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日本茶の産地といえば、どこを想像しますか。
静岡県の静岡茶・京都府の宇治茶・埼玉県の狭山茶。
この三つの地域をあげる人が多いかもしれません。
高知県の中西部に位置する、津野町。ここも、隠れたお茶の名産地です。
四万十川が流れ、四国山脈の山間に位置する津野町は、標高が高く、朝晩の寒暖差が大きいといった、おいしいお茶が育つ条件が整っています。
ここで、茶の栽培、製造、販売を担う地域おこし協力隊を募集します。
最初は、農家さんのもとでお茶の生産について一通り学びます。その後は、自分で茶畑を持って栽培をはじめたり、新商品開発をしたり。お茶をテーマにやってみたいことに挑戦しながら、卒業後のことを決めていきます。
自らミッションを掲げて取り組む地域おこし協力隊が多い津野町。協力隊の定住率と、起業率が高いんだそう。
ここ2年間での町内での起業数は6件。WEBデザイン・燻製商品の製造販売・木工製品づくりなど。なんとそのうちの5件が卒業した協力隊によるもの。
興味があれば、お茶だけでなく、事業領域を超えた起業を目指すこともできます。
日本の茶業を未来に残していきたい。純粋に手に職をつけたい。そんなふうに考えている人に、ぜひ知ってほしいです。
高知駅からJR土讃(どさん)線に乗り1時間ほどの、須崎駅で降りる。
ここは津野町から最も近い市街地。スーパーやドラッグストア、地元の野菜が並ぶ大きな道の駅もある。
深く息を吸うと、体のすみずみに澄んだ空気が行き渡る。
改札で役場の方に迎えられ、山間の道を車で15分ほど走ると、津野町に入る。標高1400mほどの山もあるそうで、寒暖差が激しい地域。
車中では、満天の星空が見れることで有名な四国カルスト天狗高原や、石積みの棚田、1000年以上受け継がれてきた津野山古式神楽など。豊かな自然と歴史文化の話を聞かせてもらった。
ほどなくして役場に到着すると、今度はJA高知県の高橋さんが迎えてくれる。
津野町の茶業振興に携わって、かれこれ15年。
津野町のお茶をいただきながら、話を聞くことに。口に含むと、香りが広がって、茶葉の個性をしっかりと感じる。
「津野町のお茶は、なにより香り高いのが特徴です。寒暖差が大きく、川霧をたっぷりと浴びてゆっくりと育つお茶は、茶葉が厚く、旨味と甘みが強い。昔からこの町で親しまれてきました」
「2024年に行われた、高知県内で生産されたお茶の品評会では、津野町のお茶が最優秀賞をいただくことができて。うれしいニュースでしたね」
5200人ほどの人が暮らしている津野町。人口減少が進むなか、茶業に携わる人が減っているという課題がある。
「山間部にある茶畑は急こう配が多く、茶摘みも日々の手入れも大変な作業。津野町の土地ならではの影響もあるんですよね」
四半世紀前には100名近くいたお茶農家も、今では19名ほど。平均年齢も75歳と、高齢化が進んでいる。
「それに農家さんの多くは、商売気がないと言いますか。お茶の値段設定が安いんです。だから、柚子やミョウガを育てたり、木をきったりと、副業をしつつ暮らすのが基本。きちんと利益が立つよう、自分たちで売る力をつけないといけない」
「津野町が誇るお茶の生産現場を、いかに維持できるか。なんとかしたい、という想いです」
これから加わる人は、まず農家さんのもとでお茶の生産について学んでいく。
お茶摘みや品質管理、機械の使い方といった現場仕事に加えて、県内で開かれるイベントへの出店などもある。
仕事を覚えてきたら、任期後の道を決めていくために、さまざまなことに挑戦してほしい。
茶畑を引き継ぐこともできるんでしょうか?
