コラム

第4回
「その後、どうですか? 」

「日本仕事百貨を通じて働きはじめた人は、その後どうしているんですか?」

サイトを見る人たちから、そんな声を聞きます。

日本仕事百貨では、仕事のよいところだけでなく、大変なところもありのままに伝えるように心がけています。

というのも、よい出会いを経て、企業や地域と働く人がともに次の段階を進んでいける。そう思っているから。

今回は、コラム「その後、どうですか?」の第4回目です。

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第4回目は、世界遺産「白川郷」のある白川村で地域おこし協力隊として活躍する4名の方々です。

写真左から、石井直記さん、前盛よもぎさん、梅本もゆるさん、福田麻衣子さん。

2015年4月に協力隊として加わった4人の背景はバラバラです。

石井さんは新潟生まれ。大学で建築を学んだのち、建物の維持管理会社で働いていました。前盛さんは沖縄県石垣島で育ち、東京の大学に進学。休学してやって来ました。梅本さんは高校からニュージーランドに単身留学し、帰国後は機能性原料メーカーで働いていました。福田さんは千葉県生まれ。大阪で小売業の会社に就職し、店舗の空間づくりを担当していました。

4人はなぜ白川村にやって来て、いまどんなことを考えているのか。

実際に白川村を訪ねて、シェアハウスにリノベーション中の空き家で話をうかがいました。

(聞き手:インターン生 竹井紫音)

その後(バナー)

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—はじめに石井さんと福田さんから、白川村に来るまでの話を聞かせてください。

石井 大学では建築を勉強していました。建物を建てることより、できた後の建物に関わることに興味があって。

新卒で建物の維持管理をする会社に入って、4年間働いていました。東京で勤務していたのですが、人の少ない地方の地域で生活してみたいと思って。すでにある建物をどう使っていくかってところには変わらず興味があったので、空き家の活用や移住の促進のことが書いてあった白川村の求人を見て、面白そうだなと思いました。

白川村については、どこにあるのかということから調べました。そもそも何県かよく分かっていなかったので(笑)。

—まったく知らなかったところだけど、応募したんですね。

石井 飛び込んでみようかなと思って。協力隊というよりも、仕事内容を見て決めたんです。前の会社で働きながら、誰にも言わずにここだけを受けました。受からなかったら、そのままいまの仕事を続けようかな、というくらいでしたね。

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—こんどは福田さんも話を聞かせてください。

福田 私もやりたいことができるっていう視点で選びました。地域おこし協力隊という存在すら知らなくて。

大阪にいたころ、空き家になっている古民家をリノベーションするボランティアに少しだけ関わって、それがすごく楽しかったんです。ただそのときは作業だけだったので、場所をどう生まれ変わらせるか、企画からできたら面白いだろうなっていう想いがあって。とくに仕事にしようとは思っていなかったんですけど。

前職を辞めてすぐに転職するつもりもなくて、日本仕事百貨は趣味で読んでいたんです。白川村の記事を見つけて、「なんだこれ、すごく面白そう!」と思って。しかも、たまたま白川郷に行く予定があったんです。運命じゃないかと思いました。終電まで仕事する日が続いて、気力を無くしかけていたんですけど、なんか引っかかるものがあって、締め切り最終日の朝4時ぐらいに起きて応募したのを覚えています。

—お忙しいお仕事だったんですね。そこには何年くらいいたんですか?

福田 ちょうど10年です。小売業のお店を企画・設計する部署にいました。学生のころからやりたかった仕事で、その仕事に打ち込む人生は好きでした。できれば続けたかったのですが、体と心がついてこなくなっちゃって。区切りもよかったので、いろいろな場所を旅しながら、1年ぐらいゆるりと暮らしたいなと思っていたんです。

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—白川村での生活はどうですか?

