剱岳や槍ヶ岳といった、北アルプスの名峰が連なる中部山岳国立公園。
そのなかに広がる乗鞍(のりくら)高原の「一の瀬草原」は、生物多様性の宝庫と呼ばれています。
絶滅危惧種のチョウやサンショウウオ、300種類以上の高山植物をはじめ、多様な動物たちが数多く生息。
牛の放牧や草刈りなど、人の営みによって維持されてきた半自然草原として、美しい風景が残っています。

しかし、時代とともに放牧はなくなり、草原は森林へと姿を変えています。
生物たちの住処でもある草原、そして美しい風景を未来に残すために。
地域、行政、環境省が手を組み、持続可能な地域づくりのプロジェクトが立ち上がっています。

今回募集するのは、地域の営みを守り継ぎ、仲間を集める人。
草刈り、木の伐採といった地域活動をベースに、豊かな自然や歴史、環境保護のストーリーを伝える仕事です。
地域おこし協力隊のため、任期は3年。最終的には、乗鞍の魅力をまとめた1冊のコンセプトブックも制作予定。
この地に息づく美しい景色、生物や人々の暮らしを伝えていきます。
新宿から特急あずさに乗り2時間半で、長野・松本駅に到着する。
車で迎えにきてもらい西へ。
乗鞍エリアの入り口にある松本市役所安曇支所。ここで小暮さんが迎えてくれた。
協力隊のサポート役として、主に週1回の面談や発信の相談に乗ってくれる。

「乗鞍は、渓谷美で知られる上高地とともに中部山岳国立公園を代表する観光地。昔は山岳スキーの舞台として発展し、『学生村』として多くのスキー合宿が行われたエリアなんです」
象徴でもある乗鞍岳は、日本百名山の一つ。
標高2700mまでバスで登れるため、日本で最も手軽に絶景や高山植物、雲海が見える場所として知られている。
その火山活動によって生まれたのが乗鞍高原。中央に広がるのが、一の瀬草原だ。
夏は避暑地、秋は紅葉、冬はスキーやスノーハイクの拠点として、年間を通じて観光客が訪れる。

「手付かずの自然が残る上高地とは違って、乗鞍は人々の暮らしの上に観光が成り立っている。それが何よりの魅力なんです」
乗鞍高原を維持しているのが、長野県松本市安曇にある大野川地区。ペンションや飲食店、ツアーガイドなど、およそ600人が暮らしながら観光を支えている。
山から温泉の源泉を引いてきたり、スキー施設を運営したり。自然と共生しながら、自分たちの手で暮らしをつくってきた。
しかし近年、住民の高齢化や人口減少、外来種による生態系の被害など、景観や自然環境の維持が危ぶまれている。
こうした状況を受けて生まれたのが、地域の未来ビジョン「のりくら高原ミライズ」。
大野川地区、環境省、松本市などが共同事務局として、草原再生、乗鞍高原トレイル、移住推進といった、さまざまなプロジェクトを動かしている。

「登山道や遊歩道の整備、希少種の保護なども協力してやっているんです。ただ、みなさん本業があるので、どうしても人手が足りず、外への発信がなかなか進まなくて」
年間の観光客数は、同じ北アルプスにある上高地の160万人に対して、乗鞍は30万人ほど。
「地域活動に加わってもらいながら、乗鞍の魅力を自分の視点で外に伝えていってほしいです」
活動内容は大きく2つ。
草原再生を中心とした地域活動に取り組むこと。そして、肌で感じた乗鞍の魅力発信を通じて、地域と外をつなぎ、活動に加わってくれる人を増やしていくこと。
3年後には、1冊のコンセプトブックを作成する予定だという。
「まずはSNSや地域新聞といった小さな発信からはじめていきます。3年間の積み重ねを書籍にまとめるイメージです。外部のプロにも頼むので、書籍制作の経験はなくても大丈夫ですよ」

発信の内容は、新しく入る人が感じた魅力、課題、地域への関わりしろなどを中心にする。
たとえば、住民が有志で活動している観光協会では「歩治(ほじ)」と呼ばれる新たな滞在スタイルを提案している。
温泉に浸かって心身を整える湯治のように、高原を歩くことで人生のリズムを調える。
こうした魅力を発信するなかで、関心が高まれば、乗鞍にある宿と連携して、リトリートプログラムを開発することもできるかもしれない。

「大野川の区長さんが、『地域がまわれば観光がまわる』と話していたことが私は印象的で」
「美しい景色を維持することで、訪れる人が心地いい時間を過ごして、次のお客さんを呼ぶ。そして地域がうるおい、美しい風景が維持されていく。この循環を一緒につくっていけたらうれしいです」
役場を後にして、一の瀬草原へ。
車を30分ほど走らせ、「Local Food Cafe一ノ日」に到着した。
乗鞍の郷土料理や、地場産の山菜や野菜、信州ブランドの食材を味わうことができる。

この日はあいにくの曇りだけど、カフェのテラスからは草原が一望できて気持ちがいい。
話を聞かせてくれたのが、大野川区長の中澤さん。
新しく入る人の上司のような存在で、仕事のことから暮らしまで横断的にサポートしてくれる。
のりくら高原ミライズ、温泉組合の理事、花火師など、さまざまな顔を持っている。いまは本業の蕎麦屋で必要な蕎麦の種まきで忙しいそう。

