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便利や競争から少し離れて
アトリエのある宿で
ライフワークを育む

「自分の夢と、今ここで働くことが、一本の直線で結ばれているといい。自分自身の生き方を掘り下げている人の言葉や姿勢こそ、きっとお客さまにも芯をもって伝わるはずですから」

群馬県みなかみ町、猿ヶ京(さるがきょう)温泉。

谷川連峰や三国連山のそば、赤谷湖のほとりに広がる温泉地で、ユネスコエコパークにも登録される自然豊かなエリアです。

ここに、1日1組限定の一棟貸し宿泊施設「しらかば荘」はあります。

スキンケアブランド「OSAJI」の生みの親でブランドディレクターの茂田正和さんと、自然と人との関係性を問い続けてきた建築家の安齋好太郎さん率いる「ADX」が手を組んで、今年の4月に開業しました。

いまの管理人が7月に卒業することに伴い、宿の運営を引き継ぐ人を探しています。

接客の経験やホスピタリティはもちろん大切。それ以上に、この場所をきっかけに自分の人生を豊かにしようとする姿勢があるとよさそうです。

 

東京駅から新幹線でおよそ60分。JR上毛高原駅の改札を出て、雨がしとしとと降るなか、車で山を登る。

道なりに、赤谷湖が見えてきた。雨と霧に包まれた湖面はとても静か。

20分ほど走らせて、宿に到着。さっそくスタッフの方に中を案内してもらう。

まず目に飛び込んでくるのは、地元の安山岩と御影石を組み合わせたキッチンカウンター。中央には、クスノキの一枚板でつくられたダイニングテーブルがどしんと置かれている。

その奥に広がる客間の畳や障子、襖は、すべて隣町の沼田市の職人たちによる手仕事。最大6名が泊まれるという3つの客室は、互いの視線が交わらないよう、あえて中心を少しずつずらして配置されている。

「迷路みたいですよね。障子を開け閉めすることで、部屋が仕切られたり、ひとつの広い空間へとつながったりするんです」

ほかにも、ぽつんと四角いスツールだけが置かれた空間なども点在していることに気づく。

「ここは特に用途は決めていなくて、お子さまが遊んだりと、泊まる方が自由に過ごせる余白ですね」

檜のお風呂にサウナ、宿をぐるりと囲む縁側やひまわり畑など、一通り案内をしてもらったあと、机を囲んで話をすることに。

 

まずは、この場所を立ち上げた茂田さんに話を聞く。OSAJIのディレクターを務める傍ら、食への探求心から料理本も出版するなど、多岐にわたる活動を展開している方。

「もともとは8年ほど前に、地元の高崎で農業の6次産業化に関わることになったのがスタートなんですよね。でも食品をつくっても賞味期限が短くて、なかなか売れずに廃棄になってしまうと、生産者さんたちが心を折られてしまうケースをたくさん見てきて」

茂田さん自身、長く化粧品に携わってきた。日本の化粧品原料の7割が輸入に頼っているという課題感から、消費期限が長く付加価値も高い化粧品原料を、農業の出口にできないかと思いつく。

そこで、みなかみの隣にある昭和村でレタス農家を営んでいた竹之内さんたちと出会い、耕作放棄地を開墾してひまわりを植え、オイルを抽出するプロジェクトが始まった。

活動の拠点は、かつて合宿所として使われていた施設を引き継いだ、この場所。

取り組みを続けるうち、より多くの人が、自然な形で社会課題にふれ、かつ自給することの楽しさを体験できるオープンな場所にしようと考えるように。

「自給できていない日本は将来ピンチです、みたいなメッセージではなくて。やったら意外と楽しいとか、おいしいとか。そんな気付きとして、人の心のなかに火を灯せたらいいなと思ったんですよね」

羽釜でご飯を炊いてみたり、サウナを楽しむために薪を割って火を起こしたり。源泉掛け流しのお風呂が熱ければ水を足して、自分の身体が求める温度を肌で探る。

そんな原始的な体験ができる一方で、ガスや最新の設備も整えられている。あえて極端に偏らないのには、理由がある。

「どっちかに偏らないとダメっていう概念は、何も進まないと思うんですよ。環境問題のために明日からガスを使うのをやめましょうって言われてもむずかしいわけで、なにも始まらないじゃないですか」

「夜は自分で火を起こしてご飯を炊いたけれど、朝めんどくさいから炊飯器を使うとか。それでいいんですよ。大事なのは、便利になった現代をすべて否定することではなくて、両方の価値を知っていて、選択肢として持っていることだと」

そんなふうに人の生活が変わっていく未来を見据えて、茂田さんはこの場所をつくり上げている。

では、ここで働く人にはどんなことを求めているのだろうか。

話は、働き方そのものの価値観へと広がっていく。

「働くことって、人生の40パーセントぐらいの時間を占めるわけじゃないですか。その時間が自分の人生に組み込めないものだとしたら、すごく不幸なことだなと。だからこそ、自分のライフワークと仕事をきちんと結びつけてほしいんですよね」

宿のすぐ裏手には、寝泊まりができるスタッフ用の住宅がある。そのすぐそばには、もとは書庫だった小部屋が残されていて、自分で改装もできるという。

「陶芸をやりたい、絵を描きたい、曲をつくりたいとか。そういう創作活動や自分のコアワークを持ちながら、パラレルにここで働く。そういう生き方に、みなかみってすごく合っているんです」

