コラム

中川政七商店が紡ぐもの
第2回

「日本仕事百貨の求人を読んで入社したメンバーが、次期代表取締役社長に就任いたしました」

そんなお知らせを受け取ったのは、3月の終わりのことでした。

差出人の欄には「株式会社中川政七商店」の文字。

中川政七商店といえば、創業302年の老舗。『奈良晒』と呼ばれる、奈良特産の高級麻織物の卸問屋からはじまり、時代の波を乗り越えながら、ものづくりを続けてきた会社です。

302年間、途絶えることなく手渡されてきたバトンを受け取る。想像しただけで、両手にじわっと汗が浮かびます。

それから何度か、中川政七商店のみなさんと連絡を重ねるなかで、日本仕事百貨を通じて入社した新社長の千石あやさん、前社長の中川政七さんのストーリーを辿る全5回のコラムを連載することになりました。

社長交代に至る中川さんの気持ちや考えを伺った前回。

今回は、思わぬ形でバトンを受け取ることになった千石さんの、これまでのお話です。


-千石さんは、日本仕事百貨の記事を読んで入社されたんですよね。

千石 そうですね。2011年だから、7年前です。

-そこに至る経緯を、もう少しさかのぼってお聞きしたいです。

千石 わかりました。

大学を卒業して、新卒で大阪にある大手印刷会社のデザイン部門に入ったんです。そこで6年ほどデザイナーとして働いて。ティッシュに入れる広告とか、思っていたより地味な仕事も多かったんですけど、やってみたらこれが面白くて。夢中でデザインの仕事をしていました。

で、途中からディレクターになり、そこからは同時進行の仕事を常に10本ぐらい持っていました。めっちゃ忙しくて、本当に、死ぬほど働いて。気がついたときには、入社から12年が経っていました。

楽しかったんです。仲間にも恵まれていたし、今でもいい会社だなって思うんですけど。サイクルがちょっと早かったんですよね。

次々に企画を立てて、ラフを描いて、撮影、デザイン、終わったら次。それがずっと続いている状態で。

わたし、そろそろ次のチャレンジをするべきかもなと30歳すぎたあたりで思いはじめ。32歳ぐらいから、徐々に仕事の整理をはじめたんです。上司にはバレないように(笑)。

-それは、直感的に?

千石 そうですね。転職先のあてもまったくなかったですけど、なんとなく。辞めるときにできるだけ大きな迷惑はかけないように、ということは考えていました。

千石 ちょっと脇道に逸れるかもしれませんが、実はここ(中川政七商店)を受ける前に、河瀬直美さんのところだけアポをとったことがあって。

-奈良県出身で、映画監督の。

千石 はい。河瀬さんの映画が好きで、なかでも『火垂』っていう映画がすごく好きで。その当時、撮影補助かな。ホームページで募集していたのを見て、お手紙を書いたんです。

そうしたら、河瀬さんがお返事をくれて。半紙みたいな紙に、毛筆の手書きで。

-すごい!

千石 それを会社から帰って見つけて、すごいうれしくって。

ちゃんと文面は覚えていないんですけど、もう撮影補助は決まっちゃった、と。

ただ、続きがあって。“あなたはちゃんと仕事をがんばっているんだと思う。絶対にいいことがあるから、がんばりなさい。ご縁はどこかにあるよ”みたいなことが書いてあって。

そこで転職活動の方針が決まったんです。

-方針?

千石 想いとやりたいことが伝わると、なにかしら返ってくるんだなっていう体験として、その手紙のやりとりはすごく強烈で。

だからこそ、どんな仕事を選ぶとしても、まずはちゃんとなぜやりたいか、何に惹かれているか伝えよう。伝えたくなるところを見つけようと決めました。

千石 それからしばらく、日本仕事百貨の記事をいろいろと読んでいたんです。ただ、個人的にはなかなかピンとこなかった。

なんか、ないのかなあ…。そんなふうに思いながら、いろんな記事を眺めていたとき。

中川政七商店の記事を読んで、あ、ここだ!と思って。

-この人たちに伝えたい!と。

千石 そう。選ばれたいというより、わたしの想いを知ってほしいし、話を聞きたい!と思って。

あらためて当時のメールを読み返したら、「お会いできるのが楽しみです」とか書いてあって、今思えばだいぶ図々しかったんです(笑)。

中川 今こうやって話しているのと変わらないテンションのメールでしたね。

-(笑)。

千石 とはいえ、当時はまだ前職の会社で働いていて。面接とかどうしようかなと思っていたら、残業過多でこの日までに1日休みなさいと言われ。これも運命だなと思って、面接に行ったんです。大阪から奈良に。

