コラム

郡上の栞

住民主体で地域を考える自治団体。そのひとつが「地域協議会」です。

岐阜県郡上市の「白鳥地域協議会」から連絡をいただいたのは、昨年秋のこと。

“10年後の白鳥”を見据えて、これまでもフィールドワークや勉強会、体験型のイベントやパンフレットの制作など、さまざまなことに取り組んできた協議会のみなさん。その最新の活動を取材してアーカイブしてほしい、という内容でした。

このコラムでは、昨年12月に実施されたフィールドワークと座談会の様子をお届けします。

ある土地における、小さな語りや取り組みの記録。郡上・白鳥という地域に馴染みのない方にとって、言ってしまえばそういうことなのですが、案外そんなところから、何か今の自分に響いてくるものもあるかもしれません。

たまたま手に取った本の、栞の挟まっていたところから読んでみる。そんな感覚で、よければ少し覗いていってください。

 

2004年に7町村が合併して生まれた郡上市。

今回訪ねる白鳥町は、その北西部に位置し、西は福井県の大野市に接している。

岐阜駅の改札を出ると、協議会の澤谷さんが待っていた。2017年「移り住む人たち」というコラムで郡上を取材した際に案内していただいたのも、今回声をかけてくれたのも、澤谷さんだ。またお世話になります。

駅ビルで味噌煮込みうどんを食べ、さっそく郡上へ。

枯れ枝の表情にうっすら紅葉の名残を感じる山々を、トンネルを抜け突き進む。途中、右手に郡上八幡城の姿も見えた。白鳥はもう少し。

「あ! 向こうに雪をかぶった山が見えますね? あれが白山です」

白鳥は、奈良時代の僧・泰澄(たいちょう)を開祖とする白山信仰で栄えた町。最盛期には、修験道を「上り千人、下り千人」が行き交うほど賑わったそうだ。

これほどの山々に囲まれて暮らしていたら、それを敬う気持ちが自ずと生まれてくるのもわかる気がする。

ほどなく、白鳥ICに到着。出口から5分ほどで、長良川のほとりに箱型の工場が見えてきた。

ここが今回最初の訪問先の、株式会社TEKNIA。名古屋に本社を置く機械加工のメーカーで、郡上には2015年の夏に進出した。

ここからは協議会のみなさんも合流して、一緒に工場内を見学させてもらう。

巨大な機械が、ごうごうと大きな音を立てながら動いている。案内役は、社長の高橋さんと工場長の岩中さんだ。

スピーカーを持っているのが高橋さんで、マイクが岩中さん。おふたりとも物腰がやわらかい。

もともと航空機部品の製造を得意としていたTEKNIA。ところが、コロナ禍を通じて飛行機が飛ばなくなり、くるっと方向転換することになった。

現在は自動車や鉄道、半導体などの部品製造が中心だという。

「日本のものづくりは今、危機的状況で。海外製造が進むと、部品が入らなくなったとたんに製造がストップしてしまう。抜本的な見直しが必要なタイミングにきていると思います」

そんな状況のなか、高橋さんは「白鳥だからできることがある」と考えているそうだ。

「白鳥は雪が降るんです。雪ってマイナスなイメージがあるかもしれないけど、おかげで土地が安い。自然豊かな環境で、人らしい生活をしながらものづくりができる。満員電車も、騒音問題もありません。何より、いろんなものが“ない”ところがいいと思っていて」

ないことが、価値になる。

「そうです。シリコンバレーなんて、もともとど田舎ですからね。そこに投資家、大学、行政、民間企業から、いろんな知見が集まって今の姿になっていった。都市部はすでにいろんなもので埋め尽くされているから、そのための隙間がないんです」

「シリコンバレーはひとつのモデルであって、すべてITや工業に傾けるという意味ではありません。白鳥の100年後に向けて、何かひとつ、地域内で完結する産業をつくっていくことが大事なんじゃないかなと」

シリコンバレー。100年。

いきなりいろんな言葉が出てきて、少し戸惑う。このとき、ぼくはこれらがどういう意味なのか、すぐには咀嚼しきれなかった。

けれど、この話はのちに思わぬ形でつながってくるので、頭の片隅に置きながら読み進めてほしい。

もうひとつ、工場を回りながら印象に残ったのが、スタッフさんたちの姿。

指先や機械の動きにじっと神経を集中させ、黙々と作業を進めている。大きな機械音が響くなか、彼らの周りにだけ、静かな時間が流れているようにも見えた。

TEKNIAでは、テクニアカレッジという独自の技術者養成プログラムを進めてきた。機械加工にまつわるノウハウを座学と実践で身につけ、卒業と同時に技能検定2級を取得できるというもの。

