これはしごとゼミ「文章で生きるゼミ」に参加された、宮崎紗矢香さんによる卒業制作コラムになります。

酸欠になりそうな狭い教室に、子供がぎっしり座ってプリントに明け暮れている。
厳しい顔で添削する先生の決まり文句は、「理由なんてわからなくていいんです」
小学生の頃、道路を挟んで、学校の向かいにある学習塾に通っていた。
授業が終わったら、家が近い子から帰っていく。
私はその様子を眺めながら、母を待つ。ぼろぼろのソファに座って、好きなだけ本を読んでいた。お気に入りは小学館の学習まんが人物伝。
ユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランクに憧れた。15歳で息絶えるまで、悲惨な状況下でも書くことをやめない彼女に感嘆した。
「死んでからもなお生きつづけること! 」
アンネが日記に書き残していた言葉。この世に生きた痕跡を残したい。彼女に感化されて、漠然とそう思った。
その年、学校で皆勤賞をとったお祝いに日記帳を買ってもらった。サンリオの、シナモロールの日記帳は、見開き2ページ仕様で4日分を書き込める。
運動会の練習のこと、蚕がまゆになったこと、ごくせんを見たこと、近所の三姉妹と遊んだこと...
その日の出来事を、はみださんばかりの文字で書きつけた。
気付けば24歳。日記は15冊目に突入している。
つい先月、先祖との思わぬ出会いがあった。
昨年末、新型コロナに感染した私は、2週間ほどの自宅療養を余儀なくされた。たまたま鹿児島へ帰省していた母は帰ってこられなくなり、仕方なく祖母と共に大掃除をしたという。そこで、ひょっこり出てきたのが祖父の日記だった。
祖父は、母が高校生のときに亡くなった。金物店を営んでいた祖父は、経営が窮地に陥り、精神的に追い込まれた末、死に至った。キリスト教徒であり、生き物への愛護心が強く、商売には不器用だったと母に聞いた。
しかし、見つかった日記には祖父の生きていた証が書き残されていた。
私はどこから来たのか。何者なのか。自分でもわからない生の由来を、この日記が教えてくれるかもしれない。
そう直観した私は、療養期間が終わると祖母に連絡をとり、日記を送ってもらった。

想像より厚みがあり、黒い装丁に目を引かれる。
「DIARY’84」
表紙に印字された年は、祖父が亡くなった時期と一致している。鼓動が早まるのを感じながら日記を開くと、草書体で書かれた文字が何ページにも渡って続いていた。
”死んでからもなお生きつづける”。
アンネの言葉が、胸の中で蘇る。
ぼんやりと、像を結ばなかった祖父の面影が、ゆっくりと動き始めた気がした。
春には、実家を出て独り暮らしを始める。
(書き手:宮崎紗矢香さん)

文章で生きるゼミは、伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです。オンラインで開催しているので、どこからでも受講することができます。
次回は、8月末からオンラインで開催します。申し込みは2022年7月31日(日)まで。興味のある方は、こちらから詳細をご覧ください。