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私がエンジニアとして働いていたときを振り返ってみると、残業が多かったなあ、と思います。それにこの仕事が誰に届いているのかよくわからないこともありました。もちろんがむしゃらに仕事に打ち込んだ経験は、今の私の糧にもなっています。
けれど、世の中の常識にとらわれすぎない、効率ばかりを優先しない。仕事も暮らしも同じくらい大切にしたい。そんなふうに思っていてもなかなかうまくいかなくて、いろんな諦めがありました。
キネトスコープ社は、そんな課題と真正面から向き合っている会社だと思います。

とはいえ、事業領域は実に幅広い。わずか6人の会社ながら、Webサイトやカタログの制作、地域の杉材を使った自社製品のデザインから販売、ときには町にコミュニティを生み出す場を運営することも。
今回募集するのは、そのなかでキネトスコープの事業を技術で支えるエンジニアです。
舞台は、徳島県神山町。今では世界中から移住者が集まり、たくさんのプロジェクトが生まれる場所です。キネトスコープの事務所を訪ねました。

「何個か家業を持っている、昔の百姓みたいなものですよ。お百姓さんは薪割りや野菜づくりなど、生活に必要なさまざまなことができるでしょう。同じように、事業に枠を設けてしまわないことで何か一つがダメになっても、また新しいものを生み出していける」

「僕は、飯を食うために仕事のスキルも必要だと思うけれど、生きるために必要な力も増やしていったほうがいいと思っているんです」
実際に廣瀬さんは神山にきてから、デザインワークに集中する日もあれば、湖にボートを浮かべて趣味のバス釣りに没頭する日や、薪割りのワークショップを開催して参加者と汗を流す日もある。

もちろん共に働くスタッフにも、同じように毎日をつくっていってほしいから、1日の仕事量や残業の有無はそれぞれに委ねられている。
廣瀬さんが現在のような働き方を確立したのは、徳島に移住してからのこと。もともとはグラフィックデザインを学び、大阪のデザイン会社や大学で働いていた。
30歳のころにはフリーランスとして独立。その10年後には、東京ミッドタウンのDesign Hubで企画展をプロデュースするまでになった。
一方で、日々消費されていくデザインに心をすり減らしていく感覚もあったという。
「お仕事を受けるとき、『とにかく売れる商品にしてよ』って言われていたんですよね」
「めちゃくちゃアングルを探してレタッチして、要は悪いところを隠して。お客さんを騙すようなクリエイティブをやって、一瞬売れるんですけど、一瞬で終わる。そういう消費のされ方に、すごく疑問を感じていて」
そんなときに神山町を紹介された。フラッシュバックのように思い出したのは、20代にバイクで日本中を放浪していたころのこと。
「そのときに地方のおじちゃんおばちゃんの懐の深さや、資源の豊かさを実感していて。すっかり忘れていたけど、将来は地域に対して僕ができる仕事で、暮らしていけたらいいなぁって思っていたんですよね」

たとえば、現在担当しているのは、徳島県内で食用の若鶏を育てる会社のブランディング。
「そこは肉を大きくするための無理な投薬はしていなくて、食べると本当に美味しい。自分がみんなに食べて欲しいって、心の底から思える商品を紹介できて、それを生業にできる。こんな素晴らしいことはないなって思っています」
とはいえ、田舎で仕事をつくっていくのは、そんなに簡単なことじゃなかった。
「クリエイティブにかける費用は、東京が100なら、徳島は35くらい。本当にいいものを伝えるためにかかるお金のことを理解してもらうのは今も難しいです」
「でもどうやったら実現できるかしか、考えていないので。仕事をもらおうと思うと無理なんだけど、つくろうと思ったらいっぱいあるんですよ」
地域に対して、デザインの力で何ができるのか。常に問い続けているキネトスコープが、その思いを実際に具現化したのが、“神山しずくプロジェクト”という自社事業です。
web制作とともに会社の両輪を担うもので、この活動を将来的には海外にも届けたいと考えています。
だから一緒に働くなら、このプロジェクトへの想いを知って、共感できる人に来てほしい。ときには、一緒に山に入って作業をしたり、商品についてお客さんに説明することもあるそうです。
しずくプロジェクトのはじまりを、担当の渡邉さんが教えてくれました。

