コラム

新年のご挨拶
新しい年に寄せて(第3回)

2022年もいろいろなことがありました。新しい年を走り出す前に、スタッフそれぞれこの一年を振り返ってみました。

3日間のコラムでご紹介していきます。

最終日は、イベント担当・中野、編集者・阿部、編集長・稲本、代表・ナカムラの4名です。

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 しごとバーを担当するようになってから、二年半が経ちました。

「あっという間だったなあ」、この一言につきる。せっかくなので、振り返ってみようと思います。

「◯年後、なにしてる?」をテーマにさまざまなゲストをお呼びして、生き方・働き方についてお話を聞いてきました。

この企画は入社前から考えていて、まだ成し遂げていないことを言葉にしたら面白そう、と思ったことがきっかけ。

と言いつつ実際の理由は、当時の自分が未来の話だけは前向きにできたからだと思う。 

“今”の自分に目を向けるのはちょっと怖いけど、“◯年後の自分”のことならドヤって話ができる。それが、本当のきっかけでした。

ご縁があって日本仕事百貨に入社してから、この想いを実現することに。

これまでを振り返って過去の話を聞きながら、どんな活動に繋がっているのかと現在の話をする。そして、最後に未来の展望について聞くことにしました。

いざゲストさんにイベントの趣旨を説明すると、ほとんどの方が困ってしまいます(笑)。

「…未来の話かあ。むずかしい」「先のことは考えないようにしてるからなあ」

「◯年後って、いつまででもいいの?」

検討もつかないままイベントを迎えるゲストさんもいて、私が思っていた以上に難しいテーマだったのかもしれない、と反省することもしばしば。

それでも、イベントを重ねてきました。これまでお話を聞いたゲストさんは、総勢70人。

どのゲストさんとの時間も特別で、あっという間に時間が過ぎていきます。時計を見ると、いつも残り時間はわずか。慌ててふーっと呼吸を整えて、最後の質問をします。

「◯年後、なにしてる?」

ゲストさんが話しはじめると、それぞれ思い描く未来が、隣で聞いている私の頭のなかに映像で届いてくるんです。

これが、私の好きな最後の10分間。

ゲストさんにも、その日で一番いい顔をしていただけることが多くて。その顔を見ることが、私のやりがいのひとつでした。

しごとバーが、ゲストさんと視聴者さんにとって、なにか心に残る時間になっていたら嬉しいなと思います。 

ああ、一年間楽しかった!振り返ってみてよかったです。

これまで出演してくれたゲストさん、視聴者さん、これを読んでいるあなたさま。

本当にいつもありがとうございます。

リトルトーキョーのリニューアル工事に伴い、しごとバーはしばらくお休みです。

15周年を迎える日本仕事百貨は新しい形に進化していきます。しごとバーも、これまでとはまた違った空間になる予定。 

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2023年、いい一年になりますように。心をこめて!

(頌子)

 

編集者の杉本さんとわたしは、シゴトヒトではめずらしい「同期」だ。

年齢はひとつ違うけれど、社会人歴も同じ。入社は杉本さんのほうが2ヶ月早いけれど、自転車旅で少し会社を休んでいたこともあって、「ほとんど同期ですね」と言ってくれる。

スタート地点が近いから、仕事で悩むタイミングやポイントも近い。なんだかご機嫌だとこちらもうれしいし、しかめっ面をしていると「大丈夫ですか?」と声を掛け合う。そんな存在。

入社して3ヶ月たったころ、杉本さんは「自転車でカニを取りに、奄美にいってきます」と言い残して旅に出た。カニを見つけ、旅を終えて無事帰ってきたものの、なんだか悶々とした表情。

人の助けを借りなければ前進しない状況に身を置くなかで、素敵な大人たちには出会えたものの、これからなにを目指して走っていくのか、はっきりと掴めていない様子だった。

「あ、なんだか変わったな」と思ったのは、かこむ仕事百貨のとき。

クライアントさんが持ち込んでくれたサウナワゴンに、シゴトヒト代表として乗り込んでくれたのだった。

最初は渋々にも見えたけれど、その日の晩には、クライアントさんから「杉本さん、ノリノリでしたね」といじられるくらいに輝いていた。

大人にならなきゃ。杉本さんはずっとそう思ってきたのだと思う。

社会の一員として、どうふるまうべきか。頭で考えていると、ふいに動けなくなってしまうときがある。

「どうあるべきか」から一歩離れて、まずは自分自身、ありのままで人と向き合ってみる。

ちょっと遠い存在に感じられた人も、ぽつりとこぼれた言葉から距離が縮まることもある。サウナワゴンで過ごした時間は、杉本さんにとって、自分自身で人と接することに自信をもつ機会になったのだと思う。

北軽井沢から東京に帰ってきてからは、一人暮らしを始め、自炊やぬか漬け、ヨガと、次々と新しいことに取り組んでいった。ふだんの記事に加えてメルマガの冒頭文も隔週で書き始めて、「次何書こうって考えるのが、いま一番楽しいんです」と話す。

一年前と比べると、ずいぶん明るく笑うようになった。

大人になることを、なんでそんなに割り切れないんだろう、と正直思うこともあった。

でもな。違うんだよな。自分なりに噛み砕いて、「なっていく」ものなんだろうな。

鈍感になることは生きやすくもなる一方で、戻れない道を歩み進めている感覚もある。

その点、杉本さんはしぶとい。しぶといまでに、ちゃんと心と体が一致することを大事にしている人だと思う。本人は気づいていないかもしれないけれど。

納得いくところまで手を動かし続ける姿勢はいいなあと思うし、自分の心はいま、どんなことに動くのだろうと、自分自身を見つめるきっかけも生まれた。

仕事をしていると、人と人の「ちがい」はもどかしさも生むように感じる。余裕がないとなかなか素直に受け入れられないものだけれど、受け止めてみると、おもしろい景色に出会えるかもしれない。

