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おだやかな人と自然が
この村の資源
廃校から新しい営みを

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夕暮れ時のチャイムの音。廊下に響く子どもたちの声。一歩、足を踏み入れるとそんな情景が思い浮かぶ。

長い廊下に並ぶ木枠の窓が象徴的な、この木造校舎が今回の仕事の舞台です。

ここは、奈良県吉野郡天川村にある「てんかわ天和の里」。

1943年に建てられ、2002年に廃校となった校舎を生まれ変わらせた交流施設です。

3年前から地元の人たちによる有志団体が管理を担い、自然体験イベントの実施や、地域の歴史を伝える図書館の運営など、取り組みを続けてきました。

その一方で、地域では過疎化が進み、有志団体のメンバーも高齢化が進んでいる。せっかくの貴重な建物を活かしきるパワーが足りていないのが現状です。

今回は、この場所の価値をさらに高め、地域に多くの人を呼び込む拠点にしていく地域おこし協力隊を募集します。


天川村までは、京都から電車とバスを乗り継いでおよそ2時間半。村が近づくほどに、どんどん山の緑が深まっていく。

訪れるのは、昨年の夏以来。とても涼しかった記憶があるので、覚悟してバスを降りたものの、思ったほど寒くはない。後々聞いてみると、今年は稀に見る暖冬で、普段なら積もるはずの雪もほとんど降らないのだとか。

3つの地区から成る天川村は面積も広く、それぞれの地区の雰囲気も異なる。

村役場や総合案内所のある中央地区、温泉街が有名な観光地・洞川(どろがわ)地区、そして「てんかわ天和の里」があり、村内でもっとも静かな雰囲気の西部地区。

取材場所の天和の里は、村の入り口付近のバス停から車で15分ほどの場所にある。

建物のすぐ裏まで山が迫っている光景は新鮮に感じるけれど、天川村ではこれが当たり前なのだそう。

校内で出迎えてくれたのが、澤村さんと上西さん。天和の里の管理運営を担う「旧天川西小学校校区活性化推進協議会」に所属している。

これから入る協力隊の人は、協議会と連携しながら活動することになる。

写真右に写る協議会会長の上西さんが、この場所のことを教えてくれた。

「この建物は昭和17年に建てられた、総ヒノキの木造校舎です。国や県から助成金をもらうことなく、地域に住んでいた方が私財で建てられました。当時、男手は戦争に行っていたので、子どもたちも手伝って、地域の人たちみんなの力でつくった学校なんですよ」

「ここ西部地区は、人口の減少が著しくて。高齢化で子どもが少なくなると、地域の活力が失われていってしまいます。地域の賑わいをなくしたくないと、この校舎を拠点に地域を活性化していく有志団体を立ち上げました」

3年前に、近隣住民を中心に結成された活性化推進協議会。この場所に人を呼び込むため、さまざまな活動に取り組んできた。

「学校のすぐ裏に清流があって、夏にはたくさんの人が川遊びに来るんです。そこであまごっていう魚の掴み取りをしたり、林業が盛んな地域なので、子どもたちに木工体験をしてもらったり」

「コンサルタントの先生からアドバイスを受けながら、昔から地域にあるものを体験してもらえるようなイベントを企画してきました」

自然体験の拠点であると同時に、地域の歴史を伝えていきたいという思いもある。明治時代に西部地区の鉱山を経営した実業家・五代友厚の功績をはじめ、地域の歴史を伝える展示や図書を整備して、訪れた人に案内しているそう。

「ほかにも講堂で音楽イベントをやったり、体育館を部活の合宿の練習場に使ってもらったり。教室を貸し切って写真撮影をされる方たちもいますね」

地道な努力が実を結び、夏休みのファミリー層を中心に、訪れる人が増えてきた。

とはいえ、まだまだ課題も残っている。

「施設利用費やイベントの参加費だけでは十分な収益を上げることができていなくて、運営は基本的に無報酬のボランティアなんです。その結果、だんだんと協議会のメンバーも減ってきてしまって。なにか新しい設備を整えるときも、役場の補助金に頼ってばかりでした」

これからは、自立してきちんと収益を上げられる仕組みをつくっていきたい。

そこで次の夏に向けて、川沿いにバーベキュー場を整備する予定だという。

天川村では、数年前に河川敷でのバーベキューが禁止されたので、バーベキュー場は大きな収益源となる見込み。そこで収入を上げて自立してほしいと、役場も最後の助成を行ってくれている。

「それと今、法人化の準備を進めています。村に助けてもらうばかりではいけないと。自分たちでこの村を良くしていくことが、もともと協議会がはじまったきっかけだったのでね」

60歳、70歳になっても、地域のために積極的に動き続ける。その原動力は、この場所から地域を元気にしていきたいという思い。

「この木造校舎は、ここにしかない魅力だと思っています。村の宝やし、地域の人みんなの宝やと思うんです」

「協力隊の方が、ここをもっと良くしていくためのアイデアを出してくれたらうれしいし、たくさんの人に知ってもらうための情報発信もしてもらいたいなと。閑散期の冬場にどうやって人を呼ぶかも、一緒に考えていきたいですね」



これから入る協力隊は、協議会のみなさんの思いを引き継ぎながら、新しい発想で人を呼び込む方法を考えていくことになる。

協議会をサポートしてきた、天川村役場の堀川さんにも話を聞いてみる。

「協議会としては、施設の貸し出しやバーベキュー場の運営でコツコツお金を稼いでいくことになります。ただ、協力隊の人にその手伝いとして入ってもらうわけではなくて。あくまでその人自身のアイデアで、廃校や周囲の自然を活かした新しいことにチャレンジしてもらえたらと思うんです」

「とは言っても、協議会とまったく別で動くのは難しい。わからないことがあれば相談したり、ひとりでできないことは手伝ってもらったりしながら進めてほしいと思います」

今までどんな人たちが天和の里に訪れてきて、どんな要望があったのか。どんな成功や失敗があったのか。

活動を続けてきた人たちから教えてもらえることはたくさんあるはず。

地域が今まで大切にしてきたことと、これから取り組むべき新しいことのバランスを大切にしながら、コミュニケーションを取っていけたらいいと思う。

実際に活動するとなると、天和の里でどんな新しいことができるだろう。堀川さんも、いろいろと思いつくことがあるみたい。

「たとえば天川村って、観光地なのに村内に旅行会社がないんですよ。ハイキングガイドや川でのアクティビティを教える人もいないから、みんな個人で楽しんでいる状態。アウトドアに詳しい知り合いを呼んでイベントをやってもいいと思うし、そのまま商売としてやっていけるかもしれない」

「あと、まだまだ海外からの観光客が少ない場所なので、語学が得意な人やったら、インバウンド向けに打ち出してもいいんかなって。ここから車で1時間の高野山には、外国人観光客が年間100万人以上来ているわけだから、天川に呼び込むこともできなくはないと思うんです」

天和の里が持つ趣のある雰囲気や、周囲の恵まれた自然を考えても、天川村は魅力的な要素の多い村だと思う。

「可能性はあるけれど、村にエネルギーが足りない」と堀川さんは話す。

キャンプや川遊びで賑わう夏場だけでなく、年間通して人を呼び込む仕組みをつくることが、村全体で取り組んでいく課題。

眠っている資源やうまく表現できていない魅力を、しっかり発信していくことができたら、天和の里にとどまらず、村全体を変えられる可能性があるかもしれない。


天和の里での取材を終え、車で20分ほど走る。

山を越えて向かうのは、洞川地区の温泉街にある「シェアオフィス西友(にしとも)」。空き家をリノベーションした建物で、1階がカフェ、2階がコワーキングスペースになっている。

ここに、取材のために地域おこし協力隊の皆さんが集まってくれた。そのうちのひとり、平田さんに話を聞く。

「天川村の耕作放棄地で作物をつくって、大阪で販売するという活動をしてきました。もともと料理人なので、任期後は大阪で間借り営業をして、天川でつくった野菜の料理を提供していきたいと思っています。二拠点生活っぽくなるかもしれませんね」

大阪から移住してきた平田さんは、この3月に任期を終える。こんなふうに、3年かけて自分の生業を見つけられるのが協力隊の理想的なかたち。

「正直僕は、天川村に移住したかったというわけではなくて、単純に畑がやりたかったんです。ここに来る前に通っていた農業の訓練学校の人に、天川村の協力隊をすすめてもらったのがきっかけでした」

協力隊として活動する6人のうち、天川村に住みたくて移住してきたという人のほうが少ないそう。やりたいことを実現する手段のひとつだったり、都会から離れて生活がしてみたかったり、ここにやってきた目的はさまざま。

でも協力隊として過ごすうちに、全員が「任期後も天川村に住み続けたい」と思うようになっているそう。

「人間関係がいいんですよね。干渉されるわけではないけど、面倒を見てくれる。協力隊それぞれ、家がある地区はばらばらなんですよ。でもみんな自分の地区が好きになって、そこに住み続けたいと思えているのは、すごいことやと思います」

これから天和の里で活動することになる新しい協力隊。平田さんだったら、どんな取り組みが考えられると思いますか?

「たとえば、バーベキュー場で天川村の野菜セットを販売したら需要はめちゃめちゃあるはずだし、オプションでカヤックの体験とかができたらいいなと思います」

「夏場の洞川地区は観光客で溢れかえって、昼ごはんを食べるところがないって声もあるくらい。西部地区が賑わうことで、村のいろんなところで過ごしてもらえるようになったらいいですね」

村が広いこともあり、天和の里がある西部地区とここ洞川地区は、観光客に限らず住民同士の行き来も少ない状況。洞川地区で活動する協力隊と連携すれば、住民の中で新しい人の動きを生むこともできるかもしれない。

「協力隊はそれぞれの活動は違っても、横のつながりがあるので、ひとりでできないことは声かけすれば助けてくれます。僕らも任期が終わっても、できることは手伝わせてもらいたいと思っています」


新しい土地で新しいことをはじめるのは、決して簡単なことではありません。

でも、散らばった資源をつなぎ合わせることさえできれば、新しい村の魅力として発信していけるように思います。

一つひとつ挑戦を積み重ねていくことは、自身にとって大きな糧になるのはもちろん、天川村の可能性を広げていくことにもつながるのかもしれません。

(2019/02/12取材 増田早紀)
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