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コツコツと、黙々と
ガラスづくりを支える
縁の下の力持ち

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

一つひとつ、丁寧に。

職人の手でつくられるガラス製品は、息をのむような美しさがあります。

吹きガラスの現場でよく目立つのはガラスを吹く職人さんですが、もちろんそれ以外の職人さんたちもいる。影ながら支えている人がいるからこそ、美しいガラス製品が生まれる。

コツコツと、黙々と。ものづくりを支える。

その言葉が似合う仕事を紹介します。

舞台となるのは、北海道・小樽。

観光地としても有名なこの場所に、株式会社深川硝子工芸があります。

名前から察する方もいるかもしれませんが、もともとは日本仕事百貨のオフィスもある、東京の深川と呼ばれる地域にあった会社です。

今回募集するのは、ガラス製品の加工に携わるスタッフと、昼間の製造が終わった後、ガラス原料を窯に入れて火の番をする「窯焚き」と呼ばれるスタッフ。窯焚きは夜勤として働くかたちになります。

コツコツと黙々と目の前の仕事に取り組む。それが性に合っているという人には、どちらも、自分の力を発揮して働くことができる仕事だと思います。

あわせて、経理・総務担当も募集します。

 

小樽へは、新千歳空港から快速エアポートに乗って向かう。小樽行きに乗れば、空港から乗り換えなしで行くことができる。

札幌を通り過ぎ、広大な風景と石狩湾を見ながら電車に揺られること1時間半ほど。小樽駅の一つ前、南小樽駅で降りる。

そこから歩いて10分ほどの場所にあるのが、深川硝子工芸の本社兼工場。

代表の出口さんが迎えてくれた。

深川硝子工芸は、創業から117年の老舗硝子工場。最初は薬や塩などを入れるためのガラス瓶の製造からはじまった。

「そのときは営業しなくてもいいくらい、受注が山のようにあったと聞いています。でも時代が進むにつれてだんだんと需要が減ってきて。昭和の途中から、グラスなどの食器をメインにつくるようになりました」

当時は、東京・深川の住吉の川沿いに工場があったという。

大きな変化が訪れたのは、先代である出口さんのお父さんが社長になった20年ほど前のこと。

住吉が住宅地として開発されることになったのもあり、土地を売って、北海道の小樽に工場を移転した。

どうして小樽だったんでしょう?

「理由のひとつは、小樽に大きな取引先があり、30年前はそこの商品だけで9割近い売り上げがあったんです。今も取引は続いているんですよ」

「うちとしてもかなり大きい存在だったので、近くにいたほうが輸送コストもかからない。それが大きかったようです」

移転時は、40人いた社員のうち10人ほどがついて来て、現地で採用した人も含めて20人ほどでスタート。その後は高卒の若者を中心に採用し、技術を承継、今はその人たちが入社15年目くらいになって活躍している。

出口さんが会社に入ったのは9年前。入社後は代表になることを見越して、すべての部署を経験し、改善ができることは何か、考えていく日々だった。

「2年くらい現場にいて、その後は半分営業、半分現場みたいな働き方をしていました。既存の取引先からの注文数が少なくなってきたころだったので、全国各地を回って売り先を増やしていきましたね」

「おかげさまで去年と今年は売り上げの調子がいいんです。ガス代とかが上がっているのがつらいところですが、コロナ禍の前と比べても1.4倍くらいに増えています」

基本的にはガラス製品の生産を担っている会社なので、BtoBがほとんど。最近は自社オリジナルの小樽切子をつくったり、ECサイトでBtoCもはじめたりなど、出口さんの営業の成果もあり、売り先も増えてきた。

今回メインで募集するのは、吹きガラスの「吹き」の次の工程である「加工」担当と、「窯焚き」担当。

「共通してるのは、何事もコツコツできる人。人より目立って、才能をバンバン発揮してくれっていう感じでないんですよね。着実に仕事をこなせる人がその二つの持ち場では大事だと思います」

加工も窯焚きも、ガラスにかかわる経験はなくてもいいそう。

ものづくりに興味がある人にとっては、ガラスの世界に触れる、いいきっかけになるかもしれない。

話がひと段落したところで、工場を案内してもらう。階段を登った二階には、広い作業場が。

ガラス製作の最初の工程が「吹き」。長い棒の先に溶かしたガラスを巻きつけ、息を吹いて膨らませる。

膨らませて形をつくったら、それを徐冷炉と呼ばれる機械へ。ガラスは急に冷えると割れてしまうため、4、5時間かけて15メートル進むゆっくりとしたスピードのベルトコンベアで、加工スタッフのもとに届けられる。

加工では、まずダイヤモンド製の刃がついた道具を使って、グラスの上部分についている余分な「カブ」を切り取るための線を引く。

その後、バーナーのようなもので回転させながら線のところを炙って切り取る。

これが「火切り」と呼ばれている作業。

そのままでは飲み口が鋭利であるため、切ったあとは「擦り」という過程に進み、ヤスリが取り付けられた機械で飲み口の部分をなめらかにする。

擦りのあとは、再度飲み口に火を当てて、さらになめらかな形状にする「口焼き」を。

そしてもう一度除冷炉に通して、出てきたものを梱包して完成だ。この一連の流れを、加工チームは日々分担している。

 

