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心の振り幅は
大きいほうが、楽しい
障がいがあってもなくても

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一人暮らしの友だちが風邪を引いて寝込んだら、スポーツドリンクを買って差し入れる。

杖をつくおばあちゃんが階段を降りるとき、肩を貸して一緒に降りる。

ニコちゃんの会の根底にあるのは、そうやって友だちや家族を手伝うような気持ちなんだと思いました。

「それを世の中は福祉と呼ぶんだな、ってことに、私、人から言われるまで気づいてなくて。障がいのある人たちが自分で動けんのやったら、私たちが一緒について動けばいいやん?っていう、当たり前のことを積み重ねてきただけだったんですよ」と、代表の森山さんは笑いながら語ります。

認定NPO法人ニコちゃんの会は、福岡で重い病気や障がいのある方々の訪問介護や通所サービス、イベントやプロジェクトの企画運営などに取り組む法人です。

2023年の春に通所事業を拡大するにあたり、新しい仲間を探しています。

経験は問いません。

デザインや演劇、海外経験など、今働いている人のバックグラウンドもさまざま。それぞれの得意を持ち寄って助け合ったり、わくわくすることを生み出したり。そんな土壌があります。

どんな人が働いているんだろう。障がいのある人と接するって、どんな感じなんだろう?

ちょっとでも気になった人は、読み進めてみてください。

 

福岡市、城南区。

マンションや戸建てが並ぶ、“生活”を感じるまち。油山という山を背負いつつ、天神や博多などの中心街まで車で30分ほどとアクセスもいい。

住宅街を進んでゆくと、事務所の前にゆうゆうと猫が寝そべっていた。

思わず写真を撮っていたら、スタッフの方が扉をあけ、迎えてくれた。猫は、この辺りの地域猫なのだそう。

まずは代表の森山さんに、設立の背景を聞く。

20代の頃、森山さんは涼子ちゃんという、重い障がいのある娘さんを育てていた。24時間介護の傍ら、療育センターで出会った仲間と家族ぐるみで付き合い、いきいきとした日々を過ごしていたそう。

涼子ちゃんは3歳で天国に旅立った。その後、療育仲間のお母さんたちが集い、さまざまな活動が始まっていく。

森山さんが始めた「お遊び助っ人企画」もそのひとつ。障がいの有無を問わず、皆でキャンプやスキーへ行ったり、演劇やダンスをしたり。

あるとき森山さんは、かつてその企画で一緒にスキーへ行った、障がいのある子のお母さんと数年ぶりに再会する。

「『あのスキー楽しかった!うちの家族のなかでは一番の思い出』と言ってくれて。うれしい反面、そのご家族にとってそれが一番の思い出って、私、もっとほかにやるべきことがあるんじゃないかな、と思ったんです」

キャンプやスキーは、いわば打ち上げ花火のような非日常。じゃあ日常は、皆どう過ごしているのか。

日常を、もっと支援したい。

「考えていくと、やっぱり行政の施策を変えていくようなことがしたいと思いました。でも私、世の中のことを知らなくて。これはちょっと勉強せないかんと思って、社会人枠で大学院に入ったんです」

入学は44歳のとき。医学から芸術まで、興味のある授業は何でもとれる環境で、社会を変えていく術を学んだ。

2012年、療育仲間のお母さんたちや大学院で出会った仲間と、ニコちゃんの会を設立。

日常を支えたい思いから、まず取り組んだのは、市との共働事業。その実績が認められ、森山さんは行政の専門部会に複数、委員として参加するように。その後も行政へ直接、現場の声を届け続けている。

一方、「お遊び助っ人企画」で大事にしてきた遊び心や楽しむ姿勢も忘れない。

あるときは、難病で24時間介助の欠かせない人が「オーロラを見たい」と言ったことを機に、3年がかりで準備を進め、その旅を実現したこともある。

設立時から掲げているモットーは、「どんなに重い病気や障がいがあっても、その人らしくこころ豊かに人生を生き抜くことができる社会へ」。

「喜怒哀楽があってこそ、豊かな人生じゃない? だから、関わる人たち一人ひとりがそうなるにはどうしたらいいかな、わくわく!って、いつも考えているんです」

 

森山さんと大学院で出会い、設立メンバーのひとりとなった山田さん。

介護士兼、事務局のまとめ役でありながら、大学で工業設計を学んでいたこともあり、法人のデザインまわりも担当している。

院生だったある日、森山さんに誘われた。

“和樹っていうのがおってさ、車椅子なんやけど。今日誕生日やけん、カラオケ行こうや?”

和樹さんとの出会いを機に、山田さんは「障がい」の捉え方を変えてゆく。

「あまりに普通やったので。それまで僕のなかでの“障がい福祉”って、社会科見学で施設を見る、みたいな感覚だった。でも会ってみたら、酔っ払ってベロベロになるし、タバコも普通に吸うし、あ、こんなに普通なんやと」

和樹さんは気管切開をしていて声は出ない。でもリズム感は抜群で、カラオケでは声は出ずとも、全力で何曲も歌っていたそう。

「和樹とはすごく仲良くなって。でもいろいろとケアは必要やけん、和樹のお母さんがどこ行くにも一緒だった。じゃあ僕がケアできるようになったら、二人で飲みに行こうやと。それでケアの仕方を教わったのが、始まりでした」

「だから僕にとっては、友だちの家に行く感覚に近いんですよね。友だちとして訪問して、必要なことを手伝う。そういう感覚で給料をもらって生活できることは、すごく楽しいし、自分には合っているなと思います」

