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福岡県に、地島(じのしま)という島があります。人口わずか110人ほど。漁業が盛んで、春には椿が咲き誇る小さな島です。
そんな島でただ一つの小学校には、全国から集まった小学生が通っています。一年間親元を離れて島で学ぶ「漁村留学生」です。
子どもたちが暮らすのは『なぎさの家』。
住み込みで生活全般をサポートする「指導員さん」と一緒に、共同生活を営みます。
「朝起きて夜眠るまで、学校以外の時間を子どもたちと一緒に過ごします。私は親代わりでもあって、きょうだい代わりでもある。だから指導員は、 “仕事”というよりも“生活”に近いんだと思います」
指導員の竹井さんは、ここでのはたらきをそんなふうに表現していました。
今回は、漁村留学生とともに暮らす指導員を募集します。
羽田から福岡行きの飛行機に乗りこみ、およそ2時間。
地島のある宗像市は、博多と北九州の真ん中にある人口10万人の街。空港からは車で1時間ほどのところにある。
中心街を抜けると、あたりに畑が増えてくる。世界遺産の宗像大社を過ぎれば、本土と島を結ぶ神湊(こうのみなと)はもうすぐそこ。
フェリーは1日6〜7往復。15分ほどで渡れる気軽さからか、お客さんも慣れた様子で乗り込んでいく。
ゆっくりと船が動き出し、いよいよ出航。
さっそく甲板に出て外を眺めていると、ほどなく目の前に地島が見えてきた。
船はどんどん島に近づき、あっという間に入港。防波堤には、島の子どもたちが描いたカラフルな絵がびっしりと並んでいる。
島に降り立ってすぐ、ひときわ新しい建物が目に入った。プレートには「なぎさの家」。
ここで留学生たちが暮らしているんだな。
留学を支えているのは、島の人たちでつくる「漁村留学を育てる会」。今日は島で漁師をしているという会長さんが案内してくれるそう。
約束の時間から10分ほど経って一台の車がやってきた。
「ああ、どうも」と登場したのは、会長の前田さん。
「わざわざすみませんね。子どもたちはまだ学校におるけん、島も静かでしょう」
さっそくなぎさの家にお邪魔して、話を聞くことに。
「今おる留学生の子は、男の子3人に女の子2人。もともと島に住んどる小学生とちょうど同じ人数です」
島の人口は110人ほど。高齢化も進んでいて、年々人は減り続けている。
「やっぱりこれから子どもが減るのはわかるでしょ。だから留学は、島の小学校をなくさんようにっちゅう思いで始まったんです」
地島が留学生を受け入れはじめたのは17年前のこと。
小学4〜6年生を対象に、一年間自然豊かな漁村で学べることをPR。今では全国から応募が集まる人気プログラムになっているそう。
前田さんは8年前から、会長として子どもたちを見守ってきた。
「子どもたちは日々頑張りよりますよ。もし留学生がおらんかったら地島はもうだめになっとったんやないかなって思うくらい、みんなわいわい元気にやってくれとります」
そんな子どもたちが暮らすのが、この『なぎさの家』。
食事や掃除、洗濯は寮母さんに、生活面では指導員さんにサポートしてもらいながら、「自分でできることは自分でする」をルールに過ごしている。
「ここではなんでも自分たちで考えてしよるけん、はじめは大変やと思う。いろんなとこから来た子どもがいきなり一つの家で生活するわけでしょ。最初はね、みんな『自分が自分が!』ってなっとうよ。そりゃあ喧嘩もする」
多くの子どもにとって、親元を離れるはじめての経験。さみしさと慣れない生活で涙する子もいる。
「今年も夏に保護者の方が島に遊びにきて。もうお別れせないかんときに男の子が泣きよったんですよ。でも乗り越えな、頑張らないかんよって思って。ちょっと強く『泣きたい気持ちはわかるけど、みんな寂しいとよ』って言うて」
壁に貼られた写真を眺めながら、懐かしそうに振り返る前田さん。
言葉の端々から、厳しくもあたたかく見守っている様子が伝わってくる。
「あとは土日もいろんな行事があるけん。なかなか寝っ転がる時間もないっちゃけど、慣れたら楽しそうやね」
春の挨拶周りからはじまり、クルージングに島内ホームステイ。夏にはイカ釣りや地引網を体験して、秋には名産品の椿油をつくったり、全島運動会に参加したり。
毎年恒例のプログラムでも、年によってカラーはまったく異なるのだそう。
「今年のクリスマス会はすごかったねえ。1ヶ月前から練習したって招待してもろうて。一人ひとりの出し物やらゲームやら劇やら、本当に長かった(笑)」
こうして1年をかけて、子どもたちは少しずつ成長していく。
「今年の子も、来たときと今じゃ顔つきが全然違うね。表情も雰囲気も、頑張ったっちゅうのがようわかりますよ。なぎさの家も、家みたいな感じになっとうね」
家みたいな感じ?