2004年から2、3人ずつ受け入れを進め、今では632人の技術者を輩出しているそうだ。

「最近は発達障害とかアスペルガーだとか、いろんな言葉がありますよね。うちの社員、みんなそんな感じですよ。ぼくも含めて。おつかれー!とか言っても『ぁす…』って、以上。だけど、ものをつくってる間は生き生きしている。できあがるとめちゃくちゃうれしいわけです」

「我々はものづくりの視点からしかものが言えないけども、いろんな土地でなくなろうとしている産業を集積させることで、残したい。そして、ものをつくる喜びを、まちにも広げていきたい。そんなふうに思っています」

 

翌日は朝から畑へ。しらおシマダファームを営む嶋田さんを訪ねた。

すべての苗を種から育て、栽培中に化学肥料や農薬を一切使わず野菜づくりをしている嶋田さん。

このあたりの畑は、夏にとうもろこしを植え、米糠と油粕を発酵させたものを適量撒いたあと、無施肥で育てているという。

「とうもろこしは、悪いものを全部吸って糖に変えて、微生物の餌をつくってくれるんです。根は土壌を突き破って、空気の通りをよくしてくれる。はじめは耕作放棄されたズブズブの土地でしたけど、団粒化も進んでかなりいい状態になってきました。あと2年もすれば、うちのすべての畑で肥料がいらなくなると思います」

そう言って嶋田さんが「マルチ」と呼ばれるシートをめくると、白くてほわほわしたものが一面に張り巡らされている。

「植物は菌類と共生していて。土のなかでネットワークができるんですよ。ぼくは、これからの農業は発酵がテーマになると思っています。菌類とのいい関係をつくる農業が主体になっていく。慣行農法とかオーガニックって言葉も、そのうちなくなるんじゃないかな」

白鳥は、農業的には恵まれた土地なんでしょうか。

「ここから少し上がった六ノ里って集落は、水が特別ですね。でもぶっちゃけた話、儲ける農業には向いてないと思う。広い面積で効率的につくらないと、儲からない産業構造になっちゃってるので」

「同世代の仲間には『お前の野菜うまいんだし、高くするしかないじゃん』って言われます。でも、断固としてそれはやりたくない」

断固として。

「お金持ちだろうが貧乏だろうが、うちの野菜を求めてくれる人には届けたい。この価格設定をスタンダードにしていきたいと思っているんですよね」

今朝も3時までパック詰めをしていたそう。しかも、2021年のとうもろこしは、竜巻によって2万5千本が一気にやられてしまった。

自然に左右されるうえ、無農薬・無化学肥料で育て、それを手頃な価格で販売する。素人の自分が話を聞いただけでも、それは途方もないことのように思える。

「六ノ里の人たちは、笑顔でやさしくて、でも厳しさも持ってる。自分に厳しい人が多いんですよ。みなさん職人で。ぼくがやってることもよーく見ててくれて、言いたいこといっぱいあると思うけど、グッと堪えて手を差し伸べてくれるんです」

「そういう姿勢だったり心の温かさって、先人たちが苦労しながら築いてきた土地との関係性の上に成り立っていると思っていて。なぜ化学肥料も農薬も使わずに農業してるかって、次につなぐためですよね。想いを、生き方を。肥やしになる覚悟でやろうって」

収穫したばかりのサラダほうれん草を、その場でいただく。少し間を空けて、「おっ!」と声があがる。

自分に厳しく、人にやさしい。六ノ里の先輩について語られた言葉は、まるで嶋田さん自身を表しているようだったし、野菜にもその人柄が滲み出ているように感じた。

 

スナックニンジンや桃カブ、ちぢみほうれん草。カゴいっぱいの野菜を持ち帰り、座談会の会場へ。

TEKNIAとしらおシマダファーム、両社の取り組みについてあらためて話を聞いたうえで、各々の感じたこと、これから考えたいことを交わしていく。

「白鳥地域協議会として、“白鳥の10年後はどうあるもんや?”と考えはじめて7、8年が経つ」

教職員をしていた上村さんが口火を切った。

「だけど10年先が見えない現状もある。高橋社長と嶋田さん、それぞれの話を聞いて思ったのは、これからはオタクを育てることやなと。何かに精通する人、没頭できる人が新しい社会を形成していくんじゃないか。だから、18ぐらいまでの間にいろいろ体験させてやりたい。そのなかでオタクが育っていけばよっぽどええこっちゃと思うんだが、どうかな?」

この意見に続いたのは、自動車整備の会社を営む猪島さん。

「うちはありがたいことに、中学生で職業体験した子が2名ほど入社してくれていて。ただ、郡上のなかでいろんな職業に触れられる機会って、まだまだ少ないと思うんです。今回みたいに、カブを引っこ抜いたり、工場を見学したり。こういう機会を、もっと多くの人に開いていけたらいいのかなと」

