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一生を超えて、後世に託す
宮大工の仕事

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

日本には、数多くの古い建物が残っています。

古民家や、寺社仏閣。先人たちの知恵が詰め込まれた建物には、当時の時代背景が色濃く表れます。

受け継いだ技法をもって代々に続く建築物をつくり上げ、またそういった建物を修復することで、歴史や文化を後世につないでいく。

宮大工は、まさにその役割を担う仕事です。

一般的な大工と異なるのは、現代の技術も使い、新しい建物をつくりつつ、昔のものをできるだけそのままの状態で保てるように改修し、建物の状態を記録し、残すこと。

今回は、寺社や数寄屋(すきや)専門の大工として働く人を募集します。

経験者はもちろん、ものづくりや宮大工の仕事に興味があれば、未経験からでもはじめることができます。

先輩のもとで、1から宮大工のいろはを覚えていく。まずは彼らの生き様を感じてほしいです。

 

東京・町田。

町田駅からバスに乗って20分ほど。神学校というバス停で降りて、そこから5分ほど歩く。

まわりは住宅街といった感じで、ときおり会社の事務所のような建物も目につく。その一つが、佐々木社寺の建物。外観は倉庫のような見た目だ。

声をかけて、外階段を登った先にある事務所へ。代表の佐々木さんが迎えてくれた。

物腰柔らかに、ゆっくりと話す方。

「うちの主な事業は、社寺建築と、数寄屋建築、そして文化財の修復。この三本柱ですね」

社寺建築とは、その名の通り神社や寺院を建築すること。美しい曲線の意匠にこだわった、ダイナミックな建築が特徴。

一方、数寄屋建築の代表的なものは茶室。質のいい材料を使いつつ、それをさりげなく見せる粋な計らいを要所要所に詰め込む、わびさびの感性がおおもとにある。

「社寺建築に関しては、全体的に縮小傾向にあるように感じています。修復の仕事はあっても、お寺や神社を新築で建てる、みたいなことは年々減っているんですよね」

「そのぶん、文化財修復の依頼は多いです。宮大工って普通はどれか一つの事業に特化しているので、こうして種類の異なるいくつかの仕事があるのはめずらしい。働く職人にとっては、木造建築の面白さをいろいろと経験できる環境だと思いますよ」

佐々木社寺は、佐々木さんが6年前に立ち上げた会社。

中学卒業後すぐに大工の道に入り、家具メーカーや工務店に勤務。一方で父親が牧師であるということもあり、教会のパイプオルガンの仕組みに興味を持ち、修復を手伝ったことをきっかけにアメリカに渡るなど、さまざまな角度からものづくりの腕を磨いてきた。

「当時は自分がやってみたいと思ったことに身を任せて動いていましたね。それでちょうど20歳を過ぎたくらいのときに、やっぱりもう一度日本で建築の技術を勉強したいと思いまして」

「建築といってもいろいろと種類があるので、何がいいかなって考えて。それで、社寺建築と数寄屋建築が思い浮かんで、21歳のときに社寺建築の会社に入りました。そこで10年くらい修行して、独立したっていう感じです」

若い頃から長年ものづくりの世界に身を置いてきた佐々木さん。数あるものづくりのなかでも社寺や数寄屋を選んだのはどうしてなんだろう。

「社寺って、ハウスメーカーの住宅みたいに、同じ仕事がないんですよね。ずっと違うものに携わって、覚えることもたくさんある。一生楽しめるだろうなって感じたのが大きかったです。それに、何百年も残るものに関わることができるのはうれしいですよね」

現在、社員として雇用している大工は8人。それに加えて、それぞれの地域で活動しているフリーの大工を集めて仕事をしている。

設立から6年が経ち、今後会社として成長していくためにも、今回の募集で社員の宮大工を増やしていきたいとのこと。

「わたしが目指しているのは、どんな経験を持った人が来ても雇えるような会社です。職人の世界って、ふるいにかけるようなところがあって。10人入れて1人残ればいい、みたいな。うちはそうしたくないなと思っていて」

「だから、大工未経験でも入ってきてくれていいし、ものづくりに興味がある人ならなおさら歓迎です。1から教えていく体制をつくっていきたいし、未経験でもできることは意外とあるので、やりながら覚えていってもらえたら」

たとえば、文化財の修復作業。何万個もあるパーツを分解し、その一つひとつをマークして、どの時代に修復されたのか、オリジナルはどんな状態だったのかなど、細かく調査書をつくる。

単純に解体して直すだけでなく、解体してわかることを徹底的に記録していくのも、文化財修復の大きな仕事。特別な技術を必要としないので、入ってきたばかりの人でもできることの一つだという。

あとは荷物を運んだり、作業の補助をしたり、いわゆる見習い的な仕事ももちろんある。それをしていくうちに、だんだんと知識と技術、そして体力も身についてくる。

「今年は50代で入社した人もいました。その人はずっと主に音楽をしていて。まったく違う分野ですが、今はこの仕事に魅力を感じて頑張ってくれています」

「大工一筋でやってきた人はもちろん始めやすいんですけど、それ以外の経験を活かせる場面も、必ずどこかにある。たとえばコミュニケーション能力が高かったり、建築以外の知識が豊富だったり、とかね」

まずはそれぞれの得意を知り、そこからできることを広げていってもらう。これが、いま佐々木さんが考えている会社の姿なのだそう。

ただ、当然、宮大工として一人前になるには、それ相応の努力と時間が必要になる。

「宮大工として一人前になるには、『木割り』と『規矩術(きくじゅつ)』を覚える必要があるとわたしは考えていて。『木割り』で部材ごとの寸法を比率から決めて図面を引く。そして『規矩術』で材料に展開させて墨付けする」

