山のサハラさん
2020/6/13

6月13日 土曜日

雨が降っている。

しっとりとした空気の中に、微かな夏を感じながら、わたしは山小屋のある八ヶ岳への帰路についていた。

電車でおよそ、3時間。まずはゆっくり長野駅へ向かう。乗り換えをして松本駅に着いたら、特急あずさで茅野駅を目指す。

ここ3日間は休暇をとって、新潟県の妙高を訪れていました。

わたしは専門学校時代、妙高で自然やアウトドアスポーツを学んでいた。たった3年間ではあったけれど、今の自分につながる考え方を得た場所でもある。はじめて、心の故郷と思えた場所かもしれません。

毎年一度は、わたしが慕っている先生や同級生たちに会いに行く。長野駅から妙高へと向かう鈍行列車に揺られていると、見慣れた妙高山がどんと現れる。

わたしは、その瞬間が、一番うれしくて好きです。

山というものは不思議な物体で、妙高のシンボルである妙高山を見るだけで、その地で蓄積された思い出が溢れてきます。

その妙高を出て、はじめて山の仕事を経験したのが、今働いている八ヶ岳。今となっては八ヶ岳も自分のホームとなっている。

以前一度、山小屋を半年間ほど離れて下界で暮らすと決めたことがありました。

歩いて東京の実家へ帰ろうと、山梨県から奥秩父の山々を縦走するために、スタートの山の頂上に立つ。すると遠くに八ヶ岳を望んだ途端、さびしい気持ちが湧くより先に、勝手に涙が落ちていた。

そんな妙高と八ヶ岳という、ふたつのホームの間に在る時間。久しぶりの妙高で懐かしい人たちに会い、いろんなことを話してきて、じんわりひとつの考えが浮かんでいた。

冬を妙高で、春夏秋を八ヶ岳で暮らすことを、はじめられないだろうか。

学校を出る頃から、いつかは戻りたいと思っていた妙高。もともとこの春から、妙高へ移住する予定だった。それが、コロナの影響もあって一旦断念していたのでした。

できないことはできないし、できることしかできないのであれば、その、できることをやってみてはどうだろう。

わたしには、八ヶ岳で送っている山での暮らしを、いずれは自分でつくっていきたいという夢があります。そのためには、自分で新しい仕事を生む必要があるかもしれない。勇気は要るが、至って自然なことだろう。

自分が思い描く、暮らしに寄り添う仕事。そう考えると、どんな役割を担ったとしても面白そう。

そうこう考えを巡らせていたら、茅野駅に到着です。お次は、遠くに八ヶ岳が出迎えてくれました。

自らも渋っていた春の訪れが、ようやくやってくるような気配がしていた。

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「山のサハラさん」は、日本仕事百貨のメールマガジンから生まれたコンテンツ。全国を旅するように働く佐原真理子さんが綴る日記です。