新しく入る人はまず、山田さんも担当する訪問サービスまわりから関わっていくことになる。

たとえばどんなことをするのだろう。

「朝は、身支度のお手伝い。家に行って、ベッドから車椅子にうつして、髪をといて、装具をつけて。食事は口からとれない方も多いので、胃につながったチューブを通して栄養を注入することが多いです」

「夕方に多いのはお風呂のケアですね。気管切開していると首を水に浸けられないので、抱っこして一緒に湯船に入ります。2人以上のチームで協力して行います。お風呂からあがったあとは、ご家族が帰ってくるまで一緒にゆっくりしたりして」

ときには遠方でのライブや秋葉原での買い物など、趣味のお出かけに付きそうこともあるのだそう。

どんな人が向いていると思いますか。

「訪問だと、タオルの使い方ひとつとっても、各家庭でやり方が違って。未経験でも経験者でも、まずは各家庭のやり方を教わるところから始まります。だから素直な人というか、自分がやってきたことが必ずしも正解とは限らない、と思える人がいいかもしれないです」

 

「そうね〜」とゆるやかに相づちを打ちながら聞いていたのが、森山さんと山田さんの大学院時代からの友人、漆山さん。

主に通所施設で保育士をしながら、通所施設の運営管理も行っている。

子どもが好きという漆山さん。オーストラリアの大学を卒業後、ドイツ国際平和村という、戦争被害にあった子どもたちのための医療支援団体で1年間、住み込みボランティアをしていた。

帰国後、こどもホスピスなどに興味を持ち、大学院へ。森山さんと出会い、一緒に欧州のこどもホスピスを回った。

東京で保育士として働いた後、転職を考え始める。

「私の場合、どこへ行っても子どもが好きなことに変わりはないから、職場選びが難しかったんです。それなら、一緒に働く人がすごく楽しそうで、尊敬できる場所がいいなと思って」

真っ先に思いついたのが、ニコちゃんの会。離れてからも頻繁に近況は聞いていて、いつ話を聞いても、森山さんたちは楽しそうだった。

「この人たちと働きたい!と思って来たのがニコちゃんの会で、それがたまたま、重い障がいのある人と関わる場だったんです」

介護は未経験だったけれど、入ってから資格をとり、少しずつ慣れたそう。

仕事のやりがいは何でしょう。

「通所施設は0歳から大人まで通えるので、長く関われることがすごくうれしいです。ご自宅にも伺うので、お家の様子もわかる。一緒に子育てさせてもらっているというか、親戚が広がっていくような感覚が楽しいです」

 

漆山さんの話に、「親戚のところに遊びにいく感覚というか、『俺仕事してないな〜』って思うことはあるよね」と続けるのが、井上さん。

訪問介護や送迎などを担当する井上さんは、この日もひと送迎終えてきたところ。

20代は福岡で芝居をしていた井上さん。森山さんとはその頃からの友人だ。

29歳で東京へ出てからは、劇団で活動する傍ら、建築関係や映像関係の仕事をしてきた。

ニコちゃんの会には、「すっごい演劇アートプロジェクト」という代表的な活動がある。身体的にバラエティあふれる人たちの演劇公演で、2015年に福岡公演を実現するまでに8年を要した本格的なプロジェクトだ。

井上さんはその横浜公演でDVD制作を頼まれた縁で、あれよあれよという間に、ニコちゃんの会で働くことに。

介護は未経験だったけれど、入ることが決まってから資格をとった。

「50数年生きてきたけど、なんかここに来て、やっと、“実(じつ)”がある仕事をしているな、という感覚があるんですよ」

身振り手振りを交え、言葉を選んで語る井上さん。

「車椅子の青年二人とスタッフで、キャンプに行ったんです。夜、一人が、海に浸かってみたいと言って。抱えて海に入ったんですよね。ちゃぽーんて」

「そしたら『あ、海ってほんとにしょっぱいんだね』って言ったんだよ、彼が。ああ、そうかあと思って。彼らは意外と、僕らが日常でやっていることをしていないんですよ。流れ星も映像でしか見たことがない。でもその日、二人は本当の流れ星を見て。その夜、ずーっと星を見てたんですよ」

そんなふうに気づけることがおもしろいし、そうやって「本人がちょっとやりたいけどできていない」ことを、自分の手が届く範囲でやっていけたらと、井上さんは言う。

どんな人と働きたいか聞いたら、「リスペクトできる人かな。関わる相手全員に、敬意を払える人」。

その横でスタッフの皆さんが「あ〜、わかる!」と声を揃えていた。

 

取材を終え、車で10分ほどの通所施設「ニコちゃん家」へ。

送迎の時間帯。介護スタッフさんがてきぱきと、移動用のバギーへ移し、必要な周辺器具をベッド下やカバンに収めてゆく。

漆山さんも「あいちゃん今日も楽しかった? あ、コスモス描けたと?」と話しかけながら、手を動かす。

2023年の春には場所を移して、新しくケアコミュニティハウスをオープンするのだそう。

0歳から大人までが通える通所施設でありながら、地域の方々ともつながれる拠点として、今後はイベントもそこで開催していく。

出会える場、つながれる場を。

通う人にも、遊びに来る人にも、お互いに刺激になる場をつくりたい。そんな構想をずっと温め、実現に向けて動いてきた。

一本通っているのはやっぱり、「こころ豊かに」という思い。

この人たちと働いてみたい。

そう思ったら、ぜひ会いに行ってみてください。

心の振幅が広がって、人として豊かになっていく日々があると思います。

(2022/09/08取材 渡邉雅子)

※撮影時はマスクを外していただきました。

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