しかも山は手がつけられなくてやせてしまい、保水力が弱まっていく。その結果、川の水は30年前に比べて1/3に減少していた。
「子どもたちが大きくなるころにはどうなってしまうんだろう、と危機感を覚えて。水源を守るために、杉を使う理由をつくろうと考えはじめました」

「だけど短所を長所に変えたいと、あえて色の違う木目を生かすデザインで器をつくることにしたんです」

途方もないくらいの手間と人の想いが込められている。そのなかでも、渡邉さんは忘れられない言葉があるといいます。
「やっぱり最初は、一個一個手で削っていくので大きさがまちまちで。商品にするなら2ミリのズレも許されない。だけど職人さんが一生懸命つくっていることもわかるから、指摘しづらいじゃないですか。どうしよう、って悩んだことがあったんです」
「そのときに、職人さんが『全部言いなさい』と言ってくれたんです」
全部言いなさい。
「それに応えるのが、自分の仕事だからって」
商品をつくるにあたり、特別に刃物をつくってくれていた職人さん。渡邉さんの話を聞いてから、さらに何度も改良を加えて対応してくれた。その結果、削りの精度は上がり、同じ形のものが揃うようになった。

「私は以前、証券会社で営業をやっていたんですけど。自分や上司を思い浮かべても、みんな歯車で取って代われるし、それで仕方ないと諦めていました。自分がいた世界と真逆だと思ったんです」
渡邉さんも廣瀬さんも、純粋に自分がいいと思うことをしようと働いている。
決して妥協はせず、とことん納得できるまで。そんな熱量が、職人さんやまわりの人たちのことも動かしていくんだと思う。
実際に、取り組みは少しずつ浸透しはじめている。今年のグッドデザイン賞も受賞しました。
「この活動を通して、杉の価値に気付いてもらう。そうして『できるわけない』と言っていた町の人の意識も変えていく。ゆくゆくはこのプロジェクトが新たな産業として町に根付くところまで実現できたらと思っています」
私もこんなふうにまっすぐ働きたい。聞いていて背筋が伸びる思いでした。
現在、キネトスコープにはエンジニアがおらず、外注に頼りながら仕事を進めている状態。
そこで約8年間キネトスコープで働き、昨年独立した平岡さんにもお話を聞かせてもらうことに。平岡さんは現在、もっと自らの技術を磨きたいとフリーランスのエンジニアとして活動中です。

「単にプログラミングだけをするわけじゃありません。そもそも何のためにwebサイトをつくるのか、要件定義のところから一緒に考えていく感じなので」
クライアントの求めるもの、廣瀬さんの考えること。それらをすり合わせながら、技術的に実現可能か、冷静に見極める目が必要になる。実現が不可能な場合、代わりにできることを探して提案していく力も。
「ただ、ガンガン仕事を詰め込むことはしないんですよ。企業のコーポレートサイトをつくるときには、デザインに1ヶ月、コーディングにも1ヶ月くらいかけられることが多いですね」
じっくりと関わり合いながらつくっていく。これなら忙しさに追われて本質を見失うことなく働けそうだ。
新しく入る人も、平岡さんと同じく受託したwebサイトや自社事業サイトの制作と更新が主な仕事になる。さらにwebサイトを手軽に管理・更新できるようCMS構築も担当するから、フロントエンドエンジニアという働き方が一番イメージに近いのかもしれない。
正直求められる技術は決して低くない、と平岡さん。質をより高めようとする姿勢は、都会のシステム会社と変わらない。
「だから責任も大きいけれど、自分の思った通りにつくっていけることがやりがいになると思います。表に出る部分だけじゃなく、管理画面も工夫してみたり。そうしてお客さんにも喜んでもらえると、うれしかったですね」
「都会の会社のように、デザイン部隊、コーディング部隊と線引きされていないから、逆に全体的なスキルが磨かれていくんじゃないかな」
さらにIT企業のサテライトオフィスが多い神山では、さまざまな技術者との出会いもある。平岡さんはスマホ用のアプリをつくっている人や、ドローンで害獣を追い払うことに挑戦している人と話をして、刺激を受けたのだとか。

自分自身がどうありたいか。それは誰かが教えてくれることではなくて、自分で探さないといけないもの。見つけることはきっと簡単ではありません。

気になることは、12/7(木)のしごとバー「毎日をデザインしナイト」で、ぜひ廣瀬さんに直接尋ねてみてください。きっと本音で話してくれると思いますよ。
(2017/10/27 取材 並木仁美)