コラム

ある猟師の幸福論

これはしごとゼミ「文章で生きるゼミ」に参加された壽榮松孝介さんによる卒業制作コラムになります。

文章で生きるゼミは伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです。

「幸せってなんだっけ」

東京の真ん中で、都市開発という華やかな仕事に就きながらも、この問いに対する答えを仕事の中からは見つけ出せなかった私は、昨年の春、ホールアース自然学校に転職しました。

ホールアース自然学校は、富士山・沖縄・福島・新潟に拠点を置き、キャンプやエコツアー、地域支援等をツールとして、自然の中に身を置くこと、自然と共生することの価値を発信している、業界最古参の団体です。

組織理念は“実践主義”。

その理念に基づいて、家畜や有機野菜を育て、山奥に分け入り、竹や木を切り、それらを使って自分たちの事務所や子どもたちと過ごすキャンプ場をつくります。

「自ら実践し、その意義を真に学んで、自分の内側から湧き出るものを世の中に発信する」というスタンスです。

そんな組織文化の中で、“獣を獲り、食べる”という行為に深く踏み込んだのが、浅子智昭さんです。7年前に狩猟を始め、今年の春にはホールアースの一事業部として「富士山麓ジビエ」を立ち上げました。

42歳、一児の父。職業はガイド兼、猟師兼、お肉屋さん、といったところです。

今日も朝から鹿を2頭捌き、少し疲れた顔で事務所に戻った浅子さん。普段からともに仕事をし、狩猟や解体を私に教えてくれる浅子さんの「幸せってなんだっけ」に対する答えを聞き出すべく、まずは狩猟をはじめたキッカケを尋ねてみました。

「北斗の拳って知ってる?『199X年、地球は核戦争により滅亡した。これは生き残った人類の物語である』みたいな話。世紀末が来て、人が権利や金を奪い合って、っていう社会を描いたんだよね」

「それを見てたら、あぁ、地球って環境破壊だったり、核戦争とかでいつか滅亡していくんだなあって思って。その影響もあって、自分で食べ物はつくって生活できるようにならないとまずいんじゃないかって、結構真剣に考えてた。小学生後半のとき」

働きはじめてからも、3坪くらいの農園で野菜をつくり、休みの日に家族で収穫していたそう。

「自分で食べ物をとっていきたいなと。で、俺ね、釣りが性に合わないんだよ。待つの苦手だし。でも動物性たんぱく質をとりたいなあっていうので、狩猟を始めた」

「ホールアースに入って2年目で沖縄校に赴任、6年間沖縄にいたんだけど、富士山に戻ってきたら、森が別の場所みたいに姿を変えてて。前は道路から森を見ても、藪だらけで中に入れない状態だったんだけど、戻ってきたらスカスカになってる。あれ、低木がないじゃんっていう。食べられてるんだよね、動物たちに。でかい木だけ残って、日本の高齢化みたいな感じだよね。ちっさいのは食べられちゃって、50年後は大変、みたいな」

「で、それを守っていくには、自分で獲っていけばいいんじゃないかと。自然守ろうとか、自然大切だよって日頃のガイドで伝えてて、じゃあ自分はなんかやってんの、ってなったときに、そこまでやってないなあって思って。自分が直接的に手を出す一つの方法として、狩猟はありだなあって」

話は遡り、はじめて獣を獲ったときのことを浅子さんはこう振り返ります。

「自分ではじめて内臓を出したときのことをよく覚えてる。知り合いと猟に出て、そこで獲れたのを自分で腹割いて、心臓ガボッて取ったときの、あの内臓のあったかさ。熱いんだよね。熱い。燃えるような熱さ。あとむせるような血の臭い。今でも覚えてるね」

「そのときは井川のマタギの流れを汲む親父さんの罠にかかったんだけど、心臓を十字に割りな、って。で、東に向かって一礼しなさいよって言われて。獣の魂を山に返す儀式。初物だったらちゃんとやんなって教えてくれて。それはすごく印象的だったね」

はじめての猟から現在に至るまで、7年間獣を追い続けた浅子さん。今では、地域で獲れた獣を買い取り、捌いて卸すための施設「富士山麓ジビエ」の所長を務めています。

「先月は13頭買い取った。だいたい猟師の親父さんから電話がかかってくるのは朝の7時から8時くらいの間が多いね。仕掛けた罠の見回りを朝にばーっとして、獲れてたら俺に電話。解体所に持っていけば捌く作業もしなくていいし、少しの小遣いにはなるから、持ってきてくれる人がいるんじゃないかな」

猟師・ガイドとして「好きを仕事に」するだけでなく、地域の解体所を運営する理由はどこにあるのでしょうか。

「幸せの価値観で、何をすると自分が幸せなのかなって考えたとき、公に対しての奉仕ではないけど、世の中のためっていうところに、僕は多分ね、生きがいを感じるんだと思う。個人への欲を追求していっても、その欲が尽きることはなくて、多分先細ってく。おっきい幸せって得られないと思うんだよね」

「解体所を運営することで、猟師の親父さんとのちっちゃい経済が回って、たくさんの人に美味しいジビエを食べてもらえて、富士山の森が守られて。で、俺も幸せ。最後が大事、俺も幸せ」

(2018/10/18 壽榮松孝介)