農家さんと一緒にお米の収穫をしたあと、土手に座ってお弁当を食べる。
近所のおばさんが「あんたこれ食べなさいよと」おかずをお裾分けしてくれる。
都会では経験できない、地方での暮らし。体験してみたいと思ったことはないでしょうか。
学生でも社会人でも。1年間だけ、地方で暮らしてみる。地域でさまざまなボランティア活動をしながら、自分自身も地域に育ててもらう。
そんなプログラムが、緑のふるさと協力隊です。

運営しているのは、特定非営利活動法人地球緑化センター。
30年以上、日本各地の自治体と協力してプログラムを運営しています。
今回は、2026年の4月から派遣される第33期生の募集です。
地域おこし協力隊にあるような目標やノルマなどは存在せず、応募に必要なスキルもありません。
住まい、車、最低限のお金など、暮らしに必要なものは用意され、1年間、日本各地の農山村でボランティア活動をします。
構えずに、自分の素のままで地域に浸る。肩の力を抜いて読んでみてほしいです。
緑のふるさと協力隊は、現在32期生が各地で活動している。
9月半ば、全員が東京の国立オリンピック記念青少年総合センターに集まり、中間研修がおこなわれるということで、そこに参加させてもらった。
施設内の会議室のドアを開けると、さっそく隊員のみなさんの姿が。

地域での体験を発信していきたいという隊員が多いそうで、協力隊OBが講師として情報発信のノウハウを説明している。
ひと段落したところで、地球緑化センターの事務局で事業部長を務める佐藤さんに話を聞く。

「緑のふるさと協力隊では、『緑、人を育む』っていうスローガンをいつも掲げているんです」
緑、人を育む。
「人間も自然の一部なので、自然が豊かな場所で暮らすことで、人は育つ」
「そして自然と共生する暮らしが残っている地域やコミュニティには人を育てる力がある。この考え方が『緑、人を育む』というテーマの重要なポイントなんです」
地域の力で、人を育ててもらう。そして社会でたくましく生き抜く力を身につける。そんな社会教育プログラムが、緑のふるさと協力隊だ。
活動が始まって、今年で32年目。
北は北海道から南は沖縄まで。派遣される地域は本人の希望を踏まえた上で、一度も行ったことのない地域に足を運んでもらえるように事務局が派遣先を決定する。今年は10の自治体で10名の隊員が活動中。
主に30代までの大学生や社会人が参加しているが、40代で参加を決意する人もいる。
活動内容は基本的に自由。派遣先によって、農家の手伝いなど役場が働く場所を手配してくれるところもあれば、自分で仕事を見つけるところもある。
隊員には月に5万5千円の活動支援金が支給され、住宅や車、光熱費は自治体が負担する仕組みだ。
「最初はよそ者だから、ここにいていいんだろうかと悩むことが多いけど、しばらくすると畑仕事を手伝ったり地域の行事に参加したり、関わりが増えていく」
「そのうちに『あんたが来てくれるとうれしいよ』って言ってくれる人が出てくる。その体験が貴重だと思うんです」

暮らしていくうちにだんだんとその地域の一員になっていく。
いろいろな人に助けられながら過ごすなかで、自分も役に立ちたいと自然に思うようになるそう。
「利己心じゃなく利他心が生まれるようになるんですよね。それって人間の成長という面ではすごく大事なことで。毎年そういう若者が増えていくのは、社会にとってもいいことだと思うんです」
都会で感じる経済や効率性とは違う価値観で成り立っている社会が、日本にはまだまだ残っている。
それを知ってもらうことは、緑のふるさと協力隊の存在意義の一つなのだと思う。

「地域に行くと初めてのことだらけなんですよ。田植えとか草刈りとか、驚きの毎日を過ごしながら、とりあえずやってみる」
「それを繰り返していたら、失敗を恐れないようになったって言ってくれる子が、毎年何人かいるんです。その人が強くなっているってことなんだと思いますね」
協力隊のOGであり、今は事務局で働いている為国(ためくに)さんも、プログラムを通じて強さを身につけた人。
「私も失敗を恐れなくなりましたね。なんとかなる、まずはやってみようかって思うようになりました」

日本仕事百貨を見て、緑のふるさと協力隊に応募したそう。ちょうど勤めていた仕事を辞めようとしていたときだった。
「当時すごくマイナス思考で。仕事は一旦辞めると決めたけど、またなにかにつまずいてしまうんじゃないかって不安がありました」
人と接することや人前に出ることにも苦手意識があった。それでも、否応なく人と関わる環境に行ってみて、自分がどうなるのか賭けてみたかったという。
派遣先は鳥取県との県境にある、岡山県の鏡野町(かがみのちょう)。為国さんにとっては初めての地方暮らし。

「最初はビビって、なかなか外に出れなかったです。一ヶ月くらい経ってから、ようやく出始めて。地域の人には、もっと早く挨拶せにゃいかんだろうって言われました(笑)」
「出ていくうちに、だんだんと顔を覚えてもらって挨拶できるようになって。そこからですね、地域の人の顔と名前を覚えていきたいと思ったり、もっと出ていくようになりたいって思ったりするようになりました」
普段はどんなことをしていたんでしょう。
「毎日違うことをしていました。ブドウの袋掛けをしたり、稲刈りをしたり」
「楽しかったのが、傘踊りっていう伝統芸能。今でも地域の人が覚えていてくれて、やってくれてありがとうなって言ってくれるんです。舞台度胸がついたし、とりあえずやってみるのが大事なんだなって感じました」

