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「どうやったらできる?」を
手渡し、受け取る

やりたいことを口にしたとき、「本当にできるの?」と返されるか、「どうやったらできる?」と返されるか。

それだけで、つづく歩みの軽さはずいぶん変わる気がします。

北海道北広島市。新千歳空港と札幌のあいだにあるこのまちには、北海道日本ハムファイターズの本拠地、エスコンフィールドHOKKAIDOがあります。

球場を訪れる人は、年間460万人。

ただ、その多くは試合を観て、そのまま列車で帰っていく。

この人の流れを、まちにどうつなげていくか。今回は、その問いに向き合う2つの仕事を募集します。

ひとつは「北海道きたひろ観光協会」の事務局長。もうひとつは、自分で考えた企画でまちを盛り上げる、フリーミッション型の地域おこし協力隊。

どちらも、前任者から手渡される仕事です。

 

JR北広島駅は、新千歳空港から列車で20分、札幌駅からは16分で到着する。改札を出ると、北海道日本ハムファイターズ一色の景色。ボールパークのまちだ。

この駅の中に、観光協会の事務局が入るインフォメーションセンターがある。

事務局長の米川さんは札幌生まれ。

高校で野球をしていて、監督の勧めで当時の広島町役場に入った。以来40年近く、市役所で働いてきた。観光協会に入ったのは2年半前のこと。

「市役所では防災などの部署にいたので、観光はまったくの畑違いでした。だから1年目は、自分が表に出る必要はないと思っていたんです」

「協会や事務局のメンバーのみなさんが企画したことを、どうやったら実現できるか。資金繰りも含めて、裏方に徹していました」

観光協会が市から独立して法人になったのは、5年前。米川さんが入った当時の事務局は2、3人で、資金を増やそうにも大きなイベントを打つ余力はなかった。

そこで2年目からは、法人として自走するため、少ない人数でも稼げる仕組みづくりに取り組んだ。

「人手をかけずに稼ぐなら、貸すか、預かるか、置くか。それでコインロッカーを置いたり、試合の日に荷物を預かるクロークを始めたりしました」

クロークは荷物一つ1000円。駅内の広場で開く。ナイターの日は14時から受付を始めて、試合開始の5時間後まで。片付けを終えると23時半ごろになる。

「預けたあとに、肌寒いから一枚羽織りたいとか、雨が降りそうだから傘を出したいとかって戻ってくる方がいるんです。ロッカーならそれができない。でもうちはロッカーじゃないから、どうぞどうぞって」

約束の時間に遅れた人には「あそこの時計は15分進んでるから大丈夫!」。勝ったチームのユニフォームを着た人には「いい試合でしたね」、負けたほうには「お疲れさまでした」。

「うちら機械じゃないから、融通が利くんです。そうやって接していくと、次もまた預けてくれる。預けてくれる人がいっぺんにドーンと増えるわけじゃないけど、確実に積み上げていく仕事なんだなって感じてます」

これまでの最高は、ある交流戦最終日の596個。遠方から来たお客さんと、友人が住む地名の話で盛り上がることも。

「観光の仕事って、やったらやっただけ、企画が良かったら良かっただけ喜んでもらえる。ゴールが見えやすいから、気持ちがいいんですよね」

観光協会はほかにも、昭和54年から続く「ふるさと祭り」や、全国の日本酒が集まる「酒まつり」、雪まつりなどを主催している。

また、駅前案内所や、エスコンフィールド内にあるセレクトショップ「HUB」の運営も担う。

土台はできてきた。次のステップとして、米川さんは総会でひとつの提案をした。

「黙っていても、野球を観るために桁違いの人が来てくれるまちになった。だったら、もう観光客を増やすための観光協会じゃなくていいですよね、と。これからは地域に利益をもたらす組織になりましょう、と話したんです」

球場を訪れる人の1パーセントが市内に立ち寄るだけで、4万人を超える人の流れが生まれる。たとえば近くには、おいしいピザとジェラートを堪能できるお店もあり、市の観光にも協力的。

試合前の時間を使った市内のバスツアーに組み込ませてもらうなど、アイデアはいくつもある。

少し足を延ばせば、なだらかな丘陵の景色が広がる。

農作物も豊富だし、数々の賞を受賞したベーコンをつくっているお店もある。食の面でも豊かなまちだ。

一方で、見ているのは観光客だけではない。

「市外の人だけに向けてやると、いずれ廃れると思うんです。観光協会は市民のみなさんに支えられている。クロークなどで稼いだお金で、市民向けのイベントをつくれないかとも考えています」

では、なぜこのタイミングで米川さんは交代するのでしょう。

「最近、職員から上がってきた提案に、否定的になることがあるんです。昔だったら、どうやったらできるか、を先に考えていたのに、『それ金どうすんのよ?』って。ああ、これはいかんなと。潮時だと思いました」

市民や観光客の求めは、日々変わっていく。だからこそ、別の発想を持つ人に託したい。

年下の局長が来ても、大丈夫ですか。

「穏やかなメンバーなので、気張らなくて大丈夫です。僕も、一人ひとりをどう輝かせるかしか考えていなくて。職員には、報告だけしてくれ、責任は取るからって言っています。指示や命令ばかりだと、言われたからやった、で止まってしまいますから」