木割りと規矩術。ここで詳しく説明するのがとても難しいのだけど、両方とも昔から宮大工に伝わっている技法で、規矩術は差し金と呼ばれるL字型の定規のみを使い、あらゆる角度を正確に出す技法のことだそう。

木割りは、たとえば柱の太さを決めると、それに付随してほかの材木の太さも決まる、というもの。古来からいろんな比率を試してきた結果、建物がより美しく見える建築各部の寸法の黄金比のようなものがあると考えられていて、それに基づいて設計をしていく。

あとは、材木を加工するための印をつける「墨付け」ができるようになれば、宮大工として一人前と言えるそう。

最近では、文化財指定の建物を移築する仕事もあった。

「明治の実業家の邸宅を東北で解体して、都内に移築させる仕事です」

「昔の邸宅って玉石の上に柱が乗っている構造なんですが、それは今の構造基準からすると強度が足りないんです。なので、曳家(ひきや)さんにお願いして、建物全体を空中に浮かせてもらって、下で基礎工事をして、もう一回石の上に乗っける。見た目は同じなんですけど、強度が高まるわけです」

ただ古いものを直すのではなく、今の技術を活かす。なおかつ、この先もっといい技術が生まれるかもしれないので、できるだけ既存材を痛めないようにする。

もとの意匠を変えずに建物を強くする。なおかつ、可逆的に、ある程度もとに戻せるような発想のもとに手を加えていくのが、文化財補修のおもしろいところ、と佐々木さん。

「うちで修行して独立したいっていう気概がある人だったら、全部教えてあげたいですよね。とくに木割りと規矩術、墨付けができる人は限られているので、全員ができる必要はないけれど、やってみたい気持ちがあるならどんどん教えていきたいです」

普通の建築と比べて、社寺や数寄屋、文化財補修は、長いもので数年もの工期を必要とする。

だからこそ、世代を超えたノウハウや知識の共有を、会社という形で実現していきたい。佐々木さんにはそういった思いもある。

「せっかく興味を持ってこの世界に入ってきてくれたのに、醍醐味を味わう前に挫けてしまうのはもったいないと思っていて。一生懸命覚えれば、それなりに仕事はできるようになります。1年目はとくにがんばって仕事に向き合ってもらいたいですね」

 

場所を移動して、ちょうどいま作業をしているという神社の近くの倉庫へ。

作業中のふたりに、休憩の合間時間をいただいて話を聞いた。

まずは、宮大工歴26年のベテラン、草刈さん。寡黙そうだけど、尋ねれば快く話してくれる、気持ちのいい方。

「工業高校の建築科にいて。親父が土木をやってたんだけど、自分は違うほうに行きたいなって思って、大工になろうと。そこからずっと社寺建築に携わっています」

「手元が器用なほうなんでね、大工があってるだろうと当時は思ったんです。あとは体動かすのが好きで。だから現場監督っていうよりは、ずっと職人として働くのがいいなと思ってます。最近は歳で動けなくなってきたけどね(笑)」

26年も続けてこられたのはどうしてでしょう?

「俺は飽き性なんです。でも社寺建築だと一つひとつ案件ごとに違うから、同じ建物を何回も建てるみたいなことがない。これやったら次こっちに行って、また違うことをやって。それがやりがいだし、楽しいですね」

 

草刈さんの話を隣で真剣に聞いていたのが、入社6年目の香取さん。

佐々木社寺が設立されたときに新卒で入社した方。

「中学生くらいのときに、旅行中にどこかのお寺に行って。ちょうど改修工事をしてたんですよ。その様子を見て、こんな歴史ある建物を扱う大工さんがいるんだって、初めて知って」

「そこから社寺建築のことをすごく調べて、高校も工業系で建築の勉強をしていました。卒業したのが、ちょうどこの会社ができたときで。高校の先輩が佐々木社寺と一緒に仕事をしてたのがきっかけで、声をかけてもらったんです」

6年経って、職人としてはどんな感じですか?

「まだまだっすよ本当に。まだまだ(笑)」

すると、隣で聞いていた草刈さん。

「だいたい5年で仕上がりっていう感じやね。そこから覚えるものがどんどん増えていく。一応5年やってると、言われたことはある程度できるようになるから。あとはそこから積み上げていけば、どんどん仕事を任されていって、建築の一切合切がわかってくると思うよ」

香取さんも照れくさそうに答える。

「なりたかった職業ですし、今はなにをしていても楽しいですね。材料を運んでいるときも、ノミを研いでいるときも、いい気持ちで仕事に向き合えています」

「一番印象に残っているのは、『ノミを研いでおいて』って、初めて言われたとき。自分の研ぎを認めてくれたんだって。うれしかったですね。たった一言なんですけど、すごく思い出深いです」

香取さんは、どんな人に入ってきてほしいですか?

「この仕事って、建てたものが何十年、何百年と残っていく。胸を張って自慢できる仕事だと思うので、一緒にその気持ちを感じたいという人が来てくれたらうれしいです」

 

普段の生活ではあまり馴染みのない、宮大工の仕事。

長い年月を経て残り続けてきたものを、さらに後の世に残す。その大切な一部分を担っている人たちでした。

自分の手を動かした先に、何百年と残り続けるものがある。そのやりがいを感じてみたい人は、ぜひ応募してみてください。

(2022/11/24 取材 稲本琢仙)

※撮影時はマスクを外していただきました。

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