「人生は短い。地球は小さい。だから僕たちは、人生を楽しむ義務があると思うんです。その楽しみ方はなんだっていい。たとえば、一粒のチョコレートでもいい。そして、僕の場合は、それは演劇だったんです」
そう話すのは、オミッド・ニアス(Omid Niaz)さん。
オミッドさんとわたしは、日本から飛行機で20時間ほど、中東と呼ばれるエリアのイランという国で出会った。
イランは、観光地として人気の高いトルコのすぐ隣にあるのだけれど、あまり日本には知られていない国かもしれない。
周辺には紛争やテロなどが絶えない地域もあるので、危険なイメージを持つ人もいるかもしれない。
でも、訪れて感じたのは、イランの国内はとても安全だし、歴史的な見どころも沢山あるということ。
とくにエスファハーンという街は、とても美しい。日本でいう京都のようなところ。
16世紀から約200年間続いたサファヴィー朝の首都として繁栄し、かつて「世界の半分」と称されていた。
モスクやバザールのある広場の先には長い並木道があり、その並木道は美しい川へと続いている。
オミッドさんは、このエスファハーンの街で生まれ育ち、6年前、29歳のときに演劇アカデミーと演劇・映像制作の拠点「ordibehesht-art」をつくった。
オミッドさんのオフィスがあるのは、ファッションストアやレストランの並ぶにぎやかな通り。
ここは、イスラム教を国教とするイランのなかでは少し特殊なエリアで、キリスト教を信仰するアルメニア人が多く住んでいる。
アルメニア語が飛び交う道を進んでいくと、赤茶色のかわいらしい建物が見えてきた。
扉の先の階段を降りていくと、そこは小さな練習室を備えたオフィス。
海外で演劇のワークショップを終え、帰国したばかりのオミッドさんが迎えてくれた。
オミッドさんに会ってびっくりしたのは、普通に会話をしていても、まるで演劇みたいだということ。
オフィスからはみ出しそうなほど、表情や動作が大きい。
今の気分を聞いてみた。
「今?疲れているよ。疲れているって言わなきゃいけない。だって、僕はいつも正直でありたいから」
スタッフの方は、彼は本当に子供みたいな人、と話してくれた。
オミッドさんのつくる演劇や映像作品のほとんどは、子どもと若者に向けたものなのだそう。
その理由を聞いてみた。
「僕の中に、子どもがいるんです。頭のなかに、子どものころの記憶が本当に鮮明に残っています。というのも、僕の家庭はとても貧しかったんです。だから僕は、沢山の感情的な瞬間を味わいました」
たとえば、とオミッドさんが話を続けてくれた。
「あれは7歳の冬でした。僕は、ただ温かさが欲しかった。僕にはひとり、兄がいます。母が兄のお下がりの帽子をくれました。でも、それは僕には大きすぎました」
「僕は、その帽子の大きさが腹立たしかった。なぜなら、自分は小さくて無力だということを感じさせたから。僕は新しい帽子が欲しかった。でも無力だった」
こういう話は山ほどある、とオミッドさん。
「でも今思うと、それはとてもいい瞬間だったと思います。なぜなら、今はその状況を受け入れることができるから」
そう思えるようになったのは、演劇との出会いがあったからかもしれない。
「僕が12歳のとき、学校の美術の先生が、クラスのみんなを演劇スクールに招待してくれました。そこで、あなたには才能がある、と言われたんです。そして僕も、自分が何者かに変身できる体験を通して、演劇が大好きになりました」
次の年、オミッドさんはまた同じ演劇スクールに参加する。そしてその後、演劇アカデミーに通い、本格的に演技を学びはじめる。
最初は演技だけだったけれど、やがて、なにか観客へ届けたいメッセージがあるなら、舞台監督の勉強をはじめるべきだと思った。
今では、監督、俳優、舞台美術まで、あらゆることを自分自身で手がけている。
「僕は子どもが大好きなんです。だから、子どもたちに伝えたいメッセージが沢山あります」
「たとえば…。ちょっと待ってね。今、いくつか選びます」
オミッドさんは、引き出しを開けて何かをとりだすように話しはじめた。
「僕は君を愛している。自分らしくいて、何も恐れないで。ただ、悪い考えや嘘だけは恐れて。あなたのハートであなたのマインドを使って。それから、くれぐれも急がないで。待つんだ。そしてあなたの子ども時代を楽しんで」
最初はひとりではじめた会社だった。
でも今は、オミッドさんのほかに3人の事務局スタッフがここで働いている。
それから、サポートメンバーとして50人以上のアーティストが所属しているそうだ。
みんな、オミッドさんの持つテーマに共感してここへ集まってきた。
たとえば、スタッフのひとりには、幼少期にイラン・イラク戦争を体験し、そのトラウマで未だに空爆の夢を見るという人もいる。
みんな何かしら、子どもや若者への動機やメッセージを持っている。
オミッドさんに、仕事の楽しみを聞いてみた。
「演劇アカデミーで、子どもたちが変化し、成長する姿をみるのは、すごくエキサイティングなことですね」
オミッドさんの演劇アカデミーでは、演技だけではなく、立ち振る舞い、自信の持ち方、素直になる方法など、あらゆることを教えている。
そこで子どもたちは、劇的に変わっていくのだそう。
たとえば、あるとき生徒の中に、厳しい両親の家庭で育った子がいた。
演劇のロールプレイングで、彼が父親役を、オミッドさんが息子役を演じることになった。
「ところが彼は『父親を演じるのは無理だ』と言ったので、僕らは役を交代しました。そこで僕は、とても面白くて優しい父親を演じてみたんです。そしたら、終わったあとに彼はこう言ったんですよ。『僕も父親役をやってみたい!』って」
そういう瞬間にたくさん出会うことができる演劇アカデミー、そして演劇が、オミッドさんは大好きなのだそうだ。
「将来は、子どもの大学がつくりたいです。7歳〜12歳の子どもたちが、演劇、脚本、舞台監督の勉強をできるような場所。日本の子どもたちと演劇のワークショップもしてみたいな。日本だけじゃなくて、アジア、ヨーロッパ、アメリカなど、世界中の子どもたちに会いに行きたいです」
最後に、何かはじめたいと思っている人に向けてメッセージをもらった。
「最初に、僕たちが知らないといけないことは、社会が何を欲しているのか。そして次に、自分自身を信じることです。夢に近づくためにベストを尽くしてみてください。僕は、練習だけが完全なものをつくりだせると思っています」
2015.6.22
< Profile >
話し手 オミッド・ニアス (Omid Niaz)
イラン・エスファハーン出身の舞台・映像監督。演劇アカデミー「ordibehesht-art」主宰。ウェブサイト(英語)から、オミッドさんたちの取り組みをもっと詳しく見ることができます。
聞き手 笠原 名々子 (Nanako Kasahara)
1989年東京生まれ。2012年から日本仕事百貨のエディターになる。このコラムでは半年間海外を旅するなかで出会った仕事を紹介しています。Facebook
* 次回は12人の女性オーナーがつくったトルコのレストランを紹介します。お楽しみに!