数が減り、今は全島で70〜100匹しかいないと言われています。主な原因のひとつに挙げられているのが、交通事故です」

“無事故記録8日更新中”… ということは、8日前にも事故が。

「そうですね。人が多く住む島の南側では、もうほとんど存在が確認されていません。田んぼで農薬をたくさん使うと、餌となる生き物が減ってヤマネコも住めなくなってしまう。減農薬のお米を『ヤマネコ米』として販売するなど、農家さんも保護活動に取り組んでいるんですが、なかなか認知を広めるのはむずかしいですね」

同じく絶滅危惧種に指定されているツシマウラボシシジミは、山の中に暮らす蝶々。特産品の椎茸をつくる“ホダ場”が生息環境に適していることから、かけ合わせることで保護活動を広げられないか、という動きもある。

「自然って、ほったらかしておけば残るというものではありません。案外人の生活とも密接に絡んでいて、昔ながらの島の暮らしがあることによって守られてきたものも多い。知れば知るほどいろんな可能性の見えてくる土地なので、野生生物との共存や、SDGsの観点からツアーづくりをしていきましょう、というような話もしていますね」

面積の9割を山林が占める対馬。地図を俯瞰して見てみると、日本の本土よりも朝鮮半島に近いことがわかる。

そんな環境は、産業や文化にも大きく影響してきた。

「農業をするにも大変だし、周りに海があるとはいえ、今のように冷凍技術もないから保存もきかない。自給自足がむずかしい島だったんです。ではどうしていたかというと、交易をしながら暮らしていたんですね」

その様子は、2〜3世紀の歴史書『魏志倭人伝』にも描かれている。

大陸へ向かう遣隋使や遣唐使の中継地点となったり、逆に朝鮮通信使を迎え入れて都まで随行したり。豊臣秀吉の朝鮮出兵によって日朝関係が悪化したあとには、最前線で外交に努め、江戸時代の鎖国中にも朝鮮と交易を続けていたという。

そういえば、まちなかの至るところで韓国語表記を見かける。2018年には年間40万人を超える韓国人観光客が対馬に訪れていたそうだ。

コロナ禍を機に船便がなくなり、外国からの観光客はぱったりといなくなってしまったものの、元寇をテーマにしたテレビゲーム『Ghost of Tsushima』が世界的なヒットを記録。映画化が決まるなど、これまでとは違った形で注目を集めつつある。

さまざまな角度から対馬のことを教えてくれる佐藤さん。なんでも答えてくれるし、一対一で先生の授業を受けているようで楽しい。

今は観光ガイドの会など外部からの依頼でガイドをしたり、直接問い合わせのあったお客さんに対してツアーを組んだり、一人で活動している。これから自社発信の企画をもっと増やしていくためにも、ガイドの実務は新しく入る人に引き継ぎつつ、佐藤さんは企画・営業に注力できる体制をつくっていきたい。

とはいえ、佐藤さんと同じレベルの知識や話術を求められると考えると、ハードルが高い気もします。

「そうですかね? そんなたいそうなものじゃないですよ。自分も人前で話すのは得意じゃないので」

聞くと、この島に来るまで、生物や歴史のことはよく知らなかったし、特段興味もなかったという。どのように今の佐藤さんのスタイルは形づくられていったのだろう。

神奈川出身で、もともとは市場調査の会社で働いていた佐藤さん。

「東日本大震災があって、社会の歯車のように働くことに疑問を感じたんです。それで、移住して別の仕事をしたいなと思いました」

対馬に来るきっかけとなったのは、会社員時代からボランティアで関わっていた全国の離島が集まるイベント「アイランダー」。

対馬市は、地域おこし協力隊がそれほどメジャーでないころから“島おこし協働隊”という名前で募集をかけていた。離島のコミュニティ内でも注目されていることを知り、その流れに乗って気軽に応募したのだという。

「大した志も、明確な目標もなく来ましたが、一つ実績があるとすれば、どぶろく特区をとって、製造免許の取得から実際の製造まで、農家さんを支援したことくらいですかね」

そこから、どうやって観光の方向へ舵を切ったんですか?

