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奈良・奥大和。その最南端にあって、日本一広い村、十津川村を訪ねました。
東京から新幹線と電車を使って、奈良駅まで4時間。そこからは車で向かう。途中、土砂崩れで村へ入る道が塞がり、迂回しながらも細い山道を走ること3時間。
ようやく入った村は、まさに山深い秘境でした。
かつては落ち武者の逃げ込む里として。また、村に走る世界遺産・熊野古道は参詣の道として。
この村には、手付かずのままの自然と独特な神聖さがありました。
一方で、山深い環境は生活に不便な側面も。ここで生きる人たちには自然と自立・助け合いの精神が育まれ、それは今も続いています。
そんな十津川村で暮らしていきたい人はいませんか?
今回は、村の資源を活かして村を盛り上げていく人を募集します。
具体的には、観光と林業の2軸。すでに村の中では、林業の6次産業化などの取り組みも始まり、着実に成果が現れています。
厳しい山合いの自然の中で、お互いに助け合って暮らす。
そんなふうに生きてみたい人に、ぜひ知ってほしい場所です。
村にたどり着いた翌朝。
あいにくの雨の中、宿泊していた宿から役場まで向かう。
十津川村役場に着き、さっそく地域創生推進課の鎌塚さんにお話を伺います。
村の96%が山という十津川村。
これまで観光と林業に力を入れてきたと話します。
「移住者を増やそうと考えたとき、やっぱり仕事がないと難しいですよね。けれど、企業を誘致しようとしてもこんな山奥には誰も来ない。それなら、村にある資源を自分たちで使おうと、観光と林業の2つの産業に注目したんです」
観光としての十津川村には、いろんな見所がある。
日本で初めて宣言したという“源泉かけ流し”の温泉、2004年に道の世界遺産として登録された“熊野参詣道小辺路”と“大峯奥駈道”、生活用の巨大な吊り橋として有名な“谷瀬の吊り橋”、日本の滝100選にも選ばれている“笹の滝”…。
「切り立った崖に大きな川がゆったりと流れる瀞八丁(どろはっちょう)なんかも、中国の水墨画のようないい景観があるんですよね」
「歴史を見ても、幕末には十津川郷士を輩出していたり、十津川の武士が天皇に仕えた歴史があったりする。より深く調べてみると、もっと面白いものがあるんじゃないかな」
壬申の乱以降、十津川郷士は朝廷に仕えていたことから、十津川村は免租の証明をいただき、年貢を納めることがなかったのだとか。
山深い自然に育まれた文化は独特のものが多い。
観光の資源としては自然と歴史、いろんなものがたくさんあるんですね。
「そうなんです。けれど十津川村は観光地の通過点になってしまっていて、村に滞在する人が少ないのが現状です」
とくに海外からの観光客が多い熊野古道は、十津川村を縦断して北と南に伸びている。
その出入り口となっているのは、十津川村の北部の町にある高野山と、南隣の町にある熊野本宮大社。
すぐそこまで来ている観光客をなんとか呼び込んで、1泊2泊と滞在できるような流れをつくりたい。
「村に足りないのは、情報発信と、受け入れ体制です」
「たとえば、十津川村は日本一広い村なんですけど、広いがゆえに見所が点在しています。それぞれの間が40分くらいかかるんですね。その道中を楽しんでもらいながらバスで巡るルートをつくって、帰りに温泉に入ってもらったりする。そんなプランを提案してもらうのもありやろな」
見るだけの観光のほかにも、十津川村には当たり前のようにある文化や知恵も、村に滞在してもらう魅力になりそうです。
例えば、村に古くから続く行事への参加だったり、林業の体験や山で獲れる鹿や猪のジビエ料理だったり。
何泊かゆっくりと村に滞在してもらう、着地型の観光もいろいろと考えられると思う。
昨年移住したという鈴木さんは、集落のおばあちゃんたちと畑仕事することが「有機栽培のワークショップを受けているよう」と話します。
鈴木さんはもともと、調理師学校で料理を学んできた方。
今は集落支援員として村を巡回しつつ、自分の住む集落で畑を借りて野菜をつくっています。
「ここは“先生”になってくれるような方達がいっぱいいます。ぼくが畑にでていると、集落のおばあちゃんたちが集まってきて『こうしたらええ』って、野菜の育て方やおいしい食べ方を教えてくれるんです。都会近郊で有機栽培のワークショップを受けようと思ったら、けっこういい値段しますもんね」
すると「そういうのを商売にしてもろてもいいやろな」とさらりという鎌塚さん。
「観光を考えなくては」と肩肘張らずに「村を楽しんでもらおう」という感覚で見たら、色々思いつくのかもしれない。
鈴木さんに、十津川村がどんな村か聞いてみた。
「ここへ来て、純粋に生きる力というか、生きるための知恵をもった方達だらけで、すごいと感じましたね」
「村の人は水を自分たちで引くし、野菜もつくる。お肉もイノシシや鹿を獲って食べますし、薪を蓄えておけば火もおこせる。たまに水害を受けてるんですけど、生き伸びることはできるんです」
生きる逞しさは、知恵のほかにももうひとつあるという。
「ぼくは集落支援員として高齢の方の家を回っています。きっとこんなことに困っているかなって課題を想像していたんですけど、実際にお話を聞いてみると『たしかに、歳をとって体が思うように動かなくて苦労はするんやけど、べつに困ってはないよ』って声が聞こえてきたんです。『みんなでなんとかする』って」
鈴木さんが畑を借りている集落には、先生となる3人のおばあちゃんがいるそう。
それぞれおばあちゃんがひとりで住んでいて、作物を植える時期になると、みんなでひとつの畑に集まって植えてまわるのだとか。
「知恵だけでなく、お互いが助け合って生きているんですよね。当たり前のように出来ている助け合いの精神にはすごく感動しています」
鈴木さんは住みはじめて、ちょうど1年。
ここで頑張れているのも、そんな村のみなさんの「おかげさま」だと話してくれました。
大変なことは、なかったですか?
