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まちの食、農、教育
視点を広げれば
ごはんがもっとおいしくなる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「自分が体験する前は、田植えをしている様子を見ても『やいよんな(やってるな)』くらいでしたが、今は『あ、大変やな』と思います。見方が変わって、今まで注目してなかったものに注目するようになったと思います」

取材中、町の中学生が綴ったこんな言葉を目にしました。

こんな眼差しで捉えられるものが増えると、世界の見え方も、人との接し方も、きっと変わってくる。

そう信じながら、町の食、農業、そして子どもたちの将来と向き合い続ける人たちがいます。

今回取材したのは、徳島・神山町を中心に活動するNPO法人まちの食農教育

行政や学校、企業や地域の人たちを巻き込みながら、子どもたちが参加する農体験プロジェクトなどを通して、学校における食について考え続けているチームです。

2023年からは、神山町に開校する「神山まるごと高専」で、寮生活をする生徒たちの食を考え、つくり、育てていくことになりました。

そこで募集するのが、コーディネーターとして一緒にプロジェクトを立ち上げ、さまざまな人と関わりながら日々の運営を担っていく人。

合わせて、子どもたちの生活を食で支えていく料理人も募集中。こちらは関連会社の株式会社モノサスに所属する予定です。

どちらも資格や経験があるに越したことはありませんが、持っていてほしいのは、子どもたちを見守る温かな眼差し。

20年後の将来を見据え、目の前の人、食材、料理と向き合う。いいことも大変なことも、日々起きることを楽しみながら進んでいける人を探しています。



徳島空港から車に乗って1時間。

川に沿って広がる山間の町、神山に到着したのはちょうどお昼すぎ。

腹ごしらえのために食堂かま屋に向かうと、隣接するかまパン&ストアの前で、子どもたちが収穫し、パッケージづくりをしたというキウイの販売イベントが行われている。

自分たちで育て、自分たちで収穫して、自分たちでお客さんに手渡す。

小さな農家体験を楽しんでいる子どもたちの横で、イベントのサポートをしていたのが、まちの食農教育の代表理事を務める樋口さん。

樋口さんが神山にやってきたのは、6年ほど前のこと。

それまでは、神奈川で小学校の先生として働いていた。

「教員を目指す原体験は、小学6年生のときの担任の先生です。トラブルが多いクラスだったんですが、その先生が一つひとつ解きほぐすように、話す機会をつくってくれる方で。ちゃんと自分の言葉を発する、ちゃんと聞くっていうことの大事さを教えてもらいました」

自分たちのいる場所のことは、自分たちで話して、自分たちで決めていく。

そんな場をつくりたいと考え先生になった樋口さん。学級経営や特別支援教育など、関心を持ったことを深めながら、仕事の幅をぐいぐいと広げていった。

一方で、仕事に没頭すればするほど自分の食生活は後回し。そんなときに出会ったのが、「白崎茶会」という料理教室だった。

「そこでは料理の方法だけでなく、素材の育てられ方、食材の選び方という視点に出会いました。知れば知るほど、自分がいいと思うものの基準が変わっていって。次第に、給食に疑問を感じるようになってきて。だけど学校給食って、自分ひとりではどうにもできないんですよね」

感じた矛盾をそのままにできなかった樋口さんは、教員を離れることを決意。

パン教室の先生の資格をとって、細々とでもやっていこうと、地元の徳島に戻ってきた。

そのタイミングで知ったのが、神山町役場と神山つなぐ公社、神山にサテライトオフィスがあるモノサスが共同でつくった会社、フードハブ・プロジェクトの存在。

「地産地食」を合言葉に、地域で育てたものを、地域の人たちが食べる。そんな関係と仕組みをつくり、町の農業を次の世代につなげていくことを目指している。

農業の担い手育成を中心に、育てたものをおいしく食べる食堂とパン屋、地域の味を受け継ぐ加工品づくり、そして町の子どもたちの食育に取り組もうと立ち上がったのが、6年前のこと。

樋口さんは自分のパン教室を続けつつ、立ち上げメンバーとして参加。食育の部門を任されることになった。

小学生が農家と一緒に田植えをしたり、高校生と料理人が地元の食材だけでお弁当をつくったり、先生たちも一緒に味噌づくりをしたり。

農業や食の経験を通じて、自分が食べているものがどうやってできているか知り、町のさまざまな人と関わる機会をつくってきた。

「低学年の子どもたちが、畑で引っこ抜いたばかりのカブを『食べていい?』って、泥のついたままその場でかじるんですよ。おいしいとか、辛いとかすっぱいとか、まっすぐな反応がすごくおもしろくて。まず食べたいって思う感性って、すごく大事だと思うんです」

「ああいう幸せな時間をたくさん見聞きできるといいし、町の大人がそういう子どもたちの姿を見られる瞬間を増やしていきたいですね」

2022年の春には、食育の部門が「NPOまちの食農教育」として独立。基本的な活動は変わらずフードハブのメンバーと連携しつつ、より多くの人が関わるチームができつつある。

そんなまちの食農教育にとっての一大プロジェクトになるのが、2023年春に開校する「神山まるごと高専」の食部門を担うこと。

デザインやテクノロジー、起業家精神について、神山での実践を交えながら学ぶ新しい学校の準備が着々と進むなか、5年間の寮生活を食でどう支えていくか、検討している真っ最中。

「1学年40名、最終的に200名の子どもたちが寝食をともにすることになります。3食みんなと食べる食堂は、家のようであり、地域の人と出会う場所にもなる。まずは単純に、おいしいものがあるって自然と足が向く場所になるといいなって思っているんです」

