求人 NEW

濃く、新しく
たまり醤油の伝統を
未来へ継ぐ

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「この木桶は生きているんです。だから、おいしいたまり醤油ができる。これをなくしちゃいけないと思うんです」

そう話すのは、山川醸造の代表、山川晃生(あきお)さん。

「たまり醤油」は、主に東海地方で親しまれている醤油。

長良川の豊かな水を使い、通常より少ない塩水で仕込むため、濃口醤油よりも濃く、とろっとしているのが特徴です。

お刺身用として知られていますが、煮物に使ったり、出汁を混ぜてそうめんのつゆにしたりと、使い方のバリエーションはさまざま。

山川醸造は、このたまり醤油を巨大な木桶でつくっている、日本でも数少ない醤油蔵です。今回は、製造スタッフと営業兼製造補佐スタッフを募集します。

伝統的な製法を用いて、質のいいたまり醤油をつくり続ける。そしてそれを未来へ継いでいく。

その一員となってくれる仲間を求めています。

 

山川醸造があるのは、岐阜県岐阜市。

駅前はほどよい都会の雰囲気で、暮らすぶんには不自由しなさそう。駅からバスに乗り、15分ほど。長良北町というバス停で降りる。

幹線道路沿いには銀行や飲食店が並んでいる。細い道に入ると、辺りは住宅街に。

こんなところに醤油蔵があるのだろうか。そう思いながら5分ほど歩いていると、フワッと醤油のいい匂いが風に乗ってきた。ここが山川醸造のようだ。

向かいにある直営のショップ「たまりや」の暖簾をくぐると、数々の醤油が並んでいる。一般の人も自由に醤油を買うことができる。

「こんにちは。遠くからありがとうございます」

そう声をかけてくれたのが、山川醸造の3代目であり代表の山川晃生(あきお)さん。

さっそく、たまり醤油を生産している工場を案内してもらいながら話を聞く。

山川醸造の創業は、昭和の戦時下だった1943年。

もともと酒屋を営んでいたものの、地域の食糧不足に貢献したいという思いから、木桶仕込みのたまり醤油を製造するようになった。

その後、晃生さんのお父さんが山川醸造を引き継ぎ、今は晃生さんが3代目のバトンを受け取っている。

「継いだ当時はちょうどバブルが崩壊したタイミングで。それまでは飲食店などに卸すBtoBが中心だったので、売上がガクッと下がってしまったんです」

「経営も厳しくなるなか、伝統的なたまり醤油を存続させるためにはどうしたらいいか。考え続けた結果、家庭でも使ってもらおうと、BtoCの販売をすることを決めました」

ただ、単純にたまり醤油を家庭用に販売するだけでは、売り上げは伸びない。

そこで醤油の新しい使い道を考え、卵かけごはん用の醤油や、アイスクリームにかける醤油など、これまでになかった新しい加工品を生み出していった。

とくにアイスクリームにかける醤油は日本初だったこともあり、メディアにも多く取り上げられた。

「もちろん売れるのはうれしかったんですが、ずっと加工品を売りたいというわけではなくて。新しい商品をきっかけに、“たまり”という文化を知ってほしいと考えていました」

「つまり、たまりのことを知ってもらう入り口として、新しい商品をつくった。そんなイメージです」

たまりをもっと知ってもらいたい。

山川醸造では年に2回、一般のお客さんを集めて製造過程を見学してもらうイベントを企画している。年始にはもちつきをするなど、目指すのは一般の人にひらかれた醤油蔵。

醤油蔵には、人の背丈を軽々と超えるような大きさの木桶が、ずらーっと並んでいる。

すごい迫力ですね。

「仕込みに使っているのは30くらいで、貯蔵用や味噌を仕込んだものも含めると全部で100ほどあります」

「同業の人が見学にきても、『こんな大きい桶がこれだけの数あるのは初めて見る』って大抵の人に言われるんですよ」

仕込みは冬の時期におこなう。それらがたまり醤油として完成するのは、なんと2年後。そして木桶から抽出するのに、さらに半年以上かかる。

かなり根気のいる作業だ。

「最初は、水に浸した大豆を2時間かけて窯で蒸します。その大豆をミンチにして麹菌を吹き付け、麹室に運び三日間寝かせる。これで豆麹と呼ばれるものになります」

豆麹になったら、木桶に投入。

布をかぶせ、その上に重石を敷き詰める。隙間なく詰めるのはむずかしく、職人の技が光る作業だ。

きれいに敷き詰めたら、豆麹と同量か半分の塩水を流し込む。この塩水の量が、通常の醤油づくりと比べて少ないため、濃いたまり醤油ができるという。

あとは1週間に1回、桶に入れられた煙突状の道具に塩水が溜まるので、それを汲み上げて石の上にまわしかける。

これを2年繰り返すことで、桶の中の水分が循環して、均等に発酵したおいしいたまり醤油になる。

「2年ほど経ったものは、桶についている蛇口を開けて、ポタポタと落ちてくるたまりを集めます。これを生引きっていうんですよ」

「途中からはちょっとずつしか出てこないので、6ヶ月かけて一桶の半分の量を抜き出します」

生引きが終わると、桶のなかに残った後の豆麹が溜まる。これはもろみと呼ばれていて、スコップを使い手作業で掘り起こす。

最初は楽だけれど、底のほうまでいくと自分の背丈より高くもろみを持ち上げないといけないので、かなりの重労働。

そうして取り出したもろみは機械を使ってスライスして、2日ほど圧搾機にかける。これでもろみに残っているもう半分のたまり醤油をすべて出し切ることができるという。

仕込みからたまりを出し切るまでに2年半以上… そんなにかかるとは知りませんでした。

「そうですよね。ほとんどの人は知らないと思います」

「あとこの空の桶を見てみてください。触ってもらうとよくわかるかな」

桶を見ると、下のほうは白くなっていて、触ってもなにもつかない。逆に上のほうは茶色くなっていて、触ると醤油が手につく。

桶から醤油が…?

