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この島に、どこか懐かしい温かさを感じるのはなぜだろう。長崎県五島列島。
その北端に浮かぶ小さな島「小値賀島(おぢかじま)」には、国内外から多くの人が訪れます。
旅の目当ては、自然豊かな風景や新鮮な海の幸だけではないみたい。
都会にはないゆったりとした島の時間。民泊でお世話になるご夫婦との何気ない会話。見ていてほっとする島の人の無垢な笑顔。
ここ10年近く小値賀島は観光に力を入れ、そんな島の魅力を島外からやってくる人たちに届けてきました。
その活動の中心となるのがNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会。
今回はここで自然体験ガイドを担当する人を募集します。古民家宿泊の運営管理や観光窓口を担当する人も合わせて募集するので、接客が好きだったり得意な人もぜひ続けて読んでみてください。
博多からフェリーで5時間、佐世保からだと高速船で1時間半。
この日は博多からゆっくり小値賀島へと向かうことにした。
「間もなく小値賀港です」
うたた寝から目覚めると、窓の外には大小さまざまな島々が見えていた。
17の島からなる長崎県小値賀町。なかでも平たくて大きい島が小値賀島です。
ただ大きいと言っても面積は12㎢ほどで、東京の渋谷区より小さいくらい。
古くはクジラ漁の拠点として、また海外貿易の要所として栄えた島で、多いときは1万2000人がこの島に暮らしていたのだそう。
「捕鯨が衰退してからは小値賀の海産物を京阪神に売りにいったりして、その関係で島に人が入ってきていた。なので小さい島のわりには苗字が多いといわれています。薩摩さんや尼崎さん、私の同級生には博多屋さんがいて」
そう教えてくれたのは、おぢかアイランドツーリズム協会事務局長の末永貴幸さん。
島に到着後、島内を案内いただきました。
港近くの漁師町には今も古い家々がひしめき合い、懐かしい風景がそのまま残されている。
漁港へ行くと、魚の水揚げを待つお母さんたちの列ができていた。潮の流れの速い近海からは身の引き締まった魚がとれるらしい。
小値賀島は平たい島なので農地もたくさん。火山によってできた島の赤土では糖度の高い野菜が育ち、自給自足のような暮らしが続いている。
「おはようございます。ちょっとこのへんば歩きよったもんで」
“かまぼこ 塩アジ”という紙が掛けられた家の前。末永さんが挨拶すると、中からおばあさんが出てきた。
「あら、どちらのほうからですか。東京?うちの兄弟が墨田区におりますよ。小値賀の人も四方八方でね。私は小値賀が一番よかですよ」
立ち話は思った以上に長く続いて、笑いが絶えない。
しばらくしてお別れした後、「島には島外の人と仲良くしたがる人が多いんですよね」と末永さん。
「道ではじめて会った人に『うちでお茶飲んでいかんか?』とか、『仲良くなった女の人と朝ごはん一緒に食べたよ』というお母さんもいて」
「移住者にもご近所さんがよくしてくれたりして、野菜をお裾分けされたり、向こうで勝手に予定が組まれていてご飯食べに来なと言われたり(笑) 移住したらみんな最初は太るんですよ」
古きよき日本の姿というより、この小さな島独自に育まれてきた文化なのだと思う。
そういった島のよさは、小値賀島が大好きな人たちによって大切に守られてきました。
今では1次産業は徐々に衰退してきていて、若い人は島に残りたくても仕事がないために外へ出て行ってしまう。少子高齢化が著しく、毎年100名近くの人が減り続け、現在の人口は2600名を切っています。
それでも小値賀町は平成の大合併で「一町独立」の答えを出し、2007年には町の観光協会をNPO法人として独立させました。
リゾート地化するのではなく、今ある島のよさを活かした島ぐるみでの「観光まちづくり」。交流人口を増やすことによって島を盛り上げ、ゆくゆくは定住につなげていく。観光の仕事が増えることで、雇用も生まれる。
「この10年活動を続けてきて、島を訪れる人の数は増え続けています。今の島全体の観光客数は2万人くらい。副次効果としてU・Iターンも200名近く来ています」
そう話すのは、理事長の前田敏幸さん。
おぢかアイランドツーリズム協会は観光協会のほかに、もともとあった2つの組織と一緒になって設立されました。
ひとつは小値賀島の隣にある野崎島で自然体験を子ども向けに提供していた団体。もうひとつは、ホームステイ型の民泊をしていた団体。
「その2つの組織があったので、以前から小値賀には青少年団体や家族連れのお客さまが来ていました。営業に力を入れることで修学旅行生が来るようになり、古民家ステイがはじまってからは都会の若い人、とくに女性が急激に増えて、島を訪れる方の増加につながっていきましたね」
古民家ステイは、島にある6つの古民家をそれぞれ1棟まるごと1組に貸し出す宿泊サービス。小値賀島の料理を提供する古民家レストランもあります。
いずれも島内に点在していた商家や漁師の家だった築100年以上の古民家です。東洋文化研究者のアレックス・カー氏が再生、プロデュースしました。
観光客は年々増加し、NPOは古民家ステイ・自然体験・観光窓口など多岐にわたる事業を行うことで、補助金に頼らずとも自主財源で経営できている。
このまま順調にいきたいこところだけれど「人員不足に悩まされるようになってしまった」と前田さん。
「今はお客さまが増えたおかげで、そちらの対応で手いっぱい。チャレンジするところまで力が回らないというか。人員を増やしてスタッフの質も高められれば、もっといいプランや過ごし方を提案できるようになると思うんです」