「土地も安ければ野菜も安くて、近所の人が食材を分けてくれたりもする。日中は宿を管理して、それ以外の時間は自分のアトリエにこもって創作に没頭する。僕が若いころに、こんな生き方があったら、よだれが出るほどうれしかったですよ」

1月にオープンして以来、まだ積極的に広報をしていないこともあり、訪れたゲストは茂田さんが主催する料理教室のつながりや、その紹介が中心。

宿の宿泊料金は、1泊27万円。背景にある思いを、茂田さんが率直に語ってくれた。

「いまの値段が適正じゃないし、高すぎるっていうのは僕らもわかっているわけで。要は、本当にこの場所の意味を理解してくれた人たちに時間を過ごしてほしくて。その輪を、じっくり広げていきたいからなんです」

「値段をカジュアルに下げて、SNSも駆使してやれば、予約で埋めることは多分できるんですよ。だけどそれをやったときに、僕がライフワークとしてやっていくべきことの本質からずれる。ゆっくり考えて遂行していける余裕と、スピード感をちゃんと合わせてやっていきたい」

 

新しく入る人は、広報活動も含め、この宿をどう届けていくかを探っていくことになる。

「まずは接客メインになるので、お客さまに喜んでほしいという気持ちが強い人がいいですね」

そう続けるのは、現支配人の石野さん。

以前はコーヒーチェーン店に長く勤め、全国さまざまな店舗で勤務。ゆくゆくは海外の人が集まるようなゲストハウスをやってみたいという夢を持っていた。

「思いの詰まったものを、自分を介してお客さまに届けていく仕事にやりがいを感じていました。茂田さんからお話を聞いたときに、自分がそれを伝えていく立場になりたいなって思ったんです」

手探りでひとつずつ仕事を覚え、今ではチェックインの対応から食事の提供、事務作業まで幅広く日々のオペレーションを回している。

提供する食事は、複雑なコース料理ではなく、地の野菜を使った鍋セットなど自炊のサポートが中心。料理経験がなかった石野さんも、ここで働き始めてから出汁を引くことを覚えた。

雨が降れば外の飛び石が滑らないか気を配り、落ち葉が増えれば掃除をする。この日も、軒先にできた蜂の巣を見つけて、殺虫スプレーを手に素早く駆除に向かっていた。

宿の隅々にまで目を光らせて快適な環境を保つ。地道だけれど、おざなりにしてはいけない大切な仕事。

「予約がない日は一人の時間が多いので、自分で『今日これやろう』って動ける人がいいかなと思いますね。待っているだけだと、本当に何もなく終わっちゃうので」

ここで働くうち、石野さん自身の感覚にも少しずつ変化が生まれている。

「薪ストーブの温度調整とか、最初は大変だなっていう印象もあったんです。でも、自分でやってみたときの達成感もあって。最近ではプロユースの包丁を自分用に買って、研げるようにもなったんです」

便利な都会の生活では知らなかった生きる力のようなものを、日々の業務を通じて肌で学んでいる。

石野さんはパートナーの転勤に伴い、7月末で卒業することが決まっている。

これまでの業務については引き継ぎのドキュメントを残しているし、一緒にサービスをつくってきた裏方のスタッフもフォローに入る体制が整っている。

このまま支配人を続けていられたら試してみたかったことはたくさんあると、少し名残惜しそうに話す。

「予約がない日は、自由な時間が本当に多いんです。コーヒーが好きなので、自分で焙煎を始めてみたりしたかったですね」

「せっかく包丁を買ったので、地元の農家さんの美味しい野菜使ったメニューを考えたり、自分からアイデアを出して行動することをもっとやってみたかったですね」

 

石野さんの相棒として、現場を支えてきたのが竹之内さん。

「ずっと野菜生産の現場にいて、天候や市況に振り回されてしまうことに不安を感じていたんです。一生産者としての力はすごく弱いなと。そんなときに茂田さんの取り組みを横目で見させてもらって、農業からいろんな産業に発展していくスケール感にワクワクしたんですよね」

現在は農家に軸足を置きつつ、冬はプロのスノーボードインストラクター。最近ではネイチャーガイドの資格も取ったそうで、まさにみなかみという土地の豊かさを体現するような生き方をしている。

週に3日ほどサポートに入る宿では、ひまわり畑の管理から、宿の修繕や清掃のバックアップ、チェックイン時の接客サポートまで、フットワークはとても軽い。

竹之内さんのようにパラレルに働く人もいれば、最近入社したばかりの調理師免許を持つスタッフもいる。それぞれが自分の背景や得意なことを活かしながら、季節や状況に合わせて役割をグラデーションで変化させている。

「地元の直売所に並ぶお米や日本酒、谷川岳の水が育んだ野菜、秋になればキノコや山菜がおいしかったり。農家としては、一番旬のものを食べてもらって、土地の暮らしにまで目を向けてもらえるような、そんな案内ができる宿でありたいですね」

「まずはやってみる。自分のキャリアからアイデアを出して、お互いにコミュニケーションをとれる環境にしていけたら、さらにいい宿に育っていくと思います」

 

お金を稼ぐ、知名度をあげる。そうしたわかりやすい勝ち負けの価値観で競争し続けるのではなく、自分が大切にしたい基準で生きる。

自分と、この場所。あなたなら、どんな線を描きますか。

(2026/07/06 取材 田辺宏太)

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