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技術と歴史を
ウルシで塗り重ねる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

ここに来るといつも、自分のなかに眠っていたものづくりへの憧れが呼び起こされる。

そう思わせてくれるのは、ここで働く人たちがいつも真剣に、そして楽しそうにものづくりをしているからだと思います。

長野県塩尻市、木曽平沢。

この地域でつくられるのは、国指定の伝統的工芸品でもある「木曽漆器」。木曽平沢では400年ほど前から漆器がつくられてきました。

器を美しく、丈夫にするために、ウルシの木から採った樹液を木製の素地に塗ってつくるのが漆器(しっき)。

漆は器以外にも、神社などの荘厳な歴史的建造物の塗料としても使われています。

今回募集するのは、長野県塩尻市地域おこし協力隊として漆塗り職人を目指す人。

漆塗りの技術を身に付け、主に神社仏閣やお祭りの山車などの文化財を修復・復元していきます。

任期中の3年間は木曽漆器工業協同組合が組織する文化財修復チームに所属して、実際に仕事をしながら漆塗りの技術を基礎から学びます。自分の時間をつかって漆器づくりをしたり、地域の職人の工房を手伝いながら技術を磨いたり。将来は修復チームで仕事をしながら、漆器作家として活動することも可能です。

決して簡単な仕事ではないけれど、伝統技術を引き継ぎ、文化財を後世に残していくやりがいのある仕事だと思います。

ものづくりや歴史、文化財に興味のある人は読み進めてみてください。

 

塩尻インターから車で30分、塩尻市の特産品であるブドウの畑を抜けて国道を進むと、木曽平沢に到着する。

木曽平沢を取材で訪ねるのは今回が3回目。この日は朝から雨が降っていて、山から立ち上る蒸気が幻想的。

ここは「漆工町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた、全国で唯一の町で道沿いに漆器店が建ち並ぶ。

その町並みからすこし外れた場所にあるのが、木曽漆器修復工房。文化財修復の拠点で、これから入る人は主にここで活動することになる。

最初に話を聞いたのは、木曽漆器工業協同組合の理事長を務める小林さん。

ご自身も現役の漆塗り職人で、器だけでなく、建材や風呂など、大きいものも得意としている。

「タンスや下駄箱なんかもたくさんつくったけど、最近はお椀とかお盆とか、基本のものが改めてめっちゃ面白いんですよ」

良質なヒノキ材が多く採れる木曽地域では、昔から木工も盛んに行われてきた。白木のヒノキ製品を丈夫にするために漆を塗ったのが、木曽漆器の始まりとされる。

隣接する奈良井宿は中山道の宿場町。木曽平沢にも多くの旅人が訪れ、木曽漆器は庶民の土産品として人気になった。

明治時代になると、漆器の下地材として塗るのに適した錆土(さびつち)と呼ばれる粘土が発見されたことで、より丈夫な漆器をつくることが可能に。

以来、器や弁当箱といった生活用品や、座卓や大型家具などの業務用漆器の生産によって産地として大きな発展を遂げていった。

そんななか、文化財修復チームが結成されたのは20年ほど前。

生活様式の変化により漆器の需要が低迷するなか、漆塗りの技術を活用して新たな需要を掘り起こすため、文化財修復に取り組むことに。

「もともと職人たちは座卓みたいな大きいものも得意としていたので、塗る面積の広い文化財にも抵抗がなかったのかもしれません」

一般的には専門の業者が請け負うことが多い文化財修復の仕事。木曽平沢は産地全体で組織をつくり文化財修復をするスタイルを、全国の産地に先駆けてつくっていった。

これまでに、大きな案件だと、厳島神社の高舞台や上野東照宮、名古屋城の本丸御殿などの修復・復元にも携わった。

「いまは20人くらいの職人が文化財修復チームに在籍しています。ふだんは個人でも漆器屋の仕事があるので、文化財修復の案件ごとに、出られる人が6~7人くらいで修復作業をするスタイルでやっています」

文化財修復は、今では産地の特徴的な取組として職人たちの貴重な収入源にもなっている。

文化財修復には漆塗り以外の知識も必要となるため、チーム結成当時は有識者を呼んで、文化財とは何か?というところから学ぶ勉強会を行い、文化財修復のためのテキストも自分たちで一からつくりあげた。

「文化財修復の仕事は大きいものを扱うので、動かすのだけでも大変。職人の高齢化や技術継承などの課題を考えると、マンパワーが足りていないのが現実です」

「昔は500軒あった漆器屋も今は102軒で、しかもそのうち稼働しているのは50軒もない。いま私が65歳ですけど、若手って呼ばれますからね(笑)」

とはいえ、一度修復した文化財も数十年のサイクルでまた修復することになる。神社仏閣の耐震補強に伴う修繕などの需要は増えていくことが予想されている。

 

「国がある限り残っていくであろうものに自分の仕事が刻まれるっていうのは、感慨深いなって思いますね」

そう話してくれたのは漆器職人の宮原さん。修復チームを引っ張る存在で、これから入る人とも深くかかわることになる。

「もともと家業が漆器屋で、親父も親戚も職人さんばっかり。勤めに出るイメージはしていなかったですね」

木曽平沢の小学校では給食にも漆器が使われたり、ふるさと学習では漆塗りを体験したりと、漆器が当たり前にある環境だった。

「東京に進学したときに友達の家に行ったら、プラスチックの食器を使っていて衝撃を受けたんです。それまでどの家でも漆器を使ってると思っていましたから」

地元を離れて、漆器の魅力を再認識したという宮原さん。25歳で木曽平沢に戻り、漆器職人の道を歩み始めた。

「最初は家の仕事をしてたんですけど、1年目のときに修復の大きな現場仕事に声をかけてもらって。なにもわからないまま東京に行きました」

漆塗りは、木地を丈夫にするための下地付けにはじまり、塗り・乾燥・研ぎの工程を何度も繰り返していく。

まだ基礎を習得中だった当時の宮原さん。いきなりの現場仕事は右も左もわからずに苦労したそう。

「木曽の職人はダメだなって思われたくなかったので、ほどんどやったことのない下地付けも『できます』って言うしかなくて。でも全然わからないので親父に電話で聞きながらやりました。とにかく毎日必死で、泣きたいときもありましたね(笑)」

