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あー、温泉行きたい。
日々の疲れが溜まってくると、しばしば聞こえる心の声。
ありがたいことに日本では、どこにいても少し足を伸ばせば、日常から逃れてゆっくりできる温泉がある。その存在は、みんなの心の拠り所なのかもしれません。
栃木県北部に位置する板室温泉は、約1000年前に発見され、宿場町として栄えた時代から多くの旅人を癒してきました。
今回紹介する板室温泉大黒屋も、470年の歴史を持つ老舗の温泉宿。30年ほど前からは、アートを楽しめる旅館として注目を集めるようになりました。
庭に花や木が生え、そばに川が流れているのと同じように、現代アートが風景に溶け込む不思議な空間です。
今回は、ここでフロントやショップ、調理を担当するスタッフを募集します。
アートが好きな人はもちろん、自然の近くで働きたいという人にもぜひ知ってほしい仕事です。スタッフのなかには、趣味が高じて、山歩きやナイトツアーをはじめた人もいます。
社員寮があり、賄いがあり、世話焼きな先輩も多いので、土地に縁のない人も仕事をはじめやすい環境だと思います。
大黒屋の最寄りの那須塩原駅までは、東京から新幹線で1時間と少し。そこから車で30分ほど走り、緑のトンネルを抜けて板室温泉に着く。
午前11時過ぎ、昨夜のお客さんを送り出したあとの大黒屋は穏やかな雰囲気。
「天気もいいし、外で話しましょうか」と、庭に誘ってくれたのは、この春に17代目として宿を引き継いだ室井康希さん。
そばを流れる川のせせらぎを感じるテーブル席で話を聞く。
「17代目という響きには重みがありますが、私自身はそこまで構えた感じではなくて。それぞれの代の当主が創業者のような気持ちで、宿をつくっていけばいいのかなと思っています」
康希さんのお父さんも、それまでオーソドックスな温泉宿だった大黒屋に現代アートを取り入れることで、新しい宿の形を模索してきた。
その環境で育ち、子どものころから、美術が身近にあった康希さん。
大学で美術を専攻、イギリスの大学でファインアートを学び、大黒屋に戻ってきたのが2013年のこと。
「当時は、びっくりするくらいアナログだったんですよ。予約管理は紙ベース、Webへの露出も少ないし、調理の設備が使いにくいとか、各部署の連携がとりにくいとか。まず内側を整える必要があると思いました」
お客さんと向き合うスタッフが不便さを我慢し、不満を抱えている状態では、いい接客はできない。
康希さんは専務だった時代から、予約システムや設備の整備などの業務効率化を進め、働きやすい環境づくりに努めてきた。
一方で、残したいアナログさもある。
「たとえば、チェックインまで自動化してしまうと、せっかく旅館に来ている気分が冷めてしまうような気がして、宿帳は今でも紙のものを使っています。ちゃんと人間味が感じられることも旅館の価値だと思うので」
「それに、うちのベテランスタッフのアナログ力はすごいですよ。チェックアウトのときに、お客さんが発する些細な違和感を感じて、話しかけて、サービスに対しての不満を聞き出してくれる。そういう関わり方ひとつで、満足度は変わると思うんです」
大黒屋には、年に数回訪れる常連客が100組以上、毎月のように訪れるお客さんも数十組はいるという。
自分の別荘みたいな安心感があるんですね。
「私は大黒屋を贅沢で特別な宿にするつもりはなくて。あくまでも生活の延長にありながら、ほどよく洗練された時間を過ごしていただくことを目標にしています」
「だからこそ働く人が自分の生活に満足して、幸せな顔をしていないと、いいサービスはできない。お給料とか残業とか、中小企業を経営する身としては悩ましいことも多いんですけど、一つひとつ時間をかけて解決していきたい。そのためにも、新しい仲間の存在が不可欠なんです」
今大黒屋では、旅館の顔になるベテランと、そこから吸収して成長しようとする若手と、スタッフの層がやや二極化している状態。
それぞれの良さはあるものの、中堅として間を橋渡ししてくれる人がいると、チームとしてバランスがとりやすい。
「私は今年36歳なんですが、同世代で、一緒に旅館の今後を話し合っていけるような人が加わってくれると頼もしいですね。あとはDIYが得意な人がいるといいなとか、いろいろ夢はありますが、まずは人に思いやりを持って正直に向き合える人なら、どんな世代でも歓迎しますよ」
そんな康希さんが1歳のころからここで働いているのが、勤続35年のベテラン池田さん。
「ここは、自分を成長させてくれる職場だと思います。決まった時間働いてお金をもらうだけじゃなく、いろんなことを考えさせてもらいました」
「たとえば美術作家の方が、素材を無駄なく作品に活かしているのを見れば、自分はどうだろうって考えるきっかけになる。仕事でお客さんからいただくクレームも切り捨てずに、拾い上げていけばプラスに変換できるかなって、気づきをもらうんです」
もともと大黒屋には、業務マニュアルがない。
それは、義務や役割からではなく、スタッフ一人ひとりが、自分で感じたことを形にしてほしいという思いから。
それだけに、お客さんへの声の掛け方には個性や人間性が表れる。
