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ライフスタイルや市場の変化によって、どんな企業も一気に経営難に陥る可能性がある。
コロナ禍で身近な企業やお店の廃業を経験して、痛感したことです。
100年以上も企業が続いていくのは、ものすごいこと。日本国内の100年企業の数は、全世界の合計の約半数をも占めるそうです。
どんな企業が生き残ってゆくのか。いろんな考え方があると思いますが、時代に合わせて会社のあり方を見直す臨機応変さは、大事な要素ではないでしょうか。
焼きものの産地として知られる長崎県波佐見町。このまちに7代続く一龍陶苑もまた、時代の波を臨機応変に乗り越えてきました。
今回はこの会社で焼きものづくりに携わる職人を募集します。釉薬をかけた器を並べ、焼き上がったら取り出す「窯場」の担当を主に募集中。
ただ、その人にどんな仕事が向いているのかは、実際に手を動かしてみないとわかりません。現場に入ってもらい、適性をみたうえで担当が変わったり、別の仕事を頼まれたりすることもある環境です。
コツコツと地道に続けながら、変化にも柔軟に対応していく。そんな経験を積み重ねてきたからか、ここで働く人たちにはたくましさを感じます。
自然体な頼もしさ、というか。肩の力が抜けていて、謙虚でありながら、真似のできない仕事をしている。そんな人たちのことも知ってもらえたらと思います。
一龍陶苑の工場は波佐見町内に2か所。
創業の地は、中尾山という地区。波佐見焼の発祥の地のひとつと言われていて、斜面にいくつもの煙突が並ぶ景観には風情がある。
もうひとつの工場があるのは、山を下って車で10分ほどのまちなか。高度経済成長期に、時代の流れに乗ってつくられた生産拠点だ。
今回はこちらで話を聞くことに。
受付で取材の旨を伝えると、代表の一瀬龍宏さんが迎えてくれた。思ったことをざっくばらんに話してくれる方。
「うちは江戸時代から続いている窯元です。お墓に刻まれた名前を数えていくと、わたしで7代目になります」
波佐見のなかでも、ここまで歴史ある企業は珍しいですよね。
「そうですね。わたしの代までは、擦り込みですよ。親は言わないけど、親戚のおっちゃんおばちゃんたちが『継ぐんだよ』って。歌舞伎の世界に近いですよね」
東京の大学を卒業後、「擦り込み」が効いたのか、有田の窯業大学校へ。そこではじめて焼きものに触れた。
量産型の焼きものの製造は、基本的に同じ作業の繰り返し。
「わたしはずっと同じことをするのが苦手で。性格的に耐えられないんですよ」
「でも自分でやらないとわからないから、一通りの現場工程は経験しました。石膏型も削れるし、釉がけや、窯場も。極めることはできないんですけど、自社の製造全般を知らないと焼きものづくりはできませんので」
そんな龍宏さんの持ち味がもっとも活きたのは、営業や商品開発の仕事。
お客さんのもとへ出向いて、ユーザーや取引先の声を聞く。それをすぐさま商品づくりにつなげる。人と接しながら、新しい仕事を次々とつくってきた。
ECサイトを覗くと、今年優勝した阪神タイガーズのコラボレーショングッズが販売されている。聞けば、2003年の星野監督時代に阪神が優勝した際、自ら営業して販売の権利を得たのがきっかけだったそう。
波佐見焼の世界では、本来商社が担ってきた役割。龍宏さんはその垣根もひょいっと飛び越えて、おもしろいと思ったことにはどんどん取り組んでいく。
「うちの会社の一番の長所は、臨機応変さだと思います。わたしは自分がはじめたことでも、軌道に乗り出せば次の、別のことをやりはじめるんですよ。現場サイドはきっと大変なんですけれども、そこは社員さんたちがうまく対応してくれていて。感心するほどです」
ECサイトの立ち上げや、毎年東京ドームで開催される「テーブルウェア・フェスティバル」への出展など。
龍宏さんの一声ではじまることもあれば、業界全体の潮流によって、変化を迫られることも多々ある。
大きなところでいうと、高度経済成長期の“つくれば売れる”時代をピークに、器はじゅうぶんすぎるほどに普及し、少子高齢化に伴って必要とされる量は年々減少。焼きもののトレンドも、大量生産から小ロット多品種へ。
量産に特化した窯を導入している一龍陶苑では、工程管理や小ロット向けの商品開発など、15年ほどかけて時代の変化に対応してきた。
「今までの経験からすると、また次の変化の波が来てますね。顕著なのは、生地屋さんの不足。生地がなければ器は焼けないので、最近は生地からつくる窯元も出てきています」
かつては一龍陶苑も自社で生地をつくっていたものの、量産体制や商品管理を優先するため製造をやめてしまっていたそう。
「それまでプラスだったことが、一気にマイナスになったり。変化が激しいんですよね」
原料や燃料代の高騰、設備の老朽化など。悩みのタネは常にある。
それでも、ものづくりを続けてこられたのは、臨機応変な龍宏さんの舵取りと、それに応える現場の対応力があってこそ。
今回募集したいのは、現場で焼きものづくりに携わるスタッフ。これから一緒に働く人にとっても、さまざまな変化を受け入れる柔軟さは求められると思う。
「実際に入社してもらって、この作業はどうも合わなそうだなって思ったら、部署替えをすることもあるんですね。そこで辞めちゃう人も、やっぱりいます」
この仕事がしたい、というモチベーションは大切なもの。だけど、あまりにその気持ちが強すぎると、この会社では苦しくなってしまう場面もあるかもしれない。