今回募集する料理人は、ここで子どもたちが食べるごはんをつくる人。

コーディネーターとして働く人は、どんな仕事をするんでしょう。

「一般的な学校の給食でいうと、栄養教諭という立場の人が食材の調達やメニューを決めます。その部分を料理人と相談しながら担っていただきつつ、学校の先生と一緒に、体験型の食育のプログラムを進めるチームにも入ってほしいんです」

栄養士や管理栄養士、栄養教諭の資格を持っている人だと働きやすい。

とはいえ決まっていないことも多く、役割を開拓していくようなところもあると思う。

決めているのは、この地域でつくったものを使い、生産者と生徒たちのつながりをつくっていくということ。

すごくいいなと思いつつ、なぜそうするのか聞いてみる。

「そうですね。おいしくなるから、かな」

おいしくなる?

「誰が、どうやってつくっているかを知っていたら、ありがとうって感じられる。見えるものが多いほど、意識の範囲が広がるというか、思考が広がるんだと思うんです。それは食に限らず、ほかのものごとにも通じると思っていて。まずは毎日食べるごはんから、つないでいきたいんです」



町の農家さんたちと話し、関係をつくっていくのもコーディネーターや料理人の仕事のひとつ。

農家さんとつながるサポートをしてくれるのは、フードハブ・プロジェクトの共同代表であり、自身も農家として野菜を育てている白桃さん。

「この6年、本当にいろいろなことがありました」と笑いながら話す白桃さんは、プロジェクトを円滑に進めるための調整役に加えて、農業従事者を育てる役割も担ってきた。

「最近フードハブから独立した松本夫婦が、神山の鬼籠野(おろの)っていう地域の農業を守りはじめたんです。農業研修についての報告会でその話をしたら、地元の人たちが『松本くんたちがいなかったら、あの風景ってどうなってたんだろう』って言いはじめて。ちゃんと人が育って、その農家が地域からも受け入れられた。その瞬間がすごく印象的でした」

「町のなかにいろんな農家がいて、ナスが好きだからおいしいナスを育てるとか、それぞれの想いで、いろいろな品目のものをつくる。小さな農家がたくさんあったほうがおもしろいし、町が豊かになるだろうって思うんです」

フードハブでは2022年の春から、小中学校の給食をつくる神山町給食センターの運営事業を受託。町で育つ220人の子どもたちの給食をつくる日々がはじまっている。

目指すのは、町でつくったものを町で食べる「地産地食」の給食。

メニューに合わせて素材をあちこちから集めるのではなく、そのとき地域にあるものから考えていくような学校給食の仕組みを、少しずつ構築しているところ。

「食堂やパン屋って、行くのも行かないのも選択できる。だけど給食って、この地域で育つ子どもたちが全員食べちゃう。みんなが経験する原体験に関わるというのは責任も大きいし、地域の食全体を担いはじめたんだという感じがありますよね」

「一日何百食という単位で、地域の人が地域のものを食べる。それが成り立てば、農家も育ちやすいし、町の農業を次につないでいける。歩み続ければ変わっていくんだって、実感しているところです」

  

神山町給食センターの運営に料理人として携わっているのが、関連会社モノサスの「MONOSUS社食研」に所属する飯野さん。

高専の食堂にも、料理長として立ち上げから関わることが決まっている。

「父親が社食の料理人だったんですよ。18歳からこの世界に入ってるので、これまでの経緯を話すとすごく長くなるけど大丈夫?」

柔らかさのなかに、厳しさが感じられる方。

学食、社食、和食の料理店とさまざまな場所で、多いときには一日4000食をつくってきたそう。

「最初に入った会社が、冷凍品を使わずに手づくりしようっていうところだったんです。おいしくできる方法を知ってるのに出さないっていうのは、料理人としてだめだと思うんですよね。全力でいいものをつくる。そうやって、料理を続けてきました」

神山町給食センターの立ち上げでは、衛生管理や効率に配慮しながらも、どうしたらおいしくなるか考え、工夫してきた。

大きく変えたことのひとつが、それまで機械で切っていた野菜を、すべて手切りにしたこと。

「機械だと野菜の断面が潰れて、歯ごたえがなくなっちゃうんですよ。せっかくいい食材があるのに、僕らでおいしさを損ねるようなことはしたくないじゃないですか。いざ変えようと決めたものの、220食分の野菜を手で切っていくのは大変で。包丁を持つ右手が動かなくなる日が何度もありました」

高専の食堂は学校給食に比べると制限が少ないものの、寮の食ならではの距離感みたいなものがあるはず。新たな料理人とは、日々どんなごはんをつくっていくのか、一緒に考えていきたい。

「用意したものを食べさせられる場所にはしたくないですよね。『今日は卵とごはんだけでいい』って子がいたり、『ちょっとおにぎり食べたい』ってリクエストが来ることもあるだろうし」

「ある意味、親代わりみたいなところもあるでしょう。子どもたちと話せる関係性をつくっておくことも大事だと思う。調理技術の高さよりも、いい人がいいんじゃないかな。大人になって振り返って、あのときの飯うまかったなって思い出すくらいでね」

神山にやってくる子どもたちを支える食について、真剣に、そして温かく考えている大人がいます。

どんな場所で、どんな関係性を育んでいくのか。

一緒に考え、ときには励まし合い、おいしいものを食べながら乗り越えていく。

そんな人からの応募をお待ちしています。

(2022/12/7 取材 中嶋希実)

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