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インドネシアを訪れて感じたことは「昔の日本もこんな活気があったのだろうな」というもの。
今回は、そんなインドネシアで新しいことに挑戦している日本の会社の求人です。
インドネシアは2億3,000万人を超える世界第4位の規模であり、2050年にはGDPも中国や米国、インドなどに次ぐものになると言われている。日本の南に位置しており、時差も少ない。
そんな地で新しい仕事をつくろうとしているのが、気仙沼にある土木などの施工会社、菅原工業です。たまたま話を伺ったときに「どうしてもこの会社を紹介したい!」と思いました。
土木の会社が、なぜインドネシアで仕事をすることになったのか。そこには復興後の未来を見据えたチャレンジがありました。
土木の経験は必要ないそうです。何よりも思いを持って働ける人が求められています。
お昼に羽田空港を飛び立って7時間30分ほど。窓の外を見ると、眼下にジャカルタの街が見えてきた。東京の都市圏に次ぐ、世界2位の都市の規模を誇る。空には入道雲がもくもくと伸びている。
菅原工業の代表である、菅原さんと飛行機を降りる。
「はい、これビザを取るのに必要だから」と35ドルを手渡された。お忙しい方なのに、何から何まで準備していただく。細やかに、一人ひとりのことを考えている方。
入国審査を抜けると、現地で働く佐藤部長とアルファンさんが迎えに来てくれた。外に出ると、ムワッとした空気に包まれる。ここは赤道の直下の熱帯にある国。
車は空港を出て、高速道路を進んでいく。
「とても現代的な都市だな」と思っていたら、すぐに大渋滞に捕まってしまった。
どうやらジャカルタの名物らしい。どの車も譲ろうとせず、我先にと車は進んでいく。路肩走行も当たり前。
道路もビルも、そこかしこで工事が行われており、街全体が巨大な生き物のようだ。
ジャカルタから東に70km。すっかり夜が更けた時間にホテルに到着した。ちょうど立春の日だったので、中国系のホテルでは花火が打ち上げられて盛り上がっていた。
翌朝、菅原工業が現地企業とつくった合弁会社の事務所に向かう。大きな道路沿いには露店が軒を連ねており、ほとんどの店主がぼんやりと遠目に暇そうに客を待っている。
4人乗りのバイク、ボロボロの乗合バスの横を、新しいトヨタ車が走り抜ける。
交差点などには、赤い旗で車を誘導している人たち。どうやら誘導する代わりにお金をもらっているらしい。
見上げれば高層ビル、足元には掘っ立て小屋。
古いものも新しいものも、いろいろなものが同居している。
合弁会社の事務所の中に入って、早速話を聞くことにした。
まず菅原さんに聞いたのは、なぜ気仙沼の会社がインドネシアで仕事をすることになったのか。
「震災復興で売上は伸びていたんです。人手不足も顕著になってきた。そしたらインドネシアの方が気仙沼市内を歩いていて」
「話を聞いたら技能実習生だったんですよ。漁業や水産加工ができるのであれば建設業もできるんじゃないかって思ったんです。それが2014年ですね」
実習生で出会ったインドネシアの方々は、想像以上に真面目だった。
人手不足の問題が解決するにつれて、また新しい悩みが生まれることになる。
「復興需要がなくなったときに菅原工業の売り上げはどこから持ってくるか。一度雇用したら生涯雇用したいですからね」
そんなときに参加したのが、気仙沼で開催されていた経営塾。そこで「道路をつくっているなら、世界の72億人相手にしてみてはどうか」とアドバイスされる。
「インドネシアの実習生を母国に帰すだけじゃなく、インドネシアで道路をつくったら、仕事も回るし人も回るんじゃないかって思ったんです」
インドネシアで道路をつくる。
とはいえ、簡単ではないことがわかった。外資が土木工事を請け負うには規制があり、そのまま参入することは難しい。
「そんなときに3つの課題を教えてもらったんですよ」
3つの課題。
「そう。1つ目がアスファルト問題、2つ目がかさ上げ問題、そして最後に環境問題」
インドネシアでは自国で石油を生産しているものの、精製されるアスファルトの質が低く輸入に頼っていた。だからできる限りアスファルトの使用を節約したい。
さらに道路を補修する場合、古い道路の上にかさ上げする形で補修していたので、どんどん歩道よりも道路面が高くなってしまう問題もあった。さらにひび割れた道路の上に重ねて補修しても、付け焼き刃的な対処にしかならず、すぐに劣化してしまう。
そして古いアスファルトをはがしたとしても、それがそのまま道路の端などに放置されて環境問題につながっていた。
これらを解決するのが再生アスファルトであり、菅原工業は現地の舗装会社と合弁し、アスファルトを再生する会社をつくることになった。
再生アスファルトを生産する会社であれば、土木施工会社ではなくメーカーになるので規制は免れるし、3つの課題もすべて解決できる。さらに実習生がインドネシアに帰って働く機会をつくることもできる。
とはいえ、再生アスファルト事業はインドネシアであまり前例もなく、あっても失敗した事例しかなかった。そこで菅原さんは、試験施工をするところからスタートする。
はじまりは、民間の工業団地内にある道路だった。無償で施工することに。
そこからだんだんと公共工事でも試験施工されることが増えていく。
「問題ないことが証明されて、インドネシアの規格になれば、舗装工事の発注する段階でリサイクルアスファルトの使用が義務付けられることも増えてくると思います」
「今は試験施工された道路のモニタリング中ですね。今年の夏には結果が出てくると思います」
知らない国で新しい仕事をつくる。しかも、たくさんの課題も解決できる。話を聞いていて、すっかり感動してしまった。
とはいえ、きっとたくさんの困難を乗り終えてきたからこそ、今があるのだと思う。
ここまで信頼を積み重ねてこられたのは、佐藤部長の存在も大きいと感じた。佐藤さんは、菅原さんと同じ高校の同級生だった方で、気仙沼でサーフショップを営んでいた。
「震災がいいきっかけになりました。津波があって、お客さんがいなくなっちゃったんですよ。みんな、海から離れちゃってね」
商売上がったり。それでも海の可能性は感じていて、NPOを立ち上げるなど奮闘する。
「でも遊び人同士で立ち上げたものだからズタボロでね。コンセプトは結構しっかりしていて、あるものを生かすっていうものだったのだけど」
あるとき菅原さんと再会して、インドネシアの話を聞く。
もともと高校時代はあまり接点がなかった2人だったが、佐藤さんは菅原さんの考えにどんどん引き込まれていく。
「サーフィンでバリ島によく行っていましたので、たぶん得意なんじゃないかって思ってね。あと私の親父が昔船乗りで、ジャカルタ周辺に来ていたみたいで。縁を感じてチャレンジしたくなったんです」
「それにリサイクルアスファルトっていうのも、あるものを生かす、って考えだったから」
まず菅原工業で働きながら、2ヶ月に1回のペースでインドネシアに行き、調査に乗り出した。とはいえ、通っているだけじゃ、なかなか形にならない。
通い出して1年経ったころ、佐藤さんは自ら直訴してインドネシアに赴任することを決意する。
「ちょこちょこ来るだけじゃまったくコミュニケーション取れないので。人づてに頼むっていうのは、情報がずれると感じたので、直接目を見て聞いてみたかった」
インドネシアに住んで2年。街中のレストランで一緒に食事をしていると、インドネシア語を流暢に話しているように感じた。
もともと話せたんですか?
「いや、独学です。積極的にコミュニケーションをとっていますね。子供でもおばあちゃんでも、よく話しかけます」
さらに聞いてみると、インドネシア語はそんなに難しくないらしい。過去形などの時制がないから動詞を変化させる必要がないし、アルファベット表記だし、発音も簡単とのこと。
これからどんどん大きくなっていくインドネシアの母国語を習得するのは、いい機会かもしれない。
佐藤さんはインドネシア語を習得して、積極的にコミュニケーションを重ねるだけでなく、再生アスファルトがうまくいくようにあらゆる努力をした。
「合弁先に技術指導もしていますよ。アスファルトの工事は日本と一緒ですから。ただ、ちょっとしたことなんですよ。舗装したあとに平気で歩くとか、固まっていないのに道路を開放してしまうとか」
あとは気づいたら小さな掃除をすることも。
佐藤さんが掃除をはじめると、はじめは「なんだ?あの日本人?」となるけど、だんだんと理解してくれるようになる。
「自分でやる、というのは日本のスタイルかもしれなくて。こっちのボスって全然動かないから、ぼくがそんなことやると『やめろ!やめろ!』って言われる。でも品質を高めたいから。そこからみんな気づきはじめるんですよ」
今回、募集するのは、インドネシアで再生アスファルト事業を一緒に進めていく人。
まず求められているのは、インドネシア語を習得し、合弁先の会社との信頼関係を構築していくこと。
そして、精度の高い工事を進めてもらいつつ、再生アスファルトの生産工程も滞りなく進むようにマネジメントしていく。
引き続き、佐藤さん。
「急に合弁先から工事の3日前になって、再生アスファルトが何トン欲しい、ということがあるんですよ。なんとか間に合わせるようにするんだけど、3日前じゃ辛いよね」
「それに再生アスファルトを使うからには、すぐにボロボロになってしまっては困る。どういう施工をするのかもちゃんと確認しないといけない」
まずはインドネシア人のアルファンさんと一緒に働くことからスタートすることになりそうです。
アルファンさんは日本で働いたこともある方で日本語は問題ない。
土木工事の経験はなかったので、再生アスファルトのことをゼロから学んだ経験があるから、きっとたくさんのことを教えてくれるはず。
最後に佐藤さんにインドネシアでの暮らしについて聞いてみる。
「ほとんどの人がイスラム教。お祈りの時間になると、自分だけ一人ぼっちになります。あとは水道水が飲めないのは辛いかな。基本はミネラルウォーターですね」
取材の最後に、佐藤さんが住んでいる家に訪問した。
セキュリティのゲートを通過して入る住宅地で、安全そのもの。広い家なので、ここで共同生活をすることになる予定とのこと。
生活に関しては、佐藤さんやアルファンさんが助けてくれるものの、自分でも試行錯誤してみるのも楽しいと思う。
それは菅原工業で働くことも同じ。自分で考えて、自分で課題を発見し、ビジネスにつなげられる人がいい。
これからインドネシアはどんどん変わっていきます。フレキシブルに行動できる人なら、大きなチャンスだと思いました。
(2019/2/4取材 ナカムラケンタ)