行ったら、こちらでお待ちくださいと会議室に通されて。緊張してドキドキしながら待っていたら、めっちゃラフな、白いシャツにブルーのストールを巻いた中川が入ってきて。

「この部屋さむない?」って言わはったんですよ。

-緊張して、身構えていたのに(笑)。

中川 気遣いやね。緊張を和らげようと思って。

千石 いやいや、絶対自分が寒かったんですよ(笑)。

中川 当時は人事部もなかったので、中途採用の面接は全部自分でやってたんですよね。

千石 なんか、思ってたんと違う…!と思いながらも、面接がはじまり。

何をしゃべったか、あまり覚えてないんです。わたしの経歴がデザイナーやディレクターだったので、うちみたいな工芸の世界は地味で泥臭いよって言われて、デザイン業界も実は泥臭いんですよって話をしたり。この会社のビジョンにわたしは共鳴していて、サラリーマンにもビジョンが必要だと思う、みたいな話をしたり。

あと、メインは父親の話でしたよね。

中川 そうそう、ぼくが覚えてるのはお父さんの話で。

-千石さんのお父さんが関係しているんですか。

中川 面接でこれを聞こうってことはないんです。いろいろしゃべってもらって、その雰囲気で判断するスタンスなので。ぼく、親御さんとか兄弟の話はめっちゃ聞くんですよ。

-そこからその人が見えてくる。

中川 想像するんです。

千石のお父さんはもともと香川で医者をやっていたと。でもあるとき思い立って、北海道の無医村に行くぞと言い、その数か月後には本当に引っ越していた。だから今の実家は網走なんだと。そのお父さんのスタンスに、なんかかっこいいな、素晴らしいなと思って。

そんなお父さんの娘なんだから、間違いないだろうと。だから千石は、お父さん採用だと思っています。

千石 今でも言われますよね。あのときのお父さんの話がよかったからやで、って。

-その面接のあと、すぐに入社されて。

千石 いや、もうひとり会ってほしいって連絡がきて。え、社長に会ったのに?と思ったんですけど、当時の事業部長ですかね。中川政七商店というブランドをブランドマネージャーとして立ち上げた細萱という女性と会ってほしいと言われて。

わたしは当時、今よりもうちょっと派手な感じだったんです。その日も少しラメが入ったような服を着ていったら、「あなたみたいなタイプはあまりうちにはいないね。若干浮くかもしれないけど、悪い人はいないから大丈夫」みたいなことを、すごく率直に言ってくれて。

なんか、そういう人間味というか。ものすごくラフなんだけど、なぜか誠実さを感じる人だったんです。

千石 ああいう方が社長で、こういう方が事業部長なら、きっと大丈夫。いい会社だ、と思って。2時間弱ぐらい話が弾んだ最後に細萱が「わかりました。じゃあ」と切り出し、「うちのビジョンに共感していただいている、ということでよろしいですか?」と聞かれて。

「はい。よろしくお願いします」と言って別れました。

-飾り気がなくて、率直な感じ。中川さんや千石さんと話していても感じます。

千石 入ってみて、今もその印象は続いているので。それも社風のひとつなんじゃないかなと思います。

…とここで、インタビューはひと区切り。

入社後のお話は、後日あらためて伺うことになりました。

「次回のタイトルは『わたしのこと、都合のいい女だと思ってませんか?』でお願いします(笑)」と千石さん。一体どういうことでしょうか。

晴れて中川政七商店の一員となった千石さんを待ち構える試練とは。乞うご期待。

中川政七商店では、現在、6つの仕事で新しく仲間を募集しています。

興味を持たれた方は、各求人記事もぜひ読んでみてください。