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暮らしを拓き
心を開く土地で
春と子どもを待っている

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

今、もっとも気になる場所。それが石徹白です。イトシロと読みます。

東京から車で6時間。名古屋を過ぎて、郡上八幡からさらに北へ1時間。日本海と太平洋の分水嶺を越えたところに集落があります。

平安時代から白山信仰が根付く土地で、「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えていました。そのおかげで、今でも外の人たちに慣れている土地柄だそうです。

美しい山々に囲まれた小さな集落には250人ほどが暮らしています。地域の人たちの尽力で水力発電が4機もあり、地域の需要以上の発電もできています。最寄りのスーパーマーケットまで車で30分かかるけど、そんな場所だからこそ育まれるものもあるように感じました。

ここで山村留学、いわば田舎への子ども留学制度をはじめるために、それを担当する地域おこし協力隊を募集します。

この記事を書きながら、家族と一緒に移住したらどんなに良いだろうと想像します。自然豊かな場所で暮らしたい人はぜひ読んでください。

 

石徹白へ行くのを楽しみにしていたものの、今回はオンラインでの取材となった。まず話を伺ったのが石徹白地区地域づくり協議会の平野さん。

岐阜市出身で、上京したあとに石徹白と出会い、移住された方。

何度かご一緒させていただいており、柔らかな雰囲気でありながら、水力発電所を立ち上げるなど、実行力もある方。

お元気ですか。

「はい、おかげさまで。1月はたくさん雪が降って、昨日も今日も20cm積もりました」

平野さんは東京で経営コンサルとして働きながら、13年前から郡上へ通うようになった。そこでたまたま石徹白と出会うことになる。

「仲間たちと小さな水力発電をやろうと盛り上がっていたときに、石徹白のことを知りました」

第一印象はどうでしたか?

「阿弥陀ヶ滝という、日本の滝100選に入るような滝があるんです。この滝までは何度も訪れていたのですが、まさかその奥に集落があるなんて思いもよらなかった。知らない世界にやってきた感じがしました」

知らない世界。

「なんていうのかな、今となっては当たり前なんですけど」

「地域の人たちみんなが、地域に思いを持っている。地域の歴史、文化について、みんなが当たり前のように詳しくて、誇りに思っているんです。これまで出会ったことのないタイプの土地だし、出会ったことのない人たちだなと感じたことを記憶しています」

今回はどんな募集をされるのですか。

「山村留学を活用した移住促進の仕組みづくりのために、地域おこし協力隊を募集します。郡上市の地域おこし協力隊は、各地域で受け入れをするという形になっていまして、各地域の地域づくり団体が活動の計画を立てて募集することになっています」

これまで石徹白では7人の地域おこし協力隊を受け入れてきた。特に子育て世代の移住促進を進めてきており、協議会が活動をはじめて以降の移住世帯は、18世帯47名。現在は100世帯250人ほどが住んでいるので、およそ全体の2割を移住者が占めることになった。

小学校も一時期は全校児童が4名にまで減ってしまっていたけれど、現在は8名。4年後には16名にまで増える見込み。

これまでの移住促進の試みは、ゆるやかに成功しつつある。

その中で、なぜ山村留学なのか。

「自分が移住するきっかけの1つが石徹白小学校の存在でした。ここの子どもたちが素晴らしいなと思っていて」

「みんなの孫みたいに見守られて育っているんですよね。運動会や卒業式は、地域の人たちが一体となるような感じで、毎回、感動します」

こんな環境で子育てする人たちがもっと増えたら。

そんな思いもあって、以前から石徹白での山村留学構想を温めていた。

今、考えているのは「親子留学方式」。子どもだけ転校して里親のところで暮らす「里親方式」や寮などで生活していく「センター方式」などがある中、石徹白では親子一緒に移住してきてもらおうと考えている。

「山村留学は、来年4月から募集を始めたいので、まず今年は石徹白のことを知ってもらう1年になると思います。あとは一緒に仕組みを考えたり、石徹白を体験するツアーを企画したりしていきます」

石徹白で子育てする良さって、どういうところにあるのでしょう。

「うちの子どもが小さかったころ、面白かったことがあるんです。岐阜の街に連れていくと、知らない人は普通に素通りしていくじゃないですか。『なんであの人、自分に挨拶してくれないんだろう』と疑問に思ったみたいなんです」

石徹白では老若男女、誰とでも挨拶しますよね。

「そうですね。みんな知り合いだから『知らない大人についていってはいけません』と言う必要はありません。子どもたちは、人に対する絶対的な信頼を持って育つように感じます」

