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生きる力

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

変化の加速する今の時代において、「これが正解」ということはなくなっていると思う。

もしこの先、会社が倒産したら、再び大きな震災が起きたら、自分は生きていけるのだろうか。

岐阜県飛騨市に『山之村』という小さな村があります。

標高約1000m。北アルプスの麓に位置し、厳冬期には氷点下20℃にもなる豪雪地帯。厳しくも自然豊かな環境を生き抜くために、様々な暮らしの知恵が伝わっています。

そんな山之村に移住して、生きていくことを決めたひとりの青年がいます。

今回は、彼と一緒に地域おこし協力隊として村で活動する人を募集します。

村の様々な仕事を請け負い、人々の困りごとを解決しながら、自立を目指します。



岐阜の最北端に位置する飛騨市。名古屋か富山を経由して行くことができる。

特急列車に乗って飛騨古川駅に到着すると、飛騨市役所の吉川さんが迎えに来てくれた。

吉川さんは今回募集する協力隊の担当者。とても人のいい方で、面倒見よくサポートしてくれる方だと思う。

「ぜひ食べてください」と、地元の牛乳屋さんがつくる自慢の最中アイスをいただきながら、山之村へ向かうことに。

しばらくしてスーパーカミオカンデで知られる神岡町に到着。

時計を見ると、駅を出てから30分が過ぎている。山之村まではあともう少しだろうか。

「いえいえ、ここからさらに山を登っていくのでさらに40分はかかりますよ(笑)。山のてっぺんにあるから『山之村』っていうんです」

曲がりくねった山道をどんどん進んで行く。窓の外を見ると、まるでスキー場に来たかのような景色だ。

飛騨古川駅周辺とは打って変わって、山之村はとても雪深い。除雪車のなかった時代、冬の間はまさに陸の孤島だったそう。

今では若い人の多くは便のいい神岡町へ出てしまい、現在の人口はおよそ150人だという。

「高齢化率は50%くらい。過疎地を代表するような地域です。その中でも地域おこし協力隊としてやってきた前原くんはイキイキと生活しているんですよ」



「天空の牧場」と呼ばれる奥飛騨山之村牧場に到着すると、協力隊の前原さんが待っていてくれた。

素直で人当たりがよくて、“好青年”という言葉がぴったりな前原さん。群馬の出身で、岐阜へ来る前は大手警備会社で働いていたという。

どうして山之村へやってきたのだろう。

「警備会社にはあまり深く考えずに新卒で就職したんです。けど、それが震災からすぐ後のことだったので、こんな大きな災害があったのに自分のことだけでいいのかなって、ずっとモヤモヤしていて」

「仕事がはじまってからもモヤモヤはずっとありました。仕事をしてお金はもらえるけど、本当に危機的な状況になったときに生き残る対応力がないんじゃないかなっていう不安もあって。お金がないと何もできない人間になっちゃうんじゃないかなと」

一度立ち止まって、自分のことを振り返ってみよう。そう思って大学時代の資料を何となく読んでいると、とある出来事がよみがえったそう。

「自分、わらびもちがすごく大好きなんです(笑)。学生のころはよくコンビニでわらびもちを買ってゼミ室で食べていまして。それである日、先生から『そんなものに本物のわらび粉は入ってへんぞ』って言われたんですよ」

前原さん曰く、売られているわらびもちのほとんどは、わらび粉ではなくサツマイモのデンプンが使われているそう。

本物のわらび粉を使っているお店はいくつかあるものの、それはほとんどが黒色もしくは灰色のわらび粉で、前原さんが見つけた文献に載っていた『真っ白なわらび粉』は日本中どこを探しても存在していなかった。真っ白なわらび粉でつくったわらびもちは琥珀色になるという。

「そのときのことを思い出して、じゃあ自分の力でつくってみようかなって。調べるうちに飛騨地方、とくに山之村がわらび粉で有名だったことが分かって、わらび粉を軸にした生活をこの村でしていくことにしました」

山之村でわらび粉はできましたか?

「はい!もう本当に真っ白な粉ができて、その粉からつくったわらびもちはきれいな琥珀色になるんです。すごく弾力があって、本当に美味しい。これはずっとやっていきたいと思いました」



前原さんがこの村にはじめて訪れたとき、村の人たちはわらび粉についてよく知っている人を快く紹介してくれたという。

それが下林ツヤ子さん。村のみんなからは「ツヤ子おばあちゃん」と呼ばれている。

もうすぐ90歳とは思えないほど元気で明るい、チャーミングなおばあちゃんだ。

「もう誰もわらび粉をやらなくなったで、前原さんが来たときは本当にありがたかったさ。私の知ってること全部教えるで、どうにかして山之村のわらび粉がまた売れればいいと思っておるんやさ」

その昔、わらび粉は糊の原料だった。わらび粉からつくられた糊は水濡れに強い一級品として和傘や提灯に使われていたので、わらび粉づくりは農家にとって貴重な現金収入源だった。農閑期にできる手仕事として、村の人たちは寝る間を惜しんで仕事をしていたという。

