コラム

高いところから見えないもの

これはしごとゼミ「文章で生きるゼミ」に参加された一本麻衣さんによる卒業制作コラムになります。

文章で生きるゼミは伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです。

「可能性のとびらは増やすだけじゃなくて、ある時点からは、一つずつ閉めないといけないんだよね。できることを増やしているだけじゃ、結局どこにもいけないから」

9年間働いた銀行を退職し、ヨガインストラクターとして活動する北澤佳苗さんは、私の2個上の先輩です。

銀行員時代の北澤さんはとても優秀で、誰もが認めるキャリアの持ち主。そんな北澤さんがなぜヨガインストラクターの道を選んだのか。話を聞きたいと思い、今日は世田谷線の松陰神社前のカフェで先輩と待ち合わせ。

「私、ハマったらトコトン派なんだよね」

そう笑いながら、北澤さんは語りはじめてくれました。

北澤さんは、はじめから銀行に入りたかったのですか?

「そんなことはなくて、実はスポーツトレーナーになりたかったんだよね。大学のアメフト部でその役割をしていたんだけど、トレーナーのはたらきでチームが強くなっていくのが本当に楽しくて。でもその道に進むためには、専門学校に入り直さないといけない。親を説得しようとしたんだけど『本当にそれでいいの?』って言われたときに、『うん』って言えなかったんだよね」

"本当にそれでいいの?"

その問いに、大学生の北澤さんは自信を持って頷けなかった。

まだ自分は社会を知らないだけなのかもしれない。もしかしたら、世の中にはスポーツトレーナーよりも自分に合う仕事があるのかもしれない。

考え直して始めた就職活動。

内定をもらい働きはじめた銀行は、想像以上に厳しい世界だった。

「最近の新入社員は営業店で1~3年経験を積んで、基本を身につけてから本部に異動することが多いんだけど、私はいきなりの本部配属で。お客さまの話を議事録にまとめるんだけど、超厳しい上司に大きく『×』って書かれたりして。何がダメなのか、理由を教えてくれないんだよね。トイレで泣いたこともあった。一日中働いて、毎日寮で倒れこむように眠って」

スポーツトレーナーの道を選んでいればよかったかもしれない…。

そんな考えがよぎりながらも踏ん張り、2年後に新しい部署へ。環境の変化とともに、ヨガのレッスンに軽い気持ちで参加してみると、冷えきった体が芯から温まるのを感じた。今までにない感覚だった。

“ハマったらトコトン派”を自称する北澤さん。自分でもメニューを作れるようになりたいと思い、スクールに通いはじめる一方、銀行の仕事にも本気で向き合ってきた。

北澤さんは9年間で4つの部署を経験。前向きな姿勢や実力が評価され、順調なキャリアを歩んできた。それなのに、評価されていることを実感した瞬間、なぜかいつも同じ感情が北澤さんを襲ったという。

「仕事が苦しいのは、『評価されていると思えないから』だと思って頑張ってきた。でも、いざ評価されて給料が上がっても、『それがどうしたの?』って思っちゃう」

それがどうしたの。

「そう。大学時代にスポーツトレーナーの仕事の楽しさを知ってしまったものだから、あの感覚を探し求めている気持ちがずっと胸の奥にあって。そんな『自分の心の中』を見てこなかったから、これから先もずっと続けたいと思える仕事に出会えなかったんだよね」

高いところに上れば、今まで見えていなかったものが見えるはず。そう信じて頑張ってきたけど、いざ上って見渡した景色の中に、欲しいものを見つけることはできなかった。

そのことに気づいた北澤さんは、思いきって銀行を辞め、今一番やりたいと思えるヨガインストラクターの仕事に挑戦している。身近な人が突然亡くなった経験から、体の健康をサポートしたい思いは一層強くなった。

「これが本当に自分が探していた仕事なのかは、まだわからないけどね」

半年後には言うこと変わってるかもしれないよ、と北澤さんは笑う。

大学時代に同じ仕事を志していた仲間の中には、有名チームに所属するなど夢を叶えた人もいるという。

銀行でこれだけ努力できた北澤さんなら、もしスポーツトレーナーの道に進んだとしても、成功していたのでは…?

「どうかな。どっちがよかったんだろうね」

自分の心と向き合いはじめた北澤さん。その旅は、まだ始まったばかりです。

(2019/6/18 一本麻衣)