地方の取材先で、近くの神社に立ち寄ることがある。
ひっそりと佇む、小さな神社。静かにそこにあり続けてきた時間を思うと、心がすーっと穏やかになっていくのを感じる。
その一方で、ふと頭をよぎるのは、どうやって存続してきたんだろう?ということ。
実際のところ、存続の危機にさらされている神社も多い。全国の神社は、およそ8万社。そのうち約3万社が2050年には消滅すると試算されています。
そんな現状に向き合い、全国にある神社の存続のために立ち上がったのが、株式会社SAISHIKIです。
代表を務める高瀨和信さんは、福岡・北九州で1800年にわたって続いてきた和布刈(めかり)神社の32代目。
正月の収益に依存する神社の運営体制に疑問を抱き、海洋散骨をはじめとする終活事業を2014年にスタート。現在は売上の7割を終活事業が占めています。
そのノウハウを活かして、全国の神社の経営課題を解決するのがSAISHIKIのミッションです。今回は、この新しい取り組みを一緒に進めていく人を募集します。
神職の経験は問いません。マネジメントや事務、デザインに携わってきたような人を求めています。
和布刈神社は、本州と九州をつなぐ関門橋のたもとに位置している。最寄りの門司港駅からは、バスで10分、歩いて30分ほど。
日本仕事百貨の取材はこれで5回目。足を運ぶたびに新しい取り組みがはじまっている、ユニークな神社。
手前にある改装されたばかりの会館を訪ねると、代表の高瀨さんが迎えてくれた。
いつもは着物姿の高瀨さん。私服を見るのははじめてで、新鮮な感じがする。
「今回は和布刈神社ではなく、株式会社SAISHIKIとしての求人なので。経営や数字のお話、『稼ぐ』っていう言葉も意図的に使うと思います。なんか高瀨さん、変わっちゃったなって思わないでくださいね(笑)」
高瀨さんがSAISHIKIを立ち上げたのは、人口減少によって地方の神社が消滅していく現状をなんとか変えたいと考えたことがきっかけ。
お正月の三が日で得た収益を、12ヶ月で按分する。それだけでは足りないから、副業もする。和布刈神社に代々奉職してきた高瀨家も、おじいさんは胡蝶蘭の栽培、お父さんは古物商との兼業だった。
伊勢神宮や太宰府天満宮のように、全国から人が集まる神社はともかく、地方の小さな神社は、このままではいつか存続できなくなる。
そんな危機感から、2014年に海洋散骨をスタート。授与所や会館のリニューアルを経て、最近は神道式のお葬式である「神前葬」も執り行うようになった。
今では神社の収益の7割をこれらの終活事業が占めているという。
そんななかで、ほかの神社から経営の相談を受けるように。
「神道の大学では、経営の勉強はまったくしません。いざ実家に帰ってきて、さまざまな経営課題に直面する。そこからは独学でなんとかしなければならないんです」
「和布刈神社で培ってきたノウハウを活かして、そうした課題を解決したい。全国の志ある神社を守っていきたいという想いでSAISHIKIを立ち上げました」
現在は青森、群馬、福岡にある4社の神社と契約を交わし、課題解決に向けて動きはじめたところ。
具体的には、どんなことに取り組んでいるのだろう?
「もっとも初期投資が少なく、収益につながりやすいのが海洋散骨です。まず取り組んだのは、沿岸部にある神社のリストアップ。その地域ごとの年齢別人口動態を収集し、成約件数と収支の予測を出します。そして実際に導入するとなれば、船舶の手配や漁業組合との交渉、データに基づいた効果的な広告先の選定からデザインまで請け負っています」
一方で、海に面していない地域もある。
そこで群馬県の神社では、古墳型合葬墓をつくることに。小規模な山をつくり、そのなかに遺骨を納めていくという、古くからの弔いにならった方法だ。
その設立のサポートや保健所とのやりとりなども、SAISHIKIで担っているという。
また、同じ群馬県内の別の神社からは、「入社後の教育と評価制度を導入したい」と相談があった。
「神社の仕事って、働くというより奉仕をするという意識なんです。継ぐ立場からすれば、お給料が低くて休みも少なくても、別にネガティブじゃないんですよ」
「でも外の世界から入ってくる人としては、一定の水準を満たしたい。だから、働きやすい環境を整えましょうと」
そこで、人事制度のアドバイザリー契約を締結。
手当や福利厚生だけでなく、その神社の目標や指針の作成、神職としての振る舞いや掃除のしかたなど。なぜそうするのか?という背景も含めて、細部まで意識が行き渡るようにマニュアル化していくことに。
それは和布刈神社においても、試行錯誤を繰り返しながら改善してきたこと。自分たちの経験を活かして、神社内部の課題も解決していきたい。
今回募集する人は、これらのことに高瀨さんと一緒に取り組んでいくことになる。
どんな人と働きたいですか。
「ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが、作業をする人は合わないと思います」
作業をする人?
