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「この町にはなにもない」これは地域に取材に行ったときに、その町に暮らす人たちからよく聞く言葉です。
だけど、果たして本当にそうなのでしょうか?
新潟県は燕市。ここで、自分たちの足元にある価値を掘り起こして、魅力に変えている人たちに出会いました。
共通しているのは、自分が触れるモノやコトをとにかく全力でおもしろがっていること。ここに地域おこし協力隊として仲間に加わる人を探しています。
いつも見ている風景や、毎日使う道具。その印象が、少し変わって見えてくるかもしれません。
東京から新幹線に揺られること約2時間。燕三条の駅に降り立つ。燕市の中心地まではそこから車でさらに15分ほど。
燕市、と聞いて一体どんなものを思い浮かべるだろう。
私が知っていたのは、三条市と共に金属加工を中心に栄えた町であるということ。燕三条は刃物が有名だけど、燕市は金属洋食器やカトラリーの生産で世界的なシェアを誇る。
最近では、毎年開催されている『燕三条 工場(こうば)の祭典』を知っている人も多いかもしれない。
とはいえ、知っていることといえばそのくらい。あたりを見回してみた感覚は、よくある田舎町という感じだ。
そのイメージは、最初に訪れた燕市産業史料館で大きく変わることになる。
きっかけとなったのは、たまたま通りかかった齋藤さんのお話だった。
齋藤さんは、テレビやラジオなど、メディアにも多数登場している燕市産業史料館の“元”名物学芸員。今は活躍の場を燕市観光協会に移している。
「僕は暮らしの違いを見るのが大好き。県独特のデザインがあるから、建物の形が違うだけでキュンキュンする。交差点のデザインは金沢と新潟で違ったりするし、鉄塔の形も全然違う」
なんだかのっけから只者ではない空気を感じながら、話は燕市の産業へと続く。
「地形や川の流れに注目すると、なんで燕で金属産業が栄えたかっていうのがわかるんです」
燕市は信濃川、中ノ口川など川に囲まれた地域であり、地名も水に関連したものが多数あるそう。
「信濃川は洪水を起こしやすく、この地域では思うように稲作ができなかった。そこで農家の副業として金属加工がはじまり、現在の産業へとつながっているんだよね」
なるほどなぁ。単純に「燕市では金属産業が盛ん」と聞くよりも、物事の起こりを紐解いていくと、なんだか腑に落ちるというか、理解が深まる。
まだまだ齋藤さんの話は止まらない。
「だから地名とか、神社の位置、石碑からも色々なことがわかる。たとえば石碑にはこの地域は洪水でダメなんやという絶望、米がとれないんやという愚痴、でも工事して米がとれるようになった。やったー!みたいな希望が書いてある(笑)」
石碑にそんなことが!面白いですね(笑)
「なにかしらの物語や歴史性が、今につながっているから。ほんの些細な暮らしの物語を紐解いてあげると、実は超エキサイティングな物語が様々な地域にぐっと凝縮されている」
地域をこんな角度から掘り下げている人に、今まで出会ったことがない。
ちなみに齋藤さん自身のことを少し紐解いてみると、現在は古民家を2つ所有。海にも山にも30分で行ける燕市の好立地を活かして、朝は海辺でヨガをしたり、山を走るトレイルランニングを楽しんでいるのだとか。さらに狩猟免許も取ってしまった。
燕市での暮らしを満喫しているし、地域への愛が非常に強い人。そう思っていたら、とんでもない言葉が飛び出した。
「僕は一度故郷を捨てて出て行ったんだよね。何もない燕が大嫌いで」
大学時代は京都で文化財の勉強していた。京都で就職を志すものの失敗し、失意のなか地元に戻る。教育委員会で働きながら、あるとき自分の母校でもある小学校で子どもたちに授業をすることになった。
「そこで1年生の女の子が『燕大好き!』って言ってたの。もうすごい衝撃だよね。でも高校生になったら『やっぱ原宿最高』とかなってるわけですよ」
「なぜそうなるのか考えたときに、地元のことをちょっとでも伝えていったら、地域に面白さを見出せるんじゃないかと思って」
そこで齋藤さんはそれまでほとんど注目されていなかった産業史料館に着目、立て直しをはじめる。100社以上の企業をまわり、展示物もすべて自分で集めた。
入館者5000人ほどだった史料館には、いまや年間1万2000人が訪れる。
「都会じゃなくても自分で居場所をつくれば、そこを世界の中心にできる。それに暮らしの中にはおもしろい要素がすごくあって。それを見分けられるかどうかっていうのが、自分の人生を豊かにしてくれるんじゃないかな」
齋藤さんと同じように、毎日を楽しんでいる人が地域おこし協力隊にもいます。
ものづくりが好きだという小酒井さん。以前は東京で映像制作の仕事をしていた。
ものづくりをしている地域は他にもたくさんあるなかで、どうして燕市を選んだのでしょう?
