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車2台がギリギリ通れるくらいの幅の道。
両側には、酒蔵や醤油屋が並び、木造の住宅で美しく統一されている。
昔は全国各地に存在していた「街道」の街並みは、時代の流れとともに失われつつあります。
古い建築は、どうしても設備の老朽化が進んでいく。維持・管理のむずかしさから、取り壊して新築するという考え方になりがちですが、最近はリノベーションして新しい活用方法を考える人たちも増えてきたように思います。
その最前線にいるのが、株式会社つぎと。各地に眠る古民家を改装して、宿やレストランなどの開発・企画から運営まで行っている会社です。
今回は、島根県出雲市の古い街並みにある宿の運営・企画に携わる人を募集します。
ゆくゆくは別の場所にも宿をつくる予定もあるそう。
古民家活用や、街並みや景観の維持に興味がある人には、面白い仕事だと思います。
島根・出雲。
出雲縁結び空港から車で15分ほど走ると、木綿街道(もめんかいどう)に行き着く。木造の建物が連なっていて、なんだかいい雰囲気。
まず向かったのは、木綿街道の北の端にある、木綿街道交流館。入ってすぐのところに観光案内所、その隣には食堂がある。
奥にある座敷で話を聞かせてもらったのが、木綿街道振興会の専務理事を務めている平井さん。
平井さんには2年前にも一度取材をしていて、そのときはまだ宿のオープン前だった。
「2年があっという間ですね。私は変わらず木綿街道を盛り上げるための活動をしていて。この2年でいろんなことが変わってきました」
平井さんの活動の原点とも言える場所が、旧石橋酒造。数年前に廃業後、残された建物をなんとか活かしたいと、さまざまな活動をしてきた。
そのなかで出会ったのが、全国各地で古民家活用の事業を行っているNOTE。彼らと出会ったことで、石橋酒造を宿として活用するプロジェクトが始まった。
「補助金をとりにいったり、企画を考えてくれたり。彼らがいなかったら宿はできていなかったと思います。だから感謝しかないですね」
完成した宿は、「NIPPONIA出雲平田 木綿街道」。酒造の名残を存分に活かした、歴史ある雰囲気の宿だ。
そしてそれに続くように、昨年の9月には、木綿街道沿いにある現役の酒造、酒持田本店の蔵を改装した宿「RITA 出雲平田 酒持田蔵」も完成。
NOTEが開発に携わったNIPPONIAとは異なり、RITAはつぎとが開発・運営に入っている。
宿として活用することで街並みが維持され、木綿街道に新しい人の流れが生まれる。観光に訪れる人も、少しずつ増えているそう。
「今の木綿街道って、家を改修しようと思ったら、どんな家にしようと自由なんですよ。つまり洋風にもできちゃう」
「だから街並み保存の制度を市につくってほしい希望はあります。ちゃんと明文化して、外観の補修とかにお金をかけることができれば、もっといい場所になる」
約20年、木綿街道のまちづくりに取り組んできた平井さん。活動のモチベーションはどこにあるんでしょう。
「うーん… 責任感とかではないけど、やっぱり約束、ですかね」
約束?
「たとえば一週間後に取材を受けるとか、この日までにこの文章を仕上げるとか。わかりましたって小さい約束を守り続けていると、その間に次の約束が入る。小さい約束がどんどん溜まって、やることがたくさん出てくる」
「その小さい約束を、私は絶対守ろうって思ってるんです。それは自分が忘れんかったり、ちょっと努力すれば守ることができるから」
それはこの取材かも知れないし、友人との約束かもしれない。たとえどんなに些細なことであろうとも、木綿街道のことに関しては、平井さんはいつでも本気で向き合ってきた。
「自分にできることは可能な限り応えていきたいし、それを積み重ねていくことが木綿街道の価値の向上につながる。だからこそ、小さな約束の積み上げはすごく大事にしています」
平井さんは、今後も木綿街道の活動を続けていく。新しく来る人にとっても、わからないことがあればなんでも教えてもらえる、心強い人だと思う。
平井さんは、どんな人に来てもらいたいですか?
