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やりたいことで生きていく
自分の仕事をつくりながら
まちの看板になる3年間

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「人口約7000人。小さなまちだから、自分の動きが地域に与えるインパクトが大きいんです」

移住や、転職。せっかく勇気を持って新たな一歩を踏み出すなら、その先のやりがいは大きいほうがいい。

人生のうちの3年間に、立科(たてしな)町の地域おこし協力隊を組み込んでみたら、今想像するよりも将来の選択肢は広がっていくと思います。

長野県東部にある、立科町。まちの南部は女神湖や白樺湖を有する高原のリゾート地で、人口の9割が住む北部には里の風景が広がります。

今回募集するのは、移住定住促進担当。立科への移住を検討する人たちをさまざまな面からサポートする役割です。

立科町で活動するメンバーは、副業を持つ人が多く、自分のキャリアを強固にするために地域おこし協力隊を選んでいるのが特徴的。

「仕事の拠点を地方に移したい」「事業の幅を広げたい」「3年後にお店や会社を立ち上げるために人脈をつくりたい」

自分の思い描く人生にひとつでも重なりそうなら、選択肢に入れてみてください。

やりたいことを探す、の一歩先。「やりたいことで生きていくための力をつける」。そんなフェーズにいる人に、しっくりくると思います。

 

首都圏から立科へは、まず新幹線で東京から1時間ほどの佐久平へ。そこから車で30分ほど、というのがもっとも行きやすいルート。

「たてしな」と聞いて、「蓼科」が思い浮かぶ人のほうが多いかもしれない。こちらは高原のリゾートエリアを指す呼び名で、立科町南部とお隣の茅野市の一部が含まれる。

砂時計形と言われる、立科町。北と南のエリアを結ぶ、いわゆる砂時計の「くびれ」部分の幅は、なんと53mしかないのだとか。

多くの住民が生活するのは、比較的標高の低い北部エリア。といっても、標高700mなので、空気は冷たく、澄んでいる。

町役場のある中心部は、先週降った雪が丁寧に除雪されていて歩きやすい。

もともと中山道の宿場町だったこのエリア。協力隊の活動拠点となるコミュニティ施設「ふるさと交流館 芦田宿」の名前も、そんな歴史に由来している。

交流館のオープンスペースの一角で、移住定住促進に関わる協力隊の3人が待っていてくれた。

これから入る人の前任者で、相談窓口を担当しているのが、中平 次郎(なかだいら じろう)さん。4月末で3年の任期を終えて卒業予定。引き続き、立科で暮らしていくという。

長年東京に住み、コンサルティングや研修事業の会社を営んできた中平さん。

台風や震災を経験し、東京のインフラの脆弱さを痛感。コロナ禍の家から出られない生活に違和感をおぼえたことがきっかけとなり、移住を決断した。

首都圏へのアクセスがいい長野県東部で検討していたところ、立科町の担当者から地域おこし協力隊の仕組みを教えてもらった。

「実は10年近く、本業とは別に地方創生の仕事ができたらいいなと思っていたんです。でも、あまりご縁がなく。それが自分の移住とともに実現できるんだったら、3年間、両立してがんばってみようと思いました」

立科町の移住定住促進の枠組みは、大きく2つに分かれている。

窓口として、役場と分担して移住相談を受けるのが中平さん。あわせて移住体験住宅の運営をしたり、お試し滞在中のプログラムをつくったり。移住を検討する人たちをソフト面から支援している。

ほかの2人の協力隊は、空き家の掘り起こしや利活用など、ハード面からのアプローチが中心。

今回入る人は中平さんの役割を引き継ぎつつ、チーム全体で、立科町の移住定住促進に取り組む。

もともと移住相談の問い合わせが多かったのは、定年後のセカンドライフを検討する50代以上。コロナ禍以降の3年間で、20〜30代の若い世代にも広がってきた。

地域を選ぶ価値基準や移住の目的もさまざま。相手の温度感を確かめるためにも、「どうして移住を考えているのか」を最初に丁寧にヒアリングする。

「相手を見ながら話を進めていくのがすごく大切です」

まだぼんやりとした段階の人もいれば、地域のことをしっかり調べてきて、担当者の対応で信頼できるか見極めている人たちもいる。

「自分も移住者なんだけど、赴任した瞬間から、当然いろいろ聞かれます。観光や農業とか、県内でのこのエリアの特徴とか、最低限の知識は必ず頭に入れてからのスタート。まちの看板になるので、フロントがつくる印象って大きいなと思いながら、気を引き締めて対応をしています」

「同じ移住者の立場で共感したり、アドバイスするのも大事ですよね。たとえば寒さも、地元の人は『大丈夫』と言うけれど、移住者目線だとすごく寒いんです(笑)」

数年かけて何度も足を運び、やっと移住を決める人たちも多い。

いいところだけでなく、暮らしの大変なところも伝えながら、いいマッチングになるようサポートしていく。

「知識や経験、スキルはなくても構わないと思います。でもひとつ言えるなら、地域に入ってやりたいことがあるとか、何かにチャレンジしたい人がいいかもしれない」

「まちにある課題やミッションと、自分のやりたいことやチャレンジしたいことが重なっているかどうか。そこでやっぱり違いは出るのかなって思いますね」

 

やりたいことがなくても、ひとまず来てみてほしいと協力隊を募集する自治体もある。

一方、立科町で活動するなら、そのもう一歩先にいる人が合っているかもしれない。

今日集まってくれたみなさんは、自身で経営する事業を持ったうえで活動している。それが立科町の協力隊の自立したカラーを生み出しているように感じる。

横浜から移住してきた、建築家の永田 賢一郎(ながた けんいちろう)さんもそのひとり。2020年の5月から活動している一番の古株。コロナの影響で任期を延長し、今年の5月で卒業予定だ。