「他の産地って、伝統工芸とかがメジャーじゃないですか。たとえば漆塗りのお椀とか。それは値段が高くて日常使わないことが多い。でも燕市がつくっているのって、300円くらいで買えるスプーンとか」
「だからこそ、使う人のことを本当に考えているんですよね」
使う人のことを考えている。
「たとえば燕にあるメーカーさんに、いいスプーンとは何かと聞いてみると、存在を主張しないスプーンだと言うんです」
主役はあくまでごはんだから、口触りが自然で、スプーンの存在を感じさせないほうがいい。そのためにどういう形や薄さがいいか、工場では試行錯誤を続けている。
「そんなふうに出来上がった製品のほうが、僕はおもしろいと思います」
実際に燕市に来て感じたのは、世界的な産業の町なのに、そのことが地元の人にも知られていないということ。「なんでこんな町にきたんだ?」と声をかけられることも多かった。
もっと自分の町をよく知り、好きだと感じる人を増やすことができたら。
そのために、今は工場の祭典の事務局を担当したり、産業史料館で市の歴史や産業を伝えるガイドをしているそう。
「こっちで工場の人たちに会って、自分の身の回りにあるものが手元に届くまでの工程を知って。そうするとモノに愛着がわくし、他はどうなっているんだろうと考えるようになりました。ものの見方が変わりましたね」
一方で、大変なことはないですか?
「そうですね…実は昨日から、自分の家の水道が凍って。ガスも止まっちゃった。雪で車が出せない日もあります」
「でも何かあっても、寒いから仕方ねぇなって動じなくなりましたね。そういう意味で、ちょっとたくましくなったかな(笑)」
齋藤さんも小酒井さんも、自然体で仕事や暮らしを楽しんでいる。そうして自分なりにできることを考えて、居場所を生み出しているのが印象的だ。
新しく入る人も、こんなふうに働けるといい。
ところで、具体的にはどんな仕事をしていくことになるのだろうか。
それを教えてくれたのは、役所で地域振興課に所属する伊藤さんです。
実は、2018年3月まで地域おこし協力隊として活動し、4月から役所に就職する。今回入る人は、伊藤さんの後任として、協力隊時代の移住促進事業を引き継ぐことになる。
県のセミナーや移住相談会への出展、市の相談窓口の運営が主な仕事だ。
そのときに伊藤さんが大切にしていたのは、よくある「地方は暮らしやすい」というPRではなく、リアルな燕市での暮らしを伝えること。
「家賃は安いですが、そのぶん車の維持費がかかります。妻も買い物や子どもの送り迎えに車を使うので、僕はできるだけバスや電車を使って通勤するようにしています」
「一方で、齋藤さんや小酒井くんが話していたように、燕ならではの楽しみ方もたくさんあるんですよね。自分の体験も交えながら、良いところも悪いところもしっかりと知ってほしいと思っています」
今後は、イベント出展などを継続しつつ、実際に燕市に来てもらう仕掛けづくりを考えている。たとえば、工場を見学するだけでなく、地域の暮らしも体感できたり、もっと町の人とも接点を持てるようなツアーにできればと考えている。
「僕なりに試行錯誤しながらやってきたけれど、燕では企画するイベントやプロジェクトに想いを盛り込める。OBとして全力でフォローしていきますし、移住の相談にも乗りますよ」
伊藤さんの存在は、新しく何かをはじめるときに、とても心強いんじゃないかな。
最後にもう一人、燕市に魅了されている福田さんを紹介します。
燕市にある株式会社MGNETを訪ね、お話を聞きました。
MGNETは金型をつくる親会社の広報・PRをするために立ち上がった会社。現在では自社製品製作のほか、製品開発支援事業や地域全体のまちづくり事業を行っている。
「中でも私は、工場の祭典の事務局や、地域の担い手づくりの活動などをしています。どちらかというと、ものづくり環境をつくるためのまちづくりのことに関わることが多いのかな」
ちなみに、福田さんは現在市の移住促進に向けても企画を考えているそう。新しく入る人と一緒に働くこともあると思います。
福田さん自身も、東京から1年前に越してきた移住者のひとり。
燕市のどんなところに魅力を感じていますか。
「燕には、この地域にしかない文化みたいなものがあるなと思っています。たとえばこの地域にきて初めて学んだことは、筋を通すこと」
筋を通すこと?
「職人さんたちは、人とよく向き合っている感じがして。本当に人として信頼されるかどうかが、一緒に仕事をしてもらえるかどうかの決め手だと思います」
印象的だったある職人さんとのやりとりを教えてくれた。
あるとき、領収書を持っていくと「お前はこの領収書がなぜダメなのかわかるか?」と問われた。困惑していると、「紙がまがっている」と教えてくれた。見るとハサミで切ったから、少しいびつな形になってしまっていた。
「そういう細かいところに気付けるかどうかで、人として信頼されるか決まるんだぞって言われて。あぁ面白いと思ったんです」
ほかにも福田さんは、工場の人たちに電話するときには、今何をしている時間なのかをまず考えるようになった。それは工場で集中して作業している職人さんや、朝早くから働いてきた人の休憩を邪魔しないためだ。
相手のことを思いやりながら働く姿勢を、燕市で学んだ。
「この地域の流儀みたいなものを、1年間で教えてもらったような感じです。独特な世界観があって。私は面白いなって思います」
「きちんと向き合えば、提案次第でいろんな工場さんが協力してくれます。だから何か自分のやりたいことを持っている、ガッツのある人に来てほしいです」
燕市のイメージ、なんだか大きく変わりませんか?
興味を持ったら、まずはぜひ燕市を訪ねてみてください。
そうして自分なりにこの町の面白さを見つけてみてほしいです。
(2018/1/16 取材 並木仁美)