コラム

中川政七商店が紡ぐもの
第1回

「日本仕事百貨の求人を読んで入社したメンバーが、次期代表取締役社長に就任いたしました」

そんなお知らせを受け取ったのは、3月の終わりのことでした。

差出人の欄には「株式会社中川政七商店」の文字。

中川政七商店といえば、創業302年の老舗。『奈良晒』と呼ばれる、奈良特産の高級麻織物の卸問屋からはじまり、時代の波を乗り越えながら、ものづくりを続けてきた会社です。

302年間、途絶えることなく手渡されてきたバトンを受け取る。想像しただけで、両手にじわっと汗が浮かびます。

それから何度か、中川政七商店のみなさんと連絡を重ねました。

そして今回、次期社長が入社するきっかけとなった日本仕事百貨で、新しい体制をつくっていく仲間を一挙に募集することとなりました。

社長を交代した13代の中川政七さんは今、何を思うのか。

社長になった14代の千石あやさんは、どんな人なのか。

東京・表参道の事務所に、おふたりを訪ねました。


-まずは、おめでとうございます。

千石 ありがとうございます。

ー社長に就任されたのは、いつごろのことだったんですか。

千石 日付で言うと、今年の3月1日ですね。だいたい2ヶ月ぐらい前かな。(取材は5月初旬)

中川 ぼくは入社したときから、14代は中川家以外の人にやってもらうと宣言していましたし、千石に継いでもらう路線も引いていたつもりだったんです。でも彼女は鈍感なのか、伝わっていなかったみたいで…。

千石 去年の夏、はじめてその話をされたときは、「いやいや、無理です!ありえない!」って。もう大爆笑でしたよね。

ー驚きを通り越して、笑うしかなかった。

千石 はい(笑)。

中川家以外の人に継ぐ意志があることは以前から理解していました。ただ、中川本人が最近まで「もう少し続けます」と言っていたし、次の社長は自分と10歳は離れていないと意味がない、とも話していて。わたしは中川と2歳しか離れていないので、まったく想定外だったんです。

ーたしかに。中川さんがこのタイミングで引き継いだのは、どうしてでしょう。

中川 自分の進退について、実はここ5年ほどずっと迷いはあって。ある程度までやったという自負もあるし、区切りは近いんだろうなという予感もあった。ただ、その先何をやっていくのかと考えたとき、明確な答えがないから踏み切れずにいたんですね。

で、まあ、わかりやすい形として、一時は上場を目指したこともありました。準備万端、というところまで進めたけれど、結局最後の最後でやめたんです。自分は上場したいわけでも、たくさんのお金がほしいわけでもない。

経営者として何がしたいか、突き詰めていったわけです。そうしたらあるときに、ああ、いい会社をつくりたいんだと気づいて。

ーいい会社。

中川 いい会社をつくることに対しての情熱は、ものすごくあるなと思って。

中川 じゃあ、いい会社ってなんだ?っていうことを考えると、それは「いいビジョン」と「いい企業文化」を持った会社だ、と。そこであらためて、中川政七商店のことを考えました。

まだまだ道半ばではあると思いますけど、少なくとも、いいビジョンは持っていると思う。

ーそれが「日本の工芸を元気にする!」というビジョン。

中川 そうです。じゃあ、企業文化はどうか。

目指すべきビジョンがあって、そこに辿りつくまでの道のりや、その選び方が企業文化だと思います。その意味では、みんな真面目にやっているし、学び続ける姿勢も持っている。中川政七商店らしい文化は、少しずつ醸成されてきています。

でも正直、物足りないところもある。ぼくがいないほうが、より文化は培われていくだろうなと思ったんですよ。

ー中川さん不在のほうが?

中川 いい文化が育つと思った。なぜなら、文化はみんなでつくるものだから。強いワントップではいけないんですよ。

ー中川さんが引っ張り、みんなでついていく形では限界がある。

中川 ぼくが抜けたら、次に続く人たちが補わなきゃいけなくなる。荒っぽいやり方ではありますが、とくにミドルマネジメントの人たちは、すごく変わると思います。今までぼくが決めていたことを、自分たちで考えて決めていくことになるので。

ーバトンを渡す相手は、千石さんと決めていたんでしょうか。

中川 別に決めていたわけではなく、その瞬間瞬間を切り取って誰かと聞かれれば千石だという話で。去年の夏にもう一度真剣に考えた結果、やっぱり千石だったと。

一番の理由は、彼女のバランス感覚のよさなんですよね。もちろんロジカルさとか、ベースにはあるんですけど、最後ここ!って決めるのはバランス感覚が必要で。そのへんがわりと間違わないんだろうなと。

これは愛情を込めて言いますけど、別に大して頭は良くないんですよ(笑)。

千石 そんなストレートに言わなくても…(笑)。

中川 でも、経営って学校のテストと違って、答えを出すのに十分な情報って集まらないわけです。そのなかでも正しいジャッジをするから、結果がついてくるんですよね。

千石が「遊 中川」のブランドマネージャーとして収支まで責任を持って担当した期間の実績を見ても、なるほどなと思うし。

それとまあ、人望がある。コミュニケーション能力も高い。そこの3つはすごく大きいです。

年明けに全社員に伝えたときも、なぜ千石さんなんだ?とざわざわすることもなく、すんなりと進んで。「いやいや、もうちょっと社長やってください!」とか言われたかったな。

ー中川さんにとってみれば、ちょっと寂しい気もしますね。

中川 でも、いいことだなと思って。これまでも変化を繰り返してきて、それをすっと受け入れないと生き残っていけない、とみんなが思っていることの表れだと思うので。

自分のところの会社ですけど、それは素晴らしいことだなと思います。新しい体制でじゃあどうする?というふうにみんな頭が切り替わってるし、よりよくなるためにアンタッチャブルなことは何もないんだ、ということが企業文化になりつつある。

ー2ヶ月ほど経って、何かご自身の変化は感じられていますか。

中川 やっぱり、多少肩の荷が降りたんだろうなと思います。何人かには「表情がやわらかくなった」って言われましたね(笑)。それはあるかもしれない。

中川 親父からぼくに代替わりしたとき、親父が言ったんです。会社が潰れようが何しようが好きにせえ。潰れたら笑ったるだけや、って。

今ぼくが思うのは、同じような心境になれてよかったなということ。

もちろんうまくいくようにとは思うけど、もう渡したんで。あんまり口出しすべきでもないし。

ひとつの区切りとして10年ということは言っていて。また千石が10年後、次の代につながる企業文化をつくっていってくれたらいいなと思います。

創業302年の家業を継ぐ。

その重圧がどれほどのものなのか、まだよくわからないし、当事者以外には知りようがないのかもしれません。

ただ、話を聞くなかでわかってきたこともあります。

302年という歴史は、13回のバトンパスがつながった結果であるということ。大きな年月の塊として捉えると途方もないけれど、目の前のおふたりがそうしたように、人から人へバトンを渡すことの連続が今につながっている。

もしかしたら、自分も何かを受け取り、渡していくひとりなのかもしれない。

そんなふうに考えると、おふたりの話が少し身近に感じられるような気がしました。

次回は、思わぬ形でバトンを受け取ることになった千石さんが、中川政七商店に入社するまでのお話です。

中川政七商店では、現在、6つの仕事で新しく仲間を募集しています。

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