最近は職員から、駅前の広場で物販をしたい、クロークの看板をこうしたい、伝票のまとめ方を変えたい、といった声も出てくるようになった。

マネジメントというより、コーディネーターの感覚でいい。北広島に愛着を持ち、メンバーの意見を受け入れて、やってみようと前に進める人。その上で、自らもやりたいことをはっきりと声に出せる人。

「あと言いたいことは… 残った職員を大事にしてくださいねってことかな(笑)」

仕事は事務が6割、イベントの準備が4割ほど。3月下旬から10月上旬までの野球シーズン中は、クロークの業務が中心になる。

決まった型も、「これだけやっていれば安全」という仕事もない。観光案内所やイベントがあるため、土日勤務になることもある。

「休みの日数はちゃんと確保します。事務局の優先順位は、自分、家族、仕事の順番。家の行事と重なったら、そっちを優先していい。ほかのみんなでカバーするからって。それは大事にしてきたことです」

3年の任期後も、本人の希望と事務局の都合が合えば残ることもできるそう。

 

隣で、時折すこしさみしそうな表情を見せながら話を聞いていたのは、市の観光振興課の榎本さん。かつて米川さんの部下だった方。

「個人的には残ってくださいよって思っているんです。いろんな相談に乗ってもらって、応援してもらってきたので。ただこればかりはしょうがないので。次の方も、まわりの人をまるっと包んでくれるようなやさしい人だといいなと思います」

今回もうひとつ募集するのが、フリーミッション型の地域おこし協力隊。市役所の観光振興課の所属になるため、榎本さんの直属になる。

ミッションは、地域産業の活性化。何をするかは、隊員自身が考える。

1年目は職員と一緒に事業者を回る。その後は隊員が直接やりとりしながら、企画を進めていってほしい。

「基本的に、やりたいって言ってくれたことにNGはないですね。難しいところがあれば、こうやったらできますよね、と一緒に考える。僕らは、隊員のアイデアを実現するお手伝いをするだけなので」

たとえば、以前の協力隊の人はサウナ好き。市内の温浴施設と飲食店をつなぎ、サウナのあとに食べる「サ飯」のスタンプラリーをつくった。

卒業したいまは観光協会の職員として働いているので、新しい局長と一緒に仕事をすることになる。

榎本さん自身も、趣味の筋トレを仕事に結びつけた。体づくりに欠かせない栄養と休養を切り口に、市内の燻製卵やジビエ、温浴施設を紹介する「マッスルツーリズム」。3年がかりで形にしてきた。

「好きなことだと、やりたいって思えるじゃないですか。誰もやったことのないような楽しいことを、考えてもらえたらうれしいです」

 

いま活動しているフリーミッションの隊員の伊藤さんは、任期が残り7か月。

北広島で生まれ育ち、25歳まで暮らした。その後の20年は東京でイラストや執筆の仕事をしてきた方だ。

ふたたび北広島とつながったのは、マラソン雑誌の仕事。球場ができて新しく始まったハーフマラソンの第1回大会を取材で訪れた。

「地元で開かれる最初の大会だから、行きたいって手を挙げたんです」

その後いつかは地元に、と考えていたとき、市のホームページで協力隊の募集を見つけ、応募することに。

「北広島じゃなかったら、たぶんやっていなかったと思います。土地勘もあるし、まちの雰囲気もわかっていたので決断できました」

着任して2か月後には、東京時代に参加したハーフマラソンが開催される予定だった。

伊藤さんが考えたのは、走り終えたランナーを市内の温浴施設へ無料で送迎し、ゼッケンを見せると特典が受けられる企画。大会のあとも、ランナーが市内を巡るきっかけをつくった。

ほかにも、走りながらゴミを拾う「プロギング」を市内の5つの地区で開くなど、考えてやってみる、を実行してきた。

いまは、地元の米粉などを使った行動食「トレイルバー」を、市内の福祉会と一緒に開発している。

スキルを活かして、職員の名札や古紙を入れる資源袋のデザインも手がけている。市役所で、その資源袋を持ち帰る人の姿を見るとうれしくなるそう。

「しゃべるのが得意じゃないから、気持ちは絵で表そうと思って描いてきたんです。手に取った人が和んだり、使いたいなって思えるものをつくりたくて」

「市役所の人たちは、できないよ、じゃなくて、どうやったらできるか、面白そうだねって言ってくれる人が多いですね。なんで私のためにこんなに動いてくれるんだろうって思っちゃうくらい。いつか絶対にお返ししたいと思っています」

任期後は北広島で起業し、イラストレーターとして活動していく予定。

北広島の好きなところは「ちょうどいい距離」だそう。

「空港にも札幌にも30分かからない。でも、どこかのんびりしていて北海道らしい。四季ってこんなにきれいだったんだって、思い出しました。ただ、雪に慣れていない方は、運転とか雪かきが大変かもしれないですね」

「後任の人に引き継いでほしいこと、みたいなのはなくて。私とは違う視点の人が来てくれて、それぞれのカラーで、まちに合うことをしてもらえたらいいなって思います」

伊藤さんは、いまの北広島を「変わっていく途中のまち」だと話してくれる。

「住宅地から、観光のまちに進化している途中だと思っていて。変わりゆくまちに伴走して、自分のアイデアもそこに添えたい。そんな人にすごくおすすめしたいです」

米川さんが固めてきた土台と、伊藤さんたちが広げてきたつながり。その先に何を描くかは、次にやってくる人次第です。

「どうやったらできるだろう?」

一緒に考えてくれる人を、お待ちしています。

(2026/09/02 取材 稲本琢仙)

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