福田 ストレスを本当に感じなくなりました。

石井 都会とは全然違いますよ。うまく言えないけど、窮屈な感じがない。

前盛 東京はひとりで休まるところがないなと、ずっと思っていました。ここは山があるからかな、川があるからかな。なんか、気持ち的にほっとする。おじいちゃんおばあちゃんや子どもたちと関わる時間が多かったりするから、幸福を感じることも増えた気がします。

—前盛さんは沖縄県石垣島出身でしたね。

前盛 大学から東京に出てきて、環境がすごく変わりました。新しい同世代の友達ができて面白かったんですけど、島にいるときと比べていろんな年齢層の人と関わることがすごく少なくなって。不安かなあ。疑問みたいなものが1年間ずっとありました。

リトルトーキョーに友達と行っていたこともあって、日本仕事百貨を見ていたんです。ほかでも地域関係のイベントとかにしょっちゅう行ってて、地域と学生を繋ぐような団体に参加したいなって想いがすごくあって。

—大学1年のころなんて、私は何も考えていなかったな。

前盛 必死にレポートを書いて、夜はダンスサークルで活動して。家にも帰らないような毎日の1年間だったんです。選べる道はいっぱいあるはずなのに、将来どう生きたいかとかも決まっていなくて。そのまま4年間過ごしちゃうのはもったいないな、って思いました。

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—記事を読んで、白川村はどんな印象だったんですか。

前盛 すごく石垣と似ているな、と。観光客はいっぱい来るのに、Uターン者が減っている。この仕事だったらきっといろんな年齢層の人と関われるし、仕事をひとつに決めずに、いろんなことを挑戦できそうだなって思いました。

「やってみたい」と思って、友達にも言わずに応募しました。学校を休学しようとかも全然考えていなかったんです。

石井 ほんとうに、みんなあまり考えてないな(笑)。

梅本 私もいろんなところに応募していたわけじゃないし、面接ではじめて白川村に来たくらいで。そのときは合掌造りも何も見ずに帰ったんです。面接して2時間後くらいに「内定が決まりました」って電話が来て、「早っ!」みたいな(笑)。会社には何も言ってなかったです。

—梅本さんは入社1年目だったとか。まだ続けたいという気持ちはありませんでしたか?

梅本 15歳のときから約7年間ニュージーランドに行っていたので、ちゃんと自分が日本の社会で機能していけるかどうか、試してみたかったんです。で、入ってみたら割と問題なく仕事をこなせて。会社の未来もあまり見えなかったので、もういいかなと思いました。

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—協力隊になって、はじめは何をしたんですか?

前盛 いろんな地域の人に会って、いろんなこと教えていただいて。漬け物の漬け方を教わったりとか、一緒に山菜を取りに行かせてもらったりとか。

白川村には「すったて」という郷土料理があるんです。昔の人は「すったて」に使う豆を石臼でするところから自分の手でやっていたそうで。そういう白川村の暮らしを体験したり、村の人と関わる機会が観光でも増えたらいいよねってみんなで話したんです。じゃあ自分たちがやってみようよってことで、村のおじいちゃんとおばあちゃんから「すったて」のつくり方を習ったりして。

昨年の後半からは、分かれて活動するようになりました。もともとあった空き家チームと新規事業・情報発信チームに分かれて。

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—空き家チームが進めているリノベーションでは、空き物件をシェアハウスにすると聞きました。なぜシェアハウスなのですか?

福田 地方移住ブームもあって、白川村にも移住の相談が増えているんですけど、もともと賃貸の物件がほとんどないんです。

でも、いきなり家を買うのはハードルが高いってことで、納得できる物件をじっくり探したり、お試し移住もできるような気軽に住める住宅をつくろうと。シェアハウスにすれば、地域とも繋がりやすくなると考えたんです。

リノベーションの作業はもう半年以上やっていて。だから、ご近所さんもよく声をかけてくださいます。

—さっきは取材中に、おじいさんがお団子を持って来てくれましたね。

前盛 白川村はオープンな人が多くて、協力隊を受け入れてくれている人が多いです。

石井 ご飯を食べに行けば、誰かと他愛もない話をしたり、子供がいなくても授業参観に行けちゃったり。小さな村ならではだと思います。

人とのつながり方がいままでとは違うなと思います。東京で会社員をしていたころは、会社での付き合いがほとんどで、地域と関わることができなかったんです。協力隊の活動って仕事ですけど、仕事の感覚があまりないですね。

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—確かに会社での働き方とは違いますよね。初代協力隊の大倉さん、柴原さん、高橋さんにもお話をうかがいたいです。