来年はどんなことをするんだろうな、杉本さん。シゴトヒトのメンバーたちはどんなことに興味を持っているのかな。

もっと話して、関わって、見える世界をアップデートし続けたい。そうした先に、自分はどんな未来を描いているんだろう。

(阿部夏海)

 

「稲本さん、今日はちょうど1年前、取材に来てくださった日と同じ日ですよ。ほんとうに、ちょうど1年前」

電話越しの親方の言葉に、はっと気づく。

2021年の9月1日、ぼくは岡山の瀬戸内市辺りにいた。1年を通して西日本を旅し、各地の檀家をまわっている伊勢大神楽を取材するためだ。

伊勢大神楽の人たちは、毎年同じ日に、同じ地域、同じ家々を訪れる。大神楽師である山本親方に電話をかけたその日は、偶然にもぼくがその旅路を一緒に歩かせてもらった日だった。

「すごい偶然ですねぇ」、なんて話をしながら、1年という時間をなんとなく振り返る自分がいる。

いろんな場所に取材へ行き、たくさんの人の話を聴いて、文章を書き、いいご縁につながるようにと願う。やっていることは、1年経っても変わらない。

変わったものがあるとしたら、編集長という大層な肩書きが降ってきて、一緒に働く仲間を見る視点が変わったことだと思う。

正直な話、それまでの数年間は、自分の取材と原稿をどう向上させるか、ということだけを考えていた。自分勝手とまでは言わずとも、自分本位に仕事と向き合っていた、と言ってもいい。

「役割が人を成長させる」、なんて言い尽くされたような言葉を真に受けるわけではないけれど、編集長という役割になってからは、仲間が書いたもの、そして書いた仲間たちその人のことをよく考えるようになった。

「この原稿の言葉遣いが素敵だな」

「今日は調子良さそうにしているな」

「あの人は調子わるそうだな…」

編集者一人ひとりのコンディションや、記事一つひとつのクオリティ。みんなが心地よく健やかに向上していけるようにしたい。そのためにはどうすればいいだろう。

そんなことをずっと考えてきた1年だったし、たぶんここからの1年もずっと考えて試し続けていくのだと思う。

この1年、記事を受け取ってくれた人たちがどんなふうに感じてくれたのか、直接聴くことはできません。けれど、生み出してきた文章は、話し手と聴き手、そして読み手。3者の存在がないと成り立たないものです。

だからこそ、日本仕事百貨の記事の最後には、必ず名前が書いてあります。それは、編集者それぞれが一期一会の取材をして、仕事と人の出会いを願って一つの記事をつくり出した証でもあります。

取材を受けてくれるみなさんも、記事を読んでくれるみなさんも。文字に込めたいろいろな思いを受け取って、今年も読んでもらえたらうれしいです。

「1年、早いですね。ぼくらはまたまわり続けます。稲本さんもお達者で」

はい、ぼくらも聴いて、聴いて、書き続けます。

みなさんもこの1年、お達者で。

(稲本 琢仙)

 

「モヤイ像が生まれる前から、抗火石を彫刻していたんですね」

そう言うと、元大家さんは満足そうに笑った。カメラを向けると、白い歯を見せてにっこり元気に笑ってくれる。世田谷にある家のベッドルームまでおしかけて話をうかがったので、恐縮しながらもこの時間が楽しかった。

仲間と一緒に借りていた新島の古民家を購入した。目の前の砂浜からトロっと溶けるように沈んでいく太陽を眺めることができる。何度も眺めている光景だけど、飽きることはない。

頬を照らす太陽の光。まだ温かい砂の感触。少しだけぬるくなったビール。

裸足になって眺めていると、温かいものに包まれているよう。さらさらした砂を手に取って良く見れば、一粒一粒が透明なことがわかる。この砂は島で産出される抗火石が長い時間をかけて砕けて、堆積したものだ。火に抗う石と書いてコーガセキと読む。

抗火石と言えば、渋谷にあるモヤイ像が知られている。イースター島のモアイ像と、島の方言で「協力する・助け合う」という意味の「モヤイ」をかけて、モヤイ像が生まれた。

元大家さんは抗火石を初めて彫刻した方。まだムサビが武蔵野美術学校だった時代に卒業されて、新島で先生になった。新島小学校には、「モヤイ像」という名前が生まれる前の彫刻が残っている。大人の背丈以上ある、大きな顔のような彫刻。その前で満足そうに座っている元大家さんの写真を見せてもらう。

受け継いだ古民家も抗火石の組積造でできていて、元大家さんが彫刻したレリーフも残っている。都内に移り住んだ後も、夏になると家族でやってきてお土産物店を営業してきた元大家さん。それができなくなり、空き家になっていた古民家を借りることができた。そして、この家を残してほしいという思いとともに託された。

これから日本中で多くの場所が閉じていく。惜しまれながらも営業を終了した場所。家族の思い出が詰まった家。地域の人たちの拠り所。

ほとんどが忘れられていくかもしれない。その流れには抗えないと思いながら、この黄昏の光景をもう少しだけ見ていたい。日が暮れて、だんだんと薄暗くなり、辺りはすっかり真っ暗になった。

(ナカムラケンタ)

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