工場のシャッターの向こうや、土のなかで起きていること。たしかに、こんな機会でもなければ、知れないことがいろいろとあった。

普段何気なく目にしている風景も、ほんとうは自然や人のさまざまな営みが重なってできているのに、その多くをぼくたちは知らない。なんだろう?と気になっても、仕事の現場にはなかなか気軽に踏み込めないところもある。

老いも若いも関係なく、みんなで郡上の職業体験をするような場がつくれないか。製造業以外にもひらかれた、テクニアカレッジのようなものをやろう。そんな話が持ち上がった。

嶋田さんも、すでに近しい取り組みをはじめているという。

「年に5回、わかあゆ学園の農業研修の受け入れをうちでやっているんですよ。みんなピュアで貪欲で、めちゃめちゃ才能にあふれている。そういう子たちが今、社会的には弾かれちゃってるんです」

わかあゆ学園は、さまざまな背景から自立支援が必要とされる子どもたちの通う、県立の学校だ。

嶋田さんは、子どもたちが農作業を体験するだけでなく、卸先のレストランで食べてもらうようなことも、今後していきたいと話す。

「あとは、ぼくみたいにだーっと進むオタクもいいけど、いろんな仕事を組み合わせて生きる人もいますよね。そこからコラボが生まれるおもしろさもあるから、きっとどちらも必要な生き方なんだと思います」

ひとつ、今回ずっと頭の片隅に引っかかっていたのが、高橋さんの「地域内で完結する産業をつくる」という話だった。

白鳥でそれをほんとうに実現するとしたら、どんな可能性があるだろう? 素朴な疑問を投げかけてみる。

「山を産業化できる人間がいると、郡上の魅力アップにつながるはず」というのは、嶋田さんのアイデアだ。

「ぼくの友人に猟師をやってる人間がいるんですけど、六ノ里は彼のおかげで獣害がほとんど出ないんですよ。ほかの集落は出るでしょ? 彼は、生態系のバランスをとることが絶対に必要だと言って、狩猟をしてる。狼の代わりみたいな役割ですよね」

「あとは山師。それもただ木を伐るだけじゃだめで、土木の人間、家をつくる人間、ものづくりの人間、すべて必要です。そういう人たちが揃えば、木工関係のワークショップとか、炭づくりとか、産業的にもいろんなことを生み出していけるような気がしてますね」

製造業と農業は、一見、違う世界のように思えるけれど、ものをつくるという根っこで通底している。

自給自足、地産地消、完結するものづくり。規模は違えど、目指す方向はどれも同じなのかもしれない。

「ぼくにとって何が幸福かっていうと、自然と自分がリンクすること。仲間と一緒に、すべて自分たちでつくって楽しむこと。かまどをつくった友だちもいるし、肉はすぐそこで獲れたジビエだし、あとはうちの野菜、それに100%うちの米でお酒もつくる予定で」

「いち農家でどうこうじゃなくて、猟師だったりアーティストだったり、いろんな人同士の助け合いのネットワークで、そういう世界観をつくっていけたらいいんじゃないかと思っています。現にぼくの周りにはそういう人間が少しずつ集まってきてますし。絶対楽しいと思うなあ」

座談会は3時間に及んだ。

いやあ、ここには書ききれないほど、たくさんの言葉が交わされた。“みなさんの思う、白鳥のいいところ、残したいものってなんですか?”という問いに対して、何人かの方が「匂いがいい」と答えたのも、深く印象に残っている。

稲刈り、初雪、野花や新緑。四季折々の、白鳥の匂いがあるという。その感覚を、同じ土地に住むみなさんがゆるやかに共有しているのは、とてもいいなあと思った。

 

白鳥滞在最終日。

宿から外に出ると、あたり一面に霧が立ち込めていた。

幻想的な雰囲気の漂うなか、白鳥神社へと歩いて向かう。

郡上には、それぞれの地域に根づいた踊りの文化がある。いつごろはじまったのか、正確な文献は残っていないものの、300年ほど前に踊りを禁じる文書が記録されていることから、それ以前に起源があると考えられているらしい。

白鳥神社の拝殿踊りは盆踊りの元祖とも言われていて、2001年には県の、2003年には国の無形民俗文化財に指定されている。

「踊りの時期になると、みんなこの通りを歩いていきますね。下駄をカランコロンいわせながら」

表の通りから5分ほど歩いて、白鳥神社に到着。氏子総代の瀬木さんに、なかを案内していただくことに。

「西暦200年ごろ、弥生時代のことですが、このあたりは5、6軒だけ家があったそうで。あるとき大きな白鳥が空を舞い、羽を落としていきました。あれはヤマトタケルノミコトじゃないかということで、その羽を磐座に祀ったのがこの神社のはじまりと言われています」