柴原 大学のサークル的なノリの良さはありますよ。仕事仲間なんだけど、殺伐としている感じがなくて。

7人が自分の得意分野や興味のある分野でやりたいことをやっています。人それぞれでいいんじゃないかな。

—それぞれの興味で。

前盛 私は子どもたちが楽しい場所づくりにずっと興味があって。私がいまでも地元に帰りたいなって思うのは、子供時代がすごく楽しかったからなんです。白川村に帰って来る子どもたちが少ないと聞いて、何かできるかなと。

そんな想いもあって、子ども向けのタブレット教室とかをやりましたね。白川村の魅力を発信しようということで、村の子どもたちがタブレットでCMをつくりました。KDDIさんと組んで、タブレットをお借りしたんです。

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—協力隊には3年の任期がありますが、それはどう思いますか?

前盛 短いと思う。

福田 本当にミッションの目的を果たそうとすると、3年って全然足りないなと。でも、早く任期を終えて、協力隊じゃない立場で生活をしてみたいとも思いますね。『協力隊』っていう札がつきまとうので。

梅本 自分では、地に足がついていない感じがあります。されど3年みたいな。よく言えば、まだいろんな将来の選択肢があるってことですね。

柴原 協力隊って大学生に似ている。みんな就職のことも考えているでしょ?

高橋 これまで学費払って大学生だったと思ったら、協力隊として経験を積ませてもらってありがたいと思いますよ。

大倉 いまを生きる感じだね。それをすごく教えられた。

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—みなさんは今後をどんなふうに考えていますか?

石井 白川村で経験しているような生活や人との関わり方を続けていきたいです。ただ、それをどう仕事にしていくのかをこれから考えないといけないですね。

前盛 私はいったん、学校に戻ろうと。協力隊になって、全然いままで会うこともなかった別の世界の人たちに会って、いろんな生き方をみて、幅が広がったなと思います。でも、その上で自分がどう生きたいのかっていうのはまだ見つけられていません。

梅本 私はいずれ台湾に住んでみたくて。もともと中国語専攻だったので、中国語もマスターしたいなと思って。

それに、留学すると自分の基準がいい意味でぶれるというか。例えば、許容範囲が広がって、いろんなことが許せるようになったりする。逆もありますけど、そうやって自分の世界が広がるんだと思います。だから、いくら人が住んでよかったとか聞いても、自分が住んでみない限り、あまり意味がないんですよ。

福田 決まりきった人生ってあんまり性に合わなくて。いろんなことしたいし、いろんな場所に行ってみたいな、と思っていて。1年くらいはちょっとふらふらしたい(笑)。

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どのように生きていくのか、みなさん悩みながらも自分と向き合って考えていらっしゃるんですね。協力隊として飛び込むってことも、勇気があるなと思いました。

石井 みんな割と思い切っている感じなので。

高橋 迷わず行けよ、行けばわかるさ、的な。

梅本 迷うなら、やればいいんじゃないですか。やんなきゃ分かんないですよ。人がやるより、自分がやんなきゃ分かんない。失敗するかもしれないけどさ、失敗しないかもしんないじゃん。

—どうして一歩を踏み出そうと思えるのですか?

福田 いままでに散々悩んだから。「そろそろいっか!」みたいな。

大倉 これは来るよね、働いていると。

梅本 みんなありますよね。

福田 生きていたらね(笑)。人生一度っきりだよっていうのは、思うけどね。

—ありがとうございました。白川村の7人がどうなっていくのかとても楽しみです。また話を聞かせてください。

 

 

白川村では空き家リノベーションのワークショップを開催しています。地方の暮らしや協力隊に興味のある方は、ぜひ参加してみてください。コラムに登場する協力隊の方々にも実際に会って話をすることができます。

ワークショップの情報は、岐阜県移住体験Web「Classca gifu」をご覧ください。

また、白川村のシェアハウス「やまごや以上ほしぞら未満(通称やまほし)」では入居者(女性限定)を募集している他、この場所でイベントやワークショップをやりたいという方も大歓迎です。興味のある方はぜひチェックしてみてください。

*白川村地域おこし協力隊は現在3期目を募集中です。よろしければこちらもご覧ください。

「たのしく暮らそう」