コラム

中川政七商店が紡ぐもの
第5回

「日本仕事百貨の求人を読んで入社したメンバーが、次期代表取締役社長に就任いたしました」

そんなお知らせを受け取ったのは、3月の終わりのことでした。

差出人の欄には「株式会社中川政七商店」の文字。

中川政七商店といえば、創業302年の老舗。『奈良晒』と呼ばれる、奈良特産の高級麻織物の卸問屋からはじまり、時代の波を乗り越えながら、ものづくりを続けてきた会社です。

302年間、途絶えることなく手渡されてきたバトンを受け取る。想像しただけで、両手にじわっと汗が浮かびます。

それから何度か、中川政七商店のみなさんと連絡を重ねるなかで、日本仕事百貨を通じて入社した新社長の千石あやさん、前社長の中川政七さんのストーリーを辿る全5回のコラムを連載することになりました。

強い組織であり続けるために、自ら舵を切った千石さんと、中川政七商店のみなさんのお話。

いよいよ最終回です。


千石 わたしがブランドマネジメント室の室長として何ができたかというと、実はほとんど何もできていなくて。

というのも、また中川に呼び出されたんです。去年の夏、7月頭のこと。

「もうわかってると思うし、言うまでもないと思うけど…。次の社長をやってもらおうと思ってる」と言われ。

今までいろいろ聞いてきたけど、今回は本当に意味がわかりません。受け兼ねます!って(笑)。もはや面白くなってきて、大爆笑していました。

-それに対する、中川さんの反応は。

千石 中川からは「ここで『はい、わかりました』って言われてもびっくりするし、一度考えてみてよ。真面目な話です」と言われ。一旦その日は解散して。

帰り道のこととか、覚えてないですもん。えらいことだ…と思って、ドキドキして。あまりのことに、ひとりでずっと、いやいや、ないないない!と思い続け。

それから多少冷静になり、いろいろ考えてもメリットがないんじゃないかと思ったんですよ。

-メリット?

千石 中川は広告塔としてメディアにもよく出ていて、中川政七商店といえば彼、というイメージが定着している。コンサルにしても、中川の名前なしにはまだ立ち行かないんじゃないかと思いましたし、社内にも中川と仕事をしたくて転職してきた社員が多くいます。

中川が社長を続けてくれたほうが、どう考えてもこのままうまく進むと思って。

-千石さんの立場なら、たしかにそう思うかもしれません。

千石 だから、3週間後ぐらいにもう一度話そうということで、ご飯を食べにいきました。

その席で中川が話していたのは、もう、おれの限界があるねんって。

-中川さんの限界。

千石 ここ1〜2年、考えてみれば、中川はしきりに言っていたんです。「日本の工芸を元気にする!というビジョンを本気で実現するには、おれひとりの力じゃ無理なんだから、全員がそこにコミットできるかどうかが大事だ。できないなら、その看板を下ろせばいい」と。

みんな「ビジョンを追求するべきだと思う」とは言っていたんですよ。言っていたけど、やっぱりそれは、中川が引っ張っていくものだと誰もが思っていたので。その意識を本気で変えようとしているんだ、ということは、頭では理解できたんですね。

ただ、頭でわかるのと、わたしがやるのとは、また全然別で。

-そうですね。

千石 それでわたしが、ほかの人の意見も聞きましょうっていうプランを提案したんです。幹部たちはやっぱり冷静だと思うし、中川政七商店の、世の中における見え方も含め、意見を聞きたいって。

中川とわたし、ブランドマネージャーのふたり、あとはコミュニケーション本部長の緒方という5人でご飯を食べにいったんです。

そうしたら、最初こそみんな驚いていたものの、10分15分ぐらいの間に「わかりました」と言いはじめて…。

-さすがのスピード感。

千石 緒方は、交代時はどんなリリースを打ちましょうか?みたいな話をしはじめるし、「日本市」のブランドマネージャーの吉岡も「千石さんを支えていこうと思います」みたいな感じで。