「大変なのは買い物くらいです。近くに小さな商店がある程度なので、ホームセンターや大きなスーパーは車で1時間半くらいかけて出向きます。最近では野菜をいただいたり自分で山から採ってきたり。しょっちゅう買い物に行かなくてもなんとかなっていますね。人とのいいつながりをもらえているので、楽しくやらせてもらっています」
ここで役場を後にし、観光協会へ移動します。
ここは、お客さんが情報を求めて訪ねてくる場所。
一方で、十津川村へ入る道は多くはありません。
水害による土砂崩れで道がふさがってしまったときは、お客さんに迂回路を連絡したり、危ない箇所を伝えたりと、丁寧な情報発信をしています。
お会いしたのは、会長を務める田花さん。
「ここ数年、村を訪れるお客さんも外国の方が増えています。私も若いころ、まじめに英語の勉強しときゃあよかったんだけどね(笑)」
今回5名募集するうちの1名は、ここで働くこともできるそう。できれば英語ができるとうれしい、と話します。
「今、各宿に頼んでいるのは、旅館の看板や部屋の英語併記。うちに来たお客さんも看板の『田花』の字が読めずに、隣の郵便局へ入っていったことがあったんですよね。それと、村に盛んに言っているのはバス停の英語表記やね」
観光案内だけでなく、そういった働きかけもしているんですか?
「そう、それが我々の仕事なんです」
「お客さんの声を直接聞いているぼくらじゃないと分からない部分で、観光振興課と一緒になってどんどん改革していこう、と。それが地域をよくしていく、大事なことなんです」
そう話す田花さんは、ふだんは「旅館田花館」を切り盛りしている方。
ふたつの仕事を持つことは、とても大変なことだと思う。けれど、「村をよくしよう」というつよい思いがあるから頑張れるのだろうな。
村では観光ともう一つ、林業の6次産業化にも力を入れています。
最後に、林業のあたらしい拠点となりそうな場所へ案内してもらいました。
ついたのは木工所。
ここでは、十津川村の木にこだわった家具や木工品づくりが行われています。
こちらは、十津川村の家具プロジェクトで家具デザイナーの岩倉榮利(いわくら・えいり)さんがデザインされた家具。
この商品以外にも、木工所には、県外から家具やリノベーションなどさまざまな注文が来るそう。
山づくりから製材・加工・家具製作まで。
村は一貫して山と木にまつわる仕事づくりをすすめ、ここ5年で山から木を切り出す事業体が5社増えたそうです。
この木工所の隣に、家具を展示したり、カフェとしていろんな人が集まれる場所ができようとしています。
完成は来年の春。
牽引してきたのは、十津川村役場農林課の近藤さんです。
「山や木材を使って持続的に仕事がつくれるような環境をつくりたい。ここは、そのひとつの拠点になっていけばいいなと思っています」
今回募集するうちの2人は、木工所の方たちと一緒にこの場所の運営をしていくことになります。
写真左の中山さんは、木工所で働いている方。東京から移住して半年が経ちました。
お二人は、どんな場所をイメージしているのだろう。
「ここは、家具の拠点になってもいいし、木工教室やDIYのワークショップを企画してもいい。わいわいやりたい人がやりたいときに好きにできたらいいのかな。きっと、面白そうなところに人は集まってくると思うから」と中山さん。
「うん、楽しくやってもらえたらいいね」と近藤さん。
「鈴木君には会った?彼はレゲエマンでね、この大きさならライブにもいいかもって話をしていたんです。そんなふうに、この場所がいろんな切り口で十津川村をよくする、ひとつの可能性になったらいいのかな」
最後に、都会暮らしの長かった近藤さんは、村についてこんなふうに話してくれました。
「十津川の人って、良すぎるくらい人がいいんですよ。昔から、ここに住むって容易なことじゃないと思います。そういう意味では、協力して生きていくってことが自然とできている地域だからなんでしょうね」
助け合いながらたくましく生きる。
そんな村の人たちの「なんとかしよう」という思いは、ときに周りの人の力も借りながら、村のあちこちで形になっていました。
なにか惹かれるものがあったなら、ぜひ一度、ゆっくりと訪ねてみてはいかがでしょうか。
(2016/6/10 倉島友香)