「後ろに見える草原が、大野川地区の所有地であり、新しく入る方の職場です(笑)。いまは草が伸びていますが、刈り終わったときは本当にきれいなんですよ」
「ぼくが子どものころはまだ牛がいて、牛がお客さんのお弁当を食べたり、牛に囲まれてるお客さんを助けに行ったり。いろんな思い出があるんです。あのときの景色を取り戻したいんですよね」
美しい風景に戻すために必要なのが、景観のために森を切り開く「修景伐採」と呼ばれる作業。
「ぼくらは観光林業と呼んでいて。お客さんが見て感動する風景を、自分たちでデザインしていくんです。希少な木もあれば花もあるし、葉っぱ一つひとつまで全部計算して切る。『この木は去年すごく紅葉が綺麗だったね』って誰かが言ったら、それを残しながら刈っていくんです」
「5年に1度の植生調査で、希少な花や生態系がすごく残っていると教授からお褒めの言葉をもらっていて。それも師匠たちの代からの信念で、余分なものだけ刈ってきたからなんです」

伐採した木を丸太に加工したり、薪ストーブに使ったりと、地域内で循環させる木の駅プロジェクト、登山道やサイクリングロードの整備、外来種駆除や移住促進など。
草原再生のほかにも、数々のプロジェクトに参加することになる。
すべてチームで運営しているため未経験でも大丈夫。作業は女性でも問題なくできるそう。
「1年目はいろんな活動に参加して、仕事を覚えてからは、今日どの作業に入るかを選んでもらえたら。個人の活動につなげてもらうのも大歓迎です」
春から夏にかけては草刈り、秋は紅葉を残しながら伐採、冬は薪割りと作業には事欠かない。その間で住民の方へのインタビューも進めていく。
「Raicho」と呼ばれる20〜30代が多く集まる宿、伐採した白樺の葉でアロマの化粧水をつくる人など、乗鞍にはさまざまな活動がある。
もし自分がビビッとくるものに出会えたら、3年後は仕事にするのも良いと思う。

「ここは里山ではない本当の山。みんなが自然と共生しています。冬の雪や風はすごいし、熊を目撃しても『なんだ熊か』ぐらいで必要以上に怖がらず冷静に対処できる。そういうメンタルなら、きっと楽しくやっていけると思います」
「本人の希望次第ですけど、興味があれば花火の打ち上げも手伝ってもらえるとうれしいです(笑)。こういう地域を面白がってくれたら最高ですね」
「彼の活動は参考になると思います」と紹介してもらったのが、現役の協力隊として活動している鈴木さん。
もうすぐ3年の任期を終えて、来月からは地域の温泉を引いたゲストハウスを開く予定。
改装まっただなかのお家にお邪魔して、話を聞かせてもらう。

「横浜出身で、もともとはIT企業で働いていました。でも、仕事がうまくいかず転職を考えて。登山が元々好きなこともあり、自然に近い環境として乗鞍を選びました」
着任後は、子ども向けの映画祭や花火大会の手伝い、ITの経験があったので観光協会のウェブサイト、学童保育や消防団など、任務以外の活動にも参加してきた。
「正直、いま自分が仕事をいくつ持っているか分からないほどで(笑)。でも、こんなに地元の人が主体となって何かをやろうとする地域って、あんまりないなって」
たとえば、一昨年の秋、近くのスキー場の運営会社が営業撤退を表明したときのこと。
「地元のほとんどの方が、スキー場はないとダメだと。有志が立ち上がって、自分たちで運営する方向に持っていって。昔から愛されてるスキー場なので、数千万円のお金がどかっと集まって。地元の人がほぼ手弁当で運営して、今、なんなら黒字なんですよ。強いなって。それは印象的でした」
「乗鞍の人たち、かっこいいなって思うのは、やっぱりそこですね。自分たちでなんでも直そうとするというか」
乗鞍は市街地から遠く離れた地域。だからこそ、なんでも自分たちでやるという地域性があるのかもしれない。

「この3年で強くなったなと思います。昔はTOEICとITの資格しかなかったのが、いまは星空案内人と温泉ソムリエ、この前はツアーガイドも取得しました。軽トラに乗るために免許は限定解除したし、草刈りも除雪もできるようになって。できることがどんどん増えていくんです」
資格を取るのは、乗鞍の魅力を自分の言葉で伝えたいから、と鈴木さん。
来月からゲストハウスを開業するのも、同じ思いがある。
「移住という選択肢があることや、乗鞍で出会った人たちに、自分はすごく救われて。やっぱりそれを伝えていきたい。人生なんとなく迷っている人に『こういう生き方もあるんだ』って思ってもらえたらいいなって」
どんな人が向いていると思いますか。
「言い方が難しいんですけど、やりたいことがない人のほうが向いてるかもしれません。信念が強すぎると、周りの抵抗を受けるというか。自分はやりたいことは明確になくて、とにかく地元の人のやりたいことに混ぜてもらった。それがうまくいったかなと」
「やりたいことがあっても、地域を無視して進めるのは明らかに間違った方法で。自分のやりたいことと地域のニーズを組み合わせて何ができるかを考えることで、いろんな可能性がひらけてくると思います」
受け継がれてきた乗鞍高原、一の瀬草原。
この土地で暮らすみなさんは、人としてたくましく、生き生きとしているように感じました。
都心はいよいよ夏本番ですが、乗鞍は涼しいそうです。まずは遊びにいくような感覚で、足を運んでみてください。
美しい風景が、みなさんを待っています。
(2026/07/06 取材 櫻井上総)