一通り見せてもらったところで、加工を担当している平野さんに話を聞くことに。20歳から働きはじめて、11年目になる。

「ぼくは生まれも育ちも小樽で。一度別の場所で働いて、小樽に戻ってきたときに、たまたま北一硝子のお店が目に入ったんです。ガラス製品を見て、やっぱりものづくりっていいなあって感じて」

「小樽の歴史も勉強していたので、あらためて地元に愛着が湧いたんですよね。ガラスのものづくりを通して小樽に貢献したい。そんな思いで入社しました」

最初は吹き職人として働いていた平野さん。1年ほど前に異動し、加工チームに加わった。

今は加工の最初の工程である「火切り」で、不要なカブを取り除く作業を主に担当している。

「基本的に、加工スタッフは火切りも擦りも口焼きも、全部の作業ができるようにします。そうすると、誰かが休みのときもカバーできるし、手が回っていないところのヘルプもできる」

「吹きはやっぱり面白いんですが、加工のほうもいろんな形に合わせて素早く針の高さをいじって、バーナーの機械にセットして切る。手際よくできればできるほど、次の工程もスムーズに進むので、うまくこなせるようになってくるとうれしいですよね」

多いときには、だいたい半日で600個ほどを加工する。正確さはもちろん、スピードも求められる仕事だ。

「突き詰めても、終わりがない。やることやれることが無限にあると思っていて。それがうちの仕事の面白いところだと思います」

平野さんはどんな人と一緒に働きたいですか。

「ちょっとでもガラスの世界に興味があれば、働く動機として十分だと思います。お酒が好きだったり、工芸品が好きだったりでもいい」

「ぼくは小樽が好きで小樽に貢献したいっていう理由からスタートしていたので、興味の持ち方はなんでもいいんだと思います」

 

話がひと段落し、17時半ごろ。出勤してきたのが、窯焚きを担当している野澤さん。勤続20年のベテランだ。

入社したときから窯焚き一筋。ずっと夜勤で働いてきた。

「出身は積丹(しゃこたん)のほうですね。一度仕事で道外に出て、30歳前半で帰ってきて。北海道は冬は雪がすごいので、夏だけの仕事がほとんどだったんです。でも、たまたまここが通年雇用だったんで入ったっていう」

「夜勤っていうのもわかっていたんですけど、前働いていた自動車工場も夜だったので、夜でもいいかなって」

大変なことはありますか。

「やっぱり熱さ。あと重さだね。硝子の原料って1袋30キロあるから。それを細長いちりとりみたいな道具で窯の中に入れるんだけど、これもまた難しい。コツつかむまでは、こぼしちゃったりする。今でもたまにあるからね(笑)」

窯に原料を入れる時間は、だいたい決まっている。

17時20分までに出勤し、昼間の人から、原料が多かったか少なかったか、溶け具合はどうかなど、今日の硝子の様子について引き継ぎを受ける。

投入は、17時半から18時の間に一回目。20時に二回目、22時に三回目、そして24時に四回目。だいたい2時間おきくらい。あいた時間は掃除をしたり、休憩したりと、比較的自由に時間を使うことができる。

窯に入れる量はどうやって決めているんでしょう。

「量はその日使われたガラスの量に応じてですね。毎回これだけ入れなさいっていうわけじゃない。今日二袋入れるとかは、自分の判断で」

へぇ…! それって最初は判断がむずかしいですよね。

「そうそう。入れても原料は溶けて沈んでいくので。その沈み具合を見て、入れる量を考えないといけない。僕が入ったときはもう一人いたので、その人に電話で聞いたりしてね。今は僕がいるので、聞きたいことがあればなんでも聞いてくれたらと思ってます」

現在、深川硝子工芸で窯焚きの仕事をしているのは、野澤さんのみ。野澤さんが休みの日は、出口さんなど、役員が出勤している。

新しく人が入ったら、シフト制にして夜勤の人の負担が減るようにしていきたい、と出口さんも話していた。

「窯焚きは翌日問題なく硝子を使えるようにすることが当たり前とされている仕事です。使えないと職人さんから言われますよ、『少ない』って(笑)。だから難しいです」

20年ってすごく長いなって思うんです。続けることができた理由ってなんでしょう。

「なんだろう… 強いて言うなら、仕事の仕方が自由で、自分なりに工夫できるところじゃないですかね。入れるべきところにしっかり原料を入れる。それさえできていれば、比較的自由に過ごせるので」

新しく入るとは、まず野澤さんと一緒に仕事をして、一通りの作業を学ぶことになる。

「短気じゃない人がいいかな。気が短いとたぶんダメだと思いますね。あとは友だちが多くない人とか(笑)。ひとりでも平気な人」

「入ったら三ヶ月くらい一緒にやりながら仕事を覚えてもらう予定です。お互い助け合うことができたら、ガラスもしっかり仕込むことができるし、お互いちゃんと休めるようになると思うので、いい人が来てくれたらいいなと思います」

 

インタビューのあと、窯焚きの仕事を見せてもらいました。

30キロある原料を運び、手際よく窯に入れていく。窯は蓋を開けた瞬間熱気がぶわっと出てきて、離れて写真を撮っているぼくでも熱いなと思うくらい。

近くで原料をしゅっしゅっと入れていく野澤さんは、わずかな時間でも顔に汗が滲んでいた。その姿は、とてもかっこいいと感じました。

加工も窯焚きも、表に出ることの少ない黒子ではあるけれど、その存在がなければガラスをつくることはできない。

影で活躍するのが好きな人には、とても合っている仕事だと思います。

(2023/5/8 取材 稲本琢仙)

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