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暮らしの台所

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「どう言ったらいいか分からないんですけど、わたし、あの台所にすごく助けられたんですよ。精神的に。すごく懐が深いというか、広いというか、受け入れてくれるんですよね」

台所には大きな竈があり、色々な食材や調味料、鍋や籠などがかかっている。あるべきものが、あるべき場所に、心地よさそうに並んでいる。

「食べる」という前向きな支度をする場所だからなのか、空気が澄んでいて気持ちがいい。

SONY DSC 220年前の武家屋敷を8年かけて改修した宿の台所は、捨てられるはずだったものたちでできている。

ここには、水や竃などあらゆる神様が住んでいるそうだ。

石見銀山で過ごした一晩のことは忘れられないし、これから色々な人に伝えていくと思う。

今回は、島根県に本社を構える「石見銀山生活文化研究所」が、さまざまな事業を通して発信している「暮らし」のあり方を、食から伝えていく料理人を募集します。働く場所は、東京の西荻窪です。


服や雑貨、そして食と宿。暮らしを根っこにさまざまなことをしている会社だけれど、そもそもどんなふうにはじまったのか。

まずは本社を訪ねて話を聞いてきました。

出雲縁結び空港からバスと電車を乗り継ぎ、島根県大田市内へ。2007年に世界遺産になった日本最大の銀山、石見銀山のふもとのバス停に降りる。

赤煉瓦の渋い町並みのなかに、「群言堂(ぐんげんどう)」という看板が見える。

SONY DSC 美術館のようだけれど、衣類や雑貨、食品を扱うお店だった。

ここで売られている洋服は、デザインから全てを手がけるオリジナルブランド。もともとは、夫婦2人で、はぎれ布を継いでつくった服をワゴンに乗せながら行商して歩いたのが始まりだった。

石見銀山生活文化研究所を立ち上げた代表取締役所長の登美さんと、代表取締役会長の大吉さんご夫婦に話を伺う。

SONY DSC 「わたしはデザインの勉強をしたこともないし、流行も知らない。子供が幼稚園に行っている間に台所でこつこつつくっていたものが、今こうしてブランドになったんです」と登美さん。

こんな田舎でファッションやるなんてありえないでしょう、と笑う登美さん。

どのようにしてこの会社を立ち上げることになったのか、伺ってみる。

大吉さんと登美さんは、大吉さんが21歳のときに学生結婚したそうだ。

「わたしの実家は、洋服やタバコ、塩などを売る小さなよろず屋さんでした。10坪の小売業では、家族を養っていくことができない。長男だったので、どうやって家業を継ごうか考えた。そして、新しい業態を持って帰ってくるために、名古屋で10年間あらゆる仕事を経験しました」と大吉さん。

夫婦ふたり、拾い物の家具を直して使いながら暮らした。貧乏だったけれど、不自由だとは感じなかった。

その一方で、高度経済成長の時代のなか「都会が捨てる文化」をいくつも目にする。

SONY DSC わたしたちは、都会の人が捨てた文化を田舎から届けよう、と大吉さんは思った。そして、石見銀山を出て10年後に、登美さんとともにこのまちへ帰ってくる。

まずは、「お母さんのぬくもり」というテーマでアップリケの販売をはじめた。

商売は順調だったけれど、だんだんと、自分たちが欲しいと思うようなものづくりをしていこう、という考え方になっていった。

「流行も関係ない。かといって民芸活動のようなことでもない。この地に根ざしながら、自分たちの形を生み出していきたいと思った。まずは、自分たちがこれからつくろうとしているもののイメージを確立するために、建物を一軒買って、茶室のようなものをつくりました」

SONY DSC それは、電気もガスも水道も引かずに、ろうそくの灯りだけで過ごす静かな部屋。

「その部屋にいると、気持ちが穏やかになる。自分がここでどんな服装でいたいかな、と想像したときに、男性だったらこんな服、女性だったらこんな服だよね、と発想が広がっていった。和服でも洋服でもない、肩の力が抜けるようなリラックスした形と素材が浮かんできた」

まずは理想の空間をつくり、そこで過ごすためにふさわしい服装を連想した。そしてそこからブランドが生まれてきた。

「石見銀山生活文化研究所」のすべては、この部屋の延長線上にある。

「服だけ売ろうとしても売れないんだ。まずはわたしたちの考える衣食住を知ってもらうことで、はじめて服にも意味が出てくる。服の後ろにはいつも、わたしたちの暮らしがあるんです。そして生業は、その証のためにあるんだ」と大吉さん。

取材を終え、大吉さんとともに、本社のすぐ向かいにある宿「他郷阿部家(たきょうあべけ)」へ向かう。ここは、登美さんの住まいでもあり、経営する宿でもある。

台所にある、廃線になった線路を脚にしたという大きなテーブルで、スタッフのみなさんと一緒にご飯を食べる。

感動したのは、竈で炊いたご飯をおあげで包んだおいなりさん。ふっくらしていてとても美味しかった。

SONY DSC 「炊飯器を使えば、ボタンひとつでご飯が炊けるのだけれど、ここでは竈で炊くんです」と登美さん。

「指の先で水加減、火加減、蒸し加減を感じながら、勘を使って料理する。食べる人のことを思ってつくっていると、それを見た食べる人は、もっとおいしく感じるでしょう。だから、お客さんには台所がよく見えるこの場所で食べてもらうんです」と登美さん。

