想芸館
本社:奈良県奈良市
従業員数:9人(うちアルバイト7人)
事業内容:浮遊体のレンタル事業、アート作品の制作・展示
水槽を浮遊するクラゲ。
眺めていると、今の仕事に就いた初心を思い出したり、だんだん気持ちが落ち着いてきたり、新しい事業をはじめてみたくなったり。いろいろな感情が浮かんできました。
実はこのクラゲ、一体一体が人の手でつくられている人工物です。東京、大阪、兵庫、香川、沖縄…クラゲは、今日も日本各地を浮遊しています。海を越えてロンドンアクアリウム、パリのシネアクア、中国や台湾へ渡った個体もいます。
クラゲをはじめとする浮遊体のレンタル事業を行う想芸館(そうげいかん)。奈良市にある平城京の跡地・平城宮跡(へいじょうきゅうせき)で、ビジネスとアートのあいだを漂うのが、代表の奥田エイメイさんです。
「ぼく自身がずっと浮遊してきたんですね。『こうなりたい』という形はありませんでした。浮遊体の原型が生まれたのは20年以上前。『一体これは何になるんだろう?』と問いながら、目の前にある課題にもがきながら、形が現れてきた感じです」
大学卒業後は、大手家電メーカーに就職。研究職として、エアコンや冷蔵庫の研究開発に取り組んでいった。テーマは、静音性。
「モーターハミングは、金属のポンプから生まれます。心臓のように柔らかい素材でポンプを生み出そうと考えたんです」
そのなかで浮遊体の素材が生まれたものの、動力として用いるにはあまりに非力だった。
一体これは何になるんだろう?家電以外の応用先も考えるなかで、水中をひらひらと揺れるきれいな浮遊体が浮かんできた。
しかし、会社での事業化を検討するものの叶わず、退職を決めた奥田さん。ちょうど子どもが生まれた年だったそう。
2000年には、ギャラリーカフェ「浮遊代理店」をJR奈良駅前にオープン。
「飲食と貸しギャラリーと浮遊体の三本柱に取り組みながら、『一体どの柱が自分を連れて行ってくれるんだろう?』と思っていましたね」
「浮遊体を熱帯魚店へ売り込んだこともあります。縁日の金魚みたいにビニール袋入りの浮遊体を持ち込むと、“生物未満”として二束三文で扱われることがわかりました。だけど一体をつくるのに3、4日はかかる。こういう売り方したらあかんのや、って感じて」。
そこで水槽を購入し、そのなかに浮遊体の世界を表すことに。浮遊代理店に水槽を置くと、「うちにも置いてみたい」という人がポツポツと現れた。
「浮遊体の値づけには、すごく力を注ぎました」。売切りにはじまり、やがてレンタル事業へと移行。工場を借りて、水槽のデザインも自ら手がけるように。夜な夜な試作を重ねて、基本となる形が完成した。
2005年に「浮遊代理店」を閉店。2007年、平城宮跡の近くに拠点をつくった。ちょうど浮遊体の事業が軌道に乗り出した時期だった。
「この辺りがよかったんです。ものをつくる環境として、事欠かない。体感として、大阪と京都にすごく近い。全国出張もありますが交通の便が大変よい。それでいてすごく静かで、けっこうな田舎感もある(笑)」
それから20年が経ち、どう感じているのでしょう?
「 ここに来て、ほんとうによかったです。アクセス、地価、自然環境。オフィスをかまえる上では、いろいろな検討条件があります」
「もちろんそういう条件も考えつつ、でも最後にここを選んだのは、より直感的なところだったと思います。20年経って、ようやく気づくこともある。長い時間の地層のなかでやっと見えてくることがあります」
今では、想芸館の屋台骨を支えている浮遊体。20年間に数多くのメディアでも取り上げられてきたけれど、奥田さん自身はどう捉えているのでしょう。
「クラゲの形は自分がつくったというより、人に望まれる形がだんだん出てきた感じ。人に喜んでもらっている実感もある。いい仕事だなと思って、続けてます」
また、売上比率でみればまだまだ小さいものの、自身にとって大切な事業が、展覧会の仕事。
2023年から2024年にかけては、台湾の国立海洋科技博物館で10ヶ月に及ぶ展示をおこなった。
経営者とアーティストという二つの顔がある奥田さん。つねにあいだを浮遊していて、アートでの思索がビジネスにつながることもあるそう。
奥田さんは、ここ数年、職業「歩き屋」を自称している。
運転免許を持っていないこともあり、日ごろからよく歩く。最寄り駅の大和西大寺駅までは徒歩20分。ちょうどいい距離感だと感じていて、駅前にある複合施設「ならファミリー」で買いものをして帰ることも。
「浮遊体の仕事の特徴は、いろいろと考える時間がもてること。お客さんである病院や飲食店に浮遊体を置いたのちは、定期メンテナンスまでに時間があります」
だから、毎日平城宮跡を歩く。
「自分の仕事は歩くことだと。そういう感じで自分を位置付けています」
足が前に出ると、いろいろなことが浮かんでくる。浮遊体の事業をエリアで広げるためのアイデアが出てくることも、作品について考えることもある。
「この辺りって、地面を掘れば、昔の地層が現れる場所なんです。反対に空を見上げると、電線のないすごくきれいな空が広がっています」
「光って、遮るものがなかったらどこまでもまっすぐ進み続けますよね。足元には奈良時代へつながる地層がある。空には、宇宙へつながる光の地層があるのでは?平城宮跡を歩きつづけるうち、そう考えるようになりました」
光の地層、ですか?
「一人ひとりが生まれて死ぬまでの時間は、光の地層として重なり、ずっと宇宙に記憶されている。今日はこんな行いをした、今日はこんなふうに歩いた、人とこんな感じで過ごした、ということがずっと残るとしたら、自分は何をすべきだろう?今は、何をすることで一番満たされるんだろう。歩きつづけ、考えつづけるなかで、自分の生き方が変化していく予兆を感じています」
「東京に住んでいたってビルの合間から空は見えたけれど、ちょっと違っていたんだろうな。ここの場所だから、2、30年浮遊しつづけられる。そこから生まれるものがあるんだろうな」
(2024/11/4 取材 大越はじめ、撮影 奥田しゅんじ)