自分に向いていることや、求められることに応えていく。頼られたときにこそ、やる気が溢れてつい腕まくりしてしまうような、そんな人が向いているように思う。
「今が一番、臨機応変の真っ最中かもしれないですね」
そう話すのは、龍宏さんの話を隣で聞いていたスタッフの前田さん。入社して30年のベテランでありながら、とてもフランクな方。
「もともとの部門長が、40年以上勤めてきたようなレジェンドばかりなんです。その人たちがいて会社が回っていたけれど、さすがに世代交代のタイミングがきていて。うちらが変わっていかないといけないなと」
長く現場で経験を積んできた前田さん。窯場の責任者を務めたあと、2年前からは会社全体の生産管理を担うようになった。
これから入る人は、前田さんのもとで窯場の仕事にまず携わってもらいたい。
どんな仕事なのか、実際に現場を案内してもらう。
工場に入ってまず見えてきたのは、長いトンネルのような機械。
「これはローラーハースキルンといって、量産用の窯ですね。これがうちには素焼き用と本焼き用で2台あります」
窯のなかの温度は、機械で管理されている。
一方で、職人の感覚が頼りになる部分も残っている。
「小さい窓の向こうに炎が見えますよね。この炎の色を見て、状態を確認するんです。どれだけ機械化が進んでも、焼き上がりにはどうしてもばらつきが出てしまう。その結果を見て、いろんな角度から原因を分析していきます」
窯場の日常業務は、釉薬のかかった器を並べ、焼き上がったら取り出すという単純な作業。体力はいるけれど、特別な技術や経験はなくても大丈夫だという。
大変なのは夜勤があること。ローラーハースキルンは、一度機械を止めてしまうと再加熱の効率がわるいため、基本的には24時間稼働し続けるそうだ。
昼間は2〜3人で作業する窯場も、夜間の担当は1人だけ。責任も伴う。
「社長みたいに同じことの繰り返しができない人には厳しいと思います(笑)。夏場は暑いし、冬場は寒いですし。重たいものを抱えたり、夜勤があったり、大変なことも多いです。黙々と、地道にひとつのことに取り組める方のほうが合うかなと」
そんな大変な仕事を前田さんが続けてきたモチベーションって、どんなところにあるんでしょう。
「焼き上がりが毎回違うもんですから。どう対処したらより一層いいものができるかって考えて、その結果を毎回確かめられる楽しみがある、っていうんですかね」
「まだまだ勉強の途中っていう感じがあります。焼きものには『これだ』っていうゴールがないんですよ。向上心を持って仕事に向き合える方なら、おもしろみも感じられるんじゃないかと思いますよ」
最後に話を聞いたのは、入社18年目の望月さん。
商品開発やデザインなど、商社からの要望に応えていく何でも屋さん的なポジションを担っている。
「出身は宮崎県です。もともと焼きものが好きで。社長がかなり先輩になるんですけど、有田の窯業大学校に4年通ったあと、同級生だった方に誘ってもらってこちらに入社しました」
一龍陶苑で働きながら力をつけ、2016年には最年少で絵付け部門の伝統工芸士に認定されている望月さん。
すごいことなのだけど、自身の仕事については謙虚に語る姿勢が印象的。前田さんの佇まいとも共通するものを感じる。
「前任のデザインの部長が退職されたのが、3年前かな。その方は商品開発や営業、型や生地の管理から、なんでもされていて。仕事の上司でもあるけど、人生の師匠みたいな、なんでも頼れる人だったんです。だからもう、本当に甘えていたというか」
今がまさに世代交代のタイミング。デザインや商品開発に関しては、前任の先輩が残してくれた資料を参照しながら、試行錯誤を続けている。
ゆくゆくは、望月さんも次の世代を育てていかないといけない。デザイン室では直近の採用予定はないそうだけど、今回募集する人のなかで見込みのある人がいれば、まずはアシスタントとして現場の作業と並行して関わってもらう可能性もあり得るという。
望月さんは、どんな人に来てほしいですか。
「環境や時代に合わせて、やることはこれからも変わってくると思います。あんまり深く考えすぎる方だと、パンクしちゃうかもしれません。どの部署でも助けてくれる人はいるので、コミュニケーションがとれて、一人で抱え込まない方がいいですかね」
分業で成り立ってきた産地だからこそ、それぞれの分野に深い専門性を持ったプロフェッショナルがいる。
頼られたことに応えていくだけでなく、ときには人を頼ることも、波佐見焼をつくるうえでは大切なことなのかもしれない。
「うちの会社は、人がすごくやさしくて。パートさんでも15年20年働いている方がたくさんいます。先日も娘の運動会があった日に、『そういう時間こそ大事だから』と言ってもらって、気持ちよく休みの時間を過ごせました。おかげで仕事にも集中できている。雰囲気が合えば、働きやすい環境だと思います」
社長の柔軟さと、しなやかに対応する現場の頼もしさが、いいバランスで噛み合っている会社だと感じました。
日々コツコツと仕事を積み重ね、産地に波が押し寄せても、チームの力で臨機応変に乗り越えていく。短い取材の時間でも、この会社が江戸時代から続いてきた理由が少し見えたように思います。
(2023/11/9 取材 中川晃輔)
インターン内容について
窯場をはじめ、現場での作業がメインです。一緒に手を動かすなかで、部署間がどのように連携しているのかも見えてくると思います。