「実際、あと何年かで生産をやめられる農家さんもいて。農家さんとのコミュニケーションによって、卒業後引き継ぐことはできるはずです。来てくださる人が何をやりたいかっていう希望は、なるべく叶えられるような受け入れ体制を整えていきます」
「今、茶業で頑張っている若い人は2人だけしかいなくて。けれど、そのふたりが本当に頼りになってくれているんです」
そう言って紹介してくれたひとりが、三原さん。
2017年に津野町の地域おこし協力隊で茶業に携わり、そのまま移住した方。
協力隊を卒業したあと、お茶の生産から商品化まで一気通貫で手がける会社を立ち上げた。
スーツ姿が、よく似合っている。
「もともとうちの実家が、長野県で明治7年に創業したお茶の製造・販売の会社でして。お茶を使ったスイーツの製造やカフェの営業に事業を拡大し、長野県内に約10店舗展開していたんです」
「私は商品開発や仕入れ管理、営業などを担当していました。お店では他県のお茶を使うこともあって、津野町のお茶はお取引先のひとつだったんです。小学3年生くらいから、ほぼ毎日、津野町のお茶を飲んで育ってきたんですよ」
そんな三原さんが協力隊になったきっかけは、仕入れの関係で津野町へ視察に訪れたときのこと。
「僕を育ててくれたお茶の産地はどんなもんかと、すごくワクワクした気持ちで来ました。山奥のへんぴな場所まで、せっせと車を走らせて辿り着いたときには『なんて素晴らしい茶畑だ!』と感動したのを覚えています」
けれどよく見ると、急峻な場所にある茶畑の所々に、放棄地を見つける。
「そのとき、この町のお茶がいつかなくなってしまうんじゃないかと思いました」
「いつか自分自身が茶業で起業したいという思いがあったんです。今しかないと、挑戦することを決めました」
3年間でお茶の生産について学び、協力隊卒業後に立ち上げたのが「大丸茶舗」という会社。製造から商品開発、販売を通して、津野町の茶業全体をブランディングしている。
「お茶の売り上げがずっと上がっていくとは思っていなくて。ペットボトルやティーバッグの商品が浸透して、こだわってつくられたお茶の魅力が消費者に届きにくい世の中になってきているんです」
「津野町のお茶をより広めていくように、裾野を広げてビジネスに取り組むべきだと考えているんです」
大丸茶舗を代表する商品が、フレーバーティー。茶葉に果物や花などさまざまな香りを加えた飲み物。
「お茶は、茶葉の蒸し、もみ、乾燥…と、さまざまな工程がある。茶葉を自由に加工できる利点を活かしてつくりました」
緑茶やほうじ茶、和紅茶をベースとして、現在15種類ほど展開している。
かわいらしいパッケージですね。
「一緒に会社をしている妻が絵を描くことが得意なので、デザインをしてもらっています」
「さらに、自分たちで販路を広げていくこともしていて。今では全国の道の駅や飲食店など、40店舗ほどに卸しています。東京駅の飲食店でも、僕らのお茶を飲むことができるんですよ」
ほかにも、飲食系のイベントに出店したとき。唐揚げをつくり、そのトッピングとして、津野町の粉末茶をブレンドした茶塩を用意した。また、製茶機械でお茶づくりを体験できるプログラムをつくったことも。
津野町の茶業を次の世代につなぐべく、さまざまなことにトライしている。津野町のお茶の生産組合では、副会長を務めているんだそう。
これから加わる人も、三原さんに学びながら茶業を盛り上げるためのアイデアをかたちにしていけたらいいかもしれない。
「僕の取り組みが、これから来てくださる人にとって、ひとつの選択肢になれたらいいなと思っています」
「お茶は嗜好品なので、人が生きている限りつづいていく産業だと思うんです。私はよく“再盛”って言葉を使うんです。いろんな人がつなげてきた茶業を再盛したい、その気持ちに共感してくれたら、まずは津野町に遊びにきてほしいですね」
「三原さんって、とても生命力溢れる人だなと感じます」とつづけてくれるのが、現役の協力隊の井上さん。
知識や経験はなかったなかで、2023年の4月から、お茶の世界へ飛び込んだ。これから加わる人も、気軽に相談できると思う。
「前職は機械の修理の仕事をしておりまして。いつかは農業含め、いろいろなことを経験してみたい気持ちがあって転職を考えていたころに、高知県に住む姉夫婦から、津野町の地域おこし協力隊を教えてもらったんです」
「津野町を訪れてみたり、いろんな人にお話を聞いたりするなかで、三原さんの活動を知って。商品化といった茶業の6次産業化にも取り組めるのはおもしろそうだなと。お茶づくりが厳しい世界だってことはわかっていたつもりでしたが、ダメやったらダメやったで、次なんとかなると思って、挑戦したんですよね」
働いてみて、どうですか?
「実際に携わると、こんなに大変なんやって気づきました。茶摘みがはじまる4月から6月がピークで、1日の稼働時間がとにかく長いんです」
「朝8時半からお茶摘みがはじまって、夜にかけて加工作業をします。早ければ夕方には加工に移って、夜12時ぐらいにすべての作業が終わります」
出来上がる荒茶は味の基礎となるため、とても大切な工程。加工自体は、機械を見守りながら、ときどきお茶の状態を確認するといった、シンプルな作業。
繁忙期には、農作業は朝方まで続く日もあるから、身体的にも精神的にも体力が必要だ。
「ただ茶摘みの稼働日数は、3ヶ月のうち30日ぐらい。一年中仕事があるわけではありません」
「それに茶業は、大変だし時間はかかるけれど、やればなんとか終わるんですよ。単純かもしれないですけど、やっぱシンプルに楽しい。数字やノルマを追うことに精一杯だった前の仕事も楽しかったけれど、また違った楽しさがありますね」
製茶の作業は、6月末ごろには終わる。それ以外は、茶畑の手入れやイベント出店、新商品開発などに取り組んでいる。
井上さんは協力隊の任期を終えたあと、三原さんの会社で働くことが決まっているそう。
「よかったら、自分のつくったお茶です。これから寒い時期がつづくので、温まって落ち着いてもらえたら」と、井上さんが商品化を手がけたお茶をお土産にいただいた。
「茶畑をお手伝いしながら、商品化のことなど、毎日新しいことを経験できるのは、三原さんの存在が大きくて」
「津野町に来るまでは、お茶のことは何も知らなかった。けれど茶業に携わるうちに、仕事に対しても、お茶に対しても誇りが持てるようになりました。地道で大変なこともあるけれど、すごく充実した毎日を過ごせています」
知らない世界に飛び込むのは、勇気のいること。津野町では、先を歩く人の存在が、心の支えになるはず。
お茶に熱く、真剣に向き合う。
そのなかで、自分ならではの生き方をつくっていける場所だと思いました。
(2024/12/19 取材 田辺宏太)