「あと保育園の園長先生が石徹白の方で『季節の匂いの分かる子に育って欲しい』って話していたのが印象に残っていて」

石徹白では日々、季節が変化していくことを感じることができる。

たとえば、冬が過ぎ、春が近づいてくると、雪が固まり、どこへでも歩いていける状態になる。それを「カッテコ」と呼ぶそうで、硬い雪という意味なのだとか。

雪が広がる景色に大きな変化はないけれども、雪の上を歩けるようになる。行動範囲が広がり、春の訪れを感じることができる。

さらに季節が進むと山菜の季節に。

「あそこでフキノトウが取れたよ」という話にもなるのだとか。

平野さんが特に好きなのが夏。川に潜ると、まるで水族館のようにたくさんの魚が泳いでいる。

こんな環境にいると、きっと心が開放されていく。

たしかに自分も、しばらく自然豊かな場所で過ごしたあとに東京へ戻ってきて感じるのは、街の風景を見ているとクラクラしてしまうこと。

看板などが溢れているから情報量も多いし、知らない人ばかり歩いているからちょっとした緊張感もあるはず。

そんな環境だから、心を閉じている状態にして適応する。その分、感受性が鈍ってしまうかもしれない。

石徹白のような場所では、心を開いた素直な子どもが育つように感じる。

「一人ひとりの子たちが堂々としているんですよ。街中に住んでいる友人の子どもって、大人に話しかけられると、照れて隠れちゃうとかあるんですけど、石徹白の子どもは大人と話すことに慣れていますね」

「大人たちも、高度成長期以前の昔の日本ってこうだったろうなって感覚の人たちがまだ残っている集落だと感じます」

どんな感覚なんでしょう。

「うーん、たとえば息子が生まれたときに、義父が鯉のぼりを買ってくれて。ただ、ポールはなんとかなるだろうと買わなかったんです。隣のおじさんに聞きにいったら、そろそろ鯉のぼりを立てる頃だろうと予測していたみたいで、そう言ってくるのを待っていた、という話になって」

その会話の30分後には1本の杉の木が切り倒された。

それから杉の皮を一緒にはいで、1週間ほど放置して乾燥させる。切り倒した直後は水分量が多く、運ぶのが難しいから。

1週間後に一緒に運んで、どうやって立てるのかなと考えていたら、まずは1メートルくらい穴を掘ることに。

その穴に棒を立てて、掘り出した石を入れていく。まずは大きな石、次第に小さな石。切った木の枝などで支えをつくったら、空を鯉のぼりが泳いだ。

「そのままだと腐っちゃうからって、使わないときは木を穴から抜いて、ウチの屋根の下にぶら下げる場所もつくってくれて。その杉の木はその人が50年前に20代のときに植えたもので。これは敵わないなと思って」

街で暮らしていると、お金を出せば大抵のものが買えてしまう。工夫しなくて済むだろうし、感謝の気持ちも薄れてしまうかもしれない。

ただ、石徹白にいると、目の前の自然や地域の人々とのつながりが感じられる。自然と感謝の気持ちが生まれる。

あるお婆さんに、平野さんがこの土地の良いところを聞いたことがあったそうだ。

人が良いとか、自然が豊かとか、そんな答えを予想していたら「信仰心の篤いところ」という答えだった。

信じられるものがある土地なんだと思う。

 

こんな生き方を体現しているのが、石徹白地区地域づくり協議会の会長である石徹白隼人さん。

白山中居神社の神職、禰宜(ねぎ)であり、今回の地域おこし協力隊を受け入れていただける方。

まずはどんな気持ちで移住者と接しているのか聞いてみる。

「古くから、この地だけでは立ち行かないことがあり、白山信仰などを通して、外の力を受け入れてきました。鎌倉時代や安土桃山時代にも、その後の地域を担う人たちが移住してきました。こんな山奥なので、一般的には閉鎖的な考え方がありそうですけど、移住の人たちを自然に受け入れていると思います」

「地域づくりは人づくりだと考えていまして、新しい感覚の人たちと一緒になってやっていきたいと考えています」

平野さんの印象はどうでしたか?

「最初のころは、んーー、東大を出て、ここで何をするのかとか、色々ありましたね。今の正直な気持ちとしては、よくやっているなーと思って見ています。平野くんたちに続いて、多くの若い家族がここに住むようになってくれていて、今や地域としては、彼らなしでは考えられない、大きな力となっています」

 

もう一人紹介したいのが、地域おこし協力隊を経験し、現在は福祉施設で働いている廣中さん。ボランティアで週1回、高齢者の買い物支援・送迎の活動をはじめて5年。地域のお年寄りたちからの信頼も篤く、なくてはならない存在になりつつある。

もともと川崎市に住んでおり、ライブハウスで働いていた。移住を決意したきっかけは東日本大震災だった。

「3月11日が震災で、3月2日に長男が生まれたこともあって、自分たちの生活基盤を考えるようになりました。そんなときに平野さんの話を聞く機会があり、石徹白のことを知りました」

初めて石徹白を訪れたのが2012年11月。

第一印象はどうでしたか。

「あまり他の地域は知らなかったのですが、山奥の小さな集落というイメージから想像する閉鎖的な印象はなく、逆にオープンな印象を持ちました」

今回は山村留学を担う人の求人です。石徹白の子育てはどうでしょうか。

「まずは安心して子育てが出来るという点が大きな特徴ですね。長男は今、小学校4年生なのですが、登下校のときなどは地域の人が必ずと言っていいほど声を掛けてくれます」

「都会だと知らない人から声を掛けられるようなことがあったら心配になりますが、ここでは地域の人が皆顔見知りですし、いつも見守ってもらえているという安心感があります」

この環境なら家族で移住するのも良いと感じました。

心を開いて、安心して暮らしていけるように思います。子どもも健やかに育ちそうです。

ぜひ石徹白を訪ねてください。もうすぐ春です。

(2021/2/4 オンライン取材 ナカムラケンタ)

※取材はオンラインで行いました。写真はご提供いただいたものを使用しています。

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