一番信頼している大先輩で、「中川政七商店」のブランドマネージャーだった香代さんも、うん、大丈夫だと思うって。

その日は和気あいあいと終わり、掛け軸の前で中川と握手してる写真まで撮られ。

千石 後日、もう一回中川と話したのかな。その場で覚悟を決めました。

今までにないぐらい、声を震わせて伝えたのに、中川はわかりました、じゃあよろしくお願いします!という感じで。軽いなあ…と思いながら。

-創業302年と聞くと、ものすごく重たいですよね。

千石 そうなんですよ。真正面で受け入れるのは無理ですよね。たぶん今も、どこかで考えないようにはしているんだと思います。

それに、中川家のこだわりのなさもすごい。初期の「遊 中川」をつくりあげた中川のお母さんにも「300年の歴史の中で、中川姓じゃない人が継ぐのははじめてなんですよね?!大丈夫なんですか?」という話をしたところ、いいんじゃない?がんばりなさいって、お守りをくれて。

体を大事にねって。

-そんなに気を張らなくて大丈夫だよ、と。

千石 ええ。

わたしと社員のみんなで何が違うかって、きっとあまり変わらなくて。

社長就任あいさつのとき、最後に、大して変わらんよって話をしたんです。みんなとわたしは全然変わらんけど、現時点でひとつ違いがあるとしたら、わたしは覚悟を決めたよと。

-覚悟。

千石 社長になる、というミッションに対する覚悟。

だからこの機会に、仕事に対する姿勢とか、どう生きていこうかなとか。自分なりの覚悟について、考える機会にしてほしいということを言いました。

-ここまでお話を聞いていて思うのですが、千石さんの考えのなかには、いつも「みんな」がいますよね。

千石 だって、ひとりでできることなんか、ほとんどなくないですか?

-自分の手柄だとか、実績だって言いたくなることもあるような気がして。

千石 ああ、そうなんですかね。

わたし、中川政七商店に入ってから今まで、ひとりでできたことなんか本当にないんです。「遊 中川」のブランドマネージャーだったころも、いろいろと決めただけで、動いたのはデザイナーであり、スーパーバイザーであり、店長やスタッフたちだと思っているので。

そういう意味では、社長職に対する執着も、名誉欲もないです。びっくりするぐらいない。ふふふ(笑)。本当に役割だと思いますね。

-社長は、ひとつの役割。

千石 わたしと中川でも、社長としての役割が違うはずで。わたしがひとりで引っ張っていくのでは何も変わらないんですよ。むしろ劣化でしかない(笑)。

だから前向きに、みんなで強くなろう!ということは言っています。弱い人たちが集まってがんばるのではなくて、強い個が集まったチームになりたい。

それぞれが力をつけた上で、もっと面白く、楽しくやろうぜって。そう思っています。

中川政七商店で働く人たちが自ら気持ちを綴る、【はたらくをはなそう】というページ。

そこに書かれた千石さんの言葉の一部を、ここで紹介したいです。

中川政七商店は、自他共に認めるスピードの速い会社ですが、
その中でも特に、色々な経験をさせていただいたと思います。

初めてのこともたくさんで「うむ…どうしたものか…」
と悩んだこともありましたが、社会人を長くやっていると
どんなお題にも、すこーしの糸口は見つかるもので、

その小さな小さな糸の先を離さない様に手繰り寄せ、
一緒に働く人たちにも少しずつ握ってもらい、
もうそろそろ丈夫になったかなと思う頃に、
皆で一気に引き上げて…

引き上げた先に、気持ちよくなびく旗があったら
その仕事は成功。

「いいねー」とか言い合いながら、
皆でそれを見上げることができたら、それは必ず次に繋がります。

日々手繰り寄せる糸は増えていき、スピードも増しますが
たくさんの気持ちの良い旗を立てていきたいと思います。

みんなで次々に旗を立てていく様子が目に浮かびます。

その一つひとつの旗は、形も大きさも違うけれど、実はひとつなぎに紡がれた歴史の上になびいている。

中川政七商店という会社は、もしかしたらそんな会社なのかもしれない、と思いました。

中川政七商店では、現在、6つの仕事で新しく仲間を募集しています。

興味を持たれた方は、各求人記事もぜひ読んでみてください。