ツヤ子おばあちゃんも若いころからわらび粉をつくり、神岡町まで歩いて売りに行ったそう。

「わらび粉は沈殿させると、下のほうに白いのが、上のほうに黒いのができるんやさ。その黒いほうがクロバナといって商品にならなんだで、うちで餅にして食べたりな」

前原さんはその昔ならではのつくり方をツヤ子おばあちゃんに教わった。

わらび粉のほかにも、栃の実のアク抜きをしたり、藁を編んで草履や草鞋をつくったり。厳しいこの土地で培われてきた知恵や技術を、受け継ごうとしている。

今回の募集で加わる人も、きっとツヤ子おばあちゃんからたくさんのことを学べるだろう。

「私も昔の人間やでな、神岡より外へ出たことはないんやさ。ここに生まれてここで終わろうとしている。何でも知りたいっていうことなら私も歓迎するよ。いくらでも知っとることは教えるさ」

それにしても話を聞けば聞くほど、ツヤ子おばあちゃんは実に働き者だ。

平成29年に高山市で大祭があったときは、神社からの注文を受けて草履を300足もつくったそう。また、栃の実の皮むきも、前原さんが一晩にむく3倍の量をおばあちゃんはむいてくる。

「すごいなぁって、いつも思うんです」と前原さん。

「おばあちゃんが藁細工をやるようになったのは、神岡町へ出たときに店の人がしめ縄がなくて困っていたのを聞いてからなんですって。そういう発想とか考え方って、この先どうなっていくか分からない時代にも通用することなんじゃないかと思っていて」

「山之村に暮らしてる人たちって生きていく力がある。そこを自分も鍛えたいって気持ちがあります」

協力隊として活動をはじめて約2年。まだわらび粉だけで食べていける目処は立っていない。

また、わらび粉を製造する時期は1年の中で約2ヶ月間と限られている。そこで前原さんは、村の人たちから様々な仕事を請け負い、わらび粉づくりを軸とした多種多業を成り立たせている。

たとえば、農家さんの元でホウレン草の収穫や選別を手伝ったり、牧場のレストランでホールスタッフをしたり、牛の世話をしたり。

猟友会に入って獣害駆除活動もしている。

地元の中学校から依頼を受けて、総合学習の時間に「なぜ移住したのか」を話すこともあれば、わらびもちづくりのワークショップを開くこともあったそう。

さらに前原さんは村の人たちの困りごとを解決するような仕事もしている。

たとえば、神岡町に出かけたいという人に向けて運転手を買って出ている。

春先に無断で山菜を採る人が増えているという村の人の声を受けると、地元の警察とタイアップして山のパトロールをはじめた。

除雪作業をする運転手が高齢化していて人手不足になっていることから、昨年には資格を取得した。

今ではもう、前原さんは山之村になくてはならない存在。

ありとあらゆる仕事を引き受けることで、協力隊の報酬とは別に、多いときは月に15万円ほど稼ぐことができるという。

家賃は1万円というのだから、協力隊の任期を終えたあとも十分に暮らしていけるだろう。

「土台はできてきたかなって。あとは、ワラビ粉をどうやっていくかですね」

ただ、もっと長い視点で考えるとどうだろう。

あと10年や20年もすれば山之村に住む人はいなくなり、わらび粉を軸にした生活はできなくなるかもしれない。

「その通りだと思います。だから人数が減っても村を維持できるように、今はこんなことを考えているんです」

そう言って、1枚の紙を見せてくれた。

「山之村には牧場とキャンプ場しかないから、それ以外やることがないっていう観光客の声を聞いたことがあって。今自分が受けているような村のいろんな仕事を掲示板に出すことで、観光客や時間のある人がそれを引き受けて、村のことを体験できる仕組みがつくれないかなと思っています」

「こういうのも新しい人と一緒につくっていけたらいいですね」

今回募集する人も前原さんのように村の様々な仕事をしながら、自分のやりたいことを見つけることになる。

まずは前原さんに村のことを紹介してもらうといいと思う。もし迷うことがあれば前原さんや飛騨市役所の吉川さんが相談に乗ってくれるはず。

地元の方では、清水農園の清水さんが力になってくれるだろう。

清水さんは約6年前に高山市からUターンし、農業を営んでいる。

目の前にずらっと掛けられているのは、山之村特産の『寒干し大根』。

茹でた大根を輪切りにして串に刺し、冬の時期に家の軒先などに並べて1ヶ月ほどさらす。日光と風に加え、凍って溶けるを繰り返すことで甘みと味が凝縮していく、寒さの厳しいこの村で伝わってきた伝統ある保存食だ。

「僕らの仲間内では、『もし自分がもう一人いたら新しい野菜にチャレンジしたい』って話がよく出るんです。その野菜だけでもしっかり稼げる理屈はあるのに人手が足りてないからできない。だからもし農業をやりたい人がいても、ちゃんと食っていけると思いますよ」

前原さんは清水さんのすぐ近くに住んでいて、農作業のお手伝いにもよく行っている。清水さんはいつも気遣って面倒を見てくれる、とても頼れる人だという。

「前原くんは村のことにすごく積極的に参加してくれるので、村としては嬉しいですよね。こういう人はなかなかおらん、というか奇跡みたいなもんだと思う。だから、新しい人が来たときに無理しないでほしいなって思うんです」

「彼はそういうのが好きだからできたわけで。まったく村との付き合いがないのも面白くないけど、ちょっとずつ打ち解けられるようにサポートしていかなきゃならんって思ってます」

山之村を存続させるというのは決して簡単なことではないと思います。

けど、前原さんならひとつずつ課題をクリアしながら村の新しい未来を築いていけるかもしれない。自分の人生を自ら切り拓いていける人なのだと思います。

(2018/2/22 取材 森田曜光)

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