「最近雨の日が多いのもあって、湿度が高くなっていて。そうなると、桶の上のほうから醤油が染み出してくるんです」

「桶は木なので、空洞のなかに酵母菌とか微生物が棲みついているんですね。これが醤油をおいしくする。桶自体が生きているんですよ」

一連の作業の話を聞いていると、想像以上に力仕事があり、単純作業を繰り返すことも多い。体力も気力も必要な仕事なのだと思う。

いま製造を担っているのは、50代、40代の人たち。体力的にもきつくなってきているので、若い人に加わってもらえたらうれしいとのこと。

「伝統」という言葉を過剰に考えず、時代に合わせたものづくりをしていくことで、たまりを知ってもらう。これが晃生さんの考えるものづくりだ。

 

その想いを受け継いでいるのが、晃生さんの娘さんで、4代目となる予定の山川華奈子さん。

「3年くらい東京で働いていて。そのころからいつかは自分が継ぐっていう思いは持っていました。いろんなタイミングが重なって、5年前に戻ってきたんです」

継ぐ、ということが、重荷やプレッシャーになることはなかったですか?

「戻る前は、正直ありましたね。前に働いていた会社の人たちがすごくよくしてくれたので、辞めたくない気持ちも正直ありました」

「でも、自分はうちの醤油で育っているし、当たり前にあるものがなくなっちゃうのはいやだなって。それで帰ることを決めたんです」

戻ってきてからは、ホームページやECサイトを整備しつつ、醤油の仕込みについても学んでいる。

「先ほど説明を受けたかもしれないですが、一度に3トンくらい大豆を蒸して、それを麹にして桶の中に入れるんです」

「そうすると、麹の胞子がわーって舞って、まわりの光景が真っ黄色になるんですよ。菌なので、体の奥に入って人によってはアレルギー反応で熱が出たりするんですけど、こんな環境でやっていたんだって。いい意味で衝撃を受けましたね」

工場の横に直売店があることも、華奈子さんにとっては大きいことだった。

「お客さんから『この醤油を50年使ってるよ』って言っていただいたことがあって。すごくうれしかったんですよね」

「純粋に、この人が一生使えるようにしたいなと思ったし、今日初めて手にしてくれたお客さんも、もしかしたら50年後そう言ってくださるかもしれない。身も心も引き締まりましたね」

すでに4代目として、まわりの人からも認知されている華奈子さん。

これからどんなたまり醤油づくりをしていきたいですか。

「父がたまりへの入口を広げてくれているので、わたしはたまり自身をおいしいって言ってもらえるように、クオリティを上げていきたいというのが一番です」

「毎日使う醤油がおいしいって言ってもらえたら最高じゃないですか。それが理想ですね」

最近では、各地の醤油蔵でコンソーシアムをつくり、海外へも輸出している。日本だけでなく海外へもたまりのおもしろさやおいしさを伝えていきたい、と華奈子さん。

笑顔で、はっきりとそう話してくれる姿は、とてもたくましく感じた。

 

最後に話を聞いたのは、晃生さんの弟である和俊さん。

商社で働いていたところ、20年ほど前に帰郷。そのまま山川醸造を手伝うことになった。

「当時両親は、もう廃業したほうがいいってしょっちゅう言ってたんです。赤字続きで、続ける意味がないって」

「でも、せっかくおじいさんがつくった会社なんで、なんとか盛り返したい気持ちがあって。それで手伝うことを決めました」

とはいえ、重労働もある仕事。若いときはよかったけれど、年齢を重ねるにつれ、作業がしんどくなってきつつある。

「もろみを掘り出すのもそうだし、重しに使う石や桶を洗うとか。地味で大変な作業もあるので、醤油づくりをおもしろがって、一生懸命やってくれる人が来てくれたらいいですね」

和俊さんにとって、おもしろいと感じるのはどんなところなんでしょう。

「そうですね… たとえば、いい麹ができたときは、すごくうれしいですよね」

「いい麹ができると、桶に入れたときに胞子がたくさん舞って、まわりが見えなくなるくらいになるんですよ。視界が真っ黄色になる。それがいい麹なんです」

麹は生きものなので、同じ条件でつくったとしても、いい麹ができるとは限らない。だからこそ、いい麹ができたときのよろこびは格別なのだろうな。

「不思議なもので、麹があまりよくないかもっていうときも、木桶の中に棲み着いている菌がカバーしてくれて、結果的にはいい感じに出来上がるんですよ。そういうのもおもしろいですね」

最後に、和俊さんはどんな人と働きたいですか?

「同じ作業を続けるのが苦手な人だと、仕事がつらくなっちゃうのかなと思っていて。一人で黙々と、作業のなかにもおもしろさを見つけられるような人だったら、続けられるのかなと」

「仕事も仕込みだけじゃなく、瓶詰めとか容器への充填、発送とかもあります。人数が少ない会社なので、いろんな仕事をお互い手伝いながら進めていく。それも楽しんでくれるような人が来てくれたらうれしいです」

 

たまりをつくる工程を聞いて思ったのは、技術以上に一つひとつの作業に向かう真摯な態度が大切だということ。

ある意味、それが技術に勝るような面があるのかもしれません。

たまり醤油や発酵、木桶での製造など。いろいろなことに興味を持ちながら、真摯に取り組める人をお待ちしています。

(2023/6/9 取材 稲本琢仙)

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