当初3か月の予定だったけれど、現場で腕を磨くため結局1年間に仕事を延長した。

「現場仕事も経験して、多少の自信を持って木曽平沢に帰ってきました。それで修復チームで先輩職人たちの仕事を見てみたら、自分のやり方はまだまだ未熟で。俺がやってたのなんて木曽の職人の下地じゃねえ、くそみたいな仕事だなって思いました」

修復チームに所属するのは、それぞれが漆器屋として独立しているベテラン職人たち。つくるものも、得意分野もそれぞれ違うので、先生に囲まれているようなもの。宮原さんは改めて職人たちから仕事の段取りや技術の基礎を学びなおした。

「漆器づくりは効率を重視して途中の工程を省くこともあるんです。一方で修復の仕事は、国指定の伝統的な基本工程で作業するので、1から10までしっかりやることになる」

「修復で扱う文化財の部材も、案件ごとに形やサイズ、数も違うので、経験値も増えるんです。修復の仕事には、質も量も漆塗りを学ぶ上で必要な全てが詰まっているんですよ。塗りの基礎を学ぶのにこんな贅沢な環境はないですね」

修復で学んだ技術は漆器にも応用できる技術。将来自分の作品をつくるのにも役に立つ。

宮原さんは主に修復チームの仕事をしつつ、家の仕事がいそがしければ手伝い、それに加えて個人でも文化財修復の仕事や作品づくりにも励んでいる。

「いまは下地を付けるのが一番楽しいですね。下地をいかに綺麗に付けるかで仕上げの艶やかさが変わってくるので、とても大事な工程なんです。一生下地だけしててもいいかな」

修復チームの仕事は現状のものを元通りに直す修復と、資料をもとに新しく作り直す復元の仕事がある。

基本的には修復工房で作業することが多いが、案件によっては現地へ出張して作業をすることもある。

新しく入る人も、基本的に修復工房で作業をすることになるけれど、将来的には宮原さんと一緒に出張する機会もでてきそう。文化財修復の仕事がないときは、タイミングが合えば地域の漆器屋を手伝うこともできるという。

さらに、最初の2年間は木曽平沢にある木曽高等漆芸学院に夜間で通い、週2日は漆器づくりの基礎を学んでいく。

3年後には宮原さんとともに文化財修復チームの仕事を担えるようになるのが理想だ。

 

2023年の秋に木曽平沢へ移住した竹内さんにも話を聞く。現在は地域おこし協力隊として木曽平沢の漆器職人のもとへ弟子入りし、漆器づくりを学んでいる。

漆器だけでなく、移住に関しても先輩となる存在がいるのは心強い。

もともとものづくりが好きだったという竹内さん。将来は何かをつくる仕事がしたいと思っていた。

「実家が飲食店をしていて、よく皿洗いを手伝わされていました。いそがしくて雑に扱うので、結構割れちゃうんです」

「それで割れにくかったり、修理できるものがいいなと思っていて。高校生のときにお店にある漆器を見て、これならいいなと思って漆器づくりに興味を持ちました」

高校卒業後、漆芸を学べる京都の専門学校へ通い、その後は石川県輪島の漆器の会社へ就職した。

輪島での仕事は工程ごとに分業化されていたため、一つの作品を一からつくり上げられる会社を探していた。そんなときに、ぴったりな募集を日本仕事百貨で見つけて木曽平沢に来ることに。

働いてみてどうですか。

「職人さんに気軽に質問できて、みなさん快く教えてくれるので楽しいです」

たしかに、修復工房を見学させてもらうと、話しながら和やかな空気で仕事をしているのが印象的だった。

これから加わる人も自分からどんどん話しかけにいけるような人だと上達も早くなりそう。

竹内さんは協力隊の任期が終わる3年後には独立することを目指している。

「報酬をもらいながら3年学べるのはとてもありがたい環境です。だけど一般的には独立するのに10年かかると言われているので、3年は短いですね」

師匠の工房での仕事に加え、漆芸学院へ通い、文化財修復チームでも週2日作業。さらには自宅の2階を自分の工房にして漆器づくりをする日々を送っている。

話し方は控え目だけれど、漆器づくりに対するまっすぐな思いがひしひしと伝わってくる。

竹内さんが作業する師匠の工房も見させてもらうと、ちょうど欠けたお皿を修理する金継ぎの作業中だった。

「これは実家のお店で使っているお皿です。割れたお皿がたくさん送られてきます。修理してって(笑)」

新しいものをつくることもものづくりの魅力だけれど、一枚のお皿でも、歴史のある文化財でも。誰かの想いや歴史が詰まったものを直して残していく仕事も素敵だなあ。

毎年6月には漆器祭というイベントも開催している。木曽平沢が1年で一番賑わう時期だ。

少しでも興味があれば、まずは漆器祭で木曽平沢を訪ねてみてください。職人さんに会ったら、自然とわくわくした気持ちになれると思います。

(2024/4/3 取材 堀上駿)

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