「新人のころはとにかく、なんでもよく見るように気をつけていました。何月何日に何の花が咲いた、そのとき自分はどう思ったかっていうことを、ノートにびっしり書いてね。そうすると次の年からお客さんに話せることが増えるでしょう」
この周辺は市街地よりも気温が低いため、桜は遅れて咲き、紅葉は一足早く訪れる。
通勤する車のなかで自然の様子を観察するのが、池田さんの日課なのだという。
「春先には、葉っぱのない木々が水を吸い上げて、山が紫になるんですよ。それはここで働くようになって知ったことですね。本当に、心を豊かにしてもらっていると思いますよ」
今は、新しく入った若手のスタッフと話すことで、新鮮な学びを得ているという池田さん。世代による感覚の違いを知ることが、自分のなかに生じた“慣れ”と向き合うきっかけになる。
一方で、20代のスタッフを見ると「この子たちと離れて暮らす親御さんが心配しなくていいように、面倒見ないと!」という責任も感じるという。
そんな先輩たちに見守られながら、ここで社会人としての一歩を踏み出したのが、ショップを担当する羽田野さん。
「一昨年の日本仕事百貨の記事のなかで『一緒に働く相手に思いやりを持てないと、いい接客はできない』って、池田さんたちが話している言葉にすごく共感して。実際に働いてみると、先輩たちもお客さんも、こんな大人になりたいなって思うような優しい方が多いです」
大学では美術を学んでいた羽田野さん。
数ヶ月前からは、ギャラリーツアーのアテンドも担当するようになった。
ツアーのメインは、現代美術家の菅木志雄さんの作品。抽象的な表現も多く、案内は難しくないですか。
「会長からこの役割を与えられたとき、『あなたなりに、お客さまに伝えてください』って言われました。実際にやってみると、やっぱり知識不足を痛感する部分もあるんですけど、自分なりのアウトプットってどういうものなのか、もう少し試行錯誤を続けたいです」
「同じツアーでも、ガイドを担当する人によって雰囲気は違っていて。会長の場合は、一個一個の作品について熱を持って説明する感じだし、別の先輩は、アートだけじゃなく周囲の自然のことも交えて話を進めていて。その違いもおもしろいです」
新潟で生まれ育ち、大学時代を東京で過ごした羽田野さん。縁もゆかりもない栃木県への移住には不安もあったという。
「来てみたら、本当に親や家族のように心配してくれる先輩たちがいたし、寮で一緒に暮らす同僚たちとも気が合うし、不安だったことが一つずつ解消されていきました」
大黒屋は、アートと保養というコンセプトが核となっているため、美術が好き、自然が好き、という共通項を持った人が集まりやすい。
羽田野さんと同期で入社した鶴飼(つるかい)さんも、大学では陶芸を学んでいた。
「学生時代は、自分がつくったものを使う人のことまで思いが及ばなかったんですけど、仕事のなかで花器や食器などのうつわに触れて、少しずつ視野が広がっていく感じがあります」
今はフロントを担当している鶴飼さん。一日は、朝のミーティングから始まる。
チェックアウトからチェックインまでの数時間で、休憩を取ったり部屋のチェックをしたり。夕方から配膳や後片付けを手伝う。
日によって、お客さんの到着時間や人数も異なるため、なかなか計画通りに進まないこともある。
「忙しい日の配膳では、つい、料理を手際よくお出しすることに集中してしまって。あるときお客さまから、アンケートで『もう少し、料理の話を聞きたかった』っていう声をいただいたことがありました」
「それからは、お客さまの様子をもっと注意深く見て、相手に合わせたコミュニケーションができるように気をつけています。私自身はもともと人と関わるのがそんなに上手じゃないんですけど、先輩に教わったり、真似をしたりして工夫しています」
取材が一段落したお昼過ぎ、スタッフの皆さんと一緒に賄いをご馳走になった。
そのお礼も兼ねて、調理場を訪ねる。
今回はフロントと合わせて調理担当も募集する。そのメンバーをまとめているのが入社13年目になる料理長の松本さん。康希さんと、ほぼ同世代の若いリーダーだ。
「未経験であっても学ぶ意欲があれば、包丁の持ち方から教えますよ」
「料理の世界って、修行が厳しいイメージがあるかもしれないけど、新人だからって単純作業ばかりじゃモチベーションも上がらないし、上達度合いに合わせて、いろんなことを任せたいと思っています」
かつてホテルで働いた経験もある松本さん。
厳しい現場のルールのなかで、「ほかのやり方だってあるはずだ」という違和感を感じていた。
「でも、実際に調理場を任されるようになって、自分が思うやり方を試すとうまくいかなかった。それは失敗したからわかることですよね。僕は、スタッフにはちゃんと失敗する経験もさせてあげたいなと思うんです」
立場は違っても、ここで働く人たちはいつも、自分で何か考えようと模索している。
それは、この宿にさりげなく寄り添うアートが、「もっと、身近なものをよく見てごらん」と語りかけるからかもしれません。
忙しい日常から逃れて来た人たちも、きっと、新しい気持ちでいつもの日々に帰っていける。そんな温泉宿です。
(2022/9/13 取材 高橋佑香子)
※撮影時はマスクを外していただきました。