コラム

「一点」さえあれば
文章で生きるゼミ卒業制作

これはしごとゼミ文章で生きるゼミに参加された中西須瑞化さんによる卒業制作コラムになります。中西さんは小説が受賞し、Kindleでも読めるようですよ。

文章で生きるゼミは伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです2018年12月18日(火)まで第6期生の募集しています

「そいつ、寮にあるパソコン3台と、めちゃくちゃ良いDVDプレイヤー盗んで逃げてん。8ヶ月も一緒に住んで、いろんな世話しとった相手やで?もうほんま、なんでやねんって(笑)」

心が参りそうになるエピソードの数々を、そのひとはいつだって笑って話す。

黒川洋司さん。大阪で、株式会社ヒューマンハーバー大阪と株式会社プログレッシブという二つの会社の代表取締役を務めている。

黒川さんは大阪の福島を拠点に、少年院から出てきた若者と社会の接点をつくり、再犯を防止するための取り組みをおこなっている。

「少年院から出てくる子たちには、帰る場所がない子が多い。もう関係ありませんっていう親もいれば、児童養護施設で育って親がいないっていう子もたくさんいます」

黒川さん自身も、荒れた青年期を送ってきた。19歳の頃には覚醒剤にも手を出して、煙草を吸うような感覚で常用していた時期さえあるという。

金と遊びと女と自分しかないような価値観の中、若い頃はいわゆる暴力団関係者としてとことん自分本位に生きていた。

「心を入れ替えようって思ったのは35歳のとき。オカンが倒れて運ばれたって電話がきて。そのまま二日間、一度も目を覚まさずにオカンが息を引き取ったんです」

「迷惑ばかりかけたって後悔して毎晩泣いてたら、当時小学校1年生だった長男が『お父さん、あんなにおばあちゃんのこと悪く言ってたのになんで泣いてるの?』って言うんですよ。確かにそうやと思ったけど、やっぱりオカンのことが好きやったんやと気がついて、俺何やってたんやろうって」

そんなタイミングで、日本財団が行う「職親プロジェクト」に参加しないかと声がかかる。刑務所や少年院から出てきた人と仕事をつなぎ、社会復帰の支援をするというプロジェクトだ。

「俺は、昔は後ろめたい仕事ばっかりで、仕事なんて金のためだけやろって思ってました。変わったんは自社の美容室のフロント業務に携わるようになってから。お客さんにありがとうって言われたり、やりたい仕事で楽しそうに働いている社員を見たりして。それでお金ももらえるし、これってみんなうれしいやん、すごいなって感動した」

「出所者をそういう仕事につなぐんはもちろん大事やけど、俺はそれだけじゃ社会復帰には足りひんなとも思ってます」

黒川さんは、若者の社会復帰には「斜めの仕組み」が必要だと考えている。

「少年院から出てくる仲間を迎えに行く側としては、友達と久しぶりに会えてうれしいし、よっしゃまたバイク乗り回そうぜ!って感じなんですよ(笑)。だから、たとえ出所した後に仕事があったとしても環境は変わりづらい。家もないし、友達は不良やし。そしたら更生できんまま元に戻っていくのは当たり前やなと」

「少年院にいる間は、指示されて動くことを徹底されるんです。だからそういう部分も含めて、暮らしながら少しずつ普通の暮らしに馴染んでいく『斜め』の社会復帰ができる環境をつくりたいなと思いました」

若者たちの帰る場所として、黒川さんは大阪で「良心塾」という中間支援施設を運営している。

「立ち上げ当初から物や金が盗まれたり、紹介した仕事をすぐに辞めてきたり……それでもまだレベル2くらいの話で(笑)」

「でも、そういう子たちには共通して、想像もつかんような虐待を受けた経験があったりします。心の奥底で人間不信みたいなところがあって、人を裏切ることが習慣化していたりするんかもしれません。それでも3年4年って関係を続けていけば、きっと少しずつそういう部分は変わっていくから」

見ず知らずの若者の人生を引き受けること。その覚悟を何度も裏切られながら、それでも黒川さんは若者たちを受け入れ続けている。

「俺も、家族ができて、仕事の素晴らしさっていうものを知って、そうやって少しずつ優先順位が変わった結果が今なんです。今優先順位の高いところにある大切なものが全部なくなってしまったら、俺だってまた元通りになるかもしれないなと思いますよ」

彼らと自分には何の違いもない。そんなふうに、黒川さんは若者たちを見る。

「みんな生まれたときは心のきれいな赤ちゃんやのに、発信するSOSを無視されることで少しずつズレていって、どっかで一線を超えて犯罪者になる」

「殺人鬼を育てることなんて多分簡単で、自尊心を傷つけて、拒絶して、愛をかけずに育てればいい。そういう負の連鎖を次に残したらあかんなって思うから、少しずつ、あいつらにも優先順位の高いところに置けるものを見つけていってほしいなと」

良心塾にいる若者の中に、4年間誰ともコミュニケーションをとらずに独居房で過ごし、「快楽殺人王」が夢だと掲げていた少年がいた。けれど黒川さんと日々を共にする中で、彼はそれを自らの手で書き換えて「虐待のない社会をつくる」という志を持つようになったという。いつか、母親と行ったことのあるパリに行き、絵を描いて暮らすことが今の彼の夢だ。

「なんか俺がすごいみたいに思われるけど、全然そんなことはなくて。実は俺、今免許の点数1点なんですよ(笑)。ギリギリ1点になってようやく、俺は今まで後悔ばっかりして反省をしてへんかったんやって気が付いた。もう46歳やのにこんな感じなんで、まだまだ全然、俺も変わらないといけないです(笑)」