「提示されたものを効率よく行う、これは作業です。一方で仕事は、目標に向かって自ら動いていくもの。『作業』と『仕事』とは、まったくスタンスの異なる働き方だと考えています」
「上司に与えられた作業をこなすのではなく、ビジョンを共有しながら、仕事をする。業界を一緒に変革していく人を迎えたいですね」
SAISHIKIのビジョンは「神社の可能性を拡げる」。
既存のノウハウをただ展開していくだけでなく、その神社ならではの課題や地域性を捉え、向き合っていくことが大切。そのなかで、新たな可能性も見えてくると思う。
現在、SAISHIKIのメンバーは3名。
高瀨さんとともに事業を推進している伊藤さんに続けて話を聞く。サバサバと気持ちよく話してくれる方。
東京のゲーム開発会社に7年勤めたあと、もうすぐ創立100周年を迎える銀座の老舗飲食グループ企業にアルバイトから入社した伊藤さん。
正社員になり、3年ほどでエリアマネージャー、その1年後には部長職へ、トントン拍子に昇進。ただ、コロナ禍や周囲との摩擦もあり、転職を考えるように。
そんなときに日本仕事百貨で和布刈神社の募集記事を見つけた。
「銀座のスタバで読んだんですよ。神職って、神社の家系の人じゃなくてもなれるんだっていうことにびっくりして。そのまま本屋に行って、神社の本をパラパラ読んで、受けてみようと思ってエントリーしたんです」
「偶然ですけど、母が葬儀会社の立ち上げに関わっていたことがあって。24時間いつでも電話がかかってくるんです。すごく大変そうだけど、需要があるんだなと思いましたし、これからもっと必要とされていくんじゃないか、とは感じていました」
2022年の11月に入社。はじめは神主見習いとして奉職した。
「接客がもともと好きだったので、楽しかったですね。ただ、正直に言うと暇だったんですよ。神社のなかだけで完結する仕事だし、前年比1.3倍で収益も伸びて、安定している。自分からできそうなことを見つけて、好き勝手にいろんなことをやらせてもらいました」
年3回おこなわれる祭典をYouTubeでライブ配信したり、オンライン申し込みをはじめたり、百貨店で終活セミナーを開催したり。
新たな試みを次々と形にしていった。
和布刈神社の過去の取材で出会ってきた人たちと、伊藤さんは少し違った雰囲気を持っている気がする。新しいことを考えてどんどん実行するところは、高瀨さんにも似ている。
前職までの経験は活きていますか?
「そうですね。ゲームの企画はアイデア勝負ですし、PDCAサイクルの感覚は癖づいているかもしれません。とりあえずやって、反応を見て、ダメならやり直せばいい。飲食も、コロナ禍は普通に営業してたらつぶれる状況だったので、旅行支援を活用したり、配膳ロボットを導入したり。新しいことをさっさとやるタイプだと思います」
「もともと“神社だから”と思って来ていないので。いち会社として勤めている感覚です。それはずっと変わらないですね」
入社して半年ほど経ち、SAISHIKIへ異動することに。
まず着手したのは、ほかのエリアで海洋散骨を行うための船会社探し。全国の会社に地道に電話をかけて、興味を持ってくれたところには、高瀨さんともう一人のスタッフと手分けして足を運んだ。
5月から契約がスタートした福岡の神社は、その過程で周辺を散歩しているときに出会ったそう。
宮司さんが高齢なこともあり、コミュニケーションの手段は電話が基本。週3日間、伊藤さんが現地に通い、経営改善に向けて一緒に働くことになっている。
なかなか大変そうです。
「無理してメールに慣れてもらうより、電話一本で済むならそれでいいじゃないですか。高齢になってから、神社をなくしたくない、がんばりたいって言うだけでもすごい。わたしならできないなって。そういう人たちのヘルプになるなら、なるべく柔軟に対応したいと思っています」
今回入る人は、まずは神社の運営や経営のイロハを学ぶことから。
「最初の2週間で、応対のしかたを徹底的に教わります。毎回テストを受けるんですが、マニュアルがかなりしっかりしているので、未経験でもまったく問題ないと思います」
研修期間は短くて3ヶ月、長くて半年間。その後は和布刈神社での朝拝や清掃、参拝者の対応や終活業務全般に携わりつつ、SAISHIKIの加盟神社からの問い合わせがあれば対応したり、チラシやマニュアルの制作をサポートしたり。
和布刈神社とSAISHIKIでの仕事に、横断的に関わることになる。
「わたしや高瀨はよく外に出ているので、主に内勤の仕事をお願いしたいと考えています。ただ、出張の機会も出てくると思いますし、業務も多岐にわたるので、柔軟に動ける方に来てもらえるとうれしいです」
社内制作物のデザインや、外部デザイナーとやりとりする機会もあるので、デザインの実務経験があるとなおありがたいとのこと。事務や秘書などの経験も活かせるかもしれない。
東京から縁もゆかりもない北九州へ移住した伊藤さん。暮らしの面では、どうですか。
「マンションの1階の飲食店に週1で通ってるんですが、『つくりすぎたから持ってって』と電話がかかってきたり、バーベキューやお花見に誘ってもらったり、太極拳を習いはじめたり。向かいのマンションに先生が住んでいて、出張のときは猫を預かってくれているんです」
仕事でも暮らしでも、伊藤さんは自分の居場所や役割を自らつくり出しているように感じる。
同じように、自律的に動ける人にとってはおもしろい環境なのだろうな。
「仕事してたいんですよ、楽しいから。高瀨さんもわたしも、日常から仕事のタネを探しちゃうタイプかもしれませんね」
2025年には、4人に1人が75歳以上になると言われる日本社会。
これからさらに顕在化してくる課題も、それに伴って生まれるニーズもたくさんあると思います。
未来に神社があり続けるように。いま何ができるか、このチームで一緒に考えてみてください。
(2024/3/19 取材 8/27 更新 中川晃輔)