求人 NEW

有田のいま、これから

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

日本には、やきものや漆、金属製品など、伝統的な工芸をベースにした産業が各地で多く息づいています。

伝統というと、世襲で受け継がれるその土地固有のものというイメージもありますが、今は、関わりたいという強い意思を持つ人がいろんなところから集まって、担い手として活躍しています。

それは、つくる仕事のことだけではありません。

つくったものを売る人、伝える人、働く環境を整える人。

それぞれの役割の人が同じ思いを共有しながら働くことで、伝統が受け継がれ、今の時代にあう形として、発展していけるのだと思います。

アリタポーセリンラボ株式会社は、伝統の有田焼を受け継ぎながら、国内外のメーカーと切磋琢磨して、今の時代にあった有田焼をつくっています。地元の人、産業に関わるために有田にやってきた人、いろんな人が一緒になって、挑戦を続ける会社です。

今回は、営業・広報の担当者と、旗艦店の統括責任者を募集します。

日本仕事百貨の求人を通じて、関東から佐賀への移住を経験した社員の方にも話を聞いてきました。

博多から佐世保方面に特急で一時間半。

有田の駅が近づくと、車窓から煉瓦積みの四角い煙突がいくつも見えてくる。

江戸時代から400年以上続くやきものの町。

駅からタクシーに乗って数分のところに、1804年創業の「弥左エ門窯」がある。

ケースが積まれた工場の脇を通って、二階の事務所へ。アリタポーセリンラボの社長で7代目弥左エ門・松本哲さんを訪ねる。

まずは事務所の向かいのショールームで製品を見せてもらう。

新旧さまざまな有田焼。その中で、ひときわモダンなデザインのものが目に止まる。

伝統的な古伊万里文様はそのままに、光沢や色彩を抑えたマットな質感。

左に新しい有田焼、右にこれまでのものを並べて見比べてみる。

7年ほど前から海外向けに始めたという「JAPAN」シリーズだ。

もともと有田焼の色彩は、日本家屋のほのかな灯りの下で最も美しく見える。その華やかさが、蛍光灯の強い光の下でも衝突しないように考えられている。

「有田焼のアイデンティティって、形とか質感じゃなくてこの文様。ちゃんと様式として成立しているデザインだから、淘汰されずに続いてきたんです」

日本らしさを残しつつ、現代的な空間にも調和するデザイン。

フレンチレストランをはじめ、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどからも注文が来るようになった。

今後は、食器だけでなく、テーブルウェア全体からライフスタイルを提案できるような商品展開をしていく。有田の旗艦店には1年ほど前からカフェを併設している。食事や休憩の時間を過ごすことで、食器の使い方、楽しみ方も提案できるようになった。

店舗の照明にも有田焼が使われている。伝統的な古伊万里文様をモノクロに展開したモダンなデザインのペンダントライト。コードを通すための穴、金彩を施した口にはどこか見覚えがある。

「これ実は、花瓶を半分にカットしたものなんです。もともとは備品としてつくったんですが、最近、みなさんに欲しいって言われるようになりました」

オーソドックスな花瓶の形と、伝統的な文様。どちらも日本の生活の中で、当たり前にあったものだけど、少し視点を変えることで急に新鮮な一面が現れる。

うつわ、という枠を取り払うことで、有田焼は生活の中でもっと広がりを見せていくかもしれない。

フランスの老舗テキスタイルメーカー、ボービレ社とのコラボレーションによってつくられたテーブルクロスも同じ古伊万里文様からの展開。テキスタイルというまったくの異素材への展開は、“有田らしさは文様の中にある”という考えを結実させたものかもしれない。

ボービレ社とは、会社の歴史や、職人の手作業で商品を生み出すところなど、共通点が多い。単発の実験的な試みではなくて、100年単位で付き合っていけたらとお互いに話しているそう。

そういったコラボレーションの話題は、メディアでも頻繁に取り上げられるようになったそう。フランスの雑誌で紹介されたこともあるという。

「こうやって話す機会があれば、ネタはたくさんあるんです。今はその整理が追いついていないから、せっかく実績があっても、発信できずに取りこぼしてしまうことも多くて」

化粧品メーカーやファッションブランドなど、異業種からのコラボレーションのオファーも多く、会社としては多くのチャンスに恵まれている。それらをきちんと形にしていくために、まず足元の基盤をしっかり固める必要がある。営業として入る人には、情報を整理する広報の役割も少し意識してもらえたらと、松本さんは話す。

「お客さんに対してももちろん、社内にも情報発信して欲しいんです」

社内にも?