本殿は1852年、越前志比の名匠・大久保吉郎右衛門が建てたもの。彫刻は尾張の名人・瀬川治助重光による作品だ。

特別に囲いのなかを見学させてもらうと、斜めにせり出た脇障子が目を引く。今にも動き出しそうな雰囲気がある。

機械のない時代に(いや、あったとしても)、どうしてこんなものが彫れるんだろう。一説によれば、この本殿はすぐ裏に生えていたケヤキの巨木一本で建てられたとも言われているそうで、ただただ圧倒される。

1907年、明治の大火と呼ばれる火災によってまちの大部分が焼けたときも、あらゆる人が力を合わせて防火し、本殿だけは焼失を免れたという。

TEKNIAの工場で、高橋さんに100年という時間軸の問いを投げかけられたとき、すぐにはイメージが湧かなかった。けれども、こうして100年、1000年とそこにあり続けるものと対峙していると、少し身近なこととして捉えられるような気がした。

自分の住む土地は100年後、どうあってほしいだろうか。

神社をあとにし、続いて向かったのは布屋 原酒造場。こちらも1740年創業と、老舗の酒蔵だ。

出迎えてくれたのは、12代目の原さん。

手にしているのは、花の酵母菌。

じつは原さん、大学時代に、天然の花から酵母を取り出す世界初の技術を開発した方。その研究結果をもとに、さまざまな花の酵母を使った酒づくりをはじめて16年になる。

タンクには月下美人やさくらといった花の名前が貼ってあり、その数は現在30種類。

実際に飲み比べさせてもらうと、それぞれ風味がまったく異なっておもしろい。

「花酵母でつくりはじめてから、蔵のなかの空気が変わりましたね。前は鼻にツンとくるような感じもあったんですが、非常にやわらかくなりました」

「それから、従来の酵母を使うと、つくったあとのお酒の変化が割と早いんです。なんだけど、花酵母は比較的長く安定するんですね。お米や水や、杜氏の腕で違いを出すだけじゃなくて、酵母の違いでPRできるのは、うちのお酒のおもしろいところだと思います」

そういえば、嶋田さんのつくる野菜は傷みにくい、という話も畑で聞いた。じっくり、通常の2倍ほどの時間をかけて育てる無施肥の野菜は、そのぶん丈夫なんじゃないか、とのこと。

植物や発酵の世界は奥深い。すぐにわかった気にはなれないけれど、きっとつながっている話だと思う。

最後に訪ねたのは、長良川鉄道の美濃白鳥駅。

駅前はがらんとしたバスロータリーになっている。

取材で全国津々浦々に出かけると、たまに「この通りはまっすぐ歩けなかった」だとか、「大きなデパートが建っていた」といった話を聞く。ここもまた、かつては映画館があったらしい。

時代を経ても変わらないもの、長く続いてきたものを見てきたおかげで、この数十年の変化の速さを、突然目の前に突きつけられたような気持ちになった。

そんな変わりゆく駅を見守り続けてきたのが、駅長の古田さん。

「ぼくがここへ来て、乗客数は10分の1になっています。子どもも減ってるし、コロナでちょっとピンチ。前にトロッコ列車を走らせたこともあるんです。でも、最初は席の取り合いだったのに、2年も経てばガラガラになってしまった」

「どこの観光列車も、設計はだいたい同じなんですよ。それよりは、社員からアイデアを出して、どんどんやり方を変えていったほうがいいっていうのがぼくの考えで」

それは、たとえばどんなことができそうですかね。

「極端な話やけど、一部の区間を休線にして、運転手も同乗しながらお客さんに運転してもらうとかね。こっから奥はほとんど乗らないんですよ。ぼくの後輩の神谷くんしか乗らない(笑)」

「まあこのアイデアも、2年もつかどうかだと思いますけどね。そしたらまた次を考えていけばいいんです」

3日間にわたるフィールドワークも、ここで一区切り。

いろんな人に出会い、頭と体をよく使った3日間だった。最後は「また踊りの時期に!」と言って、協議会のみなさんと別れた。

希望のように浮かび上がってきたこと、宿題として目の前に提示されたこと。どちらもある時間だったように思う。

10年後の未来に向けて、今を記録する。これが何を意味するのか、今の自分にはまだわからないし、すぐ何かに役立つとも思えない。けれど、きっとここから、何かが芽生えているはず。

もっといろんな経験を携えて、また白鳥を旅してみたいなと思った。

2021/12/10-12 取材 中川晃輔)

2022年の白鳥おどりは、7/9(土)の長滝白山神社での「拝殿踊り発祥祭」を皮切りに、8/27(土)まで毎週のように各地で開催予定です。
お盆期間の8/13-15は「徹夜おどり」もあります。
今回のコラムを読んで気になった方は、実際に訪れてみてはいかがでしょうか。
情勢に応じて中止となる可能性もありますので、詳細は白鳥観光協会のページをご覧ください。

http://www.shirotori-gujo.com/html/odori.htm

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