登美さんが原点にしているのは、貧しいながらも豊かだった、登美さんのお母さんの時代。

「本当に贅沢な時代でした。晴れ着は手縫いだし、食べ物も旬のものが食べられたし、お風呂も木だったからお湯が柔らかい。今は、お風呂はステンレスでそこにバスオイルを入れて、足し算足し算の考え方ですよね。そうではなくて、引き算で人間の暮らしに必要なものを残していけばいいと思うんです。それこそが豊かなことだと、わたしは伝えていきたい」

SONY DSC オーガニックやスローフードという言葉とともに、昔ながらのものを見直す人は増えてきている。今、登美さんたちの暮らしに、みんなが戻りはじめているのだと思う。

この宿で2年間、台所を切り盛りしていた方が、いまは東京のお店で料理人として働いているという。その方に会いに行った。

石見銀山生活文化研究所の直営店は、東京に6店舗ある。そのうちのひとつ、西荻窪にある「Re:gendo(りげんどう)」へ足を運ぶ。

SONY DSC 4年前にオープンしたRe:gendoは、業態もお店の雰囲気も本店と似ていて、兄弟みたい。

大吉さんも、「東京でうちの雰囲気を味わうならここが一番」だと言っていた。

石見銀山の大工、職人さんたちが勢揃いで東京にやってきて古民家を改装したという建物には、風と光の通り道があり、中にいても季節を感じられる。

ここでは、服や雑貨が買えるほか、レストランも併設されていて、野菜や発酵食をつかった料理を味わうことができる。

SONY DSC 野菜もごはんもお豆腐も、それぞれ自然な甘みがある。素材の味が濃いというか。肩肘張らない素朴さに心がほっとする。

このレストランのキッチンで働いている、大島さんに話を聞いた。

「話が下手くそですけど」と言いながらも、自分の言葉で話そうとしてくれるから嬉しくなる。

「わたし、島根で生まれてずっと島根で育ってきて、去年はじめて東京に出てきたんです。都会のイメージは、人がいっぱいでせかせかしている感じでした。でも、いざ暮らしてみると、出会う人出会う人あたたかくて」

SONY DSC 「前の家の大家さんが、84歳のばーちゃんなんですけど、すごく気が合うしウマが合うし、歳の離れた親友のようになってしまって。そのばーちゃんのぬか床、3代目なんですって。今度、ちょんぼし(少し)分けてもらう約束をしているんです」

たぶん、東京があたたかいというよりも、大島さんの人柄がそういう人を引き寄せているんじゃないかな、と思いながら話を聞いていた。

「他郷阿部家」で働く前から、ケーキ屋やレストランなど飲食の仕事することが多かったという大島さん。

どうして食にまつわる仕事を続けてきているのだろう。

「たんに、食べることが好きです。あと、昔から、人が食べている姿を見るのが、すごく好きで。おいしそうに食べている姿っていいですよね」

「食べることって生きることですもんね。その人の血となり肉となるものをつくるのは、すごく責任のあることだと思っています。でも、やっぱり面白いんですよね」

SONY DSC 過去には、気持ちが萎縮してしまっていた時期があったそう。でもここでは、もう無理をするのはやめよう、と開き直ることができた。

「この建物だけん、この都会でもやっていけているのかなとふと思うことがありますね。朝、庭から日が入ってくるのを、仕事しながら感じられますし、オープンキッチンだから閉鎖的ではなくて気持ちいいんです。場に助けられていると思います」

ときどき、お客さんが料理の様子を見にきたり、話しかけてきたりする。

ディナーのときは、料理を出す際にひとつひとつのメニューを直接お客さんに説明しているから、反応を直接見られるのがうれしいそうだ。

キッチンのなかでは、日々どんなことをしているんですか?

「朝、届いた野菜を湯がいたり、出汁をひいたり、酢飯をつくったり、お店のオープンに向けて仕込みと盛り付けをします。そして、開店後はそれを出していきます。ランチのメニューは、メインの主菜だけ1週間ごと、ほかの小鉢は1ヶ月ごとに変わっていきます。味付けは、割合を教えてもらったり味をみながらやるので、レシピに起こしてはいないんですよ」

「日々同じことの積み重ねだけれど、その中で、気付いて感覚を養っていける。そんな人に来て欲しいですね」

SONY DSC ほかには、どんな人ならこの仕事を楽しめると思いますか?

「野菜をたくさん使うので、野菜の気持ちになれる人。美味しいな、という茹で加減がわかる人。あと、発酵食に興味のある人ですね。実は、石見銀山のスタッフが、梅の花から酵母菌を見つけたんですよ」

それは「梅花酵母」と名付けられ、いまはお酒をつくったりなど商品開発を進めているそうだ。いずれレストランでも、この酵母菌を使ったメニューを出せるかもしれない。

洋服から酵母菌まで扱うなんて、ほんとうに不思議な会社だなぁ、と思う。

衣食住のすべてを、事業で体現しているからこうなっているのだろうな。大吉さんが、仕事を「生業」と呼ぶ理由もよくわかる。

そこに「食」を通して関わりたい方は、ぜひ応募してほしいです。

SONY DSC 最後に、大島さんがこんなことを言っていました。

「わたしも苦しかったときは、こんな目の色じゃなかったんです。常にゆとりがあって、楽しいって思える環境にいるのがいいですよね。食べる人には、つくる人の精神状態が伝わると思うので、いつも元気で明るく、健やかにいられたらいいなと思います」

お店に行けばきっと、大島さんのいう「場に助けられている」という意味もわかると思います。まずは訪ねてみてください。

(2015/6/25 笠原名々子)