「こういうことを言うと人が傷つくかなとか。あの人困ってないかなとか。そういう気遣いができる人がいいですね」
「やっぱり、思いやりと心遣いが宿の人には必要だし、それはこの木綿街道で暮らすためにも必要なんだと思います」
次に訪れたのは、蔵を活用した古民家宿「RITA」の目の前にある酒持田本店。
蔵はもともと持田さんの持ち物で、RITAを運営する株式会社つぎとに貸与している。
「東京の出版社で働いていたんですが、30歳のときに先代が病気になりまして、それで戻ってきました。大学も醸造科ではないし、私はまったく畑違いのところからスタートしたんですね」
ということは、もともと継ぐ意思がなかったんでしょうか。
「そうなんです。そもそも日本酒業界って、一番の最盛期が100年くらい前の大正時代なんですよ。けれど、そこからひたすら右肩下がり。日本酒って、国内のお酒全体のシェアの何%だと思います?」
どれくらいだろう… 20%くらいでしょうか。
「それがね、5%なんです。簡単に言うと、100人いたら95人は違うものを飲んでいる。この15年で、島根県内の酒蔵はいくつかなくなってしまいました。国内は厳しい状況なので、今は輸出に力を入れています」
それでも戻ってこられた。
「ええ。私には二つ残したいものがあって。一つは、この歴史ある建物。そしてもう一つは、出雲杜氏が1000年以上つくり続けてきた日本酒の歴史。この二つを途絶えさせるわけにはいかない。その気持ちが大きかったです」
酒蔵は敷地面積が広いため、開発業者からするとマンションなどの大きい建物をつくりやすい。平井さんが守ってきた旧石橋酒造の建物も、一度はアパートになる計画が立ち上がったこともあった。
「だからこそ私たちは、建物の価値を大切にしているということをちゃんと表明して、残していかないといけないんです」
RITAは、1泊2食付き2名利用で約6万円ほど。ラグジュアリーな内装と食事を楽しむことができる。
「蔵を宿にすることによって、うちが抱えていた課題を三つほど解決できるんですよ。一つは、空き家だった蔵を有効活用できたこと。二つ目は、このやり方を地域の人に真似してもらえるということ。そして三つ目が、日本酒文化を広めるきっかけになる、ということです」
一つ目はよくわかるけれど、二つ目と三つ目はどういうことでしょう。
「こういう方法で空き家を活用できるんだ、って地域の人が知ったら、同じことをしたいという人が出てくるかもしれない。それは、この木綿街道の空き家問題の解決につながりますよね」
「三つ目は、イタリア料理に合わせてワインを選ぶように、日本酒も料理に合わせる文化を発信していくということ。これはすでに実践しています」
RITAの夕食プランは、街道沿いにあるイタリア料理店か、少し離れた場所にある和食料理店かを選ぶことができる。
そのどちらにおいても、持田さんが料理人と一緒に日本酒と料理の組み合わせを考え、ペアリングのコースを提供しているという。
古民家がひとつ宿に変わることで、人の流れが生まれる。そしてそれは、消えかけていた文化を生き返らせる火種にもなる。
「自分の仕事で、なにかしら世の中を変えたいっていう人にとっては、面白い仕事だと思います。街並みをつくっていくなんて、なかなか経験できることではないし、やり遂げたら100年単位で残っていくものなので。そこまで考えて働いてくれる人がいたらいいですよね」
続いて酒持田本店の目の前にあるRITAへ。
待ってくれていたのが、株式会社つぎと出雲の小村(おむら)さん。
RITAには昨年のオープン準備からかかわり、今は管理、運営を担当している。
「地元が平田なんです。もともとは保育士をしていたんですが、子どもたちがより自然な状態で育つにはどうすればいいのかって疑問を持って。それで津和野に行って、森のようちえんで3年半働いたあと、地元に戻って宿の仕事を始めました」
「オープンしたのが昨年の秋で、出雲では一番観光客が多いピークの時期なんです。稼働率も高かったですね。でも一棟貸しなので、なんとかなる仕事量ではありました」
チェックインは、宿ではなく向かいの酒持田本店のスペースを借りて行っている。その際に、酒持田の歴史や、宿泊する蔵についての説明をするそう。
夕食はイタリアンか和食料理を日本酒とともに。朝食はお醤油屋さんに協力してもらい、家庭的なごはんを提供している。
10時のチェックアウト後は、片付けと掃除をして、部屋の準備。休憩しつつ2〜3時間で終わるそう。
少し離れたところに事務所もあり、宿泊予約がないときはそこで、あるときはRITAで事務仕事。販売料金を設定したり、SNS広報をしたりなど、宿泊客がいないときも仕事は多い。
「自分のペースでできるので、そこはいいところかなと。あとは木綿街道にいると、誰かしら挨拶したり立ち話したりするので、それもありがたいなと思います」
「地域の人に見守られながら宿を運営できるのが、RITAのいいところなのかなって思います。別の場所にも新しく宿ができる予定なので、開業準備をしつつ、新しい人と一緒にここの宿を運営していけたら」
ここで働くなかで、印象に残っているエピソードがあるという。
「あるとき、ご家族で宿泊されたお客さまがいて。入り口のところでメダカを飼っているんですけど、子どもちゃんがすごく気に入ってくれて、そこから動かないんですよ(笑)。それで、お母さんたちがまちを散策する間、お子さんを見てますよって、一緒にいて」
しばらく眺めたあと、川のほうにもメダカがいるということで、アルバイトの子も加わってメダカの捕獲にチャレンジすることに。獲れたメダカは、家まで持って帰ったそう。
「後日もらったアンケートにも、毎日あのお姉さんに会いたいって言ってますって書いてくださって。なんかこう… こういうことを私はしたいんだなって思ったんですよね」
小村さん自身も、小さいときから馴染みがある場所。外から来た人がここを気に入ってくれたら、それはうれしいだろうな。
「昔から、この道を通るといつもそうめんのつゆの匂いがするんですよ。たぶんお醤油屋さんの匂いなんですけど、ずっと変わってないんですよね」
「変わることも大事だけど、変わらないことも奇跡だと思っていて。これからも、地域内の人も、外から来た人も、ほっとできて、また訪れたくなる場所にしていきたいなって思います」
建物を守り、街並みを守る。
その営みは簡単ではないけれど、この木綿街道では、着実にいい方向へ進んでいるように感じました。
これからもその流れが続いていくように。力になってくれる人をお待ちしています。
(2023/2/9 取材、2023/9/20 更新 稲本琢仙)