スタッフは計9名。自然体験分野でガイドなどを担当しているのが、理事長の前田さんと事務局長の末永さんのふたりです。
ふたりとも10年近く自然体験や子どもの主催事業を担当してきたのだけど、今後もっと組織をよくしていくためには、ほかに活躍してくれる若い人に来てもらいたいといいます。
実際に自然体験ガイドはどんな仕事をするのだろう。
ふたたび末永さんにうかがいます。
「一番お客さんが多いのは夏場ですね。そのときの仕事で多いのは野崎島ガイドツアーと小値賀島でのカヌー体験」
「野崎島は世界遺産候補にもなっているほぼ無人の島で、島を散策しながら景勝地や教会を廻り、自然学塾村という施設で休憩します。お客さんの質問や要望に答えたりしながら歩くので、全部で2時間の道のりですね」
小値賀島でのカヌー体験は、島の北側にある波の穏やかな海水浴場で行う。
準備運動と漕ぎ方の指導をして、安全管理をしながら一緒に漕いで帰ってくる。こちらは全部で2時間半の行程。
ほかにも島内でガイドツアーを行ったり、お客さんの要望があれば神社や海岸を巡ったりする。
「どんなガイドでも、ただ場所ごとの説明をするだけじゃなくて、自分が島に暮らすなかで体験したこととか、島の人とのやりとりとかを喋りながらガイドするといい。島のことがよりお客さまに伝わるんですね」
きっとこの仕事は、小値賀島での暮らしを純粋に楽しめる人でないと務まらないのだと思う。
釣りをしたり、ウニをとりにいったり。余っている畑を借りて野菜をつくることも。島での遊び方は末永さんが教えてくれるそう。
「私は親が漁師をやってるのもあって小さいころから海で遊ぶことが多かったので、危険じゃないウニをお客さまの手の平に乗せて遊んだりするんです。ウニって海にちょっとつけてやれば触手を伸ばして動き出すんですよ。海が穏やかな日だと箱メガネがなくてもカヌーの上から海の底が見えるので、生き物の話もよくしますね」
そうして楽しく過ごした後は、お客さんから笑顔で「また来ます!」と言ってもらえる。この仕事で一番うれしい瞬間なのだそう。
「修学旅行生が民泊をしたときって、最初は気取っていた子どもたちが帰るころには民泊のお父さんお母さんと打ち解けて、顔つきまで変わるんです。涙を流しながら帰る姿を見るとこちらも感動しますね」
末永さんはどんな人に来てほしいですか?
「私たちが頑張ることによってお客さまが増えて、島の人が元気になる。商店街でお店を開いたり、家業の後継に帰ってこようかと考える人もいる。まだまだ大きな成果はないんですけど、島のために何かしようという人が増えてきてくれている」
「これからも島の存続のために、やっぱり若い世代に来てもらうといいなって。やる気があって、小値賀にずっといたいと思ってもらえる人がいたらいいですね」
たしかに小値賀島はとてもいいところだし、おぢかアイランドツーリズムで働く人にも移住者は多い。
きっと行ってみれば好きになるのだろうけれど、最初から永住を決めるのってなかなかにハードルが高い。
小値賀島にIターンでやってきて5年目。古民家ステイ担当の木寺智美さんは今どんなことを考えているのだろう。
出身は神奈川県平塚市。小値賀島に来る前は東京でSEとして働いていたという。
「会社の寮が渋谷にあって、街が明るいので夜中にカラスが鳴くんですね。東京は遊ぶにはいいけど、住むところじゃないなと思って。私の出身地は田舎のほうなんです。学生時代も静岡で寮生活をしていたので、自然が好きっていうのが根本的にあって。やっぱり人間は人間らしい生活をしなきゃだめだなと」
そんなとき小値賀島のことを知り、島での暮らしが気になって旅行へやってきた。
そのとき民泊でお世話になったご夫妻が、家族のように迎えてくれてくれたのが印象的だったという。
「お父さんが軽トラで島内を廻ってくれたり、家に帰れば『ただいま』『おかえり』の会話があったりして。移住した今も変わらずお世話になっています」
「東京で生活しているときよりも、こっちへ来て些細な幸せを感じることが確実に増えました。それは本当にちょっとしたことで、早朝に鳥の鳴き声がうるさくて目覚めるとか、ご近所からお裾分けしてもらった野菜で料理をしているときとか、仕事帰りに水平線に沈む夕日が見れた瞬間とか。大変なこともあるけど、生きている感じがある。居酒屋で島のおじちゃんたちと飲んでいるときなんて、ほんと面白いんです」
木寺さんは島へ来るとき、帰ることはまったく考えていなかったのだそう。それは今も変わらないという。
「仲のいい友だちに、島で代々続いている活版印刷所を今も守り続けている子がいるんです。自分の故郷が好きだって胸を張って言っているし、その子がいろんな人に出会わせてくれた。ほかにも小値賀にはみんなで楽しいことしたいねとか、盛り上げていきたいねって仲間がたくさんいるので、一人じゃできないこともみんながいればできそうだなって思える」
「自分の故郷ではないけど、自分も何か小値賀に恩返ししたいなって気持ちがすごくあります」
移住者が増えているとはいえ、まだまだ減る数のほうが圧倒的に多い。
そんな状況を変えていくためには、のんびり島暮らしというわけにはいかないという。島を舞台にしたベンチャー企業で働くようなものかもしれない。
忙しい日が続くこともあるだろうけれど、自分たちが頑張ることで島の将来をよくしていける仕事だと思う。
ここで働く人はみんないい笑顔をしていたのが印象的でした。
(2017/04/25 森田曜光)