「協力隊は移住のための手段だと思っているし、別に自分たちみたいに職を持っていなくてもいい。『いつか長野でカフェがやりたいから、3年間で人脈をつくりたい』とか、何か先にやりたいことがちゃんとあると、3年間の使い方が決まってきます」

「今後自分のお客さんになるかもしれないと思えば、まちとの関わり方も当然深くなる。付き合い方も親身になるし、まちの課題にも真剣に取り組んでいかなきゃと思いますよね」

永田さんは、交流館から歩いてすぐのところに、空き家や移住の相談所「町かどオフィス」をオープン。卒業後はここを拠点に、自身の会社で空き家改修や利活用の促進に取り組んでいく。

新しく入る人も、町かどオフィスで移住相談に乗る場面もあると思う。すぐそばにOBがいるのは心強い。

人脈をつくり、地域に根を張る協力隊としての3年間。それと同時に、ほかの仕事の芽も育てていく。任期が終わるときに、双方がうまく合わさったら理想的だ。

「立科の大きな課題は、移住希望者は多いにもかかわらず、空き家活用や住宅環境が追いついていないこと。特に、今後も空き家は増えていくのに活用があまり進んでないのが現状です」

「だから成功事例をつくって発信して、前向きに空き家を提供してもらえるような流れをつくりたい。そこにつなげていかないと、まちが凝り固まっていってしまうと思います」

賃貸の戸建てに住みたいというニーズは多い。住居+αでカフェやパン屋さん、宿をやりたい人も増えているという。

実際にここ数年、立科には移住者が空き家を改修してオープンしたお店が3軒ほどできている。

「このまちの規模だと、3軒って結構大きいんです。まちの人全員が知りますし、観光で遊びにくる人たちも立ち寄るから、じわじわと影響が出てくる」

現在、町内で複数軒、空き家の改修を進めているという永田さん。

「ひとつ物件ができただけで喜んでくれる人がいっぱいいるし、結構インパクトは大きいまち。そういう意味では、活動がちゃんと結果になりやすい場所だなと思うんです」

活動が結果になりやすい。

「自分が動いたことで、ダイレクトにまちに貢献できることが多いです。必要とされている役割がよく見える。大きな都市にはない働きがいも、生活のしがいもある場所だなって思います」

立科に住んで4年。どんなところが気に入っているんだろう。

「30分で高原まで行けるのはめちゃめちゃ贅沢ですよ。みんなが週末、渋滞を超えて来るところに、思い立ったらすぐ行けて、気分転換できる。自分だけのリゾート地を抱えてるような贅沢さは、ここならではって感じがします」

「昨日も池の平の先の高原に行って。車で標高2000mくらいまで登るんです。めちゃめちゃ天気がよくて。あそこの景色を見ると、それだけで1ヶ月くらいがんばれる。みんな移住して来たらいいのに!って思いながら、この仕事をしています」

 

「生活もしやすいですよ。近隣の大きなまちにも30分くらいで行けるし、町内にはスーパー・ドラッグストア・ホームセンターが奇跡的な近さにある通りがあって」

そう話すのは、昨年赴任し、空き家の利活用を担当している秋山 晃士(あきやま こうし)さん。3人いる移住定住促進担当の協力隊のうち、一番若手の30歳。

もともと東京の設計事務所で働いていた秋山さん。

「仕事をしているうちに、設計だけでなく場づくりや運営に関しても興味が強くなって。地域の人と関わりながら、設計の仕事を活かしていきたいなと思っていたんです」

設計しながら自分でお店もやってみたい。実現できる場所を探して、東京を離れることにした。一足先に東京から移住していた友人がご縁をつないでくれたことがきっかけで、地元の隣町でもある静岡県沼津市に住まいを移すことに。

そのころ、知り合いを通じて出会ったのが永田さん。立科町の協力隊として、設計ができる人を探していると聞いた。

「でも、沼津に設計事務所とコーヒーショップを兼ねた活動拠点をつくりはじめていたんです。手放すわけにはいかなかったので、2拠点生活になることを面接で了承していただいて、赴任しました」

「まだ今は、いろんなことを経験したい時期なので。フランクに挑戦させてもらえているのはありがたいです」

赴任してすぐに空き家改修のDIYワークショップを企画。首都圏からわざわざ参加する人もいたそう。

「みんなでコミュニケーションをとりながら情報交換したり、ここでつながりが生まれたり。協力隊でやりたかったのはこういうことだって思いました」

「自分の手で何かつくることが、コミュニケーション装置になる。わかってはいても実践できる場は初めてだったので、やれてよかったと思いましたね」

Uターン先の沼津と、協力隊としてやってきた新しい土地。それぞれの生活を経験するなかで、協力隊のありがたみを感じることもある。

「知らない土地で新しいことをやるって、やっぱり心細い。でも協力隊なら、よそものだけど地域の人とコミュニケーションできるきっかけがある」

「地方って外の殻はちょっと硬めですけど、それを破っちゃえば中は柔らかく、つながりやすい。半分個人、半分職員みたいな今の立場は、殻を破る取っ掛かりにちょうどいいなと思います」



自分の夢や信念をしっかり持っているほど、人の役に立てる。このまちなら、そんな理想的な関係性を築いていくこともできるように思いました。

なにかやりたいことがある人は、ぜひ飛び込んでみてください。

(2024/02/13取材 増田早紀)

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