「僕も口数が少なくて、『社長は何も言うてくれんけん』ってよく言われます。言ってるつもりなんですが、伝わっていないのかもしれない。精神論とかではなくて、普通の業務や商品のことを、ちゃんと共有したい」

もともとはメーカーなので、営業は出荷係が兼務してきた。店舗運営のノウハウを持った社員もいない。有田の旗艦店も今はパートのスタッフのみで運営しているという。

これからもっと大きく展開していくためには、営業担当と、店舗運営がもっと密にコミュニケーションをとって、情報を共有できる仕組みが必要だと松本さんは考えている。

やきものに対する知識は入ってから身につけることもできるので、異なる業種やいろんなジャンルの販売経験も積極的に受け入れたい。何より、話して伝えたいという意欲に期待がある。

「パッと見ただけではただ高いものだと思われてしまう。歴史とか、コンセプトとか、価格に見合う価値があることをちゃんと伝えたい」

外に伝えるために、中での情報共有を確かなものにしたい。

松本さんはそこに課題を感じているようだけど、実際に現場の人はどう思っているんだろう。

会社で働く人に話を聞くために、工場も案内してもらった。

大きな機械音と、業務連絡を伝える館内放送がこだまする作業場。ベテランの職人さんに混じって、20代の若手も多い。有田焼と一緒に育った地元の人もいれば、伝統を守りたいという使命感を持って県外からやってきた人もいる。

50年近く、絵付けの仕事をしているという職人さんが、ベテラン、と呼ばれてはにかみながら、「おかげさまで仕事は楽しいですよ」と話しているのが印象的だった。

そのときふと、松本さんは年配の方には地元の言葉で話しかけていることに気がついた。働いている人の年齢も経験も目的も様々。情報共有といっても、メール一本というわけにはいかない。一人でそれをまとめていくのは、外の人間が想像するより大変なことなのかもしれない。

松本さんは「地元の人は有田焼に対して、あんまり憧れがないんです」とも話していた。

校外学習で美術館に行ったりして、有田の様式のこともみんな一通り知っている。一方で働く環境としては、給料の低い工場としてのイメージもまだ根強い。

バブル崩壊をきっかけに膨らんだ、赤字20億とともに、15年前に会社を引き継いだ松本さん。ようやく赤字ゼロまで回復した今、ラグジュアリーブランドとしての実績も重ね、これから売り上げを伸ばしていこうという段階だ。給料のことをあえて話題にするのも、それだけ社員が満足して働ける環境のことを、目標のひとつとして気にかけているからだと思う。

今はまだ、条件を少しずつ変えていこうという段階だけど、そのためには一人ひとりの自主性も大切。いっしょに盛り上げようという気概や、いつか自分の仕事も伝統の一部になって残っていくんだという誇りは、やりがいにもつながる。

「有田焼を残すために、わたしがやらなければ」

そんな使命感を持って入ってくる職人さんもいる。営業担当の森永さんも、つくり手ではないけれど、そういう環境にやりがいを感じているひとり。

森永さんは、日本仕事百貨の記事「有田焼の挑戦」がきっかけで入社した。

今回の募集する営業担当はもちろん、店舗統括の担当にとっても、情報共有などで連携して働くことになる人だ。

在庫置場での作業を中断して、話に参加してくれた。

「僕は神奈川から出たことがなかったので、九州って漠然とあったかいと思っていたんです。でも佐賀って意外と寒いんですね。そういう環境も、有田焼が育まれたバックグラウンドとして意識してみると面白いですよ」

さらに「あれこれ考えるより、来てみたらなんとかなるもんです」と笑う森永さん。

東京でウェブのプロデューサーをしていたころは毎日、片道一時間半かけて通勤していた。今は家から原付で10分。精神的にも肉体的にも余裕ができた。体を動かす仕事も多いので、前より身軽になったそう。

「40歳を過ぎて、あらためて何かに賭けてみたいという気持ちに後押しされて、有田へ移住しました」

「業界としても未経験からのスタートだったけど、松本さんやベテランの社員のサポートもあって、ひとつずつ壁を乗り越えてきました」

当初は大きなホワイトボードが生産管理の情報を集約するアナログな方法に驚いたという。実際に工場での作業を見ていくうちに、それが一番いいやり方なんだと理解できるようになった。IT基盤がなくても、現場を歩いて質問すれば、なんでも教えてもらえる。

今では、国内の取引先の多くを担当するようになったという森永さん。

営業の仕事以外にも、応援で売り場に立つこともあれば、イベントの企画・運営、当日の接客もやる。掃除も自分でやる。

「やらされてると思うより、楽しむほうがいい。展示会が続く繁忙期は本当に忙しくて、残業もあるけど、自分の働きがダイレクトに結果に繋がるのでやりがいがあるんです。何より、僕自身が負けたくないっていう気持ちが強くて」

負けたくない。

「地域の同業者とも、いい意味でライバルでありたいし、他の伝統産業や、それを淘汰しようとする新しいものにも。いろんなものと切磋琢磨しながら高みを目指していきたいんです」

有田焼は、昔から工程ごとの分業制。それぞれが最高のものを出して初めていいものができる。その積み重ねの上に、401年目の今がある。ものが完成して終わりではなく、売る、紹介する担当も、同じようにこれからは歴史の一翼を担っていく。

取材の終わり、森永さんに有田焼の原料になる磁石の採掘場、泉山磁石場に連れて行ってもらった。

山の半分が見事に削り取られて断面がむきだしになっている。

400年かけて一つの山をやきものに変えたと言われるこの場所。

改めて、歴史の長さや、関わった人の仕事量を目の当たりにした気がした。

有田にもとからあった伝統、技術を受け継いで熟練していく職人、そこに、地元の人に負けない使命感を持って飛び込む人がひとつになって、歴史は続いていく。

(2017/12/16 取材 高橋佑香子)