「最初は正直、観光業なんてチャラいと思ってたんですよ。でもあるとき、『なんでんかんでん人が来てくれたら、インフラや航路は維持される』という話をされたことがあって、その話はずっと、頭のどこかにありましたね」

3万人弱の人口を抱える対馬。離島としては決して少なくないし、中心部には大きなスーパーや飲食店もあるけれど、15年前には4万人弱だったことを思うと、楽観はできない。

人口が減れば税収も減り、やがて船便や島内のバス網も削減されていく。不便になるほど、そこに住める人は限られてしまう。

「だから、観光が第一優先とは思わないけれど、ないとあるならあったほうがいい、という考えです。それも地元の犠牲のうえに成り立つものではなく、プラスになるように使われなきゃいけない」

そんな思考の延長線上で、佐藤さんは旅の企画を考え続けている。

最近力を入れているのが、スタディーツアーの企画。

「協働隊のころ、市の施策で『対馬学フォーラム』というイベントがはじまったんです。大学の先生たちが出入りするなかで、対馬の地域資源の話をいろいろと興味深く見聞きしていました」

「研究に来る人の立場でいうと、研究のネタはあるのに、どこに行けば資料があるのか、自分の研究テーマに合った人と出会えるのかがわからない。だったらこれでツアーがつくれないか、と思ったんです」

知り合いの漁業者夫婦が取り組む磯焼け対策に合わせて、漁業現場を間近に見たり、漁師さんから直接話を聞いたりできる機会がつくれないか。

砲台や城跡、灯台など、島に残されたさまざまな遺構をめぐるようなツアーができないか、など。

今は地元の事業者や大手旅行会社とタッグを組めるよう、少しずつ調整を進めているところ。

さらに、企業研修や学会も今後誘致していきたい。まだ実績は少ないものの、過去に人工知能学会の市民共創知研究会をコーディネートしたときのことを、佐藤さんはよく覚えているという。

「島外から40人ぐらい、島内は12人ほどの方に来てもらいました。学会だから、パソコンを持ち込んでプレゼンするのにプロジェクターとスクリーンが必要だなとか、その人数で入れる会場があるか、とか。はじめてのことだったので、困ることはたくさんありました」

なかでも難題だったのが、「普通の会議にしたくない」という委員長からのオーダー。机や椅子に縛られずに、車座で話し合いたいということだった。

「えー、どうするよ… とか思いながら、当時近くで働いてた人に相談したら、『お寺がいいんじゃない』と」

お寺で学会、ですか。

「自分が所属する消防団に住職が6人いたので相談してみたら、2人からOKをもらえて、お寺の本堂を使わせていただきました。ずっと着座はきついとか、やってみての気づきもありました。委員長はコロナ前まで毎年家族で来てくれるようになりましたし、一番印象に残っている仕事かもしれないですね」

やりたいことはいろいろとある一方で、佐藤さん一人の限界や課題を感じている部分もある。

「今後地元の人から信頼を得て、タッグを組んでツアーをしていくなら、もっと地元の生活に飛び込んでいきたいと思っていて」

「これから来る人は、それこそ漁師さんのところで1ヶ月働いてこい!みたいな。ガイドやツアーの企画も、ゆくゆくはしてもらうのですが、まずはそういうことが必要かもしれないと考えたりもしています」

旅行業界での経験はなくても大丈夫。むしろ先入観が邪魔をすることもあるので、まっさらな状態で飛び込んでくる人を歓迎したいという。

ここまでの話を聞いてもわかるように、佐藤さんは“まずやってみよう”という現場主義のタイプ。手取り足取り教わりたい人は合わないかもしれない。

「ガイドは基本を押さえてもらえれば、そこから先は正解のない世界です。自分が見せたい対馬を紹介すれば、自ずと対馬の魅力は伝わります。数回同行してもらったら、あとはどんどん実践。そんなにむずかしく考えることはないですよ」

豊かな自然があり、さまざまな歴史や文化もある国境の島。ここで研究者や地域の人たちと関わり、自分の好奇心や探究心も満たしながら、暮らす。

コンテンツには事欠かないだろうし、日々いろんな知見がたまっていくおもしろい仕事だと思う。

その前提を踏まえたうえで、最後にひとつ共有したいのが、旅の企画は地道な仕事でもある、ということ。

取材にあたって、佐藤さんは事前に行程表をつくり、地域の資料と合わせて送ってくれた。これがとてもシンプルでわかりやすく、印象に残っていた。

そんなことを伝えたら、佐藤さんはこう話していました。

「旅行って、みんなで楽しくわいわいやってるところに目が向きがちですけど、その裏側でめんどくさいことをしっかりやれる人こそ重要だと思います。いろんな人を動員するんだから、気配りとか、段取りとか。やれて当たり前だし、うまくできても褒められるわけではないですが、そういう仕事がきちんとできる人に来てほしいですね」

自分がおもしろいなと思う土地に、人を迎え入れて案内する。そのことに心から喜びを感じるなら、この島はきっと飽きないし、ガイドは一生の仕事にもなりえると思います。

2021/11/15 取材 中川晃輔)

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