為国さんは鏡野町に2年間滞在。本来は1年間だけど、翌年の応募者が偶然少なく、2年目も過ごしたいと希望したのだとか。
その背景には、1年では「ただいまと帰って来れる場所になっていない」という思いがあったという。
「2年過ごして、今は『泊めてください』って言える人が地域に何人かできました。いつでも帰れると思ってますし、任期を終えてからも3回ぐらい帰っています。鏡野に行くときは『鏡野に帰る』って言っちゃうんですよ」
為国さんは現在、地球緑化センターの事務局で働いている。今回応募する人も、関わることは多いと思う。
「これがやりたい、っていうものがなくてもいいと思うんです。降ってきたものは、なんでもやってみようって思える人だったらいいんじゃないかな」
「1年やりきる自信も、最初はなくてよくて。やりきりたい、がんばりたいっていう気持ちがあれば十分だと思います。私自身、面接のときにやりきれますかって聞かれて『がんばります』って言うのが精一杯だったので」
隣で聞いていた佐藤さんも続ける。
「暮らしていて、ちょっと窮屈さを感じていたり、就職や今の仕事でちょっともやもやしていたり。そんな人に向いてるんじゃないかな」

受け入れてくれる地域の人がいるから、それなりの努力をすることは求められる。その上で、環境を変えて暮らしてみるにはぴったりの制度なのだろうな。
最後に話を聞いたのは、現役隊員の山口さん。群馬県の上野村(うえのむら)に派遣されている。

インタビューの直前まで、後半期間の目標を考えていたとのこと。
どんな目標を立てたんでしょう。
「はい、『たくさん言語化、素敵以外で』という目標にしました」
たくさん言語化、素敵以外で。
「任期が終わったら、小学校の教員になる予定なんです。子どもたちと話すとき『君、素敵だね』ってよく言うんですけど、なんか魔法の言葉みたいだなと思って」
「『素敵』のなかには、もっとたくさんの表現あるはず。なので『素敵』以外の言葉を出して、今の経験をもっと解像度高く伝えていきたいっていうのが目標です」
東京出身の山口さん。協力隊に応募したきっかけは、大学に貼られていたポスターだった。
「人と違うことがしたいとずっと思っていて。夏休みに一人で和歌山のお茶農家さんを訪れて、9日間ぐらいお手伝いさせてもらいました。その生活が超楽しかったんですよね」
「自然の音を聞きながら働いて、あぜ道に座りながらお昼を食べて。帰ったら自分たちが育てたお茶を飲んで。その時間がすごく新鮮で面白かったんです」
卒業後、すぐに教員採用試験は受けず、緑のふるさと協力隊へ応募することに。
教員を目指す山口さんにとって、1年間という期間は教員のキャリアを考える上でちょうどよかった。

「上野村はもう29年協力隊を受け入れているので、村の人もすごく気にかけてくれるんです。暇になったら遊びに誘ってくれたり、お手伝いを頼んでくれたり」
「知り合いが増えるとその先でまた違う人と知り合って、釣りに行こうぜって話になるとか。そうやって外に出ていくことが増えました」
上野村では、この2週間はしいたけ工場、次の2週間は蕎麦屋、その次は温泉、といったように、役場の人が働く場所を手配してくれている。
やるべきことは決まっているので、そのなかで自分がどう能動的に動くかも大切なこと。
山口さんの場合は、自らの広報誌をつくって、村の人に自分を知ってもらう努力をしている。
「手書きで写真もつけて、役場で毎回50部刷ってもらっています。今こんなことやってますって、家とか職場とかをまわって手渡ししているんですよ」

これ、手書きで続けているのがすごいです。
「最初のころは、字が上手だねとか、可愛い絵を描くねって言われるんです。でも僕がみてほしいのはそこじゃなくて。今こんなことしているんだねって、その場で立ち話をするために書いているので」
「第4号くらいから、内容を見て話せるようになりました。たとえば最初に働いたしいたけ工場に行って、今これやってます、元気にしてますって渡しに行くと、なんか困ってることねえかとか、しいたけ持って帰りなよとか。それがうれしいんですよね」
山口さんの自分を知ってもらう努力や人柄があってこそ、地域の人も気にかけてくれているのだろうな。

「腰を低く、がんばっていることを示さないといけないのは常に感じています。あなたが助けてくれるから僕が生きているんですっていうことを忘れちゃいけない」
「協力隊が終わったあと、どこかのタイミングで上野村の学校で先生ができれば、それが一番の恩返しになると思っていて。お世話になった人の子どもや孫を先生としてみれたらうれしいですよね」
山口さんはどんな人が協力隊になったらいいと思いますか?
「先入観を捨てられる人。僕も先入観いっぱい持ちながら来たんですけど、それを隠して捨てて、うまく人と関われる人がいいんじゃないかな」
「あとは工場の仕事とかだと単純作業の繰り返しだったりするんです。それも人と話せるようになったり、作業のなかに面白みを見つけたりすると楽しくなる。何にでも興味を持って、面白がれる人がいいのかなと思います」
朝の光、畑の匂い、名前を呼んでくれる人の声。
ふるさととは、つくるものではなく、誰かと過ごす時間のなかで育つものなのかもしれません。
次の春、その場所で、新しい自分に出会ってみませんか。
(2025/09/16 取材 稲本琢仙)


