コラム

「なにクソ!」に背中を押されて

これはしごとゼミ「文章で生きるゼミ」に参加された、やましたゆみさんによる卒業制作コラムになります。

やましたさんがオンライン上でインタビューしたのは、同じ参加者の仲間。受講したことによる自身の変化について話してもらいました。

「なにクソ!」

そんな衝撃が走ったのは、ゼミ2週目のこと。

実習生同士の相互インタビューを文字に起こして、それを一人ずつ読み上げながら、ケンタさんから指導を受けていました。

それが私の番になると、「他の実習生と注意することは同じだから」って言われただけ。何のやり取りもなく終わった。添削どころか、殆ど読まれなかった。

その後、実は友だちや知り合いにたのんで、もう10人くらい、インタビューの練習をしたんです。メッチャ悔しかったから。

それでもやっぱりうまく聞けなかったり、文字にしてみると「何が伝えたかったんやろ?」って頭をかかえたり。

毎回毎回、「なにクソ!」って、沸く自分がいる。

それが今、変化する原動力になっている。

インタビュー練習の後で、ある話し手のかたから「他人に興味ないやろ」ってフィードバックをもらったことがありました。

その人の話に、「鍵っ子」というワードが出てきたんです。両親は帰りが遅くて、自分は鍵っ子だったからって。

その時、私それ以上聞かなかったんです。正直、「やたらに触れて、辛かった過去とか出てきちゃうくらいなら、全然気にならないから聞かんとこ」って、興味のレベルはだいぶ低くて。

でも話し手としては、聞いてほしいから口にした言葉だった。

初回の、実習生同士のインタビューでも、同じように相手の話を全部ぶった切ってた。無意味な会話。一番添削されなかったのって、私が何も踏み込んでないから。

でも、すごく怖かったんです。踏み込むのが。

今も怖い。

それでも、インタビュー練習を重ねるうち、変わってきました。こちらが聞くのをためらってしまうようなことこそ、相手にとっては本当に話したいことかもしれない。話したくなければ、話さないだろうし。

本当は、「怖かった」というより、相手を信じてなかったのかな。相手には、自分をコントロールする力がないと見くびってるみたいな。

ちょっと踏み込んだ話をしてもいいなって、思ってもらえる人でありたい。そう思い始めたところです。

話を聞くって、相手に興味を示すことだから、シンプルに「あなたのこと好きになりたいんです!」って好意的な感情を届けることになるんじゃないかな。だから、そこまで怖がることはないのかもしれない。まだ怖いけど。

相手と共有した時間をそのまま届けたいなら、勇気を出して一歩踏み込む。そこで発生した温度みたいなものを文章に載せたい。

気持ちいいだろうな。

(聞き手・書き手:やましたゆみさん)

文章で生きるゼミは、伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです。オンラインで開催しているので、どこからでも受講することができます。

次回の開催は未定です。ホームページの情報を随時チェックしてみてください。