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「以前、駅弁をつくっていたこともあったんです。でもみんなが疲弊してしまって。そのときにわかったのは、1店舗だけでいいということ。申し訳ないけど、食べたければここまできてもらう。それは変わらないことですね」
ブラウンライスの代表、梶原さんの言葉です。
東京・表参道で2003年にオープンしたブラウンライス。
今日まで、ヴィーガンの和食料理を提供し続けてきました。
ここには体にも心にもうれしい料理があります。そんなお店が一つあると、日々の暮らしが少し豊かになるように感じます。
今回募集するのは、キッチンとホールスタッフ。合わせて営業も募集します。
飲食業界の経験がなくとも大丈夫とのこと。一人ひとりの健康を願って、料理を届けてくれる人を求めています。
表参道駅から歩いて2分ほど。
メインストリートから脇道に一本入ると、ブラウンライスの看板が見えてきた。
店内への入り口までは、植物で囲われた小道を進んでいく。
朝の光が差し込み、静かで気持ちいい。
たまたま見つけたお店だったら、うれしくなって友人に勧めたくなるだろうな。
中をのぞいてみると、仕込みの真っ只中。慌ただしく人が行き来している。
でもなんだか楽しそう。
手と足を動かしつつ、最近見たヴィム・ヴェンダースの映画の話で盛り上がっている。
仕込みの時間は、働く人たちの関係性や雰囲気を垣間見ることができる。ここで働く人は、チームワークが良さそうだ。
2階のカンファレンスルームに移動して、話を聞く。
まずは、ブラウンライスを運営する株式会社ニールズヤードレメディーズの代表、梶原さん。
「ようやくここまできたという感じがします。ブラウンライスが認知されるまでに20年以上かかりました」
会社の創業は1985年。
梶原さんが40年ほど前に訪れたイギリスで、肌・体・心のつながりを大切にした英国初のナチュラルアポセカリー(自然療法薬局)であるニールズヤードに出合った。
美容と健康をトータルにサポートするためのオーガニックスキンケアを、梶原さんは日本で販売することに。
「ニールズヤードは、美容と健康と環境に配慮されたものを、コスメを通して外側からとりいれるもの。体を内側からつくる食べ物を提供する場所もつくりたくて」
2003年にニールズヤードレメディーズの本店として、ショップ、カフェ、スクール、サロンを併設した「ニールズヤード グリーンスクエア」を開設。
体内に直接取り込む「食」から、肌の上にのせる「化粧品」まで、一貫して提案できるようになった。
「でも、始めた理由はきれいな動機だけじゃなくて。ビジネスを超えて、自分のためだったんですよ」
自分のため?
「20代の頃、勤めていた会社の近くに素敵なカフェがあって。まるでイギリスのようでした。とても静かで、中庭があり、イギリスのアンティークもあって。いつか自分のために、こんなカフェを表参道ではじめたいと思ったんです」
「本を読み、静かに考えながらリセットできるような場所があったらいいなって。そこで、ブラウンライスの横に中庭をつくったんです」
カフェを始めるにあたり、おなじ志を持つ生産者を探した。
「玄米は、富山のさくさく村という生産者と取引しています。無農薬で育てるのは本当に難しいみたいで。合鴨農法を試したり、とにかく苦労をされて。今でもコシヒカリの田んぼを私たちのためだけに用意してくれているので、年間で必ずこの量を買うという約束をしています」
ほかにも、味噌は山形のすずき味噌店。現地までさくさく村の玄米を持っていき、お米に合う味噌をつくってもらう。お酒はずっと福島の大木代吉本店。
調味料までこだわりぬく。きっとおいしいんだろうな。
「それが最初は、決して多くのお客さまに喜んでもらえる味ではありませんでした。社外にも社内にも、家族にまで反対されました。どうして和食なのか。イギリスのニールズヤードらしいものはサンドウィッチやスコーンだろうと」
当時はヴィーガンや玄米食など、健康的な食べ物はまずくて当たり前。まずいほうが体に良いとさえ思われていた。反対する人も多く、スタートは順調ではなかった。
その後、カフェブームが起きたり、マクロビが人気になったり。表参道の街も大きく変化してきた。
「このままだと時代に翻弄されると思って。変わらないことをポリシーにするために、一汁三菜をつくりました。少ないメニューで、変わらない味。丁寧につくって安心できるものを提供していこうと決めたんです」
変わらないことを続ける。
お客さんがブラウンライスに求めるものは、目新しさや面白さではなくなった。それでも、今では世界中の人たちが訪れる人気店に。
「日々着実に積み上げてきたから、揺るぎないものになっています」
「自然な成長の形でビジネスをつくることで、堅実で、長く続くものになります。なおかつ、環境にも働く人にも負荷が少ない」
この先はどうしていきたいですか?
「ブラウンライスは1店舗だけ。ここでしか味わえない味と空間をつくりたいですね」
「あと、ずっとお菓子をつくっています。保存料や砂糖をつかわず、体への負担が少ないおいしいお菓子を、子どもに食べさせたいという人が多くなりました。今はECサイトにも力を入れていて。たくさんの子どもたちにこのお菓子を食べさせてあげたい」
加えて、もう一つ大切にしたいことが、海外の人に日本のことを知ってもらうための情報発信。
「YouTubeでもいいし、映画をつくってもいい。日本食の食べ方や、味噌や漬物のつくり方。なぜ日本人は四季に合わせた食事をするのか」
「日本人にとっては当たり前でも、海外の人は知りません。それを見た世界中の人が訪れて、うちのスタッフも自信を持って働けるようになったらいいなと思います」
続いて話を聞いたのは、入社12年目の櫻庭さん。二度の産休・育休を経て、現在はキッチンスタッフとして働いている。
短大を卒業後、デパートの化粧品売り場で働いたのち、いくつかの飲食店で仕事をしてきた。
「オーガニック系のカフェで働きたくて。ブラウンライスにはお客さんとして来ました。お店に入っていくまでの雰囲気がおしゃれで、食事もとてもおいしくて。すぐに応募しました」
働いてみてどうですか。
「すべてが手づくりなので、思ったよりも大変で」
「たとえば、定番のニンジンドレッシング。ニンジン、お酢、油、塩をバイタミックスで回して、一からつくっています。せいろ蒸しのタレも手づくり。レモン汁や、ゆずの果汁を使います。長く働いていると慣れるけれど、最初はびっくりするかも。これもつくるの? って」
櫻庭さんは早番のため、勤務時間は7時から16時まで。
出社して、まずはお米を炊く準備と、味噌汁の出汁をとるところから。ケーキは固まるまでに時間がかかるので、早めにつくっておく。
9時になるとほかのスタッフが出社してくる。
役割分担をして、一緒に仕込んでいく。
お店のオープンは11時半。お店が落ち着くのは15時ごろなので、毎日あっという間に退勤時間を迎えるそう。
「キッチンは常に時間に追われている感じがします。スピード重視だけれど、丁寧につくっていく。一番大変なところかもしれません」
それでも12年も続けているのはなぜでしょう。
「見えないところまで、こんなにもこだわっているお店はほかには知りません」
「ここで働くと、毎日ブラウンライスの料理をつくって食べることができる。つくり手として、このお店の料理やお菓子がすごく好きだから続いたのかな」
となりで「うんうん」と頷いているのは、ホールを担当している2年目の北野さん。
健康や美容を人に伝えたいという思いから、どちらにも関わることができるドラックストアに新卒で入社。薬剤師の免許も取った。
次に美容を極めようと考え、ヘアサロン業界のシャンプーやトリートメントを扱う会社で経験を積む。
「美容のあとは健康を極めようと思って勉強していたら、食事の重要性に気づいて。人が健康になれるようなカフェをやってみたいと考えるようになりました」
独立を見据えて、カフェで働きながら学んでみることに。
「オーガニックのお店はたくさんあるんです。でもすべての食材がオーガニックというお店は全然なくて」
調べていくうちに、ブラウンライスのことを知る。お店にも足を運んでみた。
「ヴィーガンはおいしそうなイメージがなかったんですが、どの料理もほんとうにおいしい。環境にやさしい取り組みもしている会社で、おいしいものも食べられる。ここにお金を支払うのが気持ちよかったんです」
「絶対にここで働きたいと思いました」
独立することを前提に入社することを、代表の梶原さんは快く受け入れてくれた。
「ヴィーガンやオーガニックの押しつけはしたくない。日本の食文化や添加物、環境のことを少しでも考えてくれるようなカフェがいい。私にとってブラウンライスはそういう場所なんです」
北野さんは、働きながらもブラウンライスを客観的に見ているように感じる。
どんな人が合いそうですか。
「お客さまには、ブラウンライスのことをもっと知りたいという人が多いんです。なので、お客さまとの会話を楽しめる人だといいですよね」
「うちはガムシロップではなく、アガベシロップを使っていて。白砂糖は血糖値が急に上がってしまうんですが、アガベシロップはゆっくりと上がるので、健康的な砂糖ですよとお伝えしています。『そういうところまでこだわっているんだね』とよく言ってもらえますね」
お客さんは4割ほどが外国人。でも英語は喋れなくても大丈夫。話せるスタッフに代わってもらったり、翻訳機を使ったりして説明する。
働いているメンバーは、植物療法士や、アロマに詳しい人、大阪のおばちゃんのような人もいれば、バーテンダーもいる。個性にあふれた刺激的な環境で、いろんなことを吸収できる職場だと思う。
「みんな、優しくてとげがありません。1ヶ月前くらいかな、通常はキッチン3人、ホール5人の計8人ですが、2人病欠になってしまって6人で働いたことがあって。とても忙しかったんですよね」
「でもみんな怒らないんですよ、仕方ないよねって。無理はせず、できるところまでやりました。目の前のお客さまを満足させることだけを考えて、接客がまわらなさそうだったら、席への案内を止めて並んでもらおうと声をかけあって乗り切りましたね」
取材後、楽しみにしていたランチを中庭でいただきました。
受け取った料理を前にすると、背筋を伸ばして「いただきます」と言いたくなる。
器はすっと手に馴染んで、盛り付けはシンプルだけど細部までこだわりを感じる。
まずは、お味噌汁。
味噌と出汁の香りが口の中に広がる優しい味。
ゆっくりと時間をかけていただきました。
これからも残していきたい日本の食文化を、世界中の人たちに届けていく。
誇らしい気持ちで働くことができる仕事だと思いました。
(2024/1/9 取材 ナカムラケンタ、長島遼大)