「うん。家族みたい、きょうだいみたいになっとるよ。それはみんな気づかんうちにね。なぎさの家は、やっぱり子どもたちにとっては家なんやろうね」
「それもこれも指導員の先生のおかげ」と前田さんが紹介してくれたのは竹井さん。
9年前から、なぎさの家の指導員として子どもたちと一緒に暮らしている。
「教育大学に行ったんですけど、教員免許は取らなかったんです。私は学校の先生のように授業をしたり、教えたりはできないなって。でも子どもと関わる仕事には興味がありました」
この仕事を知ったきっかけは、なぎさの家で指導員として働いていたお姉さんだった。
「田舎や自然のなかで生活することにも憧れていたので、あれ、すごくいいんじゃない?って。卒業してそのままここに来ました」
話は聞いていたものの、面接のときまで島を訪れたことはなかったそう。
小さな離島に飛び込むことに、不安はなかったのでしょうか。
「最初は実際どうなんだろうって思いました。でも島の方が声をかけてくれるうちに、自然と私も溶け込んでいて。今は自分も島の住民だと思っています(笑)」
「関わりが深いぶん、気は抜けないです。でもみんなさん優しいですよ。子どものことで落ち込んだときには、話し相手になってもらうだけでも気分転換になりますし、おすそ分けしてもらうお魚はおいしいし。いい環境だと思います」
仕事のイメージを聞くと「お母さんのような感じかなあ」と竹井さん。
「ただ優しくお世話するだけじゃなくて、話を聞いたり、『ほら、鉛筆の持ち方!』とか『早く寝なさい』って注意したり。親やきょうだい、いろんな代わりをしている感じです」
朝は6時半に起床。寮母さんがつくってくれたごはんを食べて、学校へ行く子どもたちを見送る。その後は事務作業や本土への買い出しなどをして、タイミングをみて休憩をとる。
子どもたちが帰ってきたあとは、遊びに勉強、夕飯にお風呂と様子を見守りながら一緒に過ごす。眠る前に子どもたちと一日の振り返りをしたあと、21時に消灯。子どもたちが書いた日記へコメントして、部屋を見回ってから23時ごろに眠りにつく。
「具体的にどんな仕事をしているかって、パッと答えられないんですよね。仕事というより本当に生活しているような感じなので」
「ただ、家と言っても子どもといるときは気を抜けません。私が大人のお手本でもあるので、言葉を適当に使ったりゴロゴロしたりもできませんね(笑)一人の時間はほとんど取れないかな」
小学校高学年とはいえ、目は離せない。窓ガラスを割ってしまった子と一緒に前田さんに頭を下げたこともあるし、海に落ちた子を近所の人に引き上げてもらったこともあった。
夜中に高熱を出した子を、漁船で本土の病院まで送ったこともある。
「やっぱり子どもに負担をかけさせないことが一番です。体調や機嫌を見ながら、どう接したらいいか常に頭でぐるぐる考えています」
「あとは、よく写真を撮るようにしていますね。『なぎさ通信』といって週に一度保護者の方にお便りを出すんです。ふだん子どもたちは電話もできないので、生活の様子を伝えるほぼ唯一のものです」
行事や何気ない生活の一場面を丁寧にまとめたこの記録。保護者の方も、毎号楽しみにしているそう。
「この子はもう私の身長を抜いているんですよ。それにみんな、お互いのことを気にかけて過ごせるようになったなあ。…こうやって見ると、成長しているんですね。何度言っても直らない!って思うときもあるんですけど(笑)」
竹井さんは、まるで自分の子どものことを話しているよう。
「もう家族なんですよね。昨日も言い合いをしたし、何気ない子どもの一言に傷つくこともあるし。本当のお母さんだったら私の言うことも聞いてくれたのかな、って考え込むこともあります」
「でも、一年を終えるとやっぱりよかったなあって。最近ちょっとうれしかったのは、月の目標を立てるときに『竹井先生のお手伝いをします!』って言ってくれた子がいたことですね。別にお手伝いはできなくてもいいんです。そんな気持ちになってくれたことがうれしかったから」
人から見たらすごく小さなことかもしれないですけどね、と笑う竹井さん。
実は、今後のキャリアのため次の春に島を出る予定なんだそう。
9年間を過ごしたこの家には、いろんな思い出が詰まっていそうですね。
「そうですね…日々バタバタしていて、衝撃的なこともたくさんあって。楽しい思い出ほど忘れちゃっているんですけど(笑)」
「ただ私自身もいろんな経験をさせてもらって、おいしいご飯も食べさせてもらって。やっぱり私は、この島が好きなんでしょうね」
16時になると、バタバタと音がして子どもたちが家に帰ってきた。それぞれの部屋にカバンを置いて洗濯物を片付けたあと、居間へやってくる。
竹井さんが「はい、今日学校で何かあった人?」と呼びかければ、みんな我先にと手をあげて喋り出す。
私のことも気になるようで「今日はどうやって来たんですか?」「東京ってディズニーランドがありますよね!」と質問攻めに。
賑やかな子どもたちと話しているうちに、気づけばもうフェリーの出航間近。なぎさの家を急ぎ足であとにすると、玄関まで見送りに来てくれた。
船に乗り込み、最後に島を一目見ようと甲板へ出たところで、こちらを呼ぶ大きな声が聞こえてくる。
あ、みんなわざわざ来てくれたんだ。
姿が見えなくなるまで「ありがとうございましたー!」「また来てくださーい」と大きな声が聞こえる。
きっとこのあと子どもたちは外で遊んで、宿題をして、寮母さんのご飯を食べて。眠るまで仲良く過ごしているかもしれないし、竹井さんや前田さんに叱られているかもしれない。
もちろん楽しいことばかりではないだろうけど、そんな日々を一緒に過ごせるなんて、ちょっとうらやましい気もします。
この島で、子どもたちと生活する。
もしイメージが湧いたら、まずは一度島を訪れてみてほしいです。元気な子どもたちが迎えてくれると